2-1 装束
――たすけて。
たすけて、たすけて、たすけて。
ここはつめたくて、くらくて、こわいものがいて。
こわいものを。
ずっと。
てが。
てが。
たすけて。
◇ ◇ ◇
口無村で行われている儀式とは、村の奥にあるお社で双子が祈りを捧げるというものらしい。
祝詞や舞もなく、目を閉じてただひたすらに、山神へ感謝の祈りを捧げ続けるのだそうだ。
この話をツバキから聞いた時に、どうにも嘘っぽいなとハルは思った。
特に気になった点は『祈りを捧げる』という部分だ。
恐らくこの儀式にとって一番重要なのはそこだろうけれど――山神に対して何の感情も抱いていない自分達に祈りを捧げろと彼女は言っているのである。
そこには当然ながら『感謝』の気持ちなんて欠片もない。
遭難しかけた自分達の面倒を見てくれた事に対する気持ちはあるが、それは山神にではなく口無村の人々に対してだ。
そうするように頼まれたから祈った。
定型文のような感謝を捧げた。
――これほどに、信