第7話 求むるは汝が声
トワレキノコと鳥の煮込みで冬のはじまりの晩餐をしてから一週間後、ふたたびダニスさんに同行してドゥラカス探索に出た。
その日のダニスさんは、一日中表情が厳しかった。いや、正確にいうと、その数日前から様子がおかしかった。
昼の食休み、僕の不審を感じたのだろう、ダニスさんは言い訳するように
「借金の返済期限が、あと二週間ちょっとなんだ。それでどうしても、焦る気持ちがね……」
と言った。
僕は、あの提案をしてみるべきだと思った。持ってきていた石板を取り出し、<ぼくを、とりひきざいりょうにして、しゃっきんを、なくしてもらえば>と書いた。
それを見たとたん、ダニスさんの顔はさっと青ざめ、ついで赤くなり、目を閉じてしばらく上を向いていた。
ようやく僕を見たときには表情は平静だったけど、目が怖かった。
「……それを全く考えたことがなかった、といえば嘘になるだろうね。君の持っている価値は、物凄いものだ。ダンデロンにでなく、もうひとつの大商会、ルグランジュ商会に君を売り込めば、借金をまるごと引き受けてくれるだろう。確実に。そしてマーユは救われ、ラホにも生活の心配をさせなくてよくなる」
うん、いいと思う。どうせ僕のノウォンは自分でもよくわからないぐらいあるみたいなんだから、多少提供したってかまわない。
「でも、何をされるかわからないんだよ? 君は知らないだろうが、いろいろな種族が集まるマードゥ混成国では、<言葉が話せる>というのが、人と人でないものを分ける基準だ。人にたいしてすら平気で非道をする奴がいる場所で、君がどんな目にあうか……」
ダニスさんはゆっくりと首を横に振る。
「……というよりね、そういう問題じゃないよ。君は私たちの生活に潤いを与えてくれた。なにより、マーユの体調をよくしてくれた。今のマーユからは想像もできないだろうけど、以前のマーユは、一日中ベッドの上にいたんだよ? 私たちは君に恩がある。取り引きに使うなんてとんでもない話さ。私がそんなこと少しでも口に出そうものなら、ラホから離縁されちゃうよ……」
怖い顔をしてたダニスさんは、最後はいつもの苦笑いになった。
「さあ、君によけいな心配をかけないためにも、早く魔泥炭を見つけないとね」
手をぱんぱんと叩きながら、ダニスさんは立ち上がり、僕らはまた荒れ地を歩きはじめた。
☆★☆★☆
その日の午後遅く。
十箇所以上の地面を調べたけど反応があった場所はゼロで、僕らは徒労感でぐったりしてた。
「やれやれ……わかっちゃいても、落ち込むね。今日はそろそろ帰ろうか……」
ダニスさんがそう言ったとき、僕は感じたんだ。
あの、僕を呼ぶ引力を。
僕は思わず、そっちの方にふらふらと歩き出してしまう。
「ど、どうしたコボネくん!?」
歩きながら、石板に<ごめんなさい、いきたいばしょあります>と書く。
「行きたい場所、だって?」
ダニスさんはそう呟いたが、それきり黙って僕にあわせて歩きはじめた。
僕らが調べていたのはドゥラカスの北東部だったけど、僕の足は西のほうにひたすら向かう。
呼んでる。呼んでる。
それはか細く悲しげな、鳴くような歌うような、不思議な呼びかけだった。
西へ。西へ。荒れ地はゆるやかにうねりながら、どこまでも続く。
そしてその先に、周囲より少しだけ高い丘が見えてきた。
近い。僕は走り出す。
斜面を一気に上り、大きな丘の頂上に立つ。違う。ここじゃない。
見下ろすと駆け上ってきたのと反対の斜面に、大きな岩が半分埋まっているのが見えた。
あそこだ!
