第10話 叫ばずに叫ぶたったひとつの方法
ドス、と鈍い音が遠くからする。ザアアア、という、土が崩れるような、かすかな音がそれに続く。
何の音だろう。見当がつかない。
地下の墓らしい施設の広間で焚き火の前に座った僕と、僕の足の間に座ったマーユは、同時に首をかしげた。
「なんだろー?」
マーユの口調ものんびりしたものだ。
音は続く。ドス、ドス、ザアアア、ザアアアア、ドス、ドス……。
この音……もしかして、地下道でしてるのか?
それに気づいたとたん、僕はさあっと青ざめる。もしかして、地下道が崩れてる音なんじゃ……。
だとしたら、ここを出られなくなる!
僕は急いで立ち上がる。座ったままきょとんとしてるマーユを見下ろして、地下道の入り口を指さす。
見てくるよ、と伝えたい。石板があればな……。いや、あってもマーユはまだあまり文字が読めないか。
でもマーユは、瞬時に僕の意図をわかってくれたようだ。
「マーユもいく!」
……そうなるよね。ダメだ、と首を横に振るけど、もちろん聞いてくれない。彼女の意志を曲げられるのはラホさんだけだ。
マーユはまだ少し濡れてるシャツをばっと着込んだ。でも下はパンツだけだ。
まあいい。僕が手を出すとマーユが握る。
さあ、慎重に行こう。
結界石の光を強くする。だいぶ制御できるようになってきた。
けっこう傾斜のある地下道を、ゆっくり登っていく。
手を繋いだままだとマーユにはきついか。また、背中に乗ってもらって四本足になる。
もうすっかり、マーユの乗り物扱いだな、僕……。
「これすきー!」
マーユが嬉しそうだから、いいか。
登ってゆくと、少しずつ音が近くなってるのがわかる。
やっぱりそうだ。ドス、という音の後にする、ザアアアア、という音は、土が落下してる音だ。
たぶん、誰かが地下道を崩してるんだ!
犯人は一人しか思い当たらない。でも確かめないと。
音はどんどん近くなる。
そろ、そろ、と慎重に地下道を登ってゆくと……いた。
土がザアアアアと滝のように落ちる向こうに、あの玄武岩男がいた。
自分の頭上の土の天井を、ぶん殴って崩してた。
斜め上の天井をドス! と力まかせに殴りつけて、崩れてくる天井の土を頭からかぶりながら、一歩前へ。
そしてまた、ドカンと殴り、土を浴びながら前進してる。
なんて奴だ。通れないからって、こんな強引なやり方があるか。
「イタ」
玄武岩男が、土の雪崩の向こうから、ふいに僕らを見て、声をあげた。
なぜ見える。奴から見たらここは真っ暗闇のはずだ。
「待テ」
待つわけない。すぐさま身を翻して、地下道を駆け下りる。
……でも、広間に戻ってどうするっていうんだ。ここには逃げ場なんてない。
方法は、たったひとつ。奴が広間に入ってきたら、なんとか奴の手をかわして、入れ違いで地下道に逃げる。
崩れてるかもしれないけど、なんとか通れるかもしれない……。地上まで逃げられたら、なんとかなる。してみせる。
広間に駆け戻ると、僕は焚き火のそばで、マーユを乗せたままノウォンを溜めるイメージ作りをはじめようと……
「コボネ」
マーユがふいに僕を呼んだ。
「おろして」
どうした、何かあったのか。
「すーすーする」
……あー、たしかにこの状況で下がパンツだけはまずいですよね。仕方なく身を低くしてマーユを降ろす。そのまま溜めを……
「……ひとりじゃはけない」
あー、まだ乾ききってないから難易度が高いのか。
天井を殴る音と土が崩れる音がどんどん近づいてるのに、僕とマーユはズボンをはくのに懸命になった。
「ぎもぢわるーい……」
そこは我慢してくださいマーユさん。いまけっこう緊急事態なんで。
そんなことにかまけてる間に、とうとう……音はすぐそこまで来た。
広間の入り口の上の部分が、ばかん! と砕けて土が滝になる。それをかぶりながら、玄武岩男が入り口に到達した。
そして、そこで止まった。
ゴツゴツした巨大な体躯が、闇に溶け込むように立っている。
……なぜ入ってこない? 僕の入れ違い作戦、読まれてるのか?
