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僕からはいいダシが出るようです  作者: 大穴山熊七郎
第三章 ザグ=アインの奈落
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第0.5話 謎めく報告書……レドナドル

 地霊ルズラヴェルムとそのお供がレドナドルを去ると、ダニス=ドナテラは精力的に動きはじめた。

 レドナドル商業ギルドに加入するや否や関係者たちと打ち合わせを重ね、いままでレドナドルに存在しなかった高級雑貨店を開く根回しを、短期間で済ませてしまう。

 買いとった自宅隣の建物を一ヶ月ほどの突貫工事で改装し、開店の日には盛大なパーティーを開いた。


 宴の席には、ドナテラ農園で厳しい交渉を行ったベッグ・シナードと、メリネ・ルグランジュの姿もあった。

 ダンデロンとルグランジュ、マードゥ混成国の二大商会の幹部クラスが駆けつけたことは、居合わせたレドナドルの有力者たちに、ドナテラ商会の名を深く印象づける結果となった。

 地元の人間を数人雇い開店したドナテラ雑貨店は、そう大きな店舗ではなかったが、ウインドウの飾りの美しさと店内の瀟洒なインテリアが評判となり、観光客が好んで訪れる名物スポットになりつつある。

 湖で有名なレドナドルの観光シーズンは春から夏であり、その頃にはさらに客が増えるだろうと思われる。


「まあ、数年は少し赤字が出てもいいんだ。私たちには十年は売れるほどの聖泥があるからね……。観光で立ち寄る店として名を売りながら、少しずつ、私たちならではのデザインの皿や小物を開発していくつもりさ。もちろん、聖泥を使った新しい商品もね……」


 ダニスは妻や骨の子にそう語り、仕入先や職人との縁をつなぐべく、忙しく飛び回る毎日を送っていた。

 順風満帆に見えるダニスとドナテラ一家には、しかし、大きな悩みが生まれていた。



☆★☆★☆



 ドナテラ一家が魔物を放し飼いにして連れ歩いている、という噂は、彼らがレドナドルに住みはじめてからすぐ、静かに広がっていった。

 マーユ・ドナテラが外に出るときは必ず骨の子と一緒で、彼女は無邪気に、骨の子に背中に乗せてくれるよう頼むのが常だったからだ。

 

 新居を構えて一週間後、最初のトラブルが起きた。

 その日も骨の子にまたがって笑顔で散歩していたマーユは、道端の小さな空き地で遊んでいた子供たちに、いつのまにか取り囲まれていた。

 

「おい、おりろよ!」


 リーダー格の、豹系らしい獣人の男の子がいう。


「え、なんでー? やだよ?」


 マーユはきょとんとして答えた。


「そいつまものだろ! まものにのっちゃいけないんだぞ! くびわつけなきゃだめなんだぞ!」


「コボネ、まものじゃないよ?」


「まものだろ!」


 男の子だけでなく、取り巻きからもいっせいに「まもの!」「まものだ!」と甲高い声が上がる。


「まものじゃないよ!」


「じゃあそいつしゃべれるのかよ! しゃべれないならまものだぞ!」


 実は、これが多種多様な種族の共存するマードゥ混成国の、子供でも知っている常識であった。人に近いものと、人に近くないものをどこで分けるか。それは、言葉を使って話すことができるかどうかで決める。


「え? そんなのマーユしらないよ!」


「おまえがしらなくてもそうなんだよー! おかあさんがそういってた!」


「コボネまものじゃないよ!」


「まものだよ!」


 押し問答は続き、しびれを切らした男の子が、マーユをどん! とついた。

 もともと病弱で小柄なマーユは、抵抗もできず骨の子の背中から転がり落ち……地面に落ちる寸前で、骨の子が呼び出した石板に受け止められた。

 そっと地面に下ろされたマーユだが、その目はみるみる潤み、口が歪んでゆく。そして、絶叫するような泣き声が響いた。


「うああああああああん! コボネまものじゃないもん! ばかあ!」


 その泣き声にひるんだ犯人の獣人の子は、さらに血相を変えて後ずさる。

 骨の子が、四つん這いからむくりと姿勢を変え、立ち上がったのだ。


「うわあああ! おこった! まものがおこった!」


「どうすんだよジュール! ころされるぞ!」


「にげろー!」


 子供たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。後には、泣き続けるマーユと、途方に暮れたような骨の子が残された。

