神の宣告.6
ビンタから始まる関係もある。
俺の角ばった頬に、彼女の滑らかで、驚くほど熱い手のひらが食い込んでいる。俺は自分の頬よりも、彼女の細い手が心配になった。
「お、おい……変な当たり方してない──────」
「良いかね」
彼女はまだ熱を帯びた両手で、俺の四角い頭を掴んだ。瞳は僅かに涙ぐんでいる。
「多かれ少なかれ、人は誕生した瞬間から世界を変える権利を持っているんだよ。その権利は、ポリゴン数や生まれで決まるものじゃない」
十六夜の指を離そうとしたが、彼女は断固としてその両手を話が終わるまで放す気はないようだった。
「我儘を言いなさい。それで世界がバグるなら、私がいくらでもパッチを当ててあげる。……いいかい? 姫守君。君は私の患者だ。勝手に消去されるなんて、許さないよ」
――我儘か。でも、それが許されるのはあくまで個人間の信頼をベースに成り立つものだ。社会に迷惑をかけることが得策かと言われれば、きっとそうではない。仮に事例があったとしても、俺の1.5GBの中には含まれていない。
俺が逃げ続ければ、誰かが俺の代わりに疑われ、消されていく。
そしてこの力を振るえば、世界の秩序はさらに負荷に喘ぐことになる。
良心のプログラムが正常に働くのであれば、俺は出頭するべきである。
しかし正面に立つタバコを咥えたこの「死神」の眼差しは、それは違うと訴え続けていた。
「アンタ……これから俺が世界のバグになっても、同じことが言えるか?」
俺も彼女の瞳を見て問うた。
「私は功利主義の名のもとに生きてるわけじゃないからね」
十六夜は、紫煙の中に満足げな笑みを浮かべた。
「人間一人の影響で壊れるぐらいの社会なら、一度壊してしまった方がいい。そっちの方が健全だとは思わないかね。無数の屍の上に成り立つこの社会がその程度のものならば。私達は道を誤ったんだよ」
「危険な思考だな」
彼女の言っていることは本当に理不尽で、けれどもそんな理不尽に胸をスッとさせられたのもまた事実だった。社会は一人で変えられるようなちっぽけな存在じゃない。彼女はそこに希望も持っているようだった。
俺にとっては絶望だけども、見方によっては確かに好き放題やってみてから考えろ、というのも分からなくはない。その責任を取らないというのはサイコーに気持ちよさそうだ。そうなればまさに世界のバグになってしまうわけだが、知ったこっちゃないという話だろう。無責任の極みだ。
「……全員が好きかってやって完成する健全な世界か」
きっと彼女の求める世界は、今よりもっと混沌としているに違いない。
「危険かどうかは、見に行った先じゃないと分からないさ」
「アンタと話していると、周りにブレーキを踏む人がいないから大変なことになりそうだ。詰まるところ、あんたは俺に生きてほしいってだけなんだろ?」
「ふふふ……生きるか死ぬかは結局のところ君次第だ。だけど、私は君に生きて欲しいと願う。それは私の勝手だからね」
「生きて欲しいか……そう思われたのは多分生まれて初めてだな」
数年分のフォルダをひっくり返したが間違いない。彼女が初めての人だ。
「結構なことじゃないか。私は嬉しいよ」
「……俺は何もしないことにする。だが、それで俺が仮に見つかったら、その時は潔く出頭するとしよう」
「上等。では覚悟も決まったところで私から君に一つプレゼントを用意させて貰った」
「……いつの間に?」
「監査官の話を聴いている時に、裏でプログラムを組んでおいたんだよ。アイツの話は校長先生の話ぐらい長かったからね」
彼女は神の託宣を、校長先生?という謎の人物の長話と一緒だと一蹴する。
その剛毅さに俺は少し笑ってしまった。
「後ろでプログラムを組むって、そいつも並列思考ってやつか……?」
「正解。今後もし高画質化してしまったら大変だろう? そのための薬が君には必要になる」
「ああ、確かに。流石名医だな。つまり俺のデータを全部捨てるってことであってるか?」
俺の言葉に名医である十六夜は額に掌を当てて、あっちゃ~、と首を横に振った。
「何にも分かっちゃいないということが今の発言で分かってしまったね。悲しいよ姫守くん」
「難しい話ばかりするからだ。沢山データがあるなら捨てたらいいんじゃないのか?」
高ポリ化の原因になっているのは、ウイルスの残骸と俺の圧縮し過ぎたデータが原因だ。だったら、圧縮データをどこか別の場所に保管しておけばいいという発想は間違いなのだろうか?
