第15話 夢の残り火
ダニスさんとベッグ・シナードにメリネ・ルグランジュ嬢をまじえた交渉は、完全に片がついた。
テーブルを出し、返済証明の書類と聖泥の売買契約書を作りながら、三人は事務的ながら和やかな雰囲気でぽつぽつ話してる。戦いが済んだあとのプロってそういうもんだよね。
僕たちが聖泥を持ってる時点で、この交渉がかなり有利なことはわかってた。
そもそも、なぜダンデロン商会はマーユを確保したがるのか。それは、マーユの身体に流れるノウォンが良質で、人を癒やす力を秘めてるからだ。
となると、この時期に横車を押してまで返済期間を短縮し、急いでマーユを連れていこうとした理由は……おそらく、ひとつしかない。
つまり、マトゥラスかどこかで、重要な誰かが死にかけてるんだと思う。
両商会は、その人を回復させて恩を売るための競争をしてるんだ。
ということは、どちらにとっても、毒や病に有効とされる聖泥はいま、喉から手が出るほど欲しい素材に違いない。、
ベッグもメリネ嬢も聖泥を入手できたのだから、二人とも十分目的は果たしたはずだと思う。
ダンデロンにいかに現金でなく聖泥を受け取らせて、いかに敗者がいない形を作るかが、僕らの交渉のキモだった。
ルグランジュにだけ聖泥が行く形になるのは、ダニスさんの将来を考えるとうまくない。
ダンデロンの恨みを買うし、ルグランジュに依存する形になりかねないからだ。
両者ともに商売の窓口を作り、どちらにも寄らない独立商人としてダニスさんが商売できる基礎を作ること。
その目標を、ダニスさんは完璧に実現してみせた。あれだけダンデロンに追い詰められたのに、その恨みをあっさり捨ててくれたんだ。
これからは、ダンデロンもルグランジュも、ドナテラ家にうかつに危害を加えることはできないだろう。
マーユの安全は、完全じゃないにしろ確保された。
夜が更けるころ、ベッグとその護衛たち、それにメリネ嬢は連れ立って帰っていった。
両者とも、少し歩いたところに馬車を待たせてあるのだという。
これからマトゥラスに急いで帰り、聖泥を使った道具やアクセサリーを作り始めるんだろう。
ベッグもメリネ嬢も、ダニスさんをスカウトしようと争って口説き文句を口にし、メリネ嬢はマーユも気に入ったらしくえんえんと頭を撫でたあと、農園を去っていったらしい。これは後で聞いた。
ちなみにルズラさんの手で岩に閉じ込められた砂岩男は、そのまんまガジルさんに持ち上げられ、納屋に放り込まれた。
ルズラさんが岩人の本拠地デエルレスクに殴り込むとき、連れてゆく予定らしい。
僕はというと、交渉が終わって書類を作る頃から、ベッグとメリネ嬢の目になるべく止まらないよう、裏庭に隠れてた。
だいぶ石板を使ったりしてたんで、手遅れかなって気もするけど……結界石を光らせてたし、なんとかなったんじゃないかな……。
ダニスさんによると、少なくとも二人から、おかしな骨の子の話題は出ることがなかったらしい。
見られてたにしても、マーユのペットかへんな人形扱いか何かで済んだと信じたい。
そして、裏庭で冬の風に吹かれてる間に、また僕は発熱しはじめてたみたいだ。
身体の表面は熱いのに、芯は凍えつくように冷え切ってる。
この症状にずっと苦しみつづけたナドラバの記憶が、僕の中で増幅されながら蘇ってくる。
今日になってからずっと感じてた頭痛が、僕の意識を刈るほどに強まってくる……。
ダニスさんたちが商人たちを見送って母屋に戻ってくると、僕は震えながら、裏庭の井戸のそばに倒れてたらしい。
☆★☆★☆
火が見えた。
僕はまた、深い森の中をさまよってた。いつかのように。またしても。
これが夢だってことはわかってた。
暗い木立の中を歩いた記憶は、僕の中に、よほど深く染みついてしまったらしい。
幹と幹の間に見え隠れする、炎の色に向かって歩く。
ああ、焚き火だ。
また、焚き火にたどり着いた。
夢のなかだけど、包帯さんにまた会えるかな、と思った。
けど、焚き火の前に座ってたのは子供だった。
膝を抱えて、火をじっと見てる。
僕が近づいても、姿勢を変えなかった。
ほんのりオレンジ色の、卵に似た頭を持った岩人の少年。
ナドラバ。
彼はめったに鏡を見ることもなかったから、彼の記憶を持っていても、こうやって会うと初めて会った感じがする。
「もうひとり、座ってたんだよ。大人のひとが」
ナドラバはこちらを見ずに言った。儚げな、頼りない小声だった。
「でも、さっき行っちゃった」
「……へえ」
僕の口から声が出た。夢だからね。
「どんな人だった?」
僕の問いに、ナドラバはじっと考え込んだ。
「……かおは、見えなかった。でも、どこかで会ったことがある人だったよ。なつかしい感じが、した……」
