エピソード5 『狩人ふたり』
森の入り口に、大小ふたつの人影があった。
大きな影は、兵士だった。
手には槍を持ち、革の鎧を身にまとい、腰には剣を差している。
口髭を生やしたやや年嵩の男で、隣に立つ小さな人影に、不快そうに目をやった。
小さな影は、膝下まである黒い頭巾付きの外套を、頭からすっぽりと被り、手には背丈よりも頭ひとつぶん、大きな杖を持っている。
小さな影はその場にしゃがみ込むと、這わすような視線を地面に投げた。
血の跡が、短い草の上に点々と続いている。
兵士の男が背後から声をかけた。
「どうだ、なにか分かるか」
急かすようなその口調には、どこか見下すような、横柄で権高な匂いがする。
小さな影は、草に落ちた血の跡に手を伸ばし、そっと指先で触れた。
乾いた血が薄く剥がれ、黒い粉となって指に残る。
確かめるように指先を擦り合わせ、視線をあげた。
血の跡は、森のなかへと続いている。
いや――森のなかから続いていた。
問いに答えようとしないことに痺れを切らした兵士が口を開く。
「おい、お前、なんとか――」
兵士の言葉を遮るように、人影は、杖に寄りかかってつと立ち上がると、兵士に向き直り、無造作に頭巾を下ろした。
その下から現れたのは、長く美しい金の髪と、澄んだ碧い瞳をした、まだあどけなさの残る、美しい少女だった。
「突然なにかに襲われた、と言った男は、それは確かに狼や熊ではないと言ったのね?」
「あ……ああ、そうだ」
「そしてほどなく死んだ。それほどの深傷にも見えなかったのに……」
少女は顎に手を当て考え込んだ。
そして――
「案内はここまででいいわ。あとはあたしの仕事だから」
そう言って、少女――アリスはひとり、血の跡を追いかけて、森のなかへと消えていった。
アリスはゆっくりと、血の跡を遡るように、森を奥へと進んでいく。
足跡は、木々の間を縫うように残されていた。
葉や下生え、あるいは地面に飛び散るように残された血の跡から、襲われながらもふりほどき、抵抗したことが窺える。
残された血の量が、深傷ではないがかすり傷ともいえないことを示していた。
折れた枝の高さや、踏まれた草の間隔から、顔が枝に叩かれること気にする余裕もなく、急いで走り抜けようとしたらしい。
アリスは慎重に痕跡を辿りながら、周囲を確かめるようにゆっくりと歩いた。
しばらく遡ると、やがて野営の痕跡を発見した。
ここから森の入り口まで足跡が続いていることから、ここで野営をしているときに襲われたのだろう。
そう思ったとき、ふと、違和感に気づく。
「……『獣』の足跡が……ない?」
その言葉の通り、人間が何かから逃げた痕跡はあるが、それを追った『獣』の足跡が見当たらない。
アリスは立ち止まり、改めて周囲を見回した。
そのとき、不意に背後から声がかかった。
「――上だ」
声のした方を振り返ると、ひとりの男が無造作に下生えを蹴りながら近づいてくるのが見えた。
四十がらみのがっしりした体格の男で、日に焼けた浅黒い肌に、無精髭を生やしている。その背中に、アリスと同じく、巨大な剣を背負っていた。
「よう、まだ生きてたか、ひよっこ」
「……ゲーアノート」
アリスは眉根を寄せた。
その響きには、隠そうともしない嫌悪感があった。
「へっ、相変わらず無愛想なガキだな」
ゲーアノートはそう言って片方の唇の端を持ち上げる。
「……どうしてここに」
「どうしてって、俺が森林浴を楽しむような奴に見えるか? お前と同じ獲物を追ってんだよ」
「……どういうこと?」
怪訝そうに眉根を寄せるアリスに、ゲーアノートは軽薄な笑みを浮かべた。
「町の酒場でな、『獣』退治の依頼があるって聞いたんだよ。報酬もそこそこ良いってんで、依頼主のところへ行ったら――」
ゲーアノートは、くつくつと笑い、面白そうにアリスを見た。
「すでに女の『狩人』に依頼したって言われたのさ」
アリスは、眉をひそめた。
「……それで?」