「墓ダ。……マコトニ……我ラ岩人ノ墓ダ……」
玄武岩男はそう、彼らしくない小さめの声で呟いた。そして、ズボンを履き終えたマーユを背に乗せたまま、緊張してる僕のほうを見て、こう言った。
「我ラハ、死者眠ル場所デ、ケッシテ戦イハセヌ……。賢キ犬ヨ、休戦ダ……」
その言葉、黙ってうなずいて受け入れるしかなかった。
☆★☆★☆
「コノ墓控エノ間ハ、我ラ岩人ノ……シキタリ通リニ作ラレテイル。……ココハ、正式ナ……墓ナノダ」
玄武岩男は、焚き火の前に立ちはだかり、広間を見回しながらそう言う。焚き火の光を下から受けて、凄い迫力だ。
地下に秘蔵されてた最終兵器って感じ。天井はけっこう高いのに、頭がつきそうだ。
「我ラ岩人ハ……コノ不浄ノ荒レ地ニ……普段、イッサイ立チ入ラヌ。例外ハ……アノ、失ワレタ子ノミダ」
ということは、この墓は、その失われた子の墓なんだろう。
僕を呼んでいるのも……その子の亡霊か何かなのだろうか。会ったこともないし、名前も知らないんだけど。
「ココヲ調ベル。オマエタチニ……ココデ危害ハ……クワエヌ。安心セヨ」
岩男は、焚き火からひょいと燃えてる木を一本拾い上げ、それを松明がわりに、手近な壁へと近づいていく。光る壁は後回しにして、まず周囲を調べるつもりらしい。
「あんねー!」
その時、マーユがふいに声をあげた。
「そっちに、おはなあったよ!」
言いながら、僕の背を滑り降り、玄武岩男のほうへぽてぽてと駆け寄っていく。ま、マーユ! やめなさい! 近づくな!
「フム。案内シテクレルカ、賢キ幼子ヨ」
男も平然とうなずく。もうなんなの君ら? 敵同士じゃないの? 駆け回った僕の苦労を返してよ!
そう怒鳴りたいけど無理なので、仕方なく、二本足に戻ってマーユを追いかける。
「ほらね! ここだよ!」
マーユが指差したのは、光る壁から少し離れたところの壁で、たしかに見ると地面に、干からびた花が十本ばかりきれいに並べてあった。
「オオ……コレハ……コノ墓ニ参ッテイタ者ガ……イタノダナ。……見ヨ、コノ壁ニ……死者ノ名ガ……オオオオオ!」
岩男が重低音の叫びを上げる。壁がびいんと震えた気がするほどだ。
「ナドラバ……!……我ラ岩人ノ至宝……失ワレタ子……!オオオオオ……ヤハリ……ヤハリココニ……」
オオオオオオオ……と、玄武岩男は悲痛な叫びをあげ続ける。
ナドラバ。それが、この男がこだわり続けた子供の名なのか。その子はどうやら、とても特別な子だったようだ。
「オオオオオ、ナドラバ……ココカ、コノ先ニイルノカ!」
岩男は、あの黄色く光る壁に、ドスドスと走り寄り……手を触れようとして、ガンと弾かれた。
「求ムルハ汝ガ声……? ……オオ! ナラバ……<……地ノ霊ヨ……我ガ叫ビヲ聴ケ……!>」
アアアアアアオオオオオオオ……コオオオオオオアアアオオオ……。
またあの、静かで厳粛な叫びだ。岩男はすぐ目の前にある壁に向けて、大きく口を開け叫んでた。
近くで聴いて、はじめて僕にはわかった。これは、ノウォンを変質させる魔術なんだ。
最初、重力を増す魔術と勘違いしてたけど、そうじゃなく、空間に漂うノウォンに重さを付加する術だ。
そう、これは声を出して叫んでるように見えるけど、魔術の一種なんだ。呪文は、地の霊よ……の部分で、その結果、あの叫び声のようなものが発生してる。
たぶん、僕にも使える。なぜかはわからない。でも、そういう確信がある。
「何故ダ! 何故ヒラカヌ! 我ハ資格ナキ者トイウノカ!」
