2.
不思議な世界で彼の戦いは続きます。
……再起動。俺の意識が浮上したのは、あの激痛からわずか数秒後のことだった。
【──全データの統合完了。不足ポリゴンを周囲から徴収します】
視界の中央に奇妙なUIが表示されている。
「なぜ……生きているんだ?」
泥のような《特殊バグ》の血だまりから吐き出された自分に、不思議と違和感を覚えた。
「眼が良くなっている……?」
酸素が行き渡っているような、意識が完全にハッキリとした視界。今までぼやけていた頭の中が急にクリアに、“解像度”が上がったみたいに美しく映って見える。
「何か忘れているような……」
周囲を見渡すと、正面で血を流す騎士の恰好をした執行者が、割れた兜の隙間から信じられないものでも見るような目でコチラを見ていた。
「あなたは……何者ですか?」
ブロンドの髪を後ろで結った彼女のグリーンアイは、俺のような低ポリゴンの“点”の目ではなくて、しっかりとした色彩で、世界を美しく見るための目を形作っていた。
自己紹介するのもいいが、安全の確保を最優先に行う。
彼女に返答するのはその後だ。
《特殊バグ》が消えた後も、バグは湧いてくる。全てを討伐した後にやってくる、最終便のバスが来ていない以上、ここにはまだバグが潜んでいる。
先ほど油断で死んだバグがいるのに、自分までその後追いをする必要はなかった。
「俺のことはどうせすぐに忘れる。今は目の前の敵に集中したらどうだ」
辺りに気を配っていると、不幸なことに残っていたバグが三体同時にビルの中に入ってきてしまう。俺はチラリと背後で壁にもたれかかる彼女の状態を確認する。鎧は半壊し、出血もしている。
「回復プログラムはあるか?生憎俺の手持ちは低ポリ用だけだ。アンタの傷を修復させるだけのものは持ち合わせていない」
「低ポリ用……?」
「なんだ?」
「いえ、あの程度の敵ならこの傷でも問題ないと思います」
彼女は傷を抑えたまま、フラフラと立ち上がる。
自衛の構えを彼女が取ったのを見て、俺は視線を前に向けた。
「そうか」
俺は走りだして、手にした瓦礫で中型バグの《装甲堕馬》を誘導した。四つの首と八本の足を持つ馬で、全長は三メートルを超えるが、中型バグの中では突進と後ろ足にさえ気を付けていればいい危険性の低いバグだった。
残りの二体は俺でも苦戦する中型バグだが、高ポリゴンの彼女なら問題ないと信じて、《装甲堕馬》と対峙する。
今は不思議と体が軽く、頭もクリアに敵の弱点が見えた。
右足を後ろに下げ、いつもの構えをとる。
《刺突モーション》しか出来ない俺が最大限に体を有効活用するための定型だ。
「……ひひぃん」
《装甲堕馬》の聞いたことのない弱弱しい鳴き声に、どこか恐怖のようなものを感じる。
「俺が怖いか!」
自分を鼓舞し、間合いを詰める一歩踏み込む。
その瞬間───世界から音が消えた。
───ガガッ、ガギギッ。
空間が悲鳴を上げ、世界がカクつき始める。
まるで処理落ち《ラグ》だ。
舞い上がる粉塵が空中で静止し、敵の動きがコマ送りのように遅くなる。
だが、俺だけが違った。
止まった時の中で、俺の思考と体だけが「超高フレームレート」でヌルヌルと動き続けている。
《装甲堕馬》の鈍重なモーション───その装甲の継ぎ目、わずか数ミリの「データの隙間」に、俺のナマクラを滑り込ませるには十分な時間だった。
読み込みが明けた刹那。
爆音と共に、三メートルを超える巨体が血しぶきと共に、細切れの三角ポリゴンとなって弾け飛んだ。
「な……」
女騎士が絶句している。
自分でも驚いていた。《低ポリゴン》がこれだけ素早く《中型バグ》を処理しているのは見たことがないのだろう。俺だってそうだ。
(何が起こっている……。今の突進、いつもより関節の動きがスムーズだった。『肌のノリ』がいいと、体のキレも違うということか?)
