第2話 岩人の都
僕は、岩人の都デエルレスクに住んでた、ナドラバという子供の記憶を、ある程度だけど共有してる。
身体が弱くて、その生涯の半分を王宮の部屋に閉じ込められて過ごしたナドラバには、町に出た記憶は数えるほどしかないんだけど……その記憶の中のデエルレスクは、賑やかで洗練された都市だった。
でも僕がいま見てるデエルレスクは、びっくりするほど薄暗い町だ。
長い長い階段を下り終えて街門を入ると、巨大な石柱のような細長い建物が立ち並び、その合間を縫うような細い道に人が行き来してるのが見えてくる。光るカボチャみたいな、オレンジ色の丸い灯が家や店の扉や窓に幾つも取り付けてあって、無数のぼんやりした光が街を包んでた。
上から降ってくる陽光は皆無で、もう夜が来たのかと錯覚してしまいそうになるけど、真上を見上げると、馬鹿みたいに高い建物たちの間に小さく見えてる空は青く、まだ昼なのがわかる。
街は僕らが下りてきた円形の高い高い崖に囲まれてて、その崖のあちこちに大小の横穴が開いてた。たぶん、あそこで鉱石を掘ってるんだろう。岩人らしい人の巨きな黒い影が、いくつも穴を出入りしてるのが見えた。
「どうですか?この街の印象は?」
ルズラさんの質問に、僕はちょっと考えてから、<大きな穴の底みたいです。>と答えた。
「ふふ、まさにその通りですね。これが、岩人たちにとっては落ち着く環境なのですよ。彼らがあまり外の世界に出たがらないのも無理はありませんね。外は、彼らにとっては明るすぎるのです。人間の場合、高いところに住むのはお金のある者らしいですが、ここでは逆なのですよ。下に住んでいるほど金持ちなのです」
ルズラさんの声は、相変わらず僕の右肩の上から聞こえるけど、そこにルズラさんの姿はない。姿を消してるんだ。
「ここでは私の姿を見ると、いろいろ騒ぐ者が多いですからね。街を歩くぐらいで、騒がれてはたまりません」ということらしい。
ルズラさんの指示に従って、くねくねと曲がる道を右に曲がり左に曲がり……もう何がなにやらわからなくなってきたところで、町の外周にある小さな広場にたどり着いた。正面の崖には色とりどりのタイルを埋め込んだきれいな壁があって、そこに大きな青銅の扉がはまってる。
「ここが、私の祭殿です。御子にはここに泊まっていただくことになりますよ」
姿を消すのをやめたルズラさんが扉の前で何かをすると、ゆっくり開いてゆく。「帰りましたよ」と言いながらルズラさんが中に入ってゆくのに、おずおず後をついてゆくと、二人の岩人の女性が僕たちを出迎えた。
「ライダナと、フェイデです。私に仕える巫女ですよ。……十年、私の不在を守ってくれた、忠実な岩人です」
青みを帯びた卵型の顔と、ほんのり黄色の卵型の顔。どっちがライダナでとっちがフェイデかはわからないけど、岩人の女性たちはどことなくナドラバに似てた。というより、武張った男がごついだけで、岩人って本来、こういう感じなのかも。
ルズラさんが小声で僕について説明すると、二人はゆっくりと、優雅な仕草で腰を折って挨拶してくれたけど、どうやら歓迎の宴を開くような状況じゃないらしい。ルズラさんのそばに寄って、ひそひそ話をしてる。
「そうですか……それは放ってはおけませんね。今から、王宮に出向きましょう」
ルズラさんはそう二人に言ってから、僕に向き直った。
「申し訳ありません御子、私は少し王宮に用事が出来ました。この者を連れて、少し出かけて参りますね」
そう言いながら手を挙げ、<罪人よ!>と短く呼ばわると、その手から何か岩のようなものが飛び出して祭殿の床に横たわった。
その岩のようなものは見ている間に蠢きはじめ、人の形を取ってゆく。
「ガフッ……! し、死ぬかと思っタゾ……!」
四つん這いで呻いているのは、あの農園に来た岩人、コーダジュだった。
「死なないだけ幸運だと思いなさい。さあ、王宮で証言して、おまえを生かしておいた意味を示すのですよ」
「鳥の手先メ、呪われロ……!」
