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前篇 ―オレと先輩の7月5日―

「そう言えば、去年も叶えてくれなかったのよねー……」

 その嘆きを聴くのは、これで何度目……何年目だろうか。物憂げに重い溜め息を落とす琴音先輩を見ていると、オレにまでブルーな気分が伝染してきそうだ。

 カントリー調の陽気なBGMの中、どうして男女が揃ってどんよりした空間を作んなきゃいけないんだ。せめてオレだけは通常のテンションを保とうと、ストローの刺さっているアイスレモンティーにガムシロップを0.5個分投入し、やや勢いよく吸ってみた。

「ぐえ」

「何してんのよ、非・甘党のクセに」

「先輩がそんなんじゃ、オレまで憂鬱になりそーです。引きずり込まないでください」

「はぁ、失礼しちゃう。いつまで経っても可愛くない後輩ですこと」

「こんな女子専門店みたいなカフェに付き合ってる時点で、オレめちゃめちゃ良く出来た後輩じゃないですか」

「うっさいわね、自分で言ってる時点でアウトよ」

 左手で頬杖をついていた先輩は、自分用のガムシロップを手に取る。ぺり、とフタを開けると、何とオレのアイスティーにまるまる1つ投入した。

「げっ、何するんですか!? 先輩……マジ、性悪にもほどがありますって……」

「可愛くない後輩はそれでも飲んでたっぷりともだえ苦しむがいいわ」

 ツンと言い放った先輩に引きずられて……というより、明らかに飽和量をオーバーしたアイスティー内の透明な液体の広がり方に、オレはとうとうブルーになった。クソ、何でオレが。

「……そーよね、どーせ夢物語でおとぎ話よね……。アルも、そう思うんでしょう?」

 甘ったるいのは嫌いだがこのアイスティーはオレの金で買ったんだ、大丈夫だ、飲めないこともない……。そんな自己暗示をかけつつガムシロップ1個半が入ったソレにチャレンジしていた俺は、先輩の言葉に対する反応を遅れさせてしまった。

「うげぇ…………え、何スか?」

「……もういい、アルのバカ。ニート。草食」

「とりあえずオレ、現役高校生なんでニートじゃないです」

「家に帰ったらネットしかしないクセに」

「否定はしないスけど」


 そう、何を隠そうオレはオン・オフ切換え型のネット依存症だ。それも重度の。自覚しているだけマシなのかも知れないが。というか、琴音先輩と初めて話したのも、ネット上だった。先輩がオレを『アル』なんて横文字で呼ぶのも、『アルタ』というハンドルネームを知っているからだ。

 『ベガ』と名乗っていた先輩とは、中1の時にとある掲示板で出会った。仲良くなって色々話してみると近くに住んでいることが分かり、そして……オレが中2になる少し前にはもう、お互いの顔を知る仲になっていた。

 初めてオフ会をした時は、本当にビックリした。『アルタ』に向けて色々な相談をしていた『ベガ』さんは、思っていた以上のルックスの持ち主で、レベルの高さに圧倒された。細く長く白い手足と、栗色に染められたセミロングのストレートヘア、目鼻立ちは適度にくっきりとしていて、当初は隣を歩いていいのかと尻込みしたくらいだ。

 しかし今はこの扱い。オレの奥手な性格が琴音先輩の女王様気質を引き出した結果、自分は『振り回される後輩』になり下がった。周りのヤツは先輩を見るたびに羨んでいるらしいが、正直な話……5年も交流してるのに男子が夢見る展開はただの一度も経験してない。


「……で、何怒ってんですか?」

「アル……あんたね、私と知り合って5年でしょ? 察して」

「その驚異的な無茶ぶりには慣れましたけど、分かりませ……って、ま、待ってくださいすいませんでした!!」

 オレが喋ってる途中で、先輩はまたも新しいガムシロップを開けようとする。甘党な自分のために2つもらっていたガムシロップを、オレへの嫌がらせに注ぎこむつもりらしい。そこはさすがに察せたので、アイスティーを守りながら謝った。

