(4)エフィカの“見えざる”大統領
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エフィカに来て4日目。初めての週末を迎えた。今日は土曜日である。
エフィカでは土曜日・日曜日が休みとなる。そのため、全員が屋敷にいた。
昨晩、軍務省に報告を行い、軍務省からの返信を待っている状況であった。
「見えない大統領に国をゆだねるか・・・。なかなかすごいことだよな。自分たちの国の国家元首の姿を見たことがないっていうのも。」
「直接会ったことはないにしても、間接的にその姿を見たことがないっていうのはかなり珍しいのではないでしょうか?」
「世の中にはよ、よくそのルックスでカメラに映るな、と言いたくなる国家元首もいるってのに、この国の大統領はよっぽど顔が悪いのか?」
「ちょっとカリウス、そういう言い方するのはやめなさいよ!でも、もし自分の国の元首が一切姿かたちを見せないような人だと思うと、ちょっといやだよね。」
「そういえば、エフィカは数年前国連を離脱したんじゃなかったか?」
「そうなのか!?」
「ああ、たしかカフスランと反対側の国と石炭の採掘権で争いになってな。エフィカが強引にその採掘権を獲得しようと強硬手段に出たんだ。ちょうど国境地帯だったうえに、当該地域の支配権が明確にされていなかったことが災いして紛争になってしまった。その時に、国連がエフィカを批判する声明を発表したことに反発して離脱してしまったんだ。」
「はぁー。そんなことがあったのか。」
「当時はまだカフスランとは友好関係にあったから、国連から経済制裁を加えるように言われた時には父は大変悩んでいた。」
「難しい判断を迫られたのね・・・。」
「友好関係を選ぶか、国際社会から求められている態度を選ぶのかは本当に大変だった。ただ、父は我が国に現在エフィカは何ら危害を及ぼしていないし、制裁を加える必要のあることもしていないのに、国連から言われたからと言って経済制裁を加えるべきでないといって友好関係を築くことを選んだ。恨みを晴らすような行為をすることを父は良しとしなかった。カフスランは中立の立場を守るべきなんだとよく言っていたよ。」
「でも、その中立を守るのは大変なことよね。どこか強い国の同盟国になれば、その国の強大な力を背景につけることができるけど、中立になった場合それができなくなる。中立の立場に立てるのは、ある意味ではとても強い者でなければならないのかもしれないわね。」
「強い者か。ま、学校とかでも誰か発言力の強いやつが大勢を率いて立場の弱いやつをいじめるのと同じだな。そういう場面で中立を貫くのは、確かに強い人間でないとできないことかもな。」
「そこまで強くないと中立が保てないってのもどうかと思うけどね。」
「中立が必ずしも正しいとは限らないわ。場合によっては中立という立場に逃げてるともいえる。どっちにも加担しないことでその事態から目を背け、受け入れようとしていないとみられる可能性もある。」
「逃げか。そう考えると、場合によってはずるい立場だな。どちらにも加担せずっていうのは。」
「ええ。そうやって逃げるべき時ももちろんあるのだけれどね。」
そんな話をしている時だった。誰かが屋敷の呼び鈴を鳴らした。
「訪問者か?珍しいな」
「だれ?まさか・・・ばれた?」
一瞬で緊張感が走る。
「私が行くわ。」
そう言ってカトリシアが玄関口まで向かった。
門のところに行くと、1人の女性が立っていた。
「どちら様かしら?」
「私は・・・昔サルノ村の村民だったものです・・・村長の知り合いがこの屋敷にいると聞いて・・・」
「何か、村民であったことを証明できるものはあるかしら?」
女性はサルノ村が発行した身分証明書を示した。顔写真を見て、偽造品でないことを確認してから
「事情は中で聴くわ。とりあえず、入ってもらっていいかしら」
と、女性を屋敷の応接間に通した。
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突然の訪問客にメンバーは内心驚いていたが、その驚きを表情に出さないようにしていた。女性はサルノ村の村民であり、かつて副村長を務めていた人物だったからだ。
彼女はカテリ=マリシアと名乗った。
「私たちがここにいるってことは誰から聞いたのかしら?」
「村長からです」
フリメラのことだった。
「フリメラ叔母さんから聞いたのね・・・どういったルートで?」
「村長から電話があったんです。私の携帯電話に。私が住んでいる地域はぎりぎりカフスランからの電波が届くところで、カフスラン時代に買った携帯電話にかかってきたんです。昨日、村長から電話があって、カトリシア様がここに滞在していることを知りました。」
「フリメラ叔母さんは何か言っていた?」
「カトリシア様の力になってほしいとおっしゃっておりました。私が知っているエフィカに関する情報を騎士団に伝えよと、そうおっしゃっておりました。」
「我々が軍務省に送った報告書を受けて、そなたの父上がそう命じたのではないか?」