 そして二人を扉や窓の陰から覗き見る、いくつもの視線があった。



☆★☆★☆



 翌日夜、半日続いた話しあいから帰ってきたダニスの妻、ラホは、家族の夕食をなんとか作り終えたあと、青い顔で寝室で横になり、ダニスの質問に答えていた。


「……で、首輪と引き綱をつけなければレドナドル市に訴えるというんだね、彼らは」


「……ええ。しかも、それはぎりぎり最低限の処置だと言ってたわ。コボネくんが魔物でないといくら言っても、まるで聞く耳持たずだったの……」


「……ふむ」


「……とにかく今日は突っぱねてきたけど、雰囲気は最悪よ……」


「…………」


「……どうすればいいと思う? あなた……」


「首輪をつけさせる? 絶対に論外だよ。コボネくんは私たち家族の恩人だし、マーユが納得するわけがないだろう。……というかだね、そんなこと地霊様に知られたら、どんな怒りが来るかわからないよ?」


「でも……だったら、どうすればいいの?」


「…………」


 二人の話し合いは黙りこくったまま終わったが、翌日から、近所の主婦たちの訪問と詰問が始まり、ラホはみるみる憔悴していった。

 数日後、骨の子が石板で、首輪と引き綱をつけることを自ら申し出た。

 ラホとダニスは涙声で骨の子に謝り、感謝しながら、翌日首輪を買ってきて骨の子に取り付けた。


 数日間、外に出られなかったマーユは、引き綱を不満げに握ったままコボネと散歩に出たが、そこにあの、ジュールといわれる獣人の男の子がやってきて、横柄な声で話しかけた。


「おい、そのまものかせよ」


 マーユは完全に無視して通り過ぎようとする。


「おい!」


「……こんどあんたが、マーユをおしたら、うったえるってパパいってた。ぜったい、ゆるさないって」


「へ、うったえるのはこっちだよ! まものかってるほうがわるいんだぜ!」


「コボネまものじゃないもん!」


「いいからかせよ!」


 引き綱をひったくろうとしたジュールを、マーユは力いっぱい押し返す。マーユの力ではよろめかせるのが精一杯だったが、取り巻きの子が「やりかえされた!」「だっせえ!」と騒ぐのを聞いて、ジュールは激高した。


「このやろう!」


 マーユの茶色い髪を掴んで引っ張る。マーユは涙目になりながら睨みつける。


「やめなさい! こら!」


 叫びながら警備隊の男が走り寄ってくるのを見て、ジュールたちは脱兎のごとく逃げ出す。

 警備隊員は、その場に取り残されたマーユと骨の子のところに来ると、骨の子の背をガッと押さえつけながら、マーユを睨みつけた。


「どういうことだね、これは。家まで行くので案内しなさい」


 マーユは警備隊員も味方でないことを知り、一瞬ぽかんとしたあと、必死に泣くのをこらえる顔になった。



☆★☆★☆



 マーユが警備隊員に乱暴に扱われながら家に帰り、尋問されたラホが寝込んでしまったことを知ると、ダニスは激怒した。

 マーユと骨の子に、数日間家を出ないよう命じると、ダンデロン商会とルグランジュ商会に連絡を取ると同時に、加入したばかりの商業ギルドの幹部と話し合いに入り、その紹介で市の幹部と顔合わせをした。この時、両商会のレドナドル支部長ふたりも同席した。

