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僕からはいいダシが出るようです  作者: 大穴山熊七郎
第二章 ドナテラ農園の人々
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第4話 我が名はコボネ

 夢を見てた。

 スープ。またスープの夢だ。


 平たい皿に入ってるのは、乳白色の液体。

 表面にパラパラと散らされた、みじん切りの香草の緑がとてもきれいだ。

 そこに沈んでるのは、指の先ほどの薄片。

 ポレントーニ。地下に生える、小さくてかわいいキノコのスライス。

 匙ですくって、いい具合に温められた白濁の液体を口に入れると、ミルクの匂いとキノコの匂いがまじりあって、気持ちが幼い頃に還ってゆく気がする。そこに、ポレントーニのコリコリする歯ざわり。

 幸福な。幸福な幼児のスープ。

 不器用に匙を動かしながら、ふと視線を感じて目をあげると、そこには見守る温かい瞳。

 思わず自分も、にんまりと微笑んでしまう。

 夢中で啜り続ける。でも、ああ、もうお皿の底が見えてきた……。

 甘える顔を作って、おかわりをねだろうとしたその時……陽光がまぶたの裏を照らし、スープの味も、見守る瞳も、全てがさーっと薄れていった。


 見終えていない夢が去っていった後の、もの悲しい感覚のなかで、僕は眠りから目覚める。


 僕の腕と胸に何か、柔らかくてあたたかいものが巻きついてる。

 寝たまま頭を動かして周囲を見る。隙間だらけの板の屋根が見えた。隙間からは陽射しが差し込んでて、光の中で埃が浮遊してるのが見える。

 記憶がよみがえってきた。

 僕は雨をしのぐためにどこかの農園にだまって入り込み、そこで倒れてしまったんだ……。


 顎に何かが押し付けられてる。さらさらした感触と甘い匂い。誰かの頭だ。

 そこから、ふすー、ふすー、という呼吸が聞こえる。

 どうやら僕は、自分より少し小さい誰かにくっつかれてて、その誰かは、仰向けの僕を左側から抱きしめたままぐっすり寝ているのだった。

 ……どうしよう?


 押しのけて起き上がる手もあるんだろうけど、それは何かこの、見知らぬ子に悪い気がする。

 結局、しばらくじっとしてることにした。

 自由に動かせる右腕を頭の下に入れて、ぼーっとする。


 ……そういえば、右足に怪我をしてたんだ。

 倒れる前は右下半身全体が痺れてて、どすんどすん、と布越しに殴られるような痛みがあった。

 いまは全然痛みがない。右足の感覚もある。

 不思議なことに、なくしたはずの足首の感覚もあった。

 力を入れてみると動く。でもなぜか、指先の感覚はない。

 右足を持ち上げてみる。


 ……右足の先が、半分しかなかった。なにこれ。どういうことなの。

 これじゃまともに歩けない。いや文句言うのはそこじゃない。

 なぜ、なくした右足がまた生えてきつつあるのか、ってとこだ。

 僕はやっぱり包帯さんが言ったように、いろいろ異例な生き物なのかなあ。

 いや生きてるかどうかもはっきりしないんだけども。


 あの沼沢地の夜を思い出す。恐怖と激痛と麻痺。

 あれに比べたら、いま、こうして人肌のぬくもりと陽光を感じていられる時間は、なんて安らかなんだろう。

 たとえそのぬくもりの主であるこの子が、どこの誰かさっぱりわからないとしても、だ。


 そんなことを考えてるうち、僕はまた、ふんわりした眠りの中に落ちていった。



☆★☆★☆



「マーユ! マーユどこーー!! マーユうう!!」


 女の人のせっぱつまった声が響いて、僕ははっと目覚めた。

 屋根板の間から差し込む光は、だいぶ赤茶けてきてる。夕方近いんだろう。


「マーユうううう!! お返事してー!!」


 声は半泣きになってる。

 僕は右手で、抱きついてる子の左肩をそっと揺さぶる。たぶん、この子が探されてる子だ。


「んう……」


 かすかに声を漏らしたけど、まだ寝てる。いや起きてよ。探してる人泣いてるよ!


「マーユうううう! どうしよう、マーユううう!!!」


 悲痛な泣き声が近づいてくる。これ早く起こさないとダメなパターンだ。いろいろ悲惨な未来しか見えない。

 もう思い切って、小さな肩をガシガシと力を入れて揺さぶる。


「んにゅー……」


 いや可愛い声出してもダメだから。早く起きて。事態は緊迫してるんだよ?