コーダジュが鋭い声でルズラさんを罵倒しかけたところで、巫女さん……たぶんライダナさんの疾風のような掌底が横から襲いかかった。コーダジュは無抵抗でそれを喰らい、うめき声もあげられずにばたりと横倒しになったところに、またルズラさんに岩に閉じ込められ、収容されて消えてしまった。
……さすがにちょっと可哀想だと思う、コーダジュ。
「御子は今日は、ここで早めにお休みください。長い登山で、さぞお疲れでしょう」
ルズラさんは一礼すると入ってきたばかりの青銅の扉を潜り、町へ戻ってゆく。頭を下げて見送った巫女さん二人は、僕のほうに向き直るとすすっと距離を詰めてきた。
「ルズラヴェルム様のお客様、お部屋へご案内致します」
「あとで必要なものを伺いに参りますので、どうかよろしくお願い致します」
穏やかな態度なのに目に見えない圧力を感じる。ルズラさんにそっくりだよ……。
結局僕はその日、小さな清潔な部屋に案内され、水浴びさせられたあと早めに床についた。
☆★☆★☆
夢の中で、また、焚き火に近づいてゆく。
今夜もナドラバが、膝を抱えて炎を見つめてた。
僕は何も言わず、ナドラバの隣に腰をおろす。
「……そろそろ、消えるよ」
ナドラバが、か細い声でつぶやいた。
驚きはなかった。ナドラバが消えかけていることは、起きてるときも、なんとなく感じてた。
僕は、かすかにうなずく。
「ぼくが消えても……魔術は使えるから」
「……うん」
「ぼくが忘れてしまったもの……もいちど、みつけてくれると、うれしい」
「……うん」
正直なところ、僕が使えるのはナドラバの魔術の、出来の悪い模倣だ。
でも、ナドラバはずっと、彼が見て、そして忘れてしまったものにこだわっていた。
だから、レドナドルで毎日のように練習してきたんだ。大地召喚を。
ナドラバは言いたいことを言い終えたのか、体育座りしたまま動かなくなる。
僕はその、気弱そうな卵型の顔を見て、小声で訊ねた。
「何か……ある? ほしいものが……」
「…………」
ナドラバの、切れ込みみたいな薄い口の端が、かすかに上がった。
「ありがとう。……できれば、あのスープを、もう一度飲みたかったかな……」
「……うん」
訊ねる前から、その答えはわかってた。なんといっても、僕はナドラバの記憶を知ってるんだから。
でも……ものを食べる機能のない僕には、どうしようもないことだった。
「……無理言って、ごめん」
「いや……」
僕らはそれきり口をきかず、僕の夢が薄れて消えるまで、寄り添って焚き火を見てた。
☆★☆★☆
翌朝になっても、ルズラさんは戻ってなかった。
かわりに、巨きな黒い身体を持つ岩人が、巫女さんたちの横で僕を待ってた。
ガジルさんだ。
「オマエヲ護衛スルヨウ、ルズラヴェルムヨリ命ジラレタ」
相変わらず、地の底から響くような低音で言う。
「護衛も来たことですし、町を見物にいらしてはいかがですか」
と、巫女の青いほう……たぶんフェイデさんがそう勧めてくれる。僕はすぐうなずいた。
ナドラバが、両親と共に幼いころ住んでた家に行ってみたい。
もうすぐ消える彼のために。
僕は手早く手を洗い、ガジルさんと一緒に祭殿の外に出た。
「ドコヘ行キタイノダ?」
ガジルさんの質問に、ナドラバの家に行きたいと書いて伝える。
「……ソウカ」
ガジルさんはうなずき、そして、たっぷり間をあけて付け加えた。
「……スマヌ。我ハ、案内デキヌ。ナドラバノ生家ガドコニアルカ、知ラヌノダ……」
例によって表情はまったくわからないんだけど、どうも深く落ち込んでる気がする。
<僕がなんとなく知ってますから。でも実際行くのは初めてなので、相談に乗ってください>と、あわてて石板に書く。
「ウム、任セヨ。我ハコノ町生マレ故、地理ソノモノニハ詳シイ」
ガジルさんは一転して自信たっぷりにうなずき、僕をひょいと抱き上げて、曲げた右腕に乗せた。
☆★☆★☆
結論から言うと、僕とガジルさんは、町を歩くことに関してはダメダメな二人組だった。
まず、僕の記憶が怪しすぎた。ナドラバの記憶が不正確なのか、それを憶えた僕の能力が低いのか。