「依頼主はな、報酬は増やせないが、腕の立つ者は何人いてもいいからって、場所を教えてくれた」
ゲーアノートは、アリスの反応を窺うように、言葉を続ける。
「女の『狩人』なんざ、お前以外見たことも聞いたこともねえ。だから、すぐに分かったよ」
「……それで、わざわざここまで?」
不快感を隠そうとしないアリスに、ゲーアノートはわざとらしく肩をすくめる。
「おいおい、そう邪険にするなよ。お前ひとりじゃ心配だから、手伝ってやろうって言ってんじゃねえか」
芝居がかった言葉に大袈裟な身振り――
その全てに、アリスは苛立ちを覚えた。
「お前、まだ十五かそこらだろ? そんなひよっこに死なれちゃ、俺も寝覚めか悪いからな」
「……余計なお世話よ」
吐き捨てるようにいうと、アリスはくるりと背中を向ける。
そんなアリスの背中に、ゲーアノートは構うことなく言葉を投げた。
「とにかく、上を見ろよ」
内心で舌打ちをしながら、アリスは視線を上空へと向けた。
木の幹の高い場所に、斜めに抉られたような爪痕が見える。
枝の折れ方も、上からなにかが降ってきたかのような折れ方だった。
「死んだ男は猟師だったらしい」
ゲーアノートが呟く。
「夜の森を、木々の間を縫うように走るなんざ、森に慣れてなきゃできやしねえ。おそらくここで、狩りのための野営をしているところを襲われたんだろう。」
「飛ぶ『獣』か……」
アリスがぽつりと呟くと、ゲーアノートはぼりぼりと頭をかきながら軽く舌打ちした。
「ちっ、面倒くせえな」
「あんた、飛ぶ奴とやったことは?」
「何度かある。だが、好きじゃあねえ」
そう言って、ゲーアノートは空を見上げた。
「地上でやるのとは勝手が違うし、上から来られるとどうしたって不利だ」
心底から面倒そうなゲーアノートに、アリスは冷たい視線を送る。
「そんなに嫌なら降りればいい。依頼主にはあたしから説明しておいてあげる」
「冗談キツいぜ。逃げ出すくらいなら最初から受けやしねえよ」
そう言って、ゲーアノートは大きく息を吐いた。
「一度受けたら、やるしかねえんだよ。『狩人』はな」
ゲーアノートの言葉に、アリスもまた、胸のうちで頷いた。
「で、どうする? このままここで夜を待つか?」
そう言うと、ゲーアノートは側にあった倒木に腰をおろした。
共闘することがさも当然であるかのように振る舞うゲーアノートに、アリスは眉を顰める。
そんなアリスの様子を知ってか、ゲーアノートは不敵な笑みを浮かべた。
「どうしてもひとりでやりてえってんなら早い者勝ちだな。空を飛ぶ奴は厄介だぞ。ひよっこの手に負えるのかねえ」
忌々しいが、ゲーアノートの見抜いた通り、アリスには空を飛ぶ『獣』と対峙した経験がほとんどなかった。
(……癪だけど、協力した方がよさそうね)
アリスは背負っていた剣を下ろした。
ずん、という重たい音と共に、刃だけの剣が、地面に突き立つ。
手にしていた杖を剣に差し込むと、がちゃり、という音がした。
アリスは柄の具合を確かめると、ゲーアノートの向かいに座った。
「お利口だ。ちょっとは賢くなったらしいな」
くつくつと嫌味ったらしく笑うゲーアノートに、アリスは密かに舌打ちをした。
そんなアリスの心中を知ってか知らずか、ゲーアノートは火を熾すよう命令する。
命令される謂れも、それに従う道理もない。
アリスはゲーアノートを鋭く睨んだが、ゲーアノートはどこ吹く風だった。
「なにがあるか分からねえからな、腹ごしらえはできるときにしておくもんだ」
「…………」
ゲーアノートの言い分には一理ある。
結局アリスは、しぶしぶながら枯れ木を集め、火を熾すことにした。
しんとした森のなかで、ぱちぱちと薪が爆ぜる音が響く。
ゲーアノートは炙った干し肉を齧り、くちゃくちゃと噛んでいた。
アリスがチーズを取り出しナイフに刺すと、それを見たゲーアノートが、揶揄するようにかかっと笑った。
「そんなもん食ってるから、お前はいつまでたっても乳臭えひよっこのままなのか」
