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僕からはいいダシが出るようです  作者: 大穴山熊七郎
第二章 ドナテラ農園の人々
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第3話 野良犬のように

 何が起きたのかは瞬時にわかった。

 あの怪物の肉穴のような口に、取り込まれたんだ。


 僕の全身はべとべとぬとぬとした壁に揉みくちゃにされてる。

 ぱあっ、と胸が光った。結界石が勝手に明るくなった。

 たぶん、僕の危機を察知して。


 もうさすがに、鈍い僕にもわかってた。

 ここまでの旅のあいだ魔物の姿を見なかったのは、結界石のおかげだった。

 退屈に思えた旅は、この石のおかげで魔物から隠れてきたギリギリの旅だったんだ。

 暇つぶしで僕はそれを止めてしまった。だから即座に襲われた。

 体内誘蛾灯だ、なんて思ってた自分を殴ってやりたい。


 結界石の光に照らされた怪物魚の口内は……内臓そのものだった。

 うごめく薄赤い壁が、僕を奥へ奥へ送り込んでいく。

 このまま胃まで行くんだろうか、と思ったとき、僕は見たくなかったものを見た。


 口内のいちばん奥に、破砕用の刃物みたいなのが環状に生えてる。

 短い間隔で、ギャッ、ギャッ、と収縮してる。あそこを通ったものは絶対無事ではすまない。

 この細長い内臓みたいな管は、唇みたいなものなんだ。あれがこの生き物の歯なんだ!


