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相羽総合サービス業務日誌3  作者: 笠平
プロジェクトマネージャー・小畑憲 篇
6/11

Ⅵ・女のたたかい、男のとまどい

 翌朝、沙希は起床をすると普段の倍の速度で準備を済ませる。

 元来彼女はガサツな性格ではあるが、入念な化粧とスーツの選択、またその色に合わせてピアスやリングなどの装飾品を小箱から取り出していく。3年間の社会人経験が曲がりなりにも女性としての最低限度の身だしなみを習慣づけていた。

 特に在籍する会社は同い年、25歳の女性が経営者である。何かと顧客からも比較されながら叩き上げられてきた。外見だけは立派な淑女として完成されつつある。


「よっし、こんなものかな」


 鏡台をじっと見つめること10秒、準備の完了を少しオーバーアクションな頷きで表現した。そして一晩溜め込んだ強い決意とともに部屋を飛び出す。

 向かう先は自宅を出て、徒歩12歩の位置にある。

 これまで何千回と出入りをしている第2の自宅と呼んでも支障はない隣家、小畑家の扉を静かに開いた。


「おはよーございますー」

「あら、…………えっと、サキちゃんも早いわね」

「いえいえ、おばさん程じゃないですよ~」

「……あ、いや~、そうじゃなくて」


 出迎えた小畑母は心なしか歯切れ悪く気まずそうな顔を浮かべているが、今の沙希にはその些細な変化に気付く余裕は全くない。


「すいません、あんまり時間無いんで勝手に上がらせてもらいますね」 

「……え、……えーと、そうねぇ」


 沙希は階段を駆け上がり、小畑の部屋の前で大きく深呼吸する。


(……先ずは頭に一度強い衝撃を与える。余計な事を考えるなわたし。先手必勝よ、思いっきり殴り飛ばして記憶と人格を呼び覚ます!)


 音を立てないよう静かにゆっくりとドアノブを回す。

 鍵はかけていないようだ。

 

(先ずは第一関門突破だ。いくら幼馴染と言え流石に叩き壊すのも申し訳ないしね)


 右手に力を籠め、握り拳をつくる。

 無断でこの部屋に入るのは高校生の頃以来約十年振りであった。

 緊張で汗ばみ、照れで赤らむ顔をパシリと軽く叩き、意識を切り替える。

沙希はそのままドアを開いた。


 眩しい朝日が逆光で差し込む。

 強い光に視界が閉じる。

 僅かなタイムロスも勿体ない、その数秒の間にターゲットのベッドへ向け戦闘態勢を整える。

 

 視界が回復した。

 もう一歩足を踏み込み、狙っていた位置を凝視するがもぬけの殻だった。

 ベッドの上に人影は見られない。


 足を更にもう一歩踏み込む。

 斜め前方に人の気配を感じた。


「ちっ、起きてやがったか……先手必しょ――って、え?!」


 しかし予想外の出来事が起きていた。

 沙希は目の前の光景に対して、自らの思考が追いつかないでいた。

 想像もつかない、考えもしなかった光景が目の前に広がっている。

 それは沙希にとってはあまりに非情な現実を物語っている。

 自然と足が止まる。

 一瞬で身体全体の全ての力が抜けていった。

 意識する間もなく目には大粒の涙が溜まっていき、顔面が蒼白になっていく。

 

 しかし沙希も弱い女ではない。


 その3秒後にはより強い怒りが身体全体を巡っていく。

 真っ赤に茹で上がる体温。頭からは湯気が出る勢いだ。

 震える両腕。さっきの何倍もの力が巡っている。


 沙希が目にした光景。


 それは――

 