なるほどな、とひとり頷くゲーアノートを無視するように、アリスはチーズを焚き火にかざした。
ゲーアノートはさらに続ける。
「それにしても、女の『狩人』ってのはどうも落ち着かねえな。女なんざ、ガキを産んで育てる以外になんの役に立つってんだ?」
ゲーアノートの侮辱的な言葉がアリスの心を波立たせる。
「お前も『狩人』なんぞやめて、どっかの田舎でガキでも産んだらどうだ?」
アリスは返事をせず、とろりと溶けたチーズを、口に運んだ。
なんの味も感じなかった。
ゲーアノートにうんざりした気持ちを逃すように、アリスは空を見上げた。
すでに太陽は傾き始めており、木々の隙間から差し込む光も徐々に翳り始めている。
『獣』が動き始める夜まであとわずか。
集中力を高める為、アリスは目を閉じ、ゆっくりと深く息を吸い込む。
そんなアリスを見て、さらにゲーアノートが話しかける。
「よう、そういやエドワードはどうした?」
アリスの眉が、わずかにあがった。
「最後に会ったときはずいぶんと老いぼれてたっけなあ」
ゲーアノートの言葉に、アリスの心が毛羽立っていく。
努めて平静を保とうと、ゲーアノートを無視して吸い込んだ空気をゆっくりと吐き出した。
ゲーアノートがまだなにかを言っている。
これから共に『獣』を狩ろうという、その相手の集中を乱すようなことを言い放つ。いったいこの男はなにを考えているのか。
そんなことを思っているアリスに、ゲーアノートの無遠慮な言葉が投げつけられる。
「――死んだのか?」
そう言って、ゲーアノートはかっと笑う。
その言葉に、アリスは反射的にナイフを抜き、ゲーアノートに飛びかかった。
だが、ゲーアノートはアリスの手首を掴むと、くるりと捻り、いとも容易く地面に組み伏せた。
「――かはっ」
背中から地面に落とされたアリスは、小さく咳こむ。
「簡単に熱くなるな。だからお前はいつまで経ってもひよっこなんだよ」
さっさとアリスを解放すると、ゲーアノートは軽い口調でそう言った。
返す言葉もなく、アリスは静かに歯噛みした。
「やれやれ、こんなひよっこのお守りをしながら『獣』を狩るとは、こいつは難儀だぜ」
そう言ってゲーアノートは息を吐いた。
いちいちつっかかるような態度に、アリスは苛立ちを募らせるが、ゲーアノートの言っていることは間違ってはいない。
『獣』を前にして不用意に熱くなれば、そこに待っているのは死なのだ。
己の未熟さを痛感させられ、アリスは項垂れるように視線を落とした。
「狩りが始まったら俺のいう通りに動け、分かったな」
もはや、アリスには頷く以外に選択肢はなかった。
「そうか……死んじまったか……」
そう呟き、ゲーアノートは空を見上げた。
そうしてそのまま、しばらく空を見つめ続けた。
すでに陽は沈み、暗闇が森を覆い尽くしている。
「……ゲーアノート?」
見たことのないゲーアノートの様子に、アリスは戸惑いながら声をかけた。
アリスの言葉に反応したのか、ゲーアノートはぱっとアリスに向き直ると、
「しっかし、あの爺さんに鍛えられて出来上がったのがこんなひよっこじゃ、浮かばれねえな」
そう言ってからからと笑うゲーアノートを見て、アリスは僅かでも気遣おうかと思ったことを、密かに後悔した。
そのとき、不意に頭上で枝葉が鳴った。
アリスとゲーアノートが、素早く頭上を見上げる。
林立する木々のひとつに、闇がわだかまるようにして垂れ下がっている。
ふたつの怪しい光が、アリスたちをじっと捉えていた。
「動くな」
ゲーアノートが低く、そして鋭く言い放つ。
剣を手にしていたアリスが、びくりと肩を振るわす。
「いきなり飛びかかるやつがあるか。だからお前はひよっこなんだよ。相手をよく見ろ」
拙速に飛びかかろうとしたアリスに、ゲーアノートは舌打ちをする。
「……化け物が。俺たちを観察してやがる……」
ゲーアノートの言葉通り、枝から垂れ下がった闇は身じろぎひとつせず、怪しく輝くふたつの光がアリスらに注がれていた。
