第3.5話 謎めく報告書 …… ドナテラ農園
あの骨の子が、さびれた農園に入り込み倒れてから、二日が過ぎた。
その間、雨は断続的に降っては止み、庇の屋根の隙間から骨の子を濡らした。
止むととたんに強い日差しが差し込み、雨は水蒸気となり蒸し暑さを作り出す。
この地方……マードゥ混成国の南部辺境ではよくある天候であった。
この荒地帯のことを、マードゥの人間はドゥラ・ラカス、あるいはドゥラカスと呼ぶ。
毒溜まりの地、という意味である。
ホルウォートの中央を占領するザグ・アイン山脈で生まれた汚れたノウォンが、地下水脈を通り、この地に流れて来る。
それは地下に魔泥炭と呼ばれる優れた魔術燃料を作るが、同時に、農作はもちろん生き物の居住にも適さない土壌を作る。
しかしザグ・アインのノウォンは、数十年ごとに質が変化してゆく。理由は誰にもわからない。
比較的汚れが少ない時期には普通に人が住むことができるようになり、この地は魔泥炭の採掘に勤しむ人間たちでそれなりに賑わう。
逆に汚れがひどい何十年かは、ほとんど人が住まない。住めばいずれ、空気に混じった汚れで病気になるからである。
魔泥炭の探索もほとんど行われず、通いの作業員が既発見の洞窟から採掘するだけになる。
いまはその、汚れがひどい時期だ。おそらくドゥラカス全体でも、暮らしている人間は十人に満たない。
そのうち三人が、いま子供が倒れている農園に暮らしている。
しかも一人は、人間の幼児であった。
マーユ・ドナテラは六歳になる女児である。両親とともに、このドナテラ農園に住んでいる。
三ヶ月ほど前に移住してきたばかりで、だからこそ彼女はまだ生存している。
もし数年前から住んでいたなら、彼女はもうとっくに死亡しているだろう。それほどこの地の空気と地質は、人間、とくに未成熟な人間には毒である。
そのことは両親、ダニス・ドナテラとラホ・ドナテラもわかっているようだった。
マーユは窓を締め切った部屋から出ることなく、一日中ベッドの上で暮らしている様子である。両親の話によれば、もともと病弱らしい。
母であるラホも、体調を崩して寝たり起きたりしている。
そこまでしてこの農園に住まなくてはいけない事情が、この一家にはあるのだが、それは本報告においては重要ではないので省略する。
いまは、二人の人間の成人と一人の人間の幼児が農園に住んでいて、そこに例の骨の子供が入り込んだ、ということが確認できればよいだろう。
骨の子は、倒れたきり数日経っても目覚めない。
結界石は強く輝きつづけ、子供の存在を住人から隠している。
夫のダニスは朝方に農園を出て夜まで戻らず、妻のラホは日に二三度、井戸から水を汲むために外に出るだけだ。マーユは当然、全く出てこない。骨の子が見つかる可能性はもともと低かった。
骨の子の身体の表面温度はあきらかに上がっているように見え、大量のノウォンが放出されている。
とくに泥魚に齧り取られた右足の傷口から、凄まじい勢いでノウォンが出ているようだ。
やはり仮説は実証されつつある、と私は考える。
つまり、この子供の内にある特異なノウォンは、生命の危機にさらされることで大量に外に出てくるのだ。
おそらく、彼を保護し修復するために。
それは骨の子の危機が大きいほど純粋なものとなり、強力な癒やしの力を持つとともに、汚れたノウォンで生きるものには強烈な毒となるだろう。
☆★☆★☆
骨の子から放出されるノウォンは、またたく間に、農園の人間に影響を与えはじめた。
「あら、空気がおいしいわね。こんなに湿気が多いのに……」
水を汲みに出てきたラホがそう呟いたのは、骨の子が来て三日目、快晴の日の昼前のことであった。
骨の子を濡らし地に染み込んだ雨が、雨上がりに水蒸気となり空気を満たす。
それだけのことで、この地に行き渡る泥の匂い……その原因は汚濁したノウォンが作り出す細かい土の粒なのだが……が吹き払われていた。
