第6話 続・優しい日々
ドナテラ家の室内で暮らすようになって、十日ほど経つと、僕の右足は指が揃った。
もう、普通に歩ける。
それを見たダニスさんに誘われて、ある日、僕はダニスさんと一緒に外を歩くことになった。
僕は小さな背負袋をかついで、ダニスさんのお下がりのワークシャツを着てる。
「君が家にいてくれると、マーユの体調がよくなるのはわかってるんだけどね。たまには、私につきあってくれよ」
冷たくて泥の匂いのする風のなか、荒れ地を歩く。ダニスさんは毎朝出かけていくけど、こんな土地で何をしてるんだろう。
「こんなとこで私は何をしてるのか、って言いたげだね。……そうだね、黙って歩くのもなんだし、説明しとこうか」
そしてダニスさんは、この土地がドゥラカスと呼ばれてて毒が溜まる場所として有名だと教えてくれた。その一方、地下で魔泥炭っていう、とても価値のある泥が見つかることがあるそうだ。
「つまり私は、ここで魔泥炭を探してるのさ。……本業は商人で、発掘者じゃないんだけどね」
そう言いながらダニスさんは地面に長い棒のようなものを刺して、その先端をじっと見ている。
これは魔泥炭があるかどうかを調べる道具で、大金を払って借りているそうだ。
反応がなかったみたいで、ダニスさんは少しため息をついて、また歩きだす。僕は背負袋をかついでその後ろをついていく。
歩きながら、ダニスさんはまた、ぽつぽつと話をしてくれる。
「ドナテラ農園は、私の遠い親戚の一人が持ってたものでね、空き家になってたのを安く買い取ったんだ。……農園の近くに上質の魔泥炭層があって、昔この農園に住んでた者が掘り当てた、って話があるんだよ。……まあ、確たる裏付けはないんだけどね」
ククク、と、ダニスさんの痩せた背中から低い笑い声が聞こえてきた。
「馬鹿みたいだろう。そんな噂を信じて、必死に魔泥炭探しをしてるんだから。……でも、もうこれしかないんだ」
また地面に棒を刺して、じっと見つめる。ダニスさんの普段穏やかな顔は、別人のように厳しくて苦しそうだった。
それきり午前中は口をきくこともなく、僕たちは一定距離歩いては地面を調べる作業をひたすら繰り返した。
☆★☆★☆
「やっぱり、君がいてくれると空気がきれいになるんだね。いつもは歩いてると苦しくなるんだけど、今日はだいぶ楽だよ」
食べ終わった愛妻弁当の包みを僕の背負袋にしまい、水筒のお茶を啜りながら、ダニスさんは僕に笑いかける。
ゆるやかに波打つ荒地には風をさえぎるものもなく、饐えたような匂いのする風が絶え間なく顔に吹きつけてくる。
こんな所を毎日毎日歩いていたら、身体を壊すだろう。ダニスさんは、早くこんな仕事をやめるべきだと思う。
「よし、じゃあ仕事に戻るか」
しかし立ち上がってまた歩きだすダニスさんには、強い意志が感じられた。僕もあわてて、背負袋をかついであとに続く。
午後の仕事も同じだ。一定距離歩いたら、棒を刺して地面を調べる。この繰り返し。
「私は以前はけっこうやり手の商人でね。マードゥ混成国の首都、マトゥラスで小さいけど店をやってたんだ」
ダニスさんはまた、ぽつぽつと語りだす。僕に聞かせるというより、独り言を声に出してる感じに近い。
「でも、ダンデロン商会ってとこが仕掛けた、巧妙なハメ手を喰らってね。あっという間に莫大な借金を背負ってしまった」
話しながら棒を刺す。
「あとでわかったんだけど、ダンデロンの仕掛けの狙いは、うちのマーユだったんだ」
棒の先端をじっと見る。魔泥炭が地下にあると、この棒の先が赤くなるらしい。
「マーユは特殊な体質を持った子でね。常人よりノウォンを感じる能力が高くて、濁りの少ないノウォンを体の中に持ってるんだ。そのぶん、体調管理が難しくて熱を出しやすいんだけど……」
ダニスさんは僕のほうをちらと見てかすかに笑った。
「だから、マーユがいい匂いって言った以上、君が悪いものじゃないのは最初からわかってたのさ。私が君をすぐ受け入れたのは、そういう理由があってのことなんだ」
なるほど、と僕はうなずく。
「そういうマーユの体質を、生まれてからずっと、私たちは秘密にしてきたんだ。……なぜなら、世の中には、人間をノウォンを生む道具として扱おうとする、非道なやつらもいるからね」
ダニスさんは変化のなかった棒を荒々しい手つきで引き抜く。
「針を刺してノウォンを抜いたり、なかには手足を……いややめよう。ともかく、ダンデロンが秘密をかぎつけてマーユを狙っているとわかった以上、ハメ手で背負わされたものだろうと、借金はどうしても返さなきゃいけない。でないとマーユを奪われてしまう」