「こういうときはな、こっちも相手を観察してやるんだよ」
ゲーアノートは、背負った剣の柄に手をかけたまま、目を見開くようにして、じっと闇を見つめていた。
アリスもまた、ゲーアノートに倣い、闇を凝視する。
「……ひよっこが。暗視ぐらい、条件反射でやりやがれ」
目に、意識を集中させる。
『狩人』は、そうすることで、暗闇でもしっかりと世界を見ることができた。
徐々に、暗闇に溶けていた輪郭が浮かび上がってくる。
木の枝に、逆さまになってぶらさがった黒い塊。
身体を包むように、翼を畳み込んでいる。
小さな頭部には、大きな尖った耳が、ぴくぴくと忙しなく動く。
そして、炯々と光るふたつの目が、まるで値踏みするように、じっとこちらを見つめていた。
「……蝙蝠」
アリスが眉根を寄せ、ぽつりと呟く。
なるほど確かに蝙蝠に似ている。
――だが、その身体は、大人の男と同等か、あるいはわずかに大きい。
不意に『獣』が口を開いた。
鋭い牙が並ぶその奥から、金属を引っ掻くような耳障りな音をあげる。
「――来るぞ!」
ゲーアノートがそう叫ぶと同時に、『獣』は木の枝を蹴り、ばさりとひとつはばたくと、アリスに目がけて急降下するように襲いかかってきた。
アリスは咄嗟に横に跳んだ。
地面が抉られ、土が飛び散る。
「上だ!」
ゲーアノートの声に反応し、アリスは剣を振り上げた。
だが、『獣』は素早く宙へと舞い上がり、剣は虚しく空を切った。
咄嗟のことに、アリスは『獣』の姿を見失った。
「くそっ、どこに――」
「――後ろだ!」
ゲーアノートが叫ぶよりも速く、『獣』の爪がアリスを背後から襲う。
アリスはゲーアノートの声に、反射的に地面へ伏せるようにして身をかわした。
背中に、燃えるような鋭い痛みが走った。
「――くっ!」
アリスに一撃を加えた『獣』は素早く旋回し、再びアリスへと急降下する。
「――ぼさっとすんな!」
アリスへと爪を伸ばした『獣』に向かい、ゲーアノートが横なぎに剣を振るう。
獣』は身を翻すようにゲーアノートの剣をかわすと、再び宙に舞い上がり、木の枝に逆さまにぶら下がった。
アリスは痛みを堪えて立ち上がる。
背中が、燃えるように熱かった。
血が流れているのが分かる。
「くそっ! やり辛え。だから空を飛ぶ奴は嫌なんだ!」
そう言って、ゲーアノートは舌打ちをして唾を吐いた。
その横で、アリスは剣を握りなおし、静かに呼吸を整える。
(……落ち着け。相手の動きを読むんだ)
『獣』は喉の奥で低く唸ると、再び甲高い声をあげ、枝を蹴った。
ばさりと大きく羽ばたくと、今度はゲーアノートに向かって弧を描くように堕ちてくる。
「ちっ!」
ゲーアノートは迎え撃つように剣を振り下ろす。
『獣』は身体を縮め、すり抜けるように剣をかわすと、勢いそのままに、アリスへと向かってきた。
下から振り上げるように襲いくる爪を剣の腹で受け流す。
硬質な金属を引っ掻く不快な音ともに、ぱっと火花が飛び散った。
『獣』はそのまま再び宙へと舞い戻り、三度木の枝にぶら下がった。
「くそっ、このままじゃ埒があかねえ!」
ゲーアノートが苛立つように叫んだ。
アリスもまた、同じ焦燥感を感じた。
攻撃は軽いが動きが軽やかで、異常に捕まえにくい。
かつ常に頭上の有利を取られる為、かつてないやりにくさに、思考が焦る。
「……おい、ひよっこ。お前、奴を斬れるか」
ゲーアノートが、小声で問いかける。
意味を汲み取れず、アリスは怪訝そうに眉根を寄せた。
ゲーアノートが舌打ちをする。
「俺が囮になって奴を引きつける。奴が飛びかかってきた横から、お前が奴を斬れ」
ゲーアノートの提案に、アリスが反駁する。
「……あたしより、あんたの方が上手でしょ。あたしが囮になる」
「ばーか、だから俺が囮になるんだよ。お前みたいなひよっこに任せて、しくじられちゃたまったもんじゃねえ」
「…………」
「できるのか、できねえのか!」
「……わかった」
そう言って、アリスは唇を引き結んだ。