僕は丘を駆け下りる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」とダニスさんがあえぐ声が聞こえるけど、止まらない。
岩は僕の背の数倍ある巨岩だった。背の高いダニスさんより二倍以上高い。
この奥に、僕を呼ぶものがある。間違いない。
でも、さすがにこの岩、僕やダニスさんの力じゃ動かないよね……。
ぺたぺた触ってみるけど、もちろん何も起きない。
「こ、ここかい? ここに、何かあるっていうのかい?」
ダニスさんの声。僕は黙ってうなずく。
「よし、測ってみよう」とダニスさんは、岩の横の地面に例の棒を刺した。
すると、棒の先端が……黄色く輝きはじめた。
「き、黄色……!? 黄色だって? 魔泥炭があるなら赤く光るはずだよ? 黄色って……棒を貸してくれた人もそんなことは一言も言わなかったよ!?」
ダニスさんはらしくない大声を出しながら棒の周囲をぐるぐる回り……ひとしきり叫ぶと、ようやく落ち着いた。
「と、とにかくこの荒れ地に来て、初めて棒が反応したのは確かだ! それも、ものすごい輝き方だよ……。この岩のあたりに何かあるのは間違いないね!」
その後しばらく、巨岩の周囲を調べてみたけど、岩を動かすような手がかりや、隠された入り口は見つからなかった。
「いかん、もう日が暮れる。完全に暮れたら厄介だ……急いで帰ろう!」
とうとうダニスさんがそう言い、僕らは背負袋から手持ちランタンを出して、それを掲げながら家路を急いだ。
☆★☆★☆
翌朝、僕とダニスさんは早起きして、昨日見つけた巨岩のもとへ急いだ。
昨日の夜にダニスさんの話を聞いたラホさんも興奮してしまい眠れなかったらしく、真っ赤な目で朝食とお弁当のサンドイッチを用意してくれた。ちなみにマーユは自分のベッドですやすやと眠っていた。
「もう一度、このあたりを徹底的に調べよう。穴掘りを頼むにしても、基礎情報は揃えておかないとね」
ダニスさんはそう言い、あちこちに棒を刺したり、岩を叩いたりして調査をはじめる。
僕は言われるまま、小さなスコップで穴を掘って土の色を見たりしていたけど、土はどこも硬くてカサカサで、何も変わったところはなかった。
昼過ぎまで岩のまわりを調べ回ったけど新しい発見はなし。僕とダニスさんは、岩の上に座って昼休みを過ごす。
サンドイッチを食べてるダニスさんの横で、僕は荒れ地を見渡しながら考え込んでた。
足の下から何かが呼んでる。でも、そこに行けない。何がまずいんだろう? 何が足りないんだろう?
……あれっ?
何かヘンだぞ、と感じた。何かがいつもと違う。何かもやもやするような、妙な感覚がある。
その理由を探して首を傾げてると、ダニスさんが話しかけてきた。
「この岩は何で出来てるんだろうね。思い切り叩いても傷すらつかないよ。割るのは無理かなあ……。ん、どうしたコボネくん?」
なんでもありません、と手を振ってみせる。
と、感覚が変わった。さっきまで感じてた妙な感じが減った。
はて、いま何が起きた? 何が変わった?
岩の上で立ち上がる。……と、もやもやする感覚がさらに減った。
あ。
僕はしゃがみこんで、岩に両手を押し当てる。するとまた感覚が変わった。
わかった! もやもやする感覚は、ノウォンがわずかずつ吸い取られる感覚だったんだ。
この岩は、僕のノウォンを吸い取ってる。
昨日も今日も、何回か岩に触ったけど、この吸われる感覚はなかった。
つまり……たぶん、この岩の上のほうだけに、何かがあるんだ。
「……何かわかったのかい?」
ダニスさんが話しかけてくるのにうなずいて、<いわから おりてくださいますか>と石板に書いて見せる。
ダニスさんは何か言いたげだったけど、黙って降りてくれた。斜面の上のほうに行って、僕の様子を見おろしてる。
僕は再度しゃがみこみ、岩に両手を押し当てて、ノウォンを送り出すイメージを思い浮かべる。
吸われてゆく。吸われてゆく。うー、微妙に気持ち悪い。
少しの間その状態で耐えてると……突然、足元が動きはじめた。
僕を乗せたまま、岩の上の方が、ゴゴゴ……と斜面のほうにずれてゆく。
「コボネくん?! ……うおっと!」
ダニスさんが大声を出して、それから岩が動く震動で斜面を滑り落ちそうになってあわててる。
上下にずれた岩の断面から現れたのは、岩をくり抜いて斜め下に伸びる階段だった。
「なんて仕掛けだ! いったい誰がこんな場所でこんなものを……」
ダニスさんが駆け寄ってきて、岩のふちに降りて階段の先をこわごわ覗き込んでる。
「行くしか……ないか。コボネくん、つきあってくれるかい?」
もちろん、とうなずく。