パルカンがカトリシアに耳打ちする。
「かもしれないわね。お父様ならそうお考えになるかもしれない。」
カトリシアは改めて女性の方を向き、問いかけた。
「経緯はわかったわ。では、あなたが知っているエフィカの情報を教えていただいてもいいかしら?」
「はい。私が知っているのは・・・この本のことです。」
そういって女性が包みから取り出したのは、『黙示録』だった。
「これは・・・今問題になっているあの本じゃねえか!?」
「ええ、そうです。エフィカ国民がおびえている元凶となっている本です。たまたま、ゴミ置き場にあったものを拾いまして・・・そう、2日前のことだったと思います。この本は今発禁となっていて、手に入れることはできませんし、この本の内容を政府は知られないようにしています。私も『黙示録』の存在は知っていたのですが、国がここまでして隠そうとしていることが何なのか、知りたくなって読んだんです。そうしたら、衝撃的なことが書かれていて・・・。もし、この本に書かれていることが本当のことなら、もうこの国はどうなるのか・・・。」
カトリシアは『黙示録』の前書きを読んだ。前書きには、次のように書かれていた。
<この書物に書かれていることは事実であり、真実である。私はエフィカの高官を数十年務めたが、この国が、こんなものに頼るような国になるとは思ってもいなかった。私は、機械に人間が支配されるような世界は望まない。人を支配すべきは感情を持った人であるべきである。私は命を懸けてこの事実を告発する。おそらく、この本が広く出回ることを政府は許さないだろう。しかし、この事実を1人でも多くの国民に知ってもらい、今この国が何をしようとしているのか、そしてそのことが正しいことなのか否かを考えて欲しいと思う。>
「おい、これがもしかして最後の一冊なんじゃないのか?」
「その可能性は高いわね。」
400ページに及ぶこの本は、この国の真の姿を暴いた本、ということだろうか。政府にとって都合の悪い事実満載といったとこだろうか。
「これを私たちに渡すようにフリメラ叔母さんから言われたのね?」
「はい、その通りです。騎士団がこの本の情報を求めていると。」
「なるほど・・・。つまり、軍務省からの返信は、これを読め、ということね。」
「あの、私はどうすればよろしいでしょうか?」
「この本をここに持ってくること以外に軍務省から指示はあったかしら?」
「いいえ、それ以外には何も。」
「ならば、あなたはまた普段通りに過ごして。ここに私たちがいることは絶対に口外しないってことはいいわよね?」
「もちろんです。村長からもそのように言われています。」
「私たちの活動に協力してくれたことに感謝するわ。ありがとう。」
カトリシアはそう言って女性を門まで送った。
「なかなかボリュームのある本だな。これを読破するのは骨が折れそうだな。」
「そうですね、2時間くらいはかかりそうですね。」
「2時間で読み終わるの!?」
「バスティーニは速読家だもん。」
そんな会話をしていたところにカトリシアが戻ってきた。
「カトリシア、これからどうする?」
「どうするも何も、速読家のバスティーニに読んでもらって、この本の内容を把握するのよ。それからどうするかは考えるわ。」
「わかりました、カトリシア嬢。では、今から私はこの本を読みますね。あ、カリウス殿は私に話しかけないでくださいね。」
「おう、わかったわかった」
「執務室をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「借りるも何も、今この屋敷は私たちのものよ。自由に使って。」
「ありがとうございます。では。」
そういってバスティーニは『黙示録』をもって執務室へと向かった。
「それにしても、急展開だな。」
「何か、うまく行き過ぎている気がするね。こんなすぐに情報が集まってくるものかしら・・・。」
あまりにとんとん拍子で事態が展開することに、メンバーは少しばかり違和感を覚えていた。
「そうね・・・みんなはハメられていると思う?」
「わからねえな。こういった任務に就いたことがねえからな。ただ、誰が俺たちをハメるんだ?」
「わからない。上手く行き過ぎている気もするけれど、少し調べればわかる事実でもあるから、あまり神経質にならなくてもいいと思うのだけれど・・・。」
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2時間後、読破したバスティーニが戻ってきた。
「どうだった、バスティーニ?」
「待ってくださいみなさん、順を追って説明しますから。ただ、衝撃的な事実が明らかになっていることだけは予めお断りしておきますね。」
「わかった。では話してちょうだい、バスティーニ。」
以下に記すのは、バスティーニがメンバーに語った『黙示録』の内容である。
黙示録の内容は、噂通り今のエフィカの大統領に関するものだった。
