3.①
姫守とその友人による楽しい獄中ライフ。前半
錆びた鉄の臭いと排熱が充満するトレーニングルーム。
閉鎖されたこの空間で、俺は低重量に設定したバーベルを担ぎ、黙々とスクワットを繰り返していた。
《特殊バグ》との後の戦いの中で手にした確かな手ごたえ。
あの覚醒ともいえる状態の再現性を求めて、俺は体を極限まで追い込んでいた。
「あの時俺は確かに限界を超えていた。激しい運動でその壁を越えられるなら。……ものにしたいものだ、あの全能感」
俺はひたすら長方形の豆腐のような足に、スクワットで戦闘データを脚部に圧縮していく。必要なのは高密度な圧縮だ。圧縮して次はランニング。有酸素運動と交互に行うことによって、あの時の体を再現していった。
しかし───
「むぅ……やはり駄目か。まるで方法が分からん」
体は温まっても、あの時のようなハイな気分にはなれなかった。
それはそうと肉体改造は続ける。
これまでの筋トレは実験。
これからの筋トレは趣味の筋トレだ。
「足のトレーニングはここまでだ……今からは楽しい背中のトレーニングをやるぞ」
肩を回して、早速懸垂バーを握る。
「懸垂バーを握ると、なんだか安心するんだよな……」
順調なトレーニングの最中、部屋に近づいてくる、別の囚人の足音が聞こえた。
ヒタリ、ヒタリという足の皮が地面とぶつかる摩擦音は、囚人からしか聞こえてこない音だ。
「おっ、いたないたな? まぁーたデータの圧縮してんのかよ。姫守」
入口の壁に持たれかかったのは、俺よりやや横幅のある直方体。
キャプテンビット。野球のユニフォームを着ているが、バットを握っている姿など一度も見たことがない、口だけの調達屋だ。
このトレーニングルームの器具も、法外なデータ量と引き換えに彼が外部から仕入れたものだった。
「あぁビットか。……特に今は、入用なものはないぞ」
「いいや、調達とは別件だ。それよりもお前さん、あいも変わらずデータ圧縮とは精が出ますなぁ。お前さんの戦闘データならいつでも高く買う用意はあるんだぜ? わざわざ圧縮して小さくしちまうぐらいなら、パーっと売って外のもん買おうや」
ニヤニヤと笑う。こうやってヤツの甘い言葉に騙されて、今まで多くの低ポリ囚人が堕落に身を落としていった。
「ほっとけ。俺には俺のやり方がある」
「圧縮データは解凍しなきゃただのゴミだ。普段使いできねえデータの塊を棺桶まで持っていく気か?」
「……」
「日常生活にゃ、何の役にもたたねえ。それに俺達には低ポリでいるために、内部で保存できるストレージには限りがあるだろ? そいつを圧縮ファイルで埋めるなんて勿体ねーじゃねえか」
まるで機械のように毎日ビットは同じ内容を口にする。
「その説教、今回で何回目か覚えてるか?」
「言い過ぎて覚えてねえよ。言わせんな、コンにゃろう」
ビットはへらへらと笑う。だが、彼の言っていることは真実だった。
何が真実かというと、こいつには本当にその記憶がないということだ。
俺達低ポリゴンの囚人は、世界に負荷を掛けないために、3G以上のデータ収集を禁じられている。
生活に必要なデータや、絶対に残しておきたい記憶などを除けば、俺達に残された容量は1.5ギガ。一生をかけて俺達に許された記憶容量はそれだけだった。
だから囚人たちは不要な記憶はその日のうちに削除してしまう。そうでもしなければ大切な記憶を守れないからだ。
そんな囚人たちが絶対に残しておきたい記憶を保存する方法に、データ圧縮という方法があった。
データを圧縮して小さくすれば、例えば1Gの情報をより少量の20kbにまで圧縮したりできる。そうして大切なデータは普段見ることができない代わりに、大事に圧縮してしまっておくのだ。
「そんで? 一体何をそんなに圧縮してるんだね、チミは。まさか……お宝映像か? 」
背負ったバーベルを降ろし、何となく構えをとる。
ビットの眉が中央に寄るよりも速く、俺は拳を解き、腰を落とす。そして掌底をヤツの顎に叩き込んだ。
「あふんっ……」
ゴム風船みたいに飛んでいくビット。
ぼよんぼよん、とトレーニングルームの壁まで跳ね、激突すると膝をつく。
ゆっくりと立ち上がりながら頭をふらふらと揺らすビットに、俺は軽蔑の眼差しを向けた。
「お前と一緒にするな。……今圧縮しているのは前回の戦闘データだ」
ぱらぱらとレンガの破片を背中につけながら、立ち上がったビットは首を傾げながら訊いてくる。
痛覚というデータセットがやつには備わっていないらしい。
「だから圧縮したらデータ参照できねえから、何にも戦闘には役立たねえって。いい加減にそのデータを中ポリや高ポリ様のために役立てよう、って気概はないのかね」
やれやれと、手を肩まで上げて首を振るビット。
コイツの言うことも理解できる。俺のような低ポリでは不可能な戦闘データの使用も、中ポリや高ポリなど容量の大きな人間なら、有効活用できるかも知れない。
だけど、それを金に換える気にはなれなかった。
この戦闘データはいつか、俺が低ポリの囚人でなくなった時に解放するための財産なのだから、渡すわけにはいかないのだ。
「刺突モーションだけの戦闘データなんざ、俺様が売ってやんねえと大した金になんねえんだぞ! 分かってんのか? ったく……」
「価値にならないモノを買い取るオマエじゃないだろ。黙って諦めろ」
砂埃なんてつくほど高価な処理は走っていないだろうに、背中を払うモーションを取るビット。中ポリや高ポリの真似をするなんてやつも、俺に違わず滑稽な男だった。
「ッチ……なんでこんなヤツに女の面会人が来るかね……」
「……あ゛?」
ボソッ、とビットが言った言葉を聞き逃しはしなかった。
「俺っちがココにきた目的を言ってなかったか? お前に面会人が来てんだよ。珍しいこともあるもんだ。武器商人でもなけりゃ、セールスマンでもねぇ。お前に戦闘データ絡みじゃない面会人なんて初めてじゃねえか?」
「余計なお世話だ。……会わないと伝えろ」
「いや、それがどうもお前の意志は無関係らしい。無理やりにでも連れてこいというお達しだ」
ビットは神妙な顔でトレーニングルームの扉を開く。驚いたのはやつの顔。
偉く真面目な顔で俺に指示をしてくる。
その顔は一大事の時に見せる珍しい、ビットの本気顔だった。
「誰の?」
「ここの看守長様さ。お前何やったんだよ」
笑い声に含まれる僅かな心配のニュアンス。
余程大きなトラブルに俺が巻き込まれたことを示唆していた。
「……知らん。俺に訊くな」
バーベルを降ろし、トレーニングルームを出る。入口に暗号化処理を施し、透明化させると、ビットと別れて昇降口を降り、三階から一階へ。
視界右上には、看守からの通知が“+999”件届いている。どうやら至急の案件らしい。
後半に続く。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