「ようし。じゃあ、俺が合図するまで動くなよ」
ゲーアノートは、剣を地面に突き立てると、両手を広げた。
「おい、化け物! こっちだ!」
大声で叫び、わざと無防備な姿勢をとる。
『獣』の目が、ゲーアノートに向けられる。
警戒するように低い唸り声を響かせると、ふいとアリスに視線を移した。
どちらを狙うか、品定めするように、アリスとゲーアノートを交互に見る。
方や剣を捨て、両手を広げるゲーアノート。
方や剣を握り身構えるアリス。
『獣』はアリスに狙いを定めると、かっと牙を剥き甲高い声をあげた。
――次の瞬間。
ゲーアノートがナイフを投げた。
ひゅっと短い風切り音とともに、闇を裂いて飛んだナイフが『獣』の目に刺さる。
ぎゃっと短い鳴き声をあげ、『獣』はゲーアノートを睨みつけた。
「化け物の分際で俺様を無視するなんざ、万年早えんだよ」
『獣』がぶるりと頭を振ると、ナイフがぽろりと抜け落ちた。
目の傷が、ぶくぶくと血泡を噴きながら塞がっていく。
『獣』は牙を剥き、怒りの形相でゲーアノートを睨むとひときわ甲高い声で吠えた。
「どうした化け物。ありもしねえプライドでも傷ついたってか?」
言葉の終わりを待つことなく、『獣』は枝を蹴り、翼を広げると一直線にゲーアノートへと向かって急降下してきた。
凄まじい速度で迫ってくる『獣』に、しかしゲーアノートは微動だにしない。
アリスもまた、タイミングを測っていた。
(――まだだ!)
駆け出しそうになる衝動を抑え、ぐっと息を詰める。
『獣』の爪が、ゲーアノートに向け振り下ろされた。
そして、その爪がゲーアノートを届く寸前――
「――いまだ!」
ゲーアノートは叫ぶと同時に身を屈めた。
『獣』の爪が、ゲーアノートの頬の肉をわずかに抉る。
同時に、アリスは駆け出していた。
剣を振りかぶり、『獣』の横腹目がけてなぎ払う。
だが――
『獣』は急旋回した。
アリスの剣が、翼の被膜を僅かに裂く。
「くそ、浅い!」
空中へと逃れるべく、『獣』がひときわ大きく翼をはためかせる。
――だが。
そうはさせまいと、ゲーアノートが地面に突き刺した剣を抜き、『獣』に向かって投げつけた。
大剣が、凄まじい速度で回転しながら『獣』を追う。
『獣』は慌てて身を捩るが、それよりも早く、剣は『獣』の腕ごと翼を切り裂いた。
ぎゃっ、と短い悲鳴をあげ、『獣』は地面へと墜落する。
『獣』が地面に叩きつけられたその先には、すでにアリスが待っていた。
アリスは、ゲーアノートが剣を投げたのを見て、『獣』が落下する場所を予見していた。
『獣』は立ちあがろうともがくが、片腕が千切れ、上手く動けない。
アリスが剣を振りかぶる。
『獣』はさっと顔をあげると、アリスに向かって大きな声で吠えた。
空気が揺れ、木々が騒めき、葉が落ちる。
意識が途切れそうになるほどの凄まじい大音響。
しかしアリスは歯を食いしばり、『獣』の胴に向け、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。
ずん、という重たい音をあげ、地面とともに『獣』の胴を両断した。
断末魔が響く――
『獣』の身体が、斬られた断面からぶすぶすと煙をあげ、崩れていく。
アリスは剣を地面に突き刺すと、その場に膝をつき、荒く息を吐いた。
背中の傷が、じんじんと痛む。
「やれやれ、どうにかなったか」
ゲーアノートが拾い上げた剣を肩に担いで近づいてきた。
「下手くそが、踏み込みが甘いんだよ」
「……うるさい」
アリスはゲーアノートを睨むように見上げた。
「だかまあ……最後の一撃は、悪くなかったぜ」
ぼそりと呟くと、ゲーアノートは剣を背中に背負い直す。
「おら、とっとと灰を拾え。町に戻って報酬をいただくぞ」
そう言って、ゲーアノートは歩き出した。
(悪くなかった……か)
今回の狩りは、ゲーアノートがいなければ危なかった。
アリスは小さく息を吐くと立ち上がり、ゲーアノートの後を追うように歩き出した。