 幼馴染み(♂)が間抜け面で大きく口を開き止まっている。

 親友(♀)が弁当箱からお手製の玉子焼きを箸で差し出しながら迫っている。

 さながら新婚夫婦でも希少な、ギャルゲのような男女の構図だった。


「朝っぱらから何しとんじゃこのアホンダラーー!」


 卵焼きに顔が向いていた小畑の頬は、都合よく沙希のまっ正面へ突き出されていた。

 絶好のポジションで大振りの正拳突きが繰り出される。


 予想外のアクシデントの中、沙希の第一ミッションは当初の決意と違った意味を伴って完了した。



◇◆◆◆◆◆



「さて。説明しなさい」


 沙希は音を立てながらクッションに座り込む。そのまま2人の男女。小畑と麻衣子に向き合い、その光景の意味を尋ねた。


「いてててて。えーと、朝食を食べていたんだけど……」


 沙希は小畑を鬼のような形相で睨み付け、もう一度拳を力強く握った。


「まぁまぁ、先輩。先輩は何もしゃべらない方が良さそうですわぁ。ここはワタクシからお話ししますので、申し訳ありませんがしばらく黙っていてくださいませぇ」

「で、麻衣子、どういうこと?」

「沙希さん、見てわかりませんかぁ?」


 一見、いつもの昼休みの給湯室と何ら変わらぬ2人の表情、ゆったりとしたテンポの掛け合いに見える。だが両者のその眼に光は灯っていない。

 小畑はこれまで、言葉一つでここまで氷点下に凍える環境に身を置いた経験はなかった。一瞬で自らの出る幕ではない事を悟る。


「アンタがそこまで誰でもいい節操なしだったとは知らなかったわ、どうやら見誤っていたようね。ライバルと思ってた自分が情けないわ」

「何を仰っているのか分かりかねますわぁ。ワタクシは幼い頃からずーっと一途ですよぉ」

「節操なしだけじゃなく目が節穴のようね」

「嫉妬ですかぁ、残念です。祝福いただけないのであれば素直に引き下がっていただけませんかぁ?」

「挑発ならもっとうまくやりなさい。分かっているんでしょ、その男の正体」

「ワタクシも失望です。たかが記憶障害、仕種の違い、言動の違いだけでそんなオカルト染みたことを言うだなんて。やっぱり短絡的な沙希さんには先輩の魅力がちっとも分かっていませんでしたのねぇ」

「……ッ!」

「別人? 憑依? ばかげた話です。ただの負け惜しみにしか聞こえませんわぁ」

「…………そ、それは」

「確かに一番近くにいたのは沙希さん、貴方かもしれません。だけど本当に彼を愛していたのはワタクシの方だった、それだけのことではありませんかねぇ」

「…………そ、そんなわけ」

「ありますわぁ。『いつもと違う』、ただそれだけで幼稚染みたあり得ない発想しか出来なかったのがその証拠ですよぉ」


 麻衣子はそう言い、小畑の背後に回りその腰に腕を回す。


「沙希さん、この傷跡覚えていますよね?」

「……忘れられるわけ……ないでしょう」


 麻衣子は小畑のシャツを捲り、右脇腹の大きい縫い傷の跡を見せる。

 沙希は小畑が恋人のように密着され、操り人形のようになすがままにされている状況に強い妬みを覚えるが、その懐かしき幼き日の傷跡に目を奪われ何も言えなくなる。


 麻衣子はそのまま背後から小畑の右手首を優しく掴み右腕を沙希の前に持ち上げた。掴んだ手首の手をそっと外し、そのまま閉じた掌を優しく開き、沙希の眼前に近付ける。


「この大きな手。ワタクシたちは何度この手に救われてきましたか?」


 麻衣子の細い指が小畑の太い指に絡みつく。

 その大きな掌、空気を通し伝わるその温もりは確かに小畑のものである、沙希は奥歯を強く噛み締めた。


 先程から小畑の背中に押し付けられる2つの大きな柔らかい膨らみの感触は、周囲を流れる緊迫した感情の重みに押しつぶされ彼の意識の外にあった。


 沙希の内面に燻っていた迷いは、彼の身体に刻み込まれた過去の記憶と共に吹き飛ばされ、今はただ悔しさで押し潰されている。その温もりに密着できる安心感、喜びは本来自分だけが独占すべきものだったはずだ。何故、些細な変化に気を取られてしまったのか。何故こんな事になってしまったのかと。


