第11話 ナドラバという少年
でっかくて重そうな頭部を光る地面にこすりつけて礼をしてる玄武岩男の頭頂部を、ぺちり、ぺちり、と軽く叩きながら、茶色い人形みたいなものはうんざりした口調で言った。
「十年ぶりですか、久々に会っても暑苦しくてうっとおしいですね、ガジル」
「ルズラヴェルム! 五ノ地霊ノ一柱タル貴方ガ行方ヲ絶チシコト、我ラガ如何ニ心ヲ痛メタカ……」
「見ての通り、ここでナドラバの遺体を守っていたのですよ。まあ、あなたたちには何も言いませんでしたが」
「何ユエ、伝エテクダサラナカッタカ!」
「……わかりませんか? この期に及んでも、それがわからないというのですか、ガジル?」
ルズラヴェルム、と呼ばれたものの声が、低く冷たくなった。ガジルと呼ばれた玄武岩男の頭が、びくりとわずかに震える。
「あなたが、単細胞で愚かだからです。裏切り者にまんまと言いくるめられて、ここに来てしまうほどに。あなたに重大な秘密など話せるものですか」
「……ア? ……何ヲ……」
「まさか……御子に危害をくわえてはいませんよね? もしやっていたら、あなたを無機物に戻して砂漠に撒きますよ?」
「ミ……御子トハ誰ノコトデス?」
「ここにいらっしゃるでしょう! お可哀想に、骨だけのお姿ですけど……」
「エ? コノ犬ガ?」
この一言が、人形さんの逆鱗にふれたようだった。
「ア、イダ、イダイ……! ルズラヴェルム、ワ、悪カッタナラ謝リマスユエ、ゴ容赦ヲ! ゴ容赦ヲ!」
ガジルの頭が、ギギギ……という音とともに、誰も触れてないのにねじられて横を向く。その角度が九十度を超えたところで、男の太い声が悲鳴に変わった。
「まったく、あなたたち岩人は本当に変わらない。頭が悪いくせに、自分の思い込みにばかりこだわる。だから何度も騙され搾取されて、少数種族になってしまったというのに……」
どうやら気がすんだらしく、人形さんはそう言うと、ガジルの頭をもとの角度に戻したようだ。それでもガジルは頭をいっそう地面にこすりつけて、荒い息を吐いてる。
人形さんは彼のことはもう無視して、僕のほうに近づいてきた。僕はいまマーユを背に乗せて四本足で立ってるわけだけど、人形さんの背は、その体勢の僕の頭とちょうどおなじぐらいの高さだ。
土みたいなのでできてるのか、と思ってたけど、結界石の桃色の光で見ると、琥珀みたいな半透明の石でできてるのがわかった。つやつやしてる。目の前に来られると、女の人の形をしてるのがわかった。
「あらためて、名乗らせていただきますね。私はルズラヴェルム、ルズラとお呼びくださいませ。大地の働きに力を貸す、五の地霊の一人でございます」
膝を曲げてお辞儀してくる。僕もぺこり、と頭を下げた。人形さん……ルズラさんは、にっこり微笑んだ(ように見えた)あと、僕の背中を見上げて、顔をしかめた(ように見えた)。
「ところで、御子の背に乗るなどという不埒な真似をするその人間の子は誰なのです? ことと次第によっては……」
そのルズラさんが言いかけた時には、マーユはもう僕の背を滑り降りて、叫びながらしゃがみこんでいた。
「すべすべ! すべすべだー!」
「きゃああああっ! 何をするんですか! やめなさい、やめなさーい!」
マーユの両手で撫でくり回されて、ルズラさんは悲鳴をあげる。子供って怖いもの知らずだよねえ……。
☆★☆★☆
「……情報を整理するのに物凄く苦労しましたが、なるほど。この子がドナテラ家の子で御子とよい関係であること、愚かなガジルがドナテラ家を誤解しこの子を追い回したこと……そして、御子が言葉を話せないことは、わかりました」
ルズラさんはマーユの魔手を逃れたあと、マーユとガジルさんという聞き取りにまるで向いてない二人から我慢強く話をきき、正しいかどうかを僕に確認し、僕がうなずいたり首を振ったり、たまに地面に簡単な字を書いたりするという作業をして、ようやくここまでわかってくれた。
心なしか、短時間で憔悴して肌も輝きを失ってる気がする。
「御子との意思疎通については、考えがあります。が……まずは、御子にやっていただきたいことがあるのです。それは、私が十年、この場所を守ってきた理由でもあります」
ルズラさんは光る地面の中心にある、ナドラバという子の遺体のそばに歩いてゆくと、いままでで一番深いお辞儀をした。
「この遺体に、触れてくださいませ」