「じゃあ察して」

「…………明後日、七夕ですね」

「正解。分かってるなら最初から答えなさいよね」

 いや、今考えたんですって。半分開いたガムシロップに脅されたことでこの数秒間にオレの脳みそがどれだけ回転したか、マジ見ていただきたいぐらいだったんですけど。

 ……とは言えないから、「すいません」と返す。

「はぁ~あ、今年は叶えて欲しいんだけどなぁ……」

「今年は、って……何か理由あるんですか?」

「……カンの悪い後輩ね。今年は受験でしょ? つらい時、支えてくれる存在が欲しいの」

「支えてくれる存在って……要は、毎年恒例のお願い事じゃないですか」

「そーよ、悪かったわね、毎年恒例で」

 ズズーッとアイスティーを勢いよく吸った琴音先輩は、また重い溜め息をついて肩を落とした。

「はぁ……やっぱり諦めようかな、今年」

「え」

「だってさ、受験生だし。色恋云々言ってる場合じゃないのよね、多分」

 去年も「そろそろ諦めようか」的なことは言っていたが、今年は雰囲気が違う。どうやら真面目に諦めかけているらしい。

 そりゃあ、普通に考えて『七夕の日に願い事が叶うなら、運命の人にも出会えるだろう』なんていう伝説に(のっと)った仮説はアホらしい。イマドキの一般的な高3女子は星に願うより先に、自分でクエストする肉食系だ。けど琴音先輩は、オレと知り合う以前(確か小5の七夕って言ってた気がする)から、毎年短冊に書く言葉を変えていない。


「……書いた方がいいと、思いますけど」

「何でよ。『叶わなかった時はどうぞ僕に八つ当たりしてください』ってこと? まぁ、優しい後輩を持てて嬉しいわ」

「それは嫌なんで丁重にお断りさせていただきます。……ただ、その……折角毎年やってきたこと、受験とかいう理由でやめるのは勿体ないなって、思ったんで」

「アル……」

 琴音先輩がボーッとオレを見つめるもんだから、ほんの少しだけ照れくさくなって俯いた。ただ俯いただけじゃ目を逸らしたのがバレるから、まぁバレてんだろうけど、とりあえずその場しのぎでアイスティーをすする。

「うげぇっ」

「ふふっ、ばーか」

「いや、先輩のせいですよね、コレ……」

 無理だ。すでにこのアイスティーはオレの味覚許容範囲を超えてしまっている。さようなら、オレの金。無駄に使って悪かった。つーかぶっちゃけオレに非はないんだが。

 240円を惜しんでいるオレの前で、琴音先輩がカタッと静かに立ち上がる。

「出よ、アル」

「あ、はい」

 いつもより少しだけ柔らかい表情を見せられ、オレは思わず素直に返事をしてしまった。次の瞬間、まるで従者みたいじゃないかと後悔したが、時すでに遅く、琴音先輩はどこぞの女王様のごとく満足気に笑っていた。


「ねぇ、」

「うわっ……何スか、急に」

 先輩を家まで送る途中で、オレはぐいっと腕を引かれ、立ち止まらされた。ちなみにこの帰宅エスコートは、もはや暗黙のルールとなっている。

 先輩の視線が向いていたのは、オレの目より、額より、もう少し上。オレの視線とは交わらない。

「うーん……やっぱりアル、背ぇ伸びたね。初オフ会の時は私の方が高かったのに」

「そんなもんでしょ、男子は伸びるの遅いんで」

「そうねー……あーあ、悔しいな」

 くるりと背を向け大きめの声でそう言ったあと、琴音先輩は「今日はこの辺でいいよ、また今度ね」と振り向いて微笑んだ。

 あの人は、一体どこまでズルいことをすれば気が済むんだろう。男子が夢見る展開なんて無くたっていい。オレは、『ベガ』が琴音先輩だったっていうその事実だけで……――

「…………オレが、なれたらな……」

 先輩が曲がっていった角を見つめ、小さくこぼす。肝心なことを何一つ口にできないトコは、ちっとも直ってない。オフ会の度にからかわれたことで、オレはそれなりのリズムで喋れるようになった。ネットの世界でしか発言できなかったオレを変えてくれたのは、先輩だ。髪型を変えればスッキリするよ、とアドバイスしてくれたのも、気乗りしないなら部活なんてやめちゃえ、と味方してくれたのも、先輩だった。