エフィカ政府内部では、20年ほど前から、官僚や大臣による賄賂が横行しており、内閣や高官の任命は賄賂の額や縁などによって決められていた。つまり、政府内部に人脈があり、なおかつお金を持っている人間でない限り出世することができないようになっていたという。そして10年前、現在の大統領の2代前の大統領だったカンテラ大統領が、汚職の疑惑をかけられ辞職した。汚職をリークしたのはマスコミであり、この事実を知った国民は健全な状態で政治が行われることを強く望んだのである。
カンテラ大統領の辞職により実施された大統領選においてテーマとなったのが、政府内部をクリーンにすることだった。各候補が様々な手段での汚職の根絶を訴える中、支持率を伸ばしていったのがIT企業の社長を務めていたエルスタリア氏だった。彼は完全平等な社会の実現を公約に掲げたのである。その内容とは、家柄や所有資産の額に左右されない官僚の任命・貴族などの特権階級の廃止などであった。他の候補が貴族や前大統領とゆかりのある人物であったのに対し、エルスタリア氏は平民出身で過去の大統領や官僚と縁のない人物であったため、国民から熱狂的な支持を集め、選挙で大勝、大統領に就任したのであった。
エルスタリア氏は、就任した翌年から公務員試験導入を実施した。それまでエフィカには公務員試験というものがなく、公務員になれるのは貴族の人間に限定されていた。その規制を完全に撤廃し、試験で一定の合格点を超えれば誰でも公務員になれるシステムを導入したのである。同様のシステムを他の職業にも導入することを氏は奨励し、1年で浸透させた。また、官僚も試験で選抜、官僚に立候補したいものを募り、試験を受けさせ、一定の合格点を満たすと、2次試験を受けさせ、その試験においてトップの成績を納めたものを官僚に任命したのである。こうして、汚職に手を染めることなく出世できるシステムを整えたのである。
しかし、大統領に就任してから4年が経った6年前、エルスタリア氏は憲法の改正を強行的に行った。その改正内容は、現大統領が次期の大統領を指名することができ、その指名を議会はおろか国民も否定することは許されないとしたのである。議会は強く反発したものの、エルスタリア氏は軍を用いて強行的にこの改正を実施した。そして、5年前、氏は大統領を辞任し、次期大統領にベルテシャツァル氏を指名した。
このベルテシャツァル氏は、大統領に指名された時も、また大統領に就任した時も、声明は発表したものの、姿かたちは一切見せなかった。それは国民だけでなく、官僚・諸外国の首相や大統領も含めてであった。ベルテシャツァル氏は新たに「大統領秘書官」という職を作り、秘書官を通じて声明や命令を発表していた。そのため、大統領と直接やりとりをするのはその秘書官だけであり、他の者は大統領と会うことは許されなかったのであった。
この姿かたちを一切見せない大統領に官僚や国民は疑問を感じ、政府に対し一度でいいからその姿を見せることを求めた。しかし大統領は頑なにそれを拒否し続けた。
2年前のある日、筆者はたまたま大統領執務室の前を通りかかった時、執務室の扉が開いていることに気が付いた。筆者自身も大統領がどのような人間でどのような姿なのかに興味があったため、その執務室の中をのぞいたという。そんな筆者の目に飛び込んできた光景は、信じられない光景であった。
執務室の中央には机ではなく、スーパーコンピューターが置かれていた。そして、ディスプレイには大統領に問い合わせたい内容を入力する画面が表示されていたのである。その入力には秘書官による指紋認証とパスワード入力が必要で、他の者がそれを行うことはできないようにされてあった。そう、エフィカはいつの間にか、コンピューターを頂点とする国家へと変貌してしまっていたのである。
その後筆者は真相を追求するための調査を行った。図書館のあらゆる文献を調査し、このコンピューターが制作された経緯や意図を明らかにした。当時はまだ規制がゆるく、情報にたどり着くことができたのだという。
筆者の調査によれば、エルスタリア氏は完全な平等社会を実現するため、「人」による政治ではなく、「機械」による政治を実現する必要があると考えた。人には感情があり、また欲がある。とりわけお金に関する欲望を断ち切ることは困難であり、どうしてもその欲に素直になってしまう。だから、汚職を根絶することができないと考えたのだ。そこで、自身の会社でスーパーコンピューターを開発したのだった。これまでのエフィカの歴史、地理、国家関係などエフィカに関するありとあらゆる情報をインプットし、それらの情報を総合的に判断して答えをはじき出すことのできるスーパーコンピューターを開発した。こうして「機械」が為政者となることで汚職を根絶し、完璧にクリーンな政治を実現したというのである。名前のベルテシャツァルは、旧約聖書のダニエル書に登場する、王のアドバイザーとして活躍したダニエルのヘブライ語名が由来となっている。ダニエルの様に、相談すればなんでも答えてくれる万能の為政者になってほしいという願いを込めての命名だった。