ナドラバの顔が、少しほころんだ気がした。
「そうか……」
他に答えようもなく、僕はそう言う。
「……あのね、きみに伝えたいことがあって。ぼくの、魔術のこと」
たしか、ナドラバの大地叫喚は、貴重な石を探すことができるんだっけ。
「……うん。でも、ほんとうは、そうじゃないと思う。もっと、いろいろなものが、さがせるんだよ」
「……いろいろなもの?」
「うん。ぼくはね、王さまにいわれて、地面のしたをさがしてるとき、いろんなものをみたよ」
「……いろんなものって、なに?」
「…………わすれちゃった。たしかに、ぼく、すごいものをみたのに……。ごめんね。わすれちゃったんだ」
「そうかあ……」
無理もないと思った。ナドラバにとっては、ただ、命じられるがままに嫌々やっていた仕事なんだから……。
「きみにも、ぼくの魔術、少しだけど、つかえるとおもうよ」
「うん。ありがとう……」
ナドラバは、ケホ、と小さく咳をした。
「……だいじょうぶ?」
ナドラバは僕の言葉に応えず、卵形の頭をわずかに傾けて、火に見入った。
「……この焚き火は、残り火だよ。こころの残り火。だから、ぼくも、そのうち消える」
「……本当に、消えちゃうのかい?」
「ぼく、もう死んでるから」
「それを言うなら、僕ももう死んでるっぽいよ?」
ナドラバは、細く口を開けて、小さな声でクックッと笑った。
「でも、いまはきみの番だから。もうちょっと、がんばってね」
ひどく重たい荷を背負わされた気がした。
「……頑張るっていっても、僕、何をすればいいのかなあ?」
ナドラバは何も答えてくれない。
そのまま、パチパチはぜる木の音に耳を傾けていると、ふっと全てがあやふやになってくる。
ああ、夢から醒める。
僕の意識は、じっと火を見続ける夢の中のナドラバから離れて浮上していった。
☆★☆★☆
目が覚めたら、夜だった。風でカタカタ鳴るガラス窓の向こうに見える農園の中庭は真っ暗だ。
最近寝てたマーユの部屋じゃなく、ふだん使われてない二階の客室に僕は運ばれたみたいだ。
「ん、お起きになられましたか」
寝返りを打ってその声のほうを向くと、枕元に、ルズラさんがいた。
「丸一日、寝ておられたのですよ」
そうか。いまは裏庭で意識を失った翌日の夜なのか。
ルズラさんは枕のすぐ横に立ってる。近い。はじめて、僕がルズラさんを見上げる形になる。
こうやって見ると、優雅な顔立ちがよくわかる。髪はまっすぐで長くて、腰のあたりまで伸びてる。
全身が透明感のある琥珀色だけど、瞳だけちょっと違って青みがかってる。
こうして見ると、ちゃんとドレスっぽい服を着てて、裾のひだも細かく作られてた。本当に精巧すぎる人形みたいだ。
「……そのまま。おそらくあと一日二日は、寝ておられたほうがよいでしょう。ナドラバを受け入れて、魂に負担がかかっているのです」
ルズラさんの言葉に、黙ってうなずく。実のところ、まだ身体がだるいのを感じてる。
「ただ、ちょっとお話しさせていただいてよろしいでしょうか」
またうなずく。ずきん、とまたあの頭痛が来た、と思ったけど、それはごく軽く通り過ぎていった。
行っちゃったよ、という、ナドラバの言葉がふとよぎる。
誰か知らない、苦い心を持つ複雑な人は、少なくともいまはもう、僕の心の目立つところにはいない。
理由もなく、僕はそう感じた。
「はい。……お話というのは、私がなぜ貴方を御子と呼ぶか、ということについてです。そしてそれは、なんのためナドラバの遺体を、十年も守っていたか、という理由でもあります」
……うん。心して聞こう。
「それは……御子のお身体の中に、そしてナドラバの身体にも、神が与えたとしか思えない力が宿っているからです」
……はああ!? 神の力?
「ご自分を生まれ変わらせる力……転生の力だと、私は見ています。おそらくナドラバは、貴方の前世にあたるのではないでしょうか……。そしてもしかしたら、ナドラバのさらに前世を生きた者もいるのではないでしょうか」
…………。
たしかに、僕とナドラバには、何か神秘的な感じのつながりがある。遺体に触れただけで、ナドラバの生の記憶を、全部じゃないだろうけど読み取れたんだから。
僕は、あのときナドラバを、たしかに「もうひとりの僕」と感じた。
ナドラバが死んだのは十年前。そしてすぐに僕として転生したのなら、僕が幼い子供の姿をしてることも、辻褄があう。
でも……そうだとしたら、どうしてもわからないことがある。
それなら、なぜ僕は骨だけの姿で、ここにいるんだろう。
僕がもう死んでいて、転生の力を持っているなら、僕は僕じゃない誰かとして生まれかわるはずじゃないのか?