 両商会の支部長からドナテラ家の重要性を匂わせる証言をもらいながら、市の幹部を笑顔で脅し、件の警備隊員と、ジュールの両親の情報を引き出し、彼らにたいする相当の対応を要求した。

 ジュールの父親は、市の水道局で中堅どころの役職を務める公務員だった。


 ダニスが激怒してから一週間後、骨の子は口がきけないが人族であるという特別な証明書が発行され、ドナテラ家に届けられた。件の警備隊員は減俸などは逃れたが、かなり叱責され配置換えになったという報告も同時に届いた。

 そしてその夜、父親に連れられたジュールが訪ねてきた。

 父親の長い要領を得ない言い訳のあと、頭を押さえつけられながらジュールは不満そうに頭を下げた。


「ごめんなさい」


「…………」


 マーユは何も言わない。ただ、ジュールを見る目は、これまで以上に冷ややかな軽侮の感情を湛えていた。


「はっはっは。うちの娘に二度も乱暴したこと、忘れる気はないからね。ただ、お父さんの顔を立てて一度は丸くおさめようってだけだから。二度と娘に近づかないように。……わかったかい?」


「…………」


「……わかったかい?」


「……はい。ごめんなさい」



☆★☆★☆



 こうしてまたマーユと骨の子は、首輪なしで外を歩けるようになったが、彼らに話しかけてくる子供はいなかった。大人がたまに、ひどく丁寧な態度で話しかけてくるが、その会話はどこまでも通り一遍なものだった。

 そしてレドナドルでの生活が一ヶ月経ち、ドナテラ雑貨店がオープンすると、またドナテラ家を見る目は変わってゆく。

 彼らに豊富な資金源と人脈があり、商売のセンスもあり、町の有力者になってゆく可能性があることが、近所の者たちにも明らかになってきたからだ。


 ちょうどレドナドルは真冬を迎え、毎日のように雪が降る季節になっていた。

 マーユには、同じ年頃の少女たちから、小さなパーティーのお誘いが来るようになった。雪ごもり会といい、この季節に女の子が集まりお手玉や刺繍などをして遊ぶのは、マードゥ混成国ではよく知られた風習だった。


「……マーユにはお友達が要るわ。行かせるべきよね。でも……」


 夫婦の寝室で、ラホが悩んでいる。


「コボネくんは申し訳ないが招待できない。女の子だけの催しなので……。こう言われては、無理にねじこめないね」


 招待状を眺めながら、ダニスが答える。


「そうね。それに……」


「……うん。言いたいことはわかるよラホ。マーユはあまりにもコボネくんべったりだ。でも彼は、春にはいなくなる……」


「……二人で、マーユを説得しましょう」


 こうしてマーユは、むっつりした顔で、女の子の会に出かけるようになったが、数回行くと夢中になった。なんといっても、寝たきりが長かったマーユには、同じ年頃の友達は初めてだったのだ。


 骨の子は大半の時間を家の中でひっそり過ごしていたが、時おり町外れを一人で外を歩くことがあった。毛糸で作った服を着て、ひょこひょこと雪道を歩く。骨の白さと雪の白さが溶け合って、ほとんど目立たなかった。


 彼は湖畔の誰もいない場所まで来ると、雪の中にじっと佇んだあと、クォォォォォォ……という低い唸り声を出す。大地叫喚を行っているのだった。何度かその魔術を使い、ヘトヘトになった様子で帰途につくのが常だった。