早足で、次の測定地点に向かう。
「……マトゥラスで商売をして借金が返せる可能性はない。ダンデロンが妨害し放題だからね。……だから、魔泥炭の採掘に賭けたんだ。望みが少ない賭けだっていうのはわかってる。でも……それしか思いつかなかったんだ。知り合いに頼んで、偽装工作をしてダンデロンの目をごまかし、マトゥラスを夜逃げしてきたわけさ」
そこまで一気にしゃべると、ダニスさんは、はっと我に返った様子で苦笑いした。
「まいったね……。ここまでしゃべる気はなかったけど、やっぱりここでこんなことを続けてると、人と話すのに飢えてたんだな……。まあ、君ならいいか。秘密は守ってくれるだろ?」
笑いながら頭を撫でてくるダニスさんにコクリとうなずく。たとえしゃべりたくてもしゃべれないしね。
そして考える。
たぶん、僕のほうがマーユより、身体の中により純粋なノウォンを持ってる。これは包帯さんもダニスさんも言ってたことだ。
いざとなれば、ダニスさんはマーユでなく僕をダンデロン商会とやらに差し出せばいいんじゃないか。
家族のように扱ってくれるドナテラ一家のためなら、僕は構わない。
ただ、そのことをダニスさんに提案しなくてはいけない。
はやく字を完全に覚えて紙に書けるようにしなくては、と思いながら、僕は夕方までダニスさんの後をついて歩いた。
☆★☆★☆
ダニスさんと外を歩いてから、数日後の夜。
いつものように、ドナテラ夫妻はソファでお茶を飲みながら話をし、僕とマーユは床に転がって遊んでいる。
「そろそろ玉ねぎが少なくなってきたわ。おイモはまだあるけど、青菜も……」
「そうか、なら明日は買い出しに行ってくるよ。メモ作っておいてくれ」
買い出し? と疑問を持った僕に気づいて、ダニスさんは説明してくれる。
「ドゥラカスのすぐ北に村があって、そこに食べ物なんかを買いに行くんだ。すごく小さな村だから、たいしたものは売ってないんだけどね……」
「まあ、贅沢はいえない暮らしだけど、たまにはマーユにいいもの食べさせてあげたいわ……」
「マーユへいきだよ! パパとママとコボネいればいいよ!」
「マーユう!」
おお、マーユさん、素晴らしい家族サービスです。やればできるじゃないか。
ラホさんは感激のあまりマーユのもとへ駆け寄って抱きしめている。
それを見ながら、僕はふと思い出した。
ラグナ大森林で拾って持っていた、あの茶色のキノコのことを。……名前は忘れたけど。
たしかあれを入れたカバン、あの湿地帯の東屋のところに置いたはずだ……。
たぶん、あれって珍しいものだと思う。ラホさんが喜んでくれるかも。取りに行ってみようかな。
結界石の働きがわかったいま、あの怪物魚にも見つからないんじゃないかな……。
僕は石板に、覚えたての文字を書き始める。石板っていうのは表面に字や絵を書いてまた手で消せる、石でできた板のことだ。
この石板はマーユ用だけど、僕が使ってもいいって言われて、これで毎日文字の練習してる。僕を真似してマーユも積極的に練習するようになったので、ダニスさんとラホさんは大喜びしてる。
書き終わった板を、ダニスさんに持っていって見せてみた。
「ん、コボネくんどうした? なになに……<あす、ひとりででかけてきていいですか。とおくにはいきません>。……ふむ、いいんじゃないかな。ラホ、どう思う?」
「そうね、コボネくんも毎日家の中じゃ、たまには外を歩きたくなるわよね。ただ……」
「マーユもいく! マーユもいく!」
……まあ、そうなるよね。
ご両親の援護をうけながら石板で説得し、なんとか納得してもらったけど、かわりに二時間のおままごとを約束させられた。
☆★☆★☆
湿地帯への再訪は、とくに何もなく完了した。
上天気の朝の光の中でも、ドロドロの色をした沼地は相当不気味だったけど、結界石を目いっぱい光らせた僕に襲いかかるものは何もなく、水面にあの怪物の影が見えることもなかった。
あの壊された東屋のところまで慎重に進んで、幸いそのまま地面に転がっていたカバンを拾って、さっさと撤退した。あの時まで着てたシャツは見つからなかった。
でもやっぱり、キノコを取りにいくだけにしては、危険な試みだったよね。あとで反省しました。
僕が持って帰った十個ほどのキノコは、ドナテラ家にセンセーションを巻き起こした。
「ちょ! これ……トワレキノコじゃない! え、なに……コボネくんって、ラグナ大森林から来たの?」
「これはまた、大変なものを持ち帰ってきたねえ……。この量と大きさなら、人ひとりが半年は暮らせる値段がつくよ」