そうじゃないとしたら、つまり、僕がいま、こんな姿だけど生きているとしたら……僕は、何者なんだろうか。
いま、僕が持っている「記憶」の半分以上は、実は、ナドラバの記憶だ。だって、僕にはここ二ヶ月ぐらいの記憶しかないんだ。
僕が「記憶」を受け継ぐ転生者だとしたら、なぜ、僕には、僕自身の記憶がないんだろうか。
考えれば考えるほど、わからない。
夢の焚き火の前で話した、ナドラバとの会話を思い出す。
僕は……生きているんだろうか、死んでいるんだろうか。
「御子……」
考えに沈む僕に、ルズラさんの小さなためらいがちの声が届いた。
「お悩みなのですね……。無理もないと思います。ですがいまは、まず、私の話を聞いてみていただけますか」
僕は、我に帰ってうなずいた。ルズラさんも、僕を見つめながら、小さくうなずく。
「私がナドラバの遺体を守っていた理由は三つ。ひとつは、ナドラバの願いを叶え、ナドラバのノウォンで聖泥が作られるのを助けるため。ふたつめは、ナドラバの貴重なノウォンが他の者に奪われないようにするため。そして最後に……、こうして、御子にお会いして、私の考えをお話しするためです」
……そうか。ルドラさんは、僕に会うため、あの暗い地下で、僕を呼び続けてくれたんだ……。
しつこく呼びやがって、しかも呼んだのに声を出せとか言いやがって、なんて、ちょっとでも思っちゃってごめんなさい……。
「お詫びしなくてはならないのは、御子が、声が出せない御方だという可能性を考えもしなかったことです。声というのは、その者のノウォンを見分けるのに一番わかりやすいので、条件にしてしまったのですが……。御子が大地叫喚のことを思いついていなければ、追い返してしまうところでした。申し訳ありません……」
……なるほど。そうか、危ないところだったのか……。
「御子。ホルウォートには、私などよりも、女神ノールやノウォンなど、世界を司るもろもろについて詳しい御方がいらっしゃいます。それは、ザグ=アイン山脈の最奥にいらっしゃる、大精霊長グレド=アイン様です。……あの方にお会いになるのが、御子のお悩みを解く最良の手段だと、私は考えます。御子、どうかザグ=アインに登り、大精霊長にお会いください。私がご案内します。」
大精霊長グレド=アイン。なんというか……名前からして、大物感がただような……。
僕は、黙ってうなずいた。
僕が、何者なのか。これからどうしてゆけばいいのか。その手がかりが得られるなら、どこへでも行こうと思う。
「よかった! 岩人の本拠、デエルレスクはザグ=アインの中腹にあり、山頂への、選ばれた者だけが使える登山口があります。そこから行くことにいたしましょう。ただ……そのためにはまず、あの本拠を大掃除し、ナドラバを利用した愚か者たちをまとめて掃除せねばなりません。でなければ、安心して登ることもできませんからね」
うん、やっぱりルズラさんの、岩人への怒りは深いみたいだね……。
「まあ、それは御子が関わられるようなことではありません。御子、しばらく安全なところでお暮らしください。準備が出来たら、お迎えにあがりますゆえ」
……でも、安全なところといってもなあ……。
「ドナテラ一家は、数日中にここを引き払い、混成国の西部にある町、レドナドルに移るようですよ。マトゥラスにいては、あの昨日の商人どもと距離が近すぎるから、とやらで。御子も一緒に暮らすというのが前提で、話が進んでいるようでしたよ」
そうなのか……。ダニスさんたちの気持ちは嬉しい。嬉しいけど、いいのかな……。
「まあ、どこで誰と過ごすかは、御子が決められればよろしいでしょう。どこにいらっしゃろうとも……御子、少しよろしいですか」
返事を待たず、ルズラさんは、横向きに寝てる僕の肩から下にかかってた毛布を剥いで、僕の胸を剥き出しにした。
結界石は、以前より少し黄色がかった桃色に光ってた。もうあんまりチラチラしておらず、緑も混じってない。
ルズラさんそのまま、僕の胸あたりで結界石をじーっと見てる。
あ、ここまで近づくといい匂いがするな……。どっか、熟した果実みたいな……。包帯さんとも、もちろんマーユとも違った匂い……。宝石で出来てるみたいに見えるのに、不思議だなあ……。
「ふむ……別の女の強い匂いがしますが、まあいいでしょう。……ふ」
ルズラさんはなぜか膝立ちになり、僕の肋骨にぴとり、とくっつく。
そして肋骨の隙間から中に手を伸ばした。え、何してんのルズラさん!
ルズラさんの小さな手が結界石に触れたとたん、くすぐったさに僕は身悶えしそうになる。
なぜくすぐったいんだ? もう身体の一部なのか、この石!
小さな手が結界石の表面を、すっすっ、と撫でる感覚があり、僕は妙な感覚に必死に耐える。
「ふ……私の匂いをつけてやりましたよ。これで、御子がどこにいらっしゃろうと、私にはすぐわかります。よかったですね、御子」
え、よかったのは僕なんだ? やっぱり地霊の考え方って、こう、微妙によくわからない。
「では、そろそろお休みください。残りのお話は、また、あらためて……」
心なしか非常に満足そうなルズラさんは、また僕に毛布をかけ、宙にふわりと浮かぶと去っていった。
なんだかひどく疲れた僕は、また眠りに落ちていった。