「沙希さん。分かっていただけましたか? 記憶障害については来月までにワタクシがフォローしておきますので仕事に支障は与えません。ワタクシと先輩との思い出についてはこれから一から築き直していきます。これからも友人として、幼馴染みの恋人として、同僚として、宜しくお付き合いお願い致しますわぁ」


 沙希は目を真っ赤にして小さく首を縦に振ると、そのまま部屋を後にした。

 階段下で心配そうにオロオロしていた小畑母に軽く頭を下げる。

 小畑母は全てを理解したかのように、ハンカチを差し出し小さくゴメンなさいと呟いた。

 小畑母にとって沙希も麻衣子も娘も同然の存在である、いずれはそのどちらかがこうなることは分かっていたし、その心情は同性として理解もできていた。


「会社……行けそうかい?」

「大丈夫です……化粧直す時間も、会社であのコにあっていつも通りでいられるだけの気持ちの整理できる時間もまだあるから」

「そっか、やっぱりサキちゃんは強いね」

「当然です。それにまだ諦めてもいませんし」

「ぁはは、それについては私からは何とも言えないけど……まったくウチのバカ息子は幸せもんだよ」


 沙希は軽く微笑むと駅へと歩いて行った。

 早朝で人通りも少ない時間帯である。目を腫らしたOLに気を留める通行人の姿はなかった。



◆◇◆◆◆◆



「本当に良かったのかな、これで……」


 過ぎ去った沙希の背中がいつまでも目に焼き付いている小畑。緊張感から解放された瞬間、代わりに罪悪感に苛まれていく。


「ケインさんっ!」

「……マイ?」


 背後から抱きしめられる力が一層増していった。


「貴方は沙希さんの事をどれだけ知っているんですかっ?」

「いや、何も……知らない」

「ワタクシの事は?」

「何度も背中を預け合い……戦い抜いてきた大切な存在だ。知らないことの方が少ない」

「そんな貴方が、今のやり取りは間違いだったとでも言うのですか? 別人ですよと、彼女に認めさせるのですか? 何も知らない彼女を偽りの感情で抱きしめるんですかっ?」

「……それは……ないよ」


 麻衣子は小畑の正面に立ち、真っ直ぐにその顔と顔を向き合わせる。


「ならば、ならばワタクシだけ見ていてください。それでいいんですよぉ」

「……うん。そうだよね、ありがとう、マイ」


 小畑はそっと麻衣子を抱き寄せながらお礼を告げた。

 その時の小畑はまだ気付けていなかった、今の麻衣子の内面が先ほどの沙希以上に辛く悲しい気持ちで満たされていたことに。



 麻衣子はそれから毎朝毎晩小畑の元を訪れた。

 小畑は麻衣子に過去の共通の思い出を楽しそうに伝え、麻衣子も静かに微笑みながら相槌を打っていく。

 麻衣子は一般常識を始め、日常生活に必要不可欠な情報、雑学を小畑に教えていった。

 相羽社長の言う、記憶の統合は未だ兆候が見られず、小畑の過去については麻衣子もあまり口にすることがなかった。

 あれ以来、小畑と沙希は顔を合わせていない。

 沙希と麻衣子も会社においては最低限のやり取りしか交わしていなかった。



 そして数週間が経過した――


 2013年4月1日 月曜日。

 株式会社相羽総合サービスは平成25年度のスタートを切る。

 その日、新たに新卒4名の入社と併せ、小畑も中途入社する。

 入社式が会社近くの貸会場で執り行われる事となっており一部新設支社所属社員や例外を除き総勢90名近くの社員が集まるという。小畑にも事前案内葉書が届いていた。


 その日、小畑は因縁の再会を果たすこととなる。

修羅場!

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