「……ママあ、なーにー?……うにゅー……」


 え、まだ起き上がらないの? やめて、巻きつけてる腕ほどいて。僕はきみのママじゃない。


「マーユうううううう!!! マーユが死んだらママも…… ひっく……マーユうううう!!!」


 涙でびしょびしょの声がどんどん近づいてきて……泣き叫びながら歩いてきた女の人と、寝こける女の子の横でモゾモゾ抵抗してる僕の目があった。


「…………え?」


 そう呟いたまま、女の人は固まってる。


 どうしよう、この……間男が見つかったみたいな雰囲気。

 すんごい気まずい感じだけど、身に覚えないんです。信じてください奥さん。


「んうー……ママうるさいよー……」


 そして空気読まない女の子が、むにゅむにゅと目をこすりながら身を起こし……僕を見て、にまーっ、と笑った。


「いいにおいだー!」


 せっかく起きたのにそう叫んでまた首に抱きついてくる女の子を受け止めながら、僕は深い絶望に包まれた。


「きゃああああああああっ!!!」


 そして、固まってた女性の悲鳴が農場に響き渡った。



☆★☆★☆



 家族会議。

 僕はいま、家族会議の議題になっております。


 ここは農園の母屋の居間。僕は両手を縛られて、床に座らされてる。

 そして僕の首にはマーユという女の子がしがみついて母親を睨みつけ、断固たる反抗の意を示してる。

 母親と、家に帰ってきたら家庭争議の真っ最中で困惑中の父親は、ソファーに並んで座ってる。

 相変わらずの間男ポジション。そりゃ、黙って家に入り込みましたけどね……。


「捨てるわよ!」「やーだー!」「ダメ、パパに捨ててきてもらいます!」「やーだーあー!!」「わがままいうんじゃありません!」「やあだああああああああ!!!」


 納屋の横で、こんなやり取りが三度ほど繰り返されたところで日が暮れたので、とりあえず僕は手を縛られて家の中に移動させられた。

 右足が欠損して歩けないのを知るとマーユが僕を背負おうとし、母親が止め、またひと騒動あったのだけれど、結局母親が「軽いわねー」と言いながら抱き上げて運んでくれた。

 捨てる捨てるといいながら、根が優しいんだろうなあ、この人。


「ね、マーユ、この子がどんな生き物なのかもわからないのよ。いまは大人しいけど急に暴れだすかもしれないし、暴れなくてもどこかに毒があるかもしれない。だから家では飼えないの。わかってくれるわよね?」


 母親が諭すように言う。もうおんなじことを四回ぐらい言ってる。正論だと僕も思う。

 ただ、飼う、って表現がすごく引っかかるんだけど。骨だけとはいえ、もとの身体は半人の身体なのにね。

 そんなことをいろいろ考えながら、ただじっとしてる。

 話がわかってるような仕草は一切しない。物事がややこしくなるだけの気がするから。


「や! コボネはいいにおいなの! コボネおとなしいの! マーユ、コボネといるの!」


 この子の中ではもうすでに僕に名前がついてる。さっき思いついたらしい。コボネ……。うーん……。


「マーユう……だからね、それは無理なの……わかってちょうだい……」


 母親はなおも説得しつづける。そこに、マーユの涙声が襲いかかった。


「ママ、コボネすてちゃったら、コボネどうなるの? コボネあるけないよ? しんじゃうよ?」


「あ……あの、それはね……」


 母親は言葉に詰まる。

 実のところ、僕はご飯を食べなくても平気なのでなんとかなると思う。右足もなぜか修復されていってるし。

 やっぱり、人に飼われるのは嫌だ。それより、僕を呼ぶ何者かを探しにいきたい。

 この話し合いの行方次第じゃ、今夜、こっそり農園を出ていこうと考えてる。

 ただ、まだまともに歩けないんだよねえ……。四つん這いでなら、なんとか進めはするけど。


「……ねえラホ、だったら首輪をつけて、納屋のところに繋いで飼えばいいんじゃないかな。見たかぎりじゃ、毒を持ってる可能性はゼロに近いと思うしね」


 いままで黙って聞いてた父親が発言した。ちょっと待って。首輪? 首輪はないよ!


