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エピソード4 『狭間に灯る』

 太陽が、山の稜線に隠れようとしていた。


 西の空は茜色に染まり、東から、夜の気配が迫りつつある。

 

 そんな昼と夜の狭間の空の下を、ひとつの小さな影が歩いていた。


 頭巾付きの外套を頭から被り、背丈よりも頭ひとつぶん大きな杖をつきながら、影は街道を進んでいく。


 やがて、街道を少し外れた森の縁で、根元が大きく張り出した古い木を見つけ、そこで足を止めた。

 

 枯れた木の枝を集めて火を熾す。


 ぱちぱちと小さく爆ぜながら、火は枯れ枝を舐めるように飲み込み、やがて一塊の炎となった。


 頭巾を下ろし、外套を脱ぐ。


 その下から現れたのは、長く美しい金の髪と、澄んだ青い瞳をもった、まだわずかにあどけなさの残る、美しい少女だった。


 少女――アリスの背には、その背丈と変わらぬ程の巨大な刃が留め具によって支えられていた。


 アリスが留め具を外すと、ずん、と重い音とともに、刃が地面に突き立った。


 刃は焚き火の炎に照らされ、鈍い光を湛えている。


 アリスは焚き火の光に透かしながら、その刃を繁々と眺めた。


 ――血の跡、刃こぼれ、欠け。


 これまで乗り越えてきた数多の戦いの残滓が、その刃には刻まれていた。


 アリスは突き立てた刃を背もたれにして、焚き火の前に腰を下ろした。


 荷袋からチーズを取り出すと、腰に刺したナイフで薄く切り、ナイフの背に乗せて焚き火にかざす。


 炎に炙られ溶けたチーズを口に運ぶ。


 塩気を含んだ乳の味が、口のなかに静かに広がった。


 食事を終え、アリスは揺れる焚き火の炎をぼんやりと眺めていた。


 いつのまにか、太陽は完全に見えなくなり、世界は闇に沈んでいた。


 枯れ枝をぱきりと折り、焚き火へと放り込む。


 ぱちぱちと、放り込まれた枯れ枝が爆ぜる音だけが、闇に吸い込まれていった。


 数日前に『獣』との戦いで負った脇腹の傷が痛む。


(あれは……危なかった)


 いつも戦いを終えたあとに、もっと冷静になれたなら、と思う。


 だが、『獣』を前にすると、平静ではいられなくなる。


 身体の内側に潜むもう一人の自分が暴れるのを、どうしても抑えることができなかった。


「あんな戦い方……怒られちゃうな……」


 ぽつりと呟くと、アリスは両手で膝を抱き込み、膝のうえに顎を乗せた。


 背中を丸めて膝を抱え込むと、小さな身体がより一層小さくなり、そのまま闇に溶けてしまいそうなほど儚げだった。


 ふと、脇へ放り出した荷袋の口から、小さな小瓶がこぼれ出ているのが目に入った。


 アリスは小瓶を摘み上げ、焚き火の明かりにかざす。


 小瓶は、黒い灰で満たされていた。


 それは『獣』を殺した後、唯一残る痕跡だった。


 灰は、火に投げ込むと翠色の炎となって散る。


 その灰を、町にいる代官に渡すことで、ようやく報酬を手にできた。


 小瓶に収まる程度のその灰が、唯一『狩人』が狩りを終えたことを証明してくれる。


 明日の朝にはこれを町に持っていく。


 アリスは気鬱そうに溜息を吐いた。


(……行きたくない)


 アリスは、胸元にぶら下げた、黒ずんだ鉄の首飾りに触れると、それを指先で弄んだ。


 一本の縦線が円盤の中央を貫いている――それは、『狩人』を『狩人』たらしめる証。


 これまで出会った誰もが、この首飾りを見て顔をしかめた。


 嫌悪、好奇、恐怖。


 違いはあれど、好意的な視線などほとんどない。


 膝を抱え込む手に力がこもる。


 アリスは、どんな『獣』と戦うよりも、あの目に見られるのが怖かった。


「……エドワード……」


 そう呟くと、アリスは膝の間に顔を埋める。


 背中が小さく震えている。


 零れ落ちた雫が一粒、地面を濡らした。


 

 いつの間に眠ったのか、ふと気づいたときには、すでに夜は明けていた。


 澄んだ冷たい空気が肌を撫でる。


 焚火は、すでに燠になっていた。


 視界の端に、野兎が一匹飛び込んできた。


 アリスと目が合っても、野兎は逃げる様子を見せなかった。


 ゆっくりとした動きでそっと手を差し伸べると、野兎はおそるおそるアリスへと寄ってくる。


 差し出されたアリスの指に鼻を近づけると、二、三度鼻をひくつかせ、頬をすり寄せてきた。


「あは」


 野兎が見せた予想外の行動に、アリスの表情がぱっと華やいだ。


 ひとしきり頬をすり寄せると、野兎はぴょんと跳ね、どこかへと去っていった。


 どこか遠くで、小鳥の鳴く声が聞こえた気がした。


 アリスは焚火の後始末をすると、剣を背負い、いつものように頭巾付きの外套を頭から被り、歩き出す。


 目指す町は目と鼻の先だった。


 アリスは頭巾を目深に被ると、口を強く引き結び、自身の日常へと帰っていった。


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