手招きされて、黄金色に光る岩のようなものに近づく。そばで見るとたしかに、胎児のように丸まって眠ってる、岩人の子供の身体だった。
間近でその身体を見たとき、僕の中から、正体のわからない悲しみがこみ上げてきた。
あの夜、僕が土の中で目覚めたときと同じ姿勢で、永い眠りについている子供。
この子と僕は、生きて会うことができない。けっして。けっして。
「……貴方の前世にあたるであろう子供の記憶、どうか受け取ってくださいませ……」
ルズラさんが、溢れ出す思いをこらえているような、低い声で小さくそう言った。
僕は、震える手で、光る身体に触れた。
☆★☆★☆
………………
ナドラバの最初の記憶は、生まれた町……デエルレスクの風景だ。
誰かが、自分の両脇を持って、高いところに持ち上げてくれてる。ナドラバは大きく息を吸い込んで、窓の外を見る。
デエルレスクの夜。半地下の町は、何本もの巨きな石柱が立ち並ぶ。
その石柱一本一本が、家や商店や工房の集まりだ。何十もの窓の灯りが、夜空の下できらめいてる。
デエルレスク。少なくなった岩人たちの最後の安息地。
ナドラバを持ち上げてくれた手の持ち主……父親と、そして母親と、幼児のナドラバは幸せに暮らした。
ナドラバの好物は……岩肌羊の乳を使ったスープ。
ゆっくりと、不器用に匙を使いながらスープを飲み続けるナドラバを、両親は笑いながら見ていてくれた。
デエルレスクでは羊の乳は安くないのに、いつも、満足するまでおかわりを注いでくれた。
でも……ナドラバは、異常な寒がりだった。
大きくなるにつれ、その冷え性は悪化していった。
岩人は、寒さをほとんど感じない種族。両親以外誰も、ナドラバの苦しみをわかってくれなかった。
夜になると、毛布で何重にも包んだ身体を、母か父が抱きしめて眠ってくれる。
それでもなお、ナドラバの身体は冷え切り、がたがたと震えていた。
裕福でなかった両親だが、お金を溜めて、デエルレスク一の治療師ルドグのもとへ、ナドラバを連れて行った。
ナドラバの身体を診たルドグは、ナドラバが、特殊なノウォンを溜める体質だと告げた。
もしかしたら、寒がりの原因はそれかもしれないと……。
そして、もしナドラバが魔術を習得すれば、地下に隠れた鉱物を探す、特殊な魔術を使うことができるだろう、と言った。
数日後。家に、岩王の使いの兵隊たちが来た。そして、ナドラバは王宮にさらわれるように連れて行かれた。
両親は必死に反対したが、兵隊たちに殴られ、金を押し付けられて泣き叫んだ。
王宮の使用人区画に閉じ込められたナドラバは、魔術を習得させられることになり、ルドグが師匠としてついた。
ルドグは、自分が王に近い者に、ナドラバの体質を話してしまったことを後悔した。
が、すぐに、ナドラバのノウォンの持つ可能性に夢中になり、彼を奪われた両親のことを忘れた。
ナドラバは、ルドグや、ルドグの弟のガジルに、それなりに可愛がられて暮らしたが、心から笑うことはもうなかった。
岩人は、貴石を食べることで能力を上げたり、身体を治したりすることができる種族。
ナドラバの魔術は、その貴石を広範囲で探索することができる、唯一無二の魔術だった。
彼は岩人の至宝と呼ばれ、王からも目をかけられ……ルドグもまた、ナドラバの師として権力を持つようになった。
ルドグとガジルは、ナドラバを息子や弟のように思ってる、と、いつもナドラバに語っていた。
でも、ナドラバは曖昧に笑うだけだった。彼は知っていた。その言葉の薄っぺらさを。
ナドラバは誰も憎んでいなかった。ただ、悲しかった。
十歳を迎えるころ、魔術の使いすぎもあって、彼の身体は完全に熱を失い、魔術を使うどころか、歩くことも困難になった。
ルドグの政敵たちが動き出した。
まず、武に優れるガジルに長期任務を与え、遠い地に送り出した。
そして、ルドグを告発した。彼はナドラバを独占するため、ナドラバの両親をひそかに殺していた、と。
冤罪だった。両親は、ルドグの政敵たちの手で殺されていた。ルドグに罪を作るためだけに。
ルドグは愕然とした。自分が、全てのきっかけを作った自分が、ナドラバの両親の存在すら忘れ、政争にかまけ、とうとう二人を死に至らしめていたことに。
ルドグは横たわるナドラバのもとへ行き、全てを告白し、床に額をこすりつけて懺悔した。ナドラバは何も言わなかった。
責める言葉も言わなかった。だが、許す言葉も言わなかった。ただ涙を流した。
ルドグの政敵たちは、魔術を使えなくなったナドラバを、マードゥ混成国の商人に高額で売るつもりだった。
その計画に王族も加担していると知って、ルドグはナドラバを逃がす決意をした。
逃亡先は、地の汚れに弱い岩人が近寄らない土地、ドゥラカス。
古い知り合いであるドナテラ家に頼み込み、小さな農園にナドラバを隠すことにした。
ドナテラ家は治療師を多く出す病弱の家系で、ナドラバのような者にも理解が深かったからだ。
ルドグはナドラバに似た人形を用意し、それをナドラバとして扱いながら、政敵たちの企みを告発した。
ルドグの政治闘争は敗北に終わり、ルドグは毒を飲まされ死んだ。
だが、彼の稼いだわずかな時間が、ナドラバを無事にドゥラカスに送り届けた。
デエルレスクの人々にとってはナドラバの行方は杳として知れず、彼は失われた子と呼ばれるようになった。
ドナテラ家の人たちは、ナドラバを温かく迎え……家族のように世話を焼いてくれた。
けっして裕福ではないのに、両親と同じように、羊の乳を用意して、あのミルクスープを作ってくれた。
それを一杯一杯、匙ですくって飲ませてもらったとき、ナドラバは何年ぶりかに、凍った心が溶けるのを感じた。
僕はここで死んで、ここで葬られ、地の一部になってドナテラの人たちを助けたい、とナドラバは地霊に願った。
その願いはあまりに強く、あまりに純粋だった。
大地のため働く地霊たちは、驚き後悔した。いままで、このナドラバという少年を見逃していたことを。
五の地霊の一人、ルズラヴェルムがドゥラカスに急いだが、ドナテラ農園についたとき、ちょうどナドラバは息を引き取った。
そして、ルズラヴェルムが悔いと嘆きのなかでナドラバに触れたとき、ナドラバに秘められた運命は、地霊たちが思っていたよりずっと複雑で大きいことを感じた。
ルズラヴェルムはナドラバの墓をドゥラカスの地下に作り、そこに遺体とともに閉じこもった。
そして、資格のある者だけが、ナドラバの墓を見つけ彼の記憶と力を受け継げるように、墓に結界を張り、ホルウォート島全体にむけて、あてのない呼びかけを放ちはじめた。
十年間、ルズラヴェルムの誰も知らない努力は続いた。
………………
☆★☆★☆
……我に返ったとき、目の前にあったのは、マーユの顔だった。
真剣な顔で僕を覗き込んでる。
それはいいけど、近すぎる。それに頬を土だらけの手でぺちぺち叩くの、勘弁してください。
「だいじょぶー? コボネー、だいじょぶー?」
「心配はいらないでしょう。あ、戻ってこられたようですよ」
ルズラさんの落ち着いた声。僕は、ゆっくりと身を起こした。
身を起こした、ということはつまり、僕はいつのまにか倒れてたらしい。
「ばたーん! ってしたよ。びっくりしたー!」
「やはり人ひとりの記憶を、不完全ながら受け取り受け継ぐというのは、大変なことなのです。地霊たる私が、彼の記憶に少し触れただけで、しばらく動けなくなったほどですから……」
……うん。心の中にいろんなものがひしめいて、万華鏡をのぞいてるみたいだ。
僕の中に、いまはナドラバがいる。いや、正確に言うと、少し前から、僕はナドラバの記憶に触れていた。あのスープの夢。大地叫喚。でも今、やっとそれは、ナドラバという印をもつ記憶になった。
彼が見た、いろんなもの。いろんな人の顔。
その多くは名前がなかった。彼はいつもニコニコしてたけど、実は、人や物の名前を、ほとんど覚えなかった。
優しい子だったけど、全てを諦めてた。胸にいつも、冷たくて酸っぱい湖があって、全ての出来事はそこへ溶けていった。
だから、実は両親の顔さえ、彼が死ぬときにはもう覚えてなかったんだ。そのことをナドラバは、最後の瞬間まで気に病んでた。
ナドラバにとって、いちばん幸せな記憶は、あの乳のスープ。
いつも彼の思いは、そこに帰っていった。それしかなかった。
……そんなの悲しすぎるじゃないか、なんて、僕には言えない。だって、もう彼は僕なんだから。
人は、自分に与えられたものに帰っていくしかないんだ。それがどんなにささやかなものでも。
立ち上がって、もう一度、ナドラバの身体に近づいた。
僕は胎児の姿勢で眠るナドラバに両手を回し、じっと目を閉じた。
こんにちは、そして、さよなら、ナドラバ。
十二歳で死んだ、もうひとりの僕。