やはり肌艶が良いのは気のせいではなかった。まさか血を浴びて、脳のリミッターが外れてしまった、ということだろうか。考えるにこれは、βエンドルフィンの過剰分泌によるランナーズハイというやつだろう。
どれだけ動いても疲れが襲ってこないのがその証拠だ。
「……好都合だ。このバグを利用して、減らせるだけ刑期を減らしてやる」
俺達低ポリの執行者は、倒したサーバーのバグによって刑期を減刑されていく。
自由を手に入れるためには一体でも多くバグを狩る必要があった。
「いくぞ……!」
頭で冷静な信号を送りながら、肩の上でピタリと大剣を構え、再び剣先が敵の心臓を捕らえたら、今度はさらに足に力を入れ、限界のスピードで間合いに踏み込む。
立ち上がったばかりの彼女を視界の端で捉えたまま、世界は再び物理法則プログラムを無視するかのように加速して、世界を引き延ばしていく。
全てが曖昧で原型を留めぬ世界で僅かに残った敵の軌跡を、蒸かしたジャガイモに爪楊枝を刺すように刺突する。
脚どころか体全てが躍動する線の世界で、やるべきことを終えると、剣についた血を振り払って足を止めた。
摩擦に足を焼かれそうになりながら急停止すると、世界はあるべき形にその姿を取り戻す。
辺りにはゴロゴロと雷の音が鳴り響き、中型バグの二体は血しぶきを残滓に跡形もなく消滅した。
すると脳内に特別任務終了のアナウンスと、夕焼け小焼けが流れてくる。
『全てのバグの消滅を確認しました。バスが到着次第、執行者の皆さまは防衛サーバーから退避してください』
「終わったか……悪いな。アンタの獲物、獲ってしまった」
「そ、それは問題ではありません。何ですか今の挙動。私でもそんな……、とにかく名前を!それと同じバスに乗っていなかったのはどういう意味ですか。教えてください」
「バスが来るまでは質問に答えよう。まずは挙動についてだが、アレは過去一俺の調子が良かっただけだ。普段の俺はあんなに動けない」
「それはどういう……」
「質問を返したばかりなのにまだ質問を増やす気か?」
「いえ、すいません。それでお名前は?」
「俺の名前は凌空。姫守凌空だ」
「ヒメモリ……リク……。私はキャシー・ストリクトです。第3騎士団所属の──」
「悪いがバスが来た。挨拶はここまでだ」
バスが俺達の前に止まる。他に残った執行者はいないのか、中はガラガラだった。
空っぽのバスはどの席に座っても良いから、気分が良い。
俺がバスの乗車口に足をかけると、俺の体から「熱」が引いた。
――ガガッ、ピ、ピピ……。
不快な電子ノイズ。
一瞬で世界が「色褪せる」。さっきまで宝石のように輝いていた女騎士の瞳も、いまじゃどこか遠くに思えた。
俺の指も、さっきまでの滑らかさが嘘のように、角ばった直方体の塊へと戻っていく。
「あー……。やっぱり緊張が解けたら収まるのか。肌のノリも元通りだな」
ランナーズハイは終了したようで、俺はギチギチと音を立てる、いつもの「重い足」を引きずってバスの奥へと消えた。
最後に見えた彼女の顔は、あまりの《低ポリゴン》な俺の姿に、絶句して固まっているように見えた。無理もない。エリート様からすれば、背景のゴミが喋ったようなものなのだから。
◇
女騎士――キャシー・ストリクトは、バスの最前列で、震える手で鏡を握りしめていた。
鏡の隅に映るのは、バスの最後尾で『……zZZ』と、カクカクの頭を揺らして眠る《低ポリゴン》の囚人。
先ほどまでの、有り得ないほど高解像度な彼の姿は、今や微塵も感じられない。
(騎士であるにも関わらず……私はなんて不甲斐ない)
溜息を漏らしたが、口元は信じられないことに歪な笑みを浮かべていた。
(フフッ……こんなことでは駄目ですね。……彼の剣技を見て美しいと、見れてよかったと感じている。この高揚感……コレが俗に言う恋というものなのでしょうか?)
彼女は手鏡を納めると、移動中のバスから席を立ち、最後尾で眠りこける姫守にお礼を言う決心をした。
「も、もしもーし……」
「……zZZ」
「あのー……」
「しゅぴー……」
「起きませんね……どうしましょう。どうにかしてこの感謝だけでもお伝えしたいのですが……」
オロオロとしながら、キャシーはどうすればいいか悩んでいると、彼の低解像度な首筋に不釣り合いなバーコードが付けられているのを見つける。
「そう言えばカレンから聴いたことがあります。低ポリゴンの方々は数が多いため、バーコードで管理されているのだと……初めて見ましたが、コレがそうなのですね……あっ、そうだわ」
キャシーは視界右上のハンバーガーメニューを開き、軍用スキャナーを起動する。
普段は敵の戦力分析に使うものだが、設定を変えれば、囚人の管理データも照合できることを思いだしたのだ。
「勝手に……ゴメンなさい!」
お辞儀と共に、自身のこめかみをトントンと叩く。
『ピッ──認証完了。囚人番号:U+2620番 囚人名:ヒメモリ・リク』
無機質な電子音と共に、彼の個人情報が網膜に表示される。
「セントラルドグマのアルムヴィル街……ここに手紙を出せば、届くのでしょうか」
彼女は周囲をキョロキョロと伺うと、顔を赤らめながら「お気に入り登録」のボタンをそっと押した。
これで彼のデータは、彼女のクラウドストレージの鍵付きフォルダに保存されたことになる。
「ふふっ……またお会いしましょうね、リク様」
プロローグはこんなもので。
次回は日常回。
彼がどんな環境で過ごしているか描かれます。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