「残念だけど、ZIP爆弾の不法投棄はもっと危険だ。ファイルが壊れて中身が洩れてみなよ。世界が人知れず終わるところをみたいのかい、君は? それとも何かい、超大容量で絶対洩れないタンクを君が用意できるとでも?」
「それができるなら、一番だよな」
「この監獄より大きな金庫なら、どうにかなるだろうね」
「冗談だろ?」
「冗談でも笑えないのが姫守くんの圧縮したデータ量だ。今君が死ねば、変異もあり得るウイルス持ちのデータが一斉に野にぶちまけられるんだからね。そいつはデータの河となってこの一帯を沈めるだろう
」
彼女の眼は冗談を言っているようには見えなかった。
「……だからそいつを封じ込められる金庫なんてどこにも存在しないのさ。一番いいのは君を深海の底に沈めることだ。そうすれば、海が汚染されても、地上に害はないからね」
俺は唖然として、自らの手を見つめた。もはや自分は存在自体が人災なのだと理解し、不用意な行動はしない事に決めた。
「そしてだ。さらに君はいつ高解像度化するかも分からない。突如として変身し、周囲に甚大な被害をまき散らすことも考えれられる」
十六夜に指摘され、俺はあの時のことを思いだした。足を一歩踏み出した瞬間に、世界が線になって形を失う速度に到達してしまうあの状態が、日常生活で起きてしまった場合を考える。トイレで立ち上がった瞬間、縄跳びを飛んでいる瞬間。俺は次の瞬間に世界を置き去りにする可能性があった。
「そうなったら……地獄だな」
「もちろん私もそんな光景は見たくない。だから今の君に必要なのは、予期せぬ高解像度化を隠蔽するためのリミッターだ」
「ああ、まさにソレを防ぐ方法を考えていたところで───」
「そう、ということで作ったんだよ。私のプレゼントというのは一部にその高解像度化を限定する薬だ。もちろん、未認可だから高くつくがね」
金と一緒に請求書を俺に渡す十六夜。
効果も凄いが、それ以上に法外な値段に思わず目を剥いた。
「1GBだと……随分な値が張るな」
「おやぁ~?私は無償で提供するといった覚えはないがね。私は医者だよ?治しはするが、請求もする。法外な値段を取るから『死神』なんて呼ばれもしているけれど。君には特別任務で入ったばかりのお給料があるじゃないか。いやぁ~……よかったよかった。私がこの事態を想定していなかったら、今頃君は途方に暮れていたよ」
「だからあの時止めたのか? ……食えない人だ」
俺が減刑か給与か、その選択を止めた時から彼女は俺が監査官に目をつけられるかも知れないと予見していたということだ。
「君に死なれたら、請求もできなくなる。そうなっては私も足を運んだかいがないというものだ。さあ、長生きしたまえよ。姫守君。長生きして私から薬を買ってくれたまえ」
「精々人に迷惑にならないように隅っこで生きていくさ。薬が買えなくなったら、その時はその時だ」
「フフフッ。大丈夫、お金が無くなったら治験のバイトもやってるから。見捨てたりしないから安心しなさい」
「マッドサイエンティストか」
「言ってなかったかい?」
隈のできた目でウインクをして、そのまま目が開かなくなりそうなのを力技でこじ開ける十六夜。疲労は本物のようだった。
「疲労困憊のようだな。……また来るよ。今日はもう眠ってくれ。十六夜さん」
「冴子でいいよ。親しい人にはそう呼ばれている」
「分かった。冴子先生」
「偉いね。もし私を軽々しく呼び捨てにするようなら、次回からの診察料は高くついていたところだ」
「……」
俺は彼女の相手が面倒くさくなって、席を立つためにカクカクの腰を上げた。
「私のメールアドレスを送っておくよ。いつでも薬が欲しい時は読んでくれたまえ。特別料金で相手してあげよう」
俺は頷いて席を立った。
「薬はいつ飲めばいい?」
保健室の扉に手をかけて訊いた。
「今すぐここで飲んでいきなさい。私もしばらく君の症状について調べてみる。より高解像度化が起きる条件を限定出来れば連絡しよう」
彼女の言葉に頷き、紙コップで薬を飲むと横開き戸をスライドさせた。
「助かる。それじゃあ」
「お大事に」
俺は保健室の扉を閉めて、再び歩き出す。
「名医……か」
笑みが零れる。
しかしすぐに首を振った。
薬を飲む以外にもできることはあるかも知れない。
少しでも生存の確率を高めるためにできる事を探して、俺は走り出した。
金はとるけど名医。アレ……これって、
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




