Ⅲ・仕事を求めて右往左往
ケイン、いやこの世界では小畑となった男は食後すぐに部屋へ戻り、外出する準備をする。
着替える為にクローゼットを開くが、その中にある衣服の多さに戸惑いが隠せなかった。
(これが上着か、こっちの棚が新しいモノかな、丁寧に積まれているし。……うわ、なんだろうこの服……女の子の顔? これが普通なのかな?)
小畑は、転生前の青年が大事に収集保存していた緑髪ボーカロイドがプリントされている限定品のシャツを惜しげもなく取り出し着込んだ。
もし記憶が僅かでも頭の中に残っていたら血の涙を流していたに違いない。
準備を終え、玄関へ向かうと母親が目を真っ赤にして立っていた。
「ケン……本当に大丈夫? いきなり無理しなくていいのよ?」
「大丈夫。お小遣いも貰ったし。親にお金を貰ったの初めてだから嬉しかったよ」
「そりゃアンタいっつも勝手に通販で買い物したのを私に払わせてるからでしょう」
「……はは、じゃあ行ってきます」
「予定は決めてるの? 暗くならないうちに帰ってきなさいね」
「うん。とりあえず仕事を探してみるよ」
「…………ぇ」
「じゃあ、いってきます」
「……………………ほ、本当にどうしちゃったのかしら?」
◇◆◆◆◆◆
小畑は状況を整理してみる。
まだ生きている事、そして突然の10年もの成長。名前や両親の変化。
今まさに目の前に広がる、たった10年ではありえない生活文化の違い。
分からないことだらけだが、一つだけ言えるのはここが死の恐怖が身近に存在しない平和な世界であることだということだ。
(とりあえず何が出来るかだな。戦時中……という雰囲気でもないし、傭兵なんかは需要なさそうだ。とりあえず商人や職人に弟子入りするのが無難かな。こんな時に交渉が得意なサキがいればなぁ)
小畑はかつての仲間内での会話を思い出す。
『ねぇ、もし平和になったら何がやりたい?』
『そんなこと急に言われても……今の僕は魔王を倒すことだけで頭が一杯だよ』
『だめですよぉケインさん。ワタクシと子供たちを養うためにも亭主には将来設計をしっかりしてもらいませんとぉ』
『なんでアンタがケインの奥さんなのよ、冗談じゃないっての!』
『んー……でも貴女は世界中飛び回る行商人になられるんですよねぇ?』
『え、ええ、そうよ』
『だったらケインさんはワタクシが支えるしかないですわよねぇ』
『ぃゃ、だからケインは……わた………いじなパート………んだし……』
『え、聞こえませんよぉ?』
『あぁ、もーなんでもないっての!』
『がはははは、ご馳走様。そうだな、俺はアイツの船で大海原に飛び出すかな』
『……ライト』
『あー、それでもお前との決着が先だからな。首を洗って待ってろよ!』
(……戦争がない世界。こんな形で見られるなんてな)
小畑は街中を見て回った。
手入れが行き届いた公園には鳩の群れが集まっている。
ベンチでは老人たちが談笑している。
しばらく歩き、住宅地が続く。どの家も小畑の目には個性的かつ機能的に映った。
そして部屋から見えた高い建物に辿り着く。
しばらく眺めているが、出入りをするのは普通の家族ばかりである。城ではなく、アパートのようなものだと判明した。
また、朝からずっと気になっていた猛スピードで通り過ぎる乗り込み型の荷台のような物は人々の移動手段らしい。
普通に歩く道には、人と荷台の境界線が精密な線で分かれており、赤と緑のランプによって時間差で整理されていることに気付く。
そして人の流れが活発な商店街に辿り着く頃には太陽も真上に上っていた。
商店街のアーケードにあちこちの店から入り良い香りが漂ってくる。
(もう昼時か。この渡された5万円……桁が大きいけどどのくらいの価値なんだろう。まぁ親が子供に渡す額だ、常識的に考えてパン1個や2個分ってとこか)
小畑はパン屋へ入り、コッペパンをレジへ運んだ。
「にーちゃん、若いのにえらく小食だねぇ」
「いえ、お恥ずかしい話、働いていないので持ち合わせがそんなにないものですから」
「なんだー、だったらその手持ちの小銭だけでいいよ、コレも持っていきな」
パン屋の主人は、レジ袋にコッペパンとありったけの総菜パンやサンドイッチを詰め込む。牛乳もおまけしてくれた。
「え、こんなに……本当にいいんですか?」
「ああ。若いうちはしっかり食わねーとな。その代わり早く仕事に就けよ」
「も、勿論です。ありがとうございます、このご恩は決して忘れません。それでは少ないですが5枚ほどここに置いておきます」