 そんなふうに出かけたある日の帰り道、骨の子は突然、後ろから棒で殴られた。

 建物の陰に隠れていたジュールが、子供としては驚異的な身体能力ですばやく走り寄り、暖炉の火かき棒を後頭部に叩きつけたのだ。

 骨の子は前へとすっ飛ばされ、そのまま前のめりに地面に這った。

 ハアア、ハアアと興奮の息をはくジュールは、「おいいい!」と大声をあげる。


「こ、こいつおさえろ!」


 取り巻きが三人、走り寄ってきて、骨の子の手足を踏みつけた。三人とも、ぶるぶる震えていた。

 ジュールも身体を震わせながら、骨の子に近づいて、背中にまたがり叫ぶ。


「の、のれたぜ! おら、たて! あるけよ!」


 骨の子は、ぴくりとも動かない。ジュールは焦れて、火かき棒の取ってのほうを、ガツン、と後頭部に叩きつけた。


「たてよ! たて! おれのいうこときけないのか!」


 そうわめくジュールの後ろに、骨の子が呼び出した石板が、ふっ、と現れ、動き出そうとしたその時


「何をしてる! 何をしてるんだおまえら! 動くな!」


 男の声がして、ジュールたちはあわてふためき逃げようとする。


「おまえミルダんとこのジュールだな! 逃げても無駄だぞ!」


 その声を背に、ジュールは凄まじい速さで逃げていった。

 だが、取り巻きの一人が、近所に住むらしい男に捕まり、わんわんと情けない声で泣き崩れた。



☆★☆★☆



 二日後、ジュールとその取り巻きの残り二人は警備隊に連行され、先に捕まったもうひとりとあわせて計四人が、隊詰所で取り調べをうけた。

 骨の子には人族であるという証明書が出ているので、彼らがやったことは、言い逃れようのない暴行罪だからだ。


 ジュールの父親は水道局を解雇され、取り巻きの父親たちもそれぞれ職場で処分を受けることになった。

 ダニスの怒りは深く、ジュールの家族をレドナドルから追い出すまで納得しない勢いだったが、骨の子が粘り強く、子供がやったことにすぎないと主張し、ジュール家の将来を保証するよう説得した。

 結局、ジュールの父親は商業ギルドの手配でレドナドルの反対側にある小さな商会に再就職し、一家はドナテラ家の近所から去っていった。


 マーユはこういう成り行きを少しも知らされず、初めて出来た女友達と毎日楽しく遊び、そのことを毎晩骨の子に報告しては、話の途中でこてんと眠る日々を送った。

 骨の子は昼間は全く外に出なくなった。

 ひたすら本を読みつづける生活を送り、ドナテラ夫妻ともあまり話さなくなっていった。

 ただ時折、雪のやんだ夜にレドナドルの外に出ては、かすかな声で大地叫喚を繰り返した。


 少し暖かい日が続いたかと思えば、こんこんと雪が降る日が戻ってくる。そんな晩冬のある日、レドナドルの人々の間を、ある知らせが飛び交った。

 首都マトゥラスで、公会議議長として国の実質的指導者の役を務めていたディロウ大公がこの世を去ったという。

 大公の深刻な病状が噂になったのは去年の秋のことで、ここまでよく保ったものだというのが世間の声だった。

 そのころドナテラ家にはダンデロンとルグランジュの両商会の支部長が訪れ、それぞれ首都からの手紙を手渡したあと、ダニスと握手をして帰っていった。


☆★☆★☆



 初春。まだレドナドルの街路に雪は残るが、春を告げるといわれる薄紅の花が少しずつ咲きはじめる頃、地霊ルズラヴェルムがレドナドルに戻ってきた。

 ドナテラ夫妻は、この冬の出来事を正直に地霊に告げようとしたが、骨の子が先んじてそれを止めた。


 翌日の朝には、骨の子と地霊は、岩人の都にむけて旅立つためレドナドルの街門に立った。骨の子が早い旅立ちを望んだのだった。

 ありがとう、と石板に感謝の言葉を書き連ねる骨の子に、ダニスとラホは、苦い、複雑な表情になり、何か言いかけては言葉を飲み込んだ。

 ごくわずかな言葉とともに深く頭を下げる夫妻に抱えられながら、マーユは天に響かんばかりの大声で泣き続けた。

 失うものの大きさに、彼女ははじめて気がついたのだった。


 泣き止まないマーユを何度も振り返りながら、骨の子は、ひっそりとレドナドルを去っていった。

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