【前編】ナンバー12、君に贈るクリスマスプレゼント
「ねぇ、華久也くん」
ふいの呼びかけに、少年は眺めていたディスプレイから視線を上げた。
ブルーライトカットレンズの向こう──デスクから少し離れた位置に、彼の姿を目に留める。
セーターの広い背中。彼はこちらに背を向けたまま、パレットと筆を手に、水彩画を描いている最中であった。
少年こと、月丸華久也が「なに?」と短く返事をすれば、絵描きの彼はこんなことを口にした。
「華久也くんは、どうして絵を描かないの?」
「…………」
質問に、華久也はわかりやすく表情を渋くさせた。
空気が悪くなったことを察したか、あるいは確信犯なのか、「訊いたら、まずい質問だったかな?」と彼は言う。
背中越しの、じつにのんびりとした口調であった。
「……オレのことはどうでもいいだろ。それよりも、雪斗は自分の仕事にだけ集中してくれ」
強めに突き放してみる。
けれど、やっぱり相手は省みる気はないようで、苦笑を返されてしまった。絵描きの男、灰堂雪斗は、これでけっこう好奇心が強いのである。
それが証拠に、彼は話題を切り替えることなく、おしゃべりを続けてきた。
「私にばかり筆を取らせて、君は退屈しないの? せっかく、こんなに素晴らしいアトリエを用意したんだ。私だけが使うのはもったいなくて、気が引けるよ」
彼はようやくこちらに振り返り、その瞳を見せてくれた。挑発にも似た純粋な輝きに、ひねくれ者の華久也は、不機嫌なうなり声を上げることしかできなかった。
少年は半ば投げやりに、椅子の背もたれに勢いよくもれたかかった。優雅に弾みをつけたあと、椅子はゆらゆら、ご主人さまの機嫌をあやそうとしてくれる。
(気が引けるだって? いまさら、なにを言うのかね、この男は……)
彼に絵を描かせること。
そこが自分の目的なのだ。このアトリエだって、そのためだけに住居の一部を改装してあつらえたのだ。
おもむろに視線を壁へと向ける。窓のない西側の壁には、パネルがいくつも飾られていた。
どれも、今日に至るまで、彼に描かせてきた絵のコレクションである。題材も気まぐれであれば、選ぶ画材も気まぐれだ。
ちなみに、いま描いてもらっているのは静物画だ。イーゼルと画板の向こうには、いくつかの被写体を並べた台が用意されている。
硝子細工の天使のオーナメント。
貰い物のシクラメンの鉢植え。
雪斗が散歩に拾ってきた松ぼっくり。
そのほか、この季節に合わせた趣のあるセレクションが連なった。
「私の絵なんて、しょせん習いごとだよ。ただの趣味というか、人のお眼鏡にかなうような大層な価値なんてまるでないんだから……」
雪斗はまた、画板に向き直る。繊細な細筆に持ち替えて、硝子に青い陰影を加えていった。
その間にも、「……けれど、君はちがう」と、彼は続きを口にする。
「君の描いたあれは、あの絵は……」
「…………」
「……何度見ても、惜しいと思ってしまうよ。
私が言うのもなんだけれど、あの絵はもっと枠の外を飛び越えて、自由に解き放たれるべきだ。それだけの欲が、熱量が、ほかでもない君のなかに封じられているんだよ……」
後半の熱弁は聞き流すとして、雪斗自身の自己評価には、華久也も概ね同意するところがあった。
たしかに、彼の描く絵は平凡だ。
技量はある。しかし、しごく模範的すぎるとも言えるし、人を驚かせるような個性はない。まさしく休日の息抜きに近いものを感じさせた。
(でも、そんなことはどうでもいいんだ)
そう、どうでもいい。
一番大事なのは、彼が自分のそばで絵を描くことにある。このひとときを、少年は表には出さないが、いたくお気に召していた。
他人から見れば、理解の及ばない趣向だろう。
だが、元から共感などに価値はない。己はただシンプルに考えればいい……彼と過ごす時が重要であるのならば、なにに変えても死守すればよいだけことだ。
(だから、オレはこいつと契約を交わした……)
いつでも、どんなときでも。
自分の望むままに、筆を振るってもらうために。
その代わりに少年は、彼の──とある仕事を手伝うことを約束したのだ。
「なに、そんなに卑下することはないさ」
華久也が鼻で一笑し、椅子の背もたれから身を起こした。
懐から愛用の扇を広げる。白い扇面に描かれた、金色の丸を見せつけるように光らせた。
「ほかでもない、この月丸華久也さまが『良し』と言っているんだ。
それこそ、オレがひと声上げてみろ。赤は白に、右は左に、地は天となり、天は地となる……とにかく、雪斗はなにも考えずに、堂々とオレのために絵を描いていればいいんだよ」
いつの間にか、彼がまたこちらを振り向いていた。 目をしばたたかせ、ほんのり間を置いてから彼はふっと笑う。「ありがとう」と、述べて。
少年はなにも言わず、顔の前で扇をあおいだ。
「ふふっ。やっぱり華久也くんって……すごく変わっていて、面白い子だね」
「……なに?」
聞き捨てならない言葉に、華久也はひくりと頬を引きつらせる。
扇まで出してかっこよく決めたというのに、あろうことかこの男、人を変人扱いするのか。
なんのツボに入ったのやら、面白おかしく笑う彼に、少年はムキになってデスクから身を乗り出した。
「ゆ、雪斗にだけは言われたくないね! 変わり者はむしろそっちのほうだろう!」
「ええ? 私のほうが変わってるって?」
「そうだよ。だって、あんな──!」
言いかけて、途中で気づく。
せっかくの平和で心地よいひとときなのに。それを自ら壊すような、口にするのもはばかる話題を振ってしまった。
脳裏によぎった、漆黒の狼の仮面。
ぶり返す記憶の渦に引きこまれる──直前、唐突にアトリエのドアが大きく開かれた。
バカ陽気なジングルベルのメロディーを鳴らしながら、うるさいソイツは二人の元へやってきた。
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