「元気出てきちゃったわ。今日はお洗濯をまとめてしちゃおう!」
そう独り言を言いながら、家に戻ってゆく。ちなみに、この地で洗濯物を外に干すのは自殺行為といえる。
その日は夕方からまた雨になり、夜更け前に止んだ。
寝静まった農園の中庭を、結界石の桃色の光が一晩中照らしていた。もっともこの光は、普通の者には見えないのだが。
その翌日。骨の子が来てから四日目の午後、一階の端にあるマーユの部屋の窓が開いた。
「ね、いい匂いがするでしょ。これならちょっとの間、開けててもいいわね」
窓からラホが顔をのぞかせる。
「ママ、おそとでたい」
これはマーユの声だ。
「それはダメ。まだノドがコンコンするでしょ?」
「きょうはへいき」
「よかったわねえ。でもおそとはダメよ。元気ならあとでママとお菓子つくろうね」
「うん」
この日マーユの部屋の窓が開いていたのは短い間だけだったが、その翌日、骨の子が来て五日目には午前中から開いた。
「ママ、おそとみたい……」
「あらあら、ただの中庭なんだけど。でもマーユ、今日は元気ねえ」
ラホの胸に抱えられて、マーユの顔が窓からのぞく。
「いいにおいするね」
「でしょー? 何の匂いなのかしらねえ、パパに聞いてもわからないって言うし」
「おみずもこのにおいするよ」
「そうなのよねえ。もしかして、地質転移っていうのが起こったのかしら」
地質転移とはつまり、先程説明した、数十年に一度の地下水脈の変化のことだ。
結局その日、マーユの部屋の窓は午後遅くまで開いていた。
翌日、骨の子が来て六日目。
マーユの部屋から歌声が聴こえる。自作のでたらめな歌である。
♪いいにおい いいにおい ひかって いいにおい~
母屋の扉から水を汲みに出てきたラホが、この声をきいて泣き笑いの表情になっていた。
「マーユの歌なんて、いつぶりかしら? いつもノドが痛そうで小声だったのに……」
七日目。この日は朝から雨で、母屋の窓も開かない。
表に出てきたラホの顔色が優れない。どうやらマーユの体調があまりよくないようだ。
骨の子は、眠り続けている。右足は脛が修復され、足先も踵あたりまで出来つつある。
驚くべき修復速度といえるだろう。
八日目。見事に晴れた。骨の子のノウォンが雨上がりの空に漂っている。
マーユの部屋の窓は、朝から開いていた。
「ほら見てマーユ、虹が出てるわよ」
「にじ!」
ラホに抱えられたマーユが空を見上げている。
「きれいだねえ」
「うん!」
「マーユが元気になってよかったわ……」
「マーユげんきだよ。すっごく!」
「そうねえ、いつもよりずっと元気みたいね」
「うん!」
「ママも今日は元気よ! 張り切って働かなきゃ。お掃除サボリ気味だったし……」
「マーユおうたうたう」
「そうね、マーユの歌をきくとママ元気出るから、いっぱい歌ってね」
午前中いっぱい、マーユの歌声が聴こえていた。
そして午後。母屋の扉がゆっくりと開いて、マーユの顔が覗く。
マーユはきょろきょろとあたりを見回したあと、扉の隙間から外へ滑り出てきて
「おそと!」
胸を張って得意げに言い放った。
♪いいにおい いいにおい ひかって いいにおい~
彼女は鼻歌を歌いながら、中庭を不規則に歩き回り……納屋の横に来ると、ぱかり、と口を開けた。
「ひかってる!」
……やはり、この子には結界石の光が見えている。くっきり見えているわけではなさそうだが。
マーユは納屋の横に駆け寄り、藁に埋もれる骨の子を見た。
「いいにおい! いいにおいがいた!」
マーユは藁に飛び込んで骨の子に抱きついた。
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……これが、骨の子が一般の人間にはじめて発見された経緯である。
この後、彼は新しい名前を命名されることになるのだが、その詳細は省略しよう。
以上で今回の報告を終わる。次回報告は未定である。