エルスタリア氏は機械による政治を実現するため、憲法を強行的に改正し、何があってもこのスーパーコンピューターが権力を握るように段取りを整えたのである。姿かたちを一切見せないのは、機械が大統領だと知ってしまうと国民や関係国が動揺し、混乱に陥るからだとしている。
エルスタリア氏はある書物の中でこう述べているという。
<国民は政治家に対し、禁欲的に、人間味を捨てて政治に携われという。それができないことが分かっているのにそれを要求する。人権保護団体は「真の平等を実現せよ」という。では国民は、不正の一切ない、本当の意味でのクリーンな政治であり、真の平等が実現された社会を本当に望んでいるのか、私のこの取り組みを通じて考えるべきである。そういう世界がいかに窮屈で、人間味が無くて、耐えられないものなのかを知るべきである。そして、そんな世界が嫌なのなら、今まで自分たちが声高に叫んでいた理想を取り下げ、「ほどよい」クリーンな政治を実現するよう努力すべきである。私はいつか、エフィカの国民がそれに気づき、ベルテシャツァルを破壊する日が来ることを願ってやまない。>
エルスタリア氏は、大統領の座を降りた半年後に、がんで亡くなっている。
筆者はこの本の最後に、こう記している。
<今、エフィカの政治を握っているのは、まさに国を滅ぼしかねない存在である。国民は早くこの存在のことを知り、理想はあくまで理想であることに気付くべきである。もし、エルスタリア氏の望みがかなわなければ、この本はエフィカの滅亡を示唆する本になるであろう。>
「内容は以上です。正直、読んでいて震えが止まりませんでした。もし、これが本当なのだとしたら、恐ろしいことです。」
「そのスーパーコンピューターを作った先代の大統領が意図したこととは相反する方向に、今この国は向かっているってことなの?」
「相反する、というより、今のエフィカの国民を見ていると、この現状に甘んじているように見えますね。完全平等な世界。汚職のない世界。たしかに、それができれば文句はありませんが、やはり人間味がない。それに耐えられない人たちが、カフスランに亡命してきているのでしょう。私も、実際これまでエフィカの職場で働いていて、本当に人間味のない世界だと思いました。人を機械か何かの類だと思っている。これはまだ皆さんには話していませんでしたが、私の職場では、職員のことを名前では呼ばないんです。与えられたデスク番号で呼ばれるのです。デスク番号は変わりませんから、新たに機械に名前を登録したりする必要がないんです。機械主体の世界なんですよ。私はこの本を読んでなるほどと思いました。人間は、適用能力がある。今、エフィカの国民はこの世界に甘んじているんです。甘んじて生きていける人が、この国に残っている。そして、官僚は機械任せにしていれば楽ができる。だから、今でもスーパーコンピューターの大統領を否定しないんですよ。おそらくエルスタリア氏はこの状況に耐えられなくなった人が、国を変えて、よりよい国を再構築してくれると思ったのでしょう。そのために自分が悪者になるのをいとわなかった。しかし、現実はその逆になってしまったのです。みんな楽をして、この現状に甘んじてしまったのですよ。」
「もともとエフィカの国民は合理的な国民性があると言われているわ。エルスタリア氏は、国民がこの状況に耐えられなくなると思っていたのかもしれないけれど、合理的思考を良しとするエフィカの国民は、合理的に政治が行われている現状を見て、それを問題としなかったのかもしれないわ。現状に甘んじている、という表現が正しいかどうかはわからないけれど、氏が行ったことが、反ってエフィカの国民性にあってしまった可能性もあるわね。そうなると、この状態を問題と思わないのも納得だわ。」
「でも、余とそなたが居酒屋に飲みに行ったとき話した男は、今の政治体制をあまりいいように思っておらなかったではないか。」
「ええ、もちろん国民全員が良しとしているわけではないわ。しかし、昨日の話じゃないけど、大多数の人間がこれを良しとした場合、どうなる?少数の意見は押しつぶされ、国全体がその雰囲気に飲み込まれることは容易に想像がつくでしょ?」
「なるほど・・・。悲しい現実だな。」
「でもさカトリシア、この本に書かれていることが果たして真実なのかどうかはわからないのでしょ?それが真実であるかどうかを確かめるのにはどうしたらいいの?」
「それは今の私には思いつかないわ。官僚ですら知らない事実を、私たちが確かめるなんて無理があるわ。これから軍務省と相談して・・・」
「あのさ、皆に俺から提案があるんだけどさ」
カリウスが立ち上がり、カトリシアの発言を遮って言葉を放った。
「どうしたの、カリウス?」
「あのさ・・・俺たちがエフィカの国民の目を覚まさせればいいんじゃないのか?」
「どういうこと?」
全員が、立ち上がったカリウスを見つめた。そして、大きく息を吸ったカリウスは、覚悟を決めたような表情でこう言ったのだった。
「俺たちが、今のエフィカ政府に対して、反乱を起こすんだよ!」