「ん……置いとけ置いとけ。帳簿つけんの面倒だしカミさん帰ってくるまで俺は何も見なかったことにしてやる」
「あ、ありがとうございます!」
空腹だったのでパンが大量に手に入ったのはありがたかった。
小畑は何度もお礼を言いながら店を出た。
「5枚か、まぁパチンコに負けて残金500円ってとこかね。まだまだ若いんだ、頑張れよにーちゃん……ってオイこれ……」
パン屋の主人は小畑を見送ったあと、レジに置かれた1万円札5枚に気付く。
慌てて後を追いかけようとするも青年の姿はもう既になかった。
「やばい……ぜったいカミさんに叱られる。一体なんの冗談なんだ、あの漫画シャツ着たにーちゃん……」
◆◇◆◆◆◆
同時刻。
東京都豊島区 相羽総合サービス東京本社 給湯室。
昼休みの終わりに弁当箱を洗いながら会話をする2人の女子社員がいた。
「ねえ麻衣子、聞いた?」
「どうしましたかぁ、沙希さん」
「わたしとアンタ……それと第2営業の森山さんの3人、来年度からの新プロジェクトに異動ですって。さっき通達があった夕方の緊急ミーティングもその件だってさ」
「あらあらそれはビックリですねぇ。えぇとぉ森山さんってあの昨年結婚されたばかりなのに奥さんに尻に敷かれてると有名な方ですよねぇ?」
「そう、その森山さんね。なんでも社長自ら管轄するらしいわ」
「えーと、それは一大事なんですねぇ。とすると、やはりワタクシたちのリーダーは営業畑の方になるんでしょうかぁ」
「それはまだ分かんないけど、ベテランの森山さんですらわたしたちと同じメンバーの立場ですから、きっと凄腕よね。今の営業の中だと伊上本部長の秘蔵っコの小野寺くんとかかな?」
「いえいえー、小野寺新主任殿は来月からしばらく長期出張らしいですよぉ」
「えぇマジで? だとすると目ぼしいのはマーケの三井さんくらいしかいないよ?」
「マーケティング部もこれ以上人数減らされたら回らなくなっちゃいますぅ」
「うーん、誰になるんだろう……ま、まぁ、どちらにせよ夕方には分かるでしょうね」
これ以上考えるよりは時間を待てば良い、そう結論付けた。
昼時のまったりした時間。そしていつものやり取り。
2人はいつもと変わらぬ話題で昼休みを締め括る。
「沙希さん。先輩は今日も相変わらずですかぁ?」
「みたいね。一体何年殻に閉じこもってるんだか、アイツは」
「心配ですよぉ。親御さんも大変でしょうねぇ」
「うんー、今日は珍しく朝からお隣が騒がしかったし、またお父さんと喧嘩でもしてたんでしょうね」
「早く……早く出てこないとワタクシたちオバサンになってしまいますわぁ」
「ふ、ふん。アンタは気にしないでとっとと他の相手見つけなさいっての」
「……沙希さん」
「なによ?」
「抜け駆けはダメですよぉ。一緒に待ちましょう、ねぇ」
「…………まったくあのバカは」
◆◆◇◆◆◆
「さて。腹ごしらえも済んだんだ。仕事仕事、と」
昼過ぎ、満腹になった小畑はその足で商店街の聞き込みに回る。
しかしどこも回答は同じだった。
『バイトは募集していない』、『じじばばだけで充分回せてる』、『バイトは学生だけで間に合っているよ』、『ハツネミクシャツでバイト面接って舐めとんのかコラ』、『ハローワークは行った?』などである。
後半になるにつれ小畑には意味不明だ。
しかし収穫はあった。
バイトという制度がこの街には存在しいるのだ。
かつて彼は、アルバディアの学生が写植や書籍商の仕事を短期的に請け負い収入を得ている現場を見たことがあり、それと似たようなものだと感じた。
ギルドの徒弟制度とは違い非常勤ではあるものの収入は得られるらしい。
小畑はバイトというキーワードを軸に一件一件店を回ることにした。
いくら暮らしていけるといっても、何もせずに家に閉じこもる生活は到底耐えられそうにない。
日が暮れるまでに両親を安心させてやろうと奮起する。
粘り強く八百屋、魚屋、焼き鳥屋、本屋、電気屋、様々な店を巡っていく。
しかし返ってくる回答はどこも似たようなモノばかりであった。
途方に暮れかけたその時だった。
一台の自動車が小畑の正面に停車した。
降りてきた長身で整った顔立ちの女性が迷いもなく近づいてくる。
女性は小畑を見下ろすように声をかけてきた。
「ふ、流石は英雄殿、大した根気じゃないか。見知らぬ世界で早速営業活動真っ最中とは流石に恐れ入ったよ。スカウトし甲斐があるというものだ」
「あ、あなたは……」