 あそこに巻き込まれたらおしまいだ。必死にもがく。

 でも肉壁が蠕動するたび、少しずつ確実に、僕の身体は刃物の門に近づいてく。


 足のすぐ下に歯が来てる。もう駄目だ。

 もがく。無駄でもなんでも、もがく。

 ギャッ、ギャッ。

 無情な収縮が、僕の右の足首を巻き込んだ。


 バリリッ。

 乾いた音をたてて、刃のような歯が足首を噛み砕く。

 激烈な、激烈な痛みが来た。


 遠いところから、隕石みたいな激痛が落ちてくる。僕の全てにドコンドコンとぶつかって全感覚が震える。

 僕は絶叫した。声は、出なかった。


 続いて、右足の脛が噛み砕かれる。

 全身から胆汁みたいな汗が吹き出す。そんな感覚。いまの僕は汗なんか出ないのに。

 せめて、せめて痛くしないで。死ぬのはいいから。楽に死なせて。

 僕は怪物魚に願う。土下座できたなら土下座してたろう。

 でも肉壁の蠕動と、刃の収縮は止まらない。ギャッ、ギャッ、ギャッ……。


 ……止まった。

 歯が止まった。

 僕を捕えてる管全体が震えはじめた。


 突然、身体がぐにゃりと曲げられる。管全体が曲がったんだ。

 次の瞬間、逆方向に曲げられる。まだ続く激痛のなかで、僕はその曲がりになんとか抵抗する。

 腕を突っ張って粘つく壁とわずかに距離を取る。

 暴れてる。この巨大魚は、暴れてるんだ。


 そして僕の身体は、とつぜん歯の奥から吹き出てきたものに押し流された。

 あ、と思ったときには、空中にいた。


 闇の中を落ちる。巨大魚の吐瀉物といっしょに。

 びしゃり! と水面に叩きつけられた。

 僕には鼻はないけど、あったら鼻が曲がりそうなすごい匂い。酸っぱい腐った匂い。


 目の前で、鱗に覆われた巨体が水面にぶつかりながらのたうっていた。

 原因は、ひとつしか考えられない。僕の足だ。

 そんなにマズかったか。


 でも巨大魚を観察してる余裕なんてない。

 ここは底なし沼だ。泳がないと。泳いで抜け出さないと。

 右足の激痛は続いてるけど、必死に犬かきする。

 すぐそこは岸だ。幸運だった。ここまで橋を走って逃げてきたのは無駄じゃなかった。


 岸辺の土に手が届く。そのまま、匍匐して這い上がる。

 なんて安堵感。地面って素晴らしい。本当に素晴らしい。

 振り向くと、巨大魚はもう静かになってた。

 水面に横たわり、微動だにせずに鱗を月光に光らせている。


 マジか。僕の足は、そこまでの猛毒だったのか。


 でも、巨大魚は少なくとももう一匹いる。

 ここで襲われたら泣くに泣けない。岸辺から離れなくちゃ。

 僕は急いで立とうとして……無理なのを思い出した。

 右足は、脛の半分だけが残ってる。ギザギザの断面から目を背けたくなる。

 下半身の右側が痺れたようになってて、ほとんど動かせなかった。

 痛みはいまは、ずくん、ずくん、と脈打つ鈍痛に変わってる。


 僕は四つん這いになった。

 左足と両腕を使って、ひょこたん、ひょこたん、と歩きだす。

 傷ついた野良犬みたいに。



☆★☆★☆



 巨大魚に襲われた夜、一時間ばかり歩いたあと、僕は力尽きて、草むらの中に倒れて眠った。

 翌日になると、身体に熱を感じるようになってたんだ。


 沼沢地の北は、荒れ地だった。

 たぶん地質が極端に悪いんだろう。植物が少なくて、生えてるのはアザミみたいな草と、触ったら切れそうな葉を持つ雑草っぽい植物だけだ。ところどころに白い幹の木が立ってるけど、見たところほとんど立ち枯れてた。

 空気には泥っぽい匂いが混じってて、気管支の弱い人なら病気になりそうだ。


 僕は一日、草むらの中にいた。

 右足の鈍痛はおさまらず、鼓動してるような重たい痛みが続く。

 冷たい汗をかいてる気がするのに、その汗は身体の外に出ていかない。

 全身が熱いのに、同時にひやりとする寒気がある。

 平衡感覚が怪しくなって、少し身を起こすと視界がぐらつく。


 森から出たばかりの僕を呼んでたなにか。それが、すぐ近くにある気配がしている。

 たしかにある。このあたりにある。でも、はっきりした場所はわからない。

 とってもイライラする。気になってしょうがない。


 歩いてみる。右足がないので、四つん這いの両手に物凄い負担がかかる。

 腕立て伏せしてるのと変わらない。


 その夜。草むらで横たわってうとうとしてるとき、雨が降りはじめた。

 最初のうち、熱い身体に雨の冷たさが気持ちよくて、僕はしばらく無防備に雨に打たれてしまう。

 気がついたら、視界全体がぐにゃぐにゃ歪むぐらい体調が悪化していた。


 なぜ昼間のうちに、無理をしてでも屋根のある場所を探さなかったのか。

 何度も同じ過ちを繰り返してる自分に、心の中で悪態をつく。

 もう身体が熱いんだか冷たいんだかわからない。でもひとつ、たしかな予感がある。

 このまま雨に打たれてたら、たぶん、取り返しがつかない。

 僕の中から、命の力みたいなものが、流れ出てゆきはじめてるのがわかる。

 

 雨宿りができる場所を探して、必死に三本足で歩き始めた。

 当然だけど、今夜も灯なんてなにもない。真っ暗だ。

 あてになる情報は、夜空にかすかに浮かび上がる影だけ。

 結界石の光だけを頼りに、僕は雨の夜をさまよう。


 どのくらい歩いたろう。

 視界の左側に、かすかに光が見えた気がした。

 目をこらすと、建物がある。それも、何棟か固まってるようだ。

 近づいてみると、窓から光が漏れてるのがわかった。

 人だ。人が暮らしてる場所に、辿り着いた。

 屋根がある。雨宿りできる。


 さらに近づく。板塀に囲まれたこれは、たぶん農園だ。

 塀をぐるりと回って、入れる場所を探す。

 門がある。閉まってる。押しても開かない。心張り棒か何か、かませてある。

 困った。

 移動して塀を調べてみる。粗末な作り。どこかに入れる隙間がありそうだ。

 ……見つけた。板が折れてる。

 無理やり身体をねじ込む。ジャジャジャ、と擦過音。

 もう、そろそろ限界だ。息が苦しい。息? 息なんてしてたっけ、僕。


 農園の中に入った。小さな中庭。ボロボロの納屋と家。ちょうど、窓の灯がフッと消えた。

 納屋の横に、長い庇がある。藁が積んである。馬を繋ぐ場所らしいけど、馬はいない。

 庇の下に入って、雨が身体を叩かなくなった瞬間、がくりと力が抜けた。

 藁の山にどさりと身体を投げて、僕は意識を失った。

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