このちょっと先を右に曲がったところに……なんて考えてると、行き止まりに突き当たって立ち往生したり、大きな通りに出るはずが、怪しい酒場の並ぶ界隈に突っ込んでいってしまったり。
間違えるたび、ガジルさんが「コチラデアロウ」と先に立ってくれるのだが、しばらく行くと「ヌ……オカシイゾ」と言い出し、その周辺をうろうろ歩き回ったあげくに、近くの人に道を聞くことになるのだった。
それにまた、デエルレスクの街並みは、実に迷いやすいのだった。
どこに行っても同じような狭くて曲がった石畳の道に、どこに行っても同じオレンジ色の灯が並び、たいていの建物は灰色か茶色か黒っぽい岩で出来てて、見分ける手がかりはというと扉と看板ぐらい。
岩人はお酒が好きなのか、どこに行っても同じように建物の前に立ったり座ったりして飲んでる人がいて、これもまた迷う一因になってた。
彼らが持つガラスのジョッキの中には黄金色の液体が入ってて、その底にいろんな色の石が沈んでる。岩人たちはぐいぐいとジョッキを傾けながら、液体にまじった石をガリッ! と噛んでは陶然としてる。
歩いているうち、まだ昼前だっていうのに、夜の飲み屋街を通っているような気分になってくる。
すっかり混乱しながら、それでもなんとか、ナドラバの記憶の中で見覚えのある界隈までやってきたんだけど、そこで僕は手がかりを失った。
記憶を探っても、どの建物がナドラバの家だったのか、はっきりした情報が見つからない。
僕はガジルさんの腕から下りると、途方にくれて、坂道の途中に立ち尽くした。
「ムウ……ドウスル。諦メルカ?」
ガジルさんが聞いてくるのに、考えこんでしまう。ここで諦めるわけにはいかないけど、でも……。
「ドけええええ!!!」
ふいに大声が聞こえて、僕はビクリと身体を震わせた。
坂道をひとりの岩人が駆け下りてくる。顔に赤や青の石が何個か埋め込まれてる男だ。その怒鳴り声に、道行く人々はあわてて端っこによける。が、小さな女の子がひとり逃げ遅れた。
「ドかんかああ!!!」
石を埋め込んだ男は、走りながら女の子をゴミを払うように右手で払い除けた。
女の子は声も出せず後ろに倒れ、そのまま端まで滑ってゆく。
……なんだそれ。なんだそれ。ふざけんな。
「オイ! 避ケロ!」
道の真ん中で走り寄る男を睨んだ僕は、ガジルさんにかっさらわれるように抱き上げられた。ガジルさんはそのまま端へよける。
「ド、ドけええええ!」
男は叫びながら、坂道を駆け下り右へ曲がって見えなくなった。
「……顔ニ石ガ見エル者ハ、貴石ヲ山ホド食ラッタ者。即チ、位高キ者トイウコトダ。関ワルト、厄介ナコトニナル」
身分が高い者だって? いまの乱暴な男が?
僕は納得できない思いで男が消えた坂道の下を眺めたが、すぐ、女の子のことを思い出した。
ガジルさんの腕から飛び降り、女の子のほうへ駆け寄る。
通行人の岩人が三人ばかり、横たわる女の子をただ見下ろしながら立っていた。
なぜ、誰も助けない。いったい岩人ってどうなってるんだ。
僕は通行人を無視して、女の子の様子を見ようと覆いかぶさる。
と、女の子がむくりと身を起こし、ちょうどかがみ込んだ僕の頭と彼女の頭が激突した。
すさまじい衝撃。
僕は吹っ飛ばされ、遅れてやってきたガジルさんに受け止められた。
「エッ、なんだコイツ……軽すぎだロ」
「メルサに吹っ飛ばさレル奴がいルなんテ……」
「坊主……坊主だと思うガ、もっト鍛えロよー」
通行人が口々にコメントし、ゲラゲラ笑い出す。
でも、僕は頭が壊れるんじゃないかって激痛でそれどころじゃない。なんなんだよ……!
「こらオッチャンたち、よその人を笑わないノ!」
少女が高く張った声でそう叫ぶと、また通行人たちはゲラゲラ笑い、「じゃあナー」と言いながら立ち去ってゆく。
あとには、頭を抱える僕と、黙って僕を抱えてるガジルさんと、全然平気そうな女の子が残された。
「骨の人……ごめんネ。ネ、アタシん家そこだかラ、ちょっと横になって休んでっテ?」
身体の大きさからまだ子供に見える少女は、そう大人っぽい口調で言うと、目の前にある建物を指差した。