「ありがとう。……正直なとこ、この場所は君がいなけりゃどうにもならない気がするよ」
ダニスさんはそう言いながら自分の背負袋を下ろし、短めの松明を取り出した。
僕たちは松明を持ったダニスさんを先頭に、謎の地下階段を下りていった。
☆★☆★☆
階段はすぐに終わり、その先は細い地下道だった。
天井はダニスさんがちょっと身をかがめないといけないぐらい低くて、幅も人が二人並べないぐらいしかない。
踊り場らしきものもなく、ただひたすら細い道が地の底へ続く。
怖い。
あの、目覚めたときの地中の苦しさが蘇ってきて、息がつまりそうな気持ちになる。
「も、もしこの松明が消えたら、空気がなくなったってことだから、そ、その時は走って地上に戻るよ」
ダニスさんの声も震えてる。
「この道とあの階段は、どう見ても、誰かがわざわざ造ったものだよね……。誰も来ないこんな場所に、こんな大掛かりな道を、それも地下に造った意味は……」
それは、一つしかないと思う。
「……お墓だね」
ダニスさんも、同じ結論に達したようだ。
「誰のお墓だろうね。これだけ大掛かりってことは、偉い人かな。となると、相当古い……。魔泥炭でなくても、価値のあるものが見つかるかもしれないね。あー、でも墓荒らしはなあ……」
ダニスさんはしゃべりつづける。不安や恐怖をごまかすためだよね。相槌ぐらい打てたらいいのになあ。
「おおっ! やっと広い場所に出たみたいだよ、どうやらここが終……コボネくん……!? あれは……!」
僕たちが辿り着いたのは小さめの食堂ぐらいの空間で、周囲は岩の壁に囲まれてたけど、僕らの正面の壁だけが違った。
かすかに発光する黄土色の粒子みたいなものが、縦横無尽に飛び交って壁を作っている。
「魔術だ……。魔術を使う誰かが、この向こうにいるのか……!?」
ダニスさんはゆっくりと光る黄土色の壁に近づき、手を慎重に近づけて……吹っ飛ばされた。
突き飛ばされたように後退して尻もちをついたダニスさんの手から松明が離れて、岩壁のそばまで転がる。
「ぐっ……! な、なんだこれ……!」
走って松明を拾いに行き、ダニスさんのところへ戻る。
「ありがとう……。しかし、なんだあれは……」
座り込んだまま、ダニスさんは光る壁を睨んだ。
僕にはわかる。あれが、最後の関門だ。
僕を呼んでる何かは、この壁のすぐ向こうにいる。
あれだけえんえんと僕を呼んでたんだから、通してくれるだろう。
近づいて、黄土色の粒子の流れに手を添える。
声が聞こえた。
<資格ある者よ、我求むるは汝が声!>
……なんだって!?
ここまでしつこく呼び寄せておいて、苦労して来た奴に資格試験とか、何様だよ?
ふざけんな、壁の向こうのおまえ!
思わず、光る壁に拳をぶつける。
<資格ある者よ、我求むるは汝が声!>
バチーン、と反発が返ってきて、ぶつけた拳が跳ね上がった。ダメだこれ。
ふっ、と気持ちが冷静に戻る。
ちょっと理不尽に怒ってしまった。
謎の呼び声にずっとつきまとわれて、暗い地下に潜らされて、僕も鬱憤が溜まってたんだな……。
肩を落として、ダニスさんのところへ戻る。
「少なくとも君は吹き飛ばされなかったね……。何があった?」
僕は松明のそばに石板を出して、「まずはもどりましょう」と書いた。
「……ああ、そうだね」と、ダニスさんもうなずいた。
☆★☆★☆
「声を聞かせろ、か……。他の人ならなんでもないことでも、君にとっては難題だね」
ダニスさんが言う。並んで歩く僕は小さくうなずく。
僕らはドナテラ農園に帰るところだ。地上に戻ると雪がちらついていて、急激に冷え込んできたので今日は引き上げることにした。
雪は次第に強くなってきてる。。急ぎ足で歩きながら、僕は石板にがんばって文字を書き、起きたことを説明した。
「実は君があの壁に近づいてるとき、ちょっと例の棒を刺してみたんだけど、黄色にまぶしく輝いたんだ。間違いなく、あの壁の向こうに魔泥炭……に似た何かがあると思う」
全てがあの壁を突破することにかかってる、ってことか。あれを越えられれば、ドナテラ一家は救われる可能性が高い。
でも、声。僕が声を出すには、どうすればいいんだ。
「一人で考え込まないで。私もラホも相談に乗るから。みんなで考えてみよう」
ダニスさんが、僕の肩をぽんと叩いた。
「ほら、帰ってきたよ、私たちの家に」
考え込んでる間に、ドナテラ農園が近づいてた。雪は横殴りになりかけてる。
「……ん?」
ダニスさんの声と表情が、さっと緊張した。
「誰か来てる……! コボネくん、君は見つからないようにしてくれ!」
普段では考えられないほどの速さで農園に向けて駆け出すダニスさんを、僕はあっけに取られて見送った。