やはり包帯さんの言ったとおり、ラグナ大森林は魔物が物凄く強くて普通の人が立ち入れるような場所じゃなく、そこで採れるこのトワレキノコも珍味中の珍味という位置づけらしい。あの森では普通に樹の根っこに生えてたんだけどな……。
僕は石板に、<りょうりにつかうか、おかねにかえてください>と書いた。
「いやいや! さすがに貰うには価値が高すぎるよ! ……といっても納得してくれないか。じゃあ、一個だけ貰おう。あとはコボネくんが持っておきなさい。あ、ただ、ぜんぶ下処理はしといたほうがいいな」
「日陰に干すだけだけどね。明日から干しましょ」
翌日から、母屋の横にトワレキノコがヒモで縛ってぶらさげられた。こうやって干すことで、生よりずっといい味が出るようになるらしい。
キノコのすぐ下に僕が座り、日向ぼっこしながらあたりの空気をきれいにする役目をする。「貴重なんだから、万全を尽くさなきゃ!」とラホさんは力説していた。
僕がこの農園に入り込んでから、一ヶ月になる。これまで季節を意識したことはなかったけれど、いまは晩秋らしい。もう少しすると暦の上で冬になり、その日には「冬のはじまりの晩餐」と言って、ごちそうを食べて冬に備えるんだという。全部、ダニスさんとラホさんから聞いたことだけど。
ともあれ、もう秋も終わりなので日差しもずいぶん弱くなって、外に座っていると風も冷たくなってきてる。それなのにマーユは僕の横をうろうろして、キノコをつついたり不思議な踊りを踊ったり例によって意味不明なおしゃべりをしたり、約束のおままごとに熱中したりしてた。身体が弱かったって話が嘘みたいだ。
三日ほど干すとキノコはカチカチの干からびた物体になり、大丈夫かと心配したけど、水で戻せば問題ないらしい。結局、三つの塊をドナテラ家に贈ることにして、残りは鞄に詰め込んだ。
翌日、ラホさんに呼ばれて台所に行くと、「キノコを戻すのを手伝ってくれない?」とお願いされた。
「トワレキノコってね、戻すときにノウォンを込めると、ものすごく美味しくなるんですって!」
ボウルに水とキノコを入れて、僕が両手で干しキノコを握って軽く揉んで、キノコにノウォンを与えるイメージを思い描きながら戻していく。一時間ほどで茶色い塊に戻った。
「ありがとう! 今夜は<冬のはじまりの晩餐>だからね、奮発しちゃおうと思って。最高の煮込み作るわよー!」
「マーユもてつだう!」
マーユさんも意気込み十分だ。
「じゃあマーユにも手伝ってもらおうかな。おもに味見担当ね!」
戦力外といわないラホさんは母親の鑑だと思う。
僕は石板を取って、<ぼくも、りょうりようのおみずを、つくるのを、てつだいます>と書いて見せた。
僕が手を入れておくと、水が美味しくなるらしいのは知ってる。
それって要するに、僕の中にあるノウォンが水に溶け出して、美味しくなるってことだよね。
だったら……もっと溶け出しやすくしてみたら、どうだろう。
僕はラホさんに火を起こしてもらって、鍋に水を張ってかける。そして、その中に手を入れる。
「ちょ、ちょっと!」
ラホさんがあわててるけど、大丈夫、とうなずいてみせる。
やっぱり、僕の熱の感覚はだいぶ鈍い。湯気が出てくるぐらい水は熱くなってきたけど、僕にとっては少し温かいだけだ。
でも、ノウォンがどんどん出てゆくのが、なんとなくわかる。
「も、もういいから!」
お湯が沸騰しはじめたとき、ラホさんが必死の形相で僕の手を引き上げた。
「……大丈夫なのコボネくん?」
「コボネ、だいじょぶー?」
全然平気、と手を振ってみせる。
「……コボネくんがそこまで頑張ってくれたお湯、どんな味かな……。ん!!」
ラホさんがびっくりした顔になった。
「こ、これは凄いわ! たんに美味しくなってるっていうより、コボネくんのダシが出てる、みたいな!」
……僕のダシが出てる。それって……いいんだろうか。僕だったら料理に使いたくないけど。
「これにトワレキノコ……マトゥラスの最高級レストランでも出ない料理ができるわ!よーし、燃えてきた!」
ラホさんの表情が変わり、煮込み用の鳥をすごい勢いでさばきはじめる。
その夜の<冬のはじまりの晩餐>は、詰め物をした鳥とトワレキノコを上品なスープで煮込んだ、いままで食べたことのないほどの絶品煮込みだった、そうだ。ダニスさんが珍しく、とろけたような顔で熱く語っていた。
その夜、幸福そうなドナテラ一家を見ながら、僕も幸福だった。
僕に、人のために出来ることがあるってこと。僕の中にあるものが、誰かを喜ばせることができるってこと。
それを実感すると、僕は、自分の全部が許されたような安心を感じるのだった。