 それなのにオレは、先輩の願い事をずっと前から知ってるクセに、何もできないまま。


 今年の七夕は、明後日だというのに。


「…………ま、」

 叫ぼうと思って大口空けて空気を取り込んだのに、何故か、先に足が動いた。先輩の家は、あの角を曲がって数メートル直進した場所。角を曲がったオレの目に、門に手をかける先輩が映った。

「せ、先輩っ……琴音先輩!!」

 こんなに全速力で走ったの、いつ以来だ……? とりあえず、息がすごく苦しくて、酸素ばかり求めるからだが深い呼吸ばかり促し、音声を発させてくれない。

「どうしたのよ、大丈夫? 私、何か落とした?」

「ち、が……っス……」

「もー、アルってば情けないわねぇ。日頃の運動不足が祟ったのよ」

 ふぅ、と溜め息をついてオレの背中をさする先輩。細い指の感触が冷涼感に変わり、落ち着きかけた心臓の鼓動が再び速度を増していく。

「へ、平気です……マジ、すいません」

「それで? 一体どうしたのよ」

「いや、そ、それが……えっと、ですね……」

「あと5秒で」

「だ、だからそのっ……」

 少しだけ肩を寄せムッとする先輩を前にして、正気に戻った。オレは、何を言うつもりなんだろうか。ここは現実世界なんだ。ネットじゃない。オレが……オレなんかが、一体何を期待してるんだ。

「……3、2、1、」

「おっ、オレの! 友達、とか……紹介、しましょうか?」

 腕時計の針を見てカウントしていた琴音先輩は、オレに視線を向けてぽかんとした。咄嗟に変えてしまった発言内容。数秒の沈黙。全速力で乱れた鼓動は、未だ落ち着きを取り戻さない。

 真直ぐに向けられる視線の意味が分からずに、堪え切れなくなったオレは、先輩から目を逸らしながら再び口を開いた。

「あー、えっと……先輩の運命の人、探す手伝いとかできたらって、思ったんで……」

「……随分大口叩くようになったのねー、アル」

「へ?」

 その返事に、というより声色に違和感を覚え、逸らしていた視線を戻す。と、今度は琴音先輩が目線を落としていた。そのせいか、いつもキラキラと光を反射する黒い瞳に、影が差しているように見える。けれどそれは一瞬で、先輩はクスリと笑って皮肉を言った。

「当人の私がずっと探してても見つからないんだもの、アルが気まぐれで手伝ったって変わらないわよ。それに……」

「……先輩?」

「何でもない! じゃーまたね! 手伝いたいって気持ちは一応受け取っとくわ。ありがと、アル」

 くるっと方向転換し、先輩は家に入ってしまった。オレはただ、その場に立ち尽くす。

 何か、納得いかない。先輩もオレも、いつも通りのやり取りをしていたハズなのに……どうして。

 先輩は、笑ってた。いつもみたいに、オレをからかって。上から目線な返しをして。楽しそうに……

 ……楽しそう、に?


「って、オレが考えても何にもならないよな……」

 どこまで使えないヤツなんだろう、オレ。出来ることはただ、先輩の愚痴を聞くだけ。オレの方からもっと、何か言葉をかけることができたなら……けど、肝心なことが何一つ言えないオレじゃ、先輩に話しかけることすらできない。せめて、ネットの中なら……

「そうだ、ネットだ」

 オレはバッと向きを変え、自分の家へ急いだ。琴音先輩とは、毎日のようにチャットでやり取りしてる。特に七夕が近くなると、先輩は「理想の運命の人像」について長々と語る。毎年そうだったじゃないか。家に着いたらパソコン開いて、お気に入りからいつものチャットに飛ぼう。オレは先輩に何も言えないけど、『アルタ』なら『ベガ』さんに伝えられる。

 通常は30分かかる道のりを15分ちょいで制し、オレはパソコンの前で待機した。喫茶店にて拷問のように甘ったるいのを味わわされた舌を癒すように、渋い緑茶を飲む。ああ、やっぱこっちのが落ち着く。

 懐かしさを感じる温かい苦味を喉に通しながら、漫画を読みつつ待機し続けた。


 先輩は、来なかった。

読破ありがとうございます。後編は明日。

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