「ダニス! 何を言うの? 見たこともない生き物なのよ?」


「でもラホ、マーユがこんなに言ってるんだ、願いは叶えてやりたいじゃないか。ただでさえ、私たちの事情で、幼い子をこんなところに連れてきてるんだからね……」


「…………」


 母親……ラホさんは、着てる上っ張りの裾をきゅっと握りしめてうつむいた。


「せっかく、ここ一週間、マーユが驚くほど元気になってるんだ。ここで心をしぼませたくないんだ」


 父親のダニスさんは、柔らかい口調で妻に語りかける。それをマーユはキラキラした期待の目で見てる。僕の首を思いっきり締めながら。


「……わたしもそう思うわよ。思うけど……大丈夫なのかしら……」


「ルールをもうけよう。そうだね……」


 ダニスさんは、マーユのほうを向いて人さし指を立ててみせた。


「マーユ、コボネは家の中には入れられないけど、外でなら飼っていいことにする。それでどうだい?」


「いいの? パパー!」


 マーユは大喜びしながら僕の首にかけた腕に力を入れる。

 苦しくはないけど、嫁入り前の娘さんがはしたないですよマーユさん。


「もうひとつ、コボネを飼う条件があるんだけどいいかい? マーユ、パパと約束できるかい?」


「うん! マーユやくそくできるよ!」


 マーユさん、そういう安請け合いは身を滅ぼすもとですよ?


「外に行くときは、必ずママにお願いして、ママと一緒に行くこと。一人で外に行かないこと。わかったかい?」


「……うん」


 ほら、厳しい条件をあっさり呑まされて、苦い薬を飲んだような顔になる。母親のラホさんは逆に、とてもほっとした様子だ。

 でも、僕は首輪をつける気はないよ。ごめんね、今夜でさよならだ。お世話になりました、みなさん。


「たしか物置に首輪があったはずだ。すぐ連れて行ってつけてくるから、そしたらご飯にしよう」


 げ。今すぐか。まずい!


「あ! そうね、夕ご飯の支度しなきゃ。マーユ、お手伝いお願いね」


「……わかった」


 まだ不満そうながら、マーユは僕から手を離して立ち上がる。

 その肩を後ろから押しながら台所のほうへ行くラホさんを見送って、ダニスさんはひょいと僕を抱き上げた。


「おお、本当に軽いね……」


 まずいまずい。首輪をつけられたら逃げられなくなるかもしれない。

 いま暴れてこの腕を抜け出して逃げるか。

 ……無理だよ。ロクに走れないし、手は縛られてるし……。

 悶々とする僕を抱えて扉を開け、夜の屋外に出ると、ダニスさんは僕に向けて小声でささやいた。


「ごめんね、本当は君は、私たちの言うことがわかってるんだろう?」


 ぎょっとした。反応もできずに身体をこわばらせる。


「ふふ、私はこれでも商人の端くれだからね。話を聞いているときの態度から、いろんなことを読み取る訓練を受けてるんだ。君は、私たちの言葉がわからないにしては、あまりにもじっと耳を傾けすぎてたんだよ」


 ……やばい、この人思ってた以上に頭が回る人だ。


「知性のある君を首輪で繋いで外で寝かせるのは、ほんとはやっちゃいけないことだ。少なくとも私はそう思ってる。でも……いきなり君を家の中に入れるのは、妻のストレスが大きすぎるんだ。わかってくれ……」


 真剣な声で、ダニスさんは言う。


「妻は本来、おおらかで優しい性格だ。たぶんすぐ君になじんで、君を長く外に置いておくのに、彼女自身が耐えられなくなるだろう。だからそれまで、我慢してくれないか。お願いするよ……」


 ……僕は、決断した。

 暗闇の中で僕を見下ろしているダニスさんに向かって、うなずいてみせた。

 ダニスさんの誠実な態度に心動かされたというのもあるけど、正直、うなずく他に選択肢がなさそうだった。


「……そうか、ありがとう、コボネくん」


 ダニスさんの中でも定着しちゃったんだね、その名前。


 こうして、僕は、ダニスさん一家の農園……ドナテラ農園の納屋の柱に首輪でつながれることになり……「コボネ」という名で呼ばれるようになったんだ。


 実際にダニスさんに首輪をはめられた時は、承知したとはいえ自分が惨めで落ち込んだけど、首輪はゆるゆるで、繋いだ範囲から出なければ何の不自由もなかった。

 足が治ったら、逃げる機会はいくらでもある。いまはこの家にお世話になろう。

 馬屋の藁に身を横たえたら、気持ちがよくて惨めさも消えていった。

 結界石の光がだいぶ弱くなって、ぼんやりあたりを照らすだけになってる。ここは安全ってことなんだろう。

 ああ、やっぱり、屋根のあるとこで寝られるっていいな……。

 そう思いながら、僕は深い眠りに落ちていった。

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