全く変化のない光の壁に向かって、岩男が吠える。
その横に僕は並んで、壁に手を触れた。
<資格ある者よ、我求むるは汝が声!>
僕は、喉の奥にノウォンを溜めるイメージを作る。どんどん溜める。どんどん溜める。
そして、唱える。
<……地の霊よ……我が叫びを聴け……。>
もちろん声には出ない。でもそれでいい。これは呪文、霊との契約の言葉だから、霊に聞こえればいいんだ。
ノウォンが、喉から口へせり上がってくる。まるで吐く時みたいだ。あんまり気持ちよくないな、これ……。
アアアアアアオオオオオオオ……コオオオオオオアアアオオオ……。
僕の喉から、かすかな、かすれるような叫びがほとばしり出た。
壁を作ってた黄色い光の粒子が、急に速度を増して壁の中を飛び回り……シュン、と消えた。
<ついに訪れが来たのですね、資格ある御方の!>
さっきと口調がまるで違う誰かの声が響いた。
☆★☆★☆
「何故ダ……何故、犬ガ……大地叫喚ヲ、使エルノダ!」
消えた壁の前で、玄武岩男が地団駄を踏んだ。僕のほうに手を伸ばし……
「だめだよ!」
マーユの甲高い叫びに、休戦の約束を思い出したのか、寸前で止まった。
「コボネいぬじゃないよ!」
え、ポイントそこですか。
「オオ……失礼シタ、確カニ二本足デ立ッテイル。賢キ子ヨ、彼ハ犬デハナイナ」
やっと犬呼ばわりをやめてくれたのは嬉しいけど、問題はそこじゃないと思う。でも、僕に大地叫喚が使えた理由は自分でもわかんないし。わかったとしても説明できないし。
僕は彼らの会話には反応せずマーユを手招きする。マーユが嬉しそうに駆け寄ってくると、四つん這いになって背中に乗せた。これから先に何があるかわからない。乗せておいたほうが安心だ。
「ヤ……ヤハリ犬デハナイカ!」
岩男が地団駄を踏むが、もう無視して壁の奥へ進む。ここに、僕をしつこく呼んでた者と、ドナテラ一家を救うかもしれない魔泥炭に似た何かがあるんだ。
奥にはまた下りの地下道があった。前の地下道より、少し幅も高さもある。振り向くと岩男は、首を必死に曲げてなんとか通ろうとしてた。彼らにとっては墓は大事なものらしいから、墓だとわかった以上壊すわけにいかないもんね……。
今度の地下道は(岩男にとっては)幸いなことに短くて、すぐ、奥の部屋にたどり着いた。
ちょうど上の広間と同じぐらいの広さ。
でも、この部屋の床は、黄金色に輝いてた。
いや、床全てが輝いてるわけじゃない。正確には、部屋の中心から、円状に広がった範囲が、光を放っていた。あの僕らをふさいでた壁に近い色だけど、もっと明るくきらめいてる。
「聖泥……!」
背後で、岩男が驚嘆を乗せた声で呟くのが聞こえた。そしてその声は、オオオオオオオ……という呻きに変わった。
彼が何を見て嘆いているのかは、一目見てわかった。
部屋の中心には、地面からはえた小さな岩のように見えるものがある。でもおそらく、あれは子供の遺体だ。
彼が、ナドラバだろう。
そしてナドラバのすぐ横には、僕の上腕ほどの大きさの、茶色い人形みたいなものが立っていた。
「お待ちしておりましたわ……生まれ変わりの御子よ!」
その人形が声を発すると、オオオオオオオオオ……!!! と、岩男の呻きは絶叫に近いものに変わった。
「ルズラヴェルム! ルズラヴェルム!」
黒い岩の肌を持つ巨大な男は、そう叫ぶと僕を追い越して前へ出、その小さな人形に向かって膝を折ると跪拝した。
「やめてくださいな、暑苦しい」
人形はそう言うと、額を地につけている大男の頭頂を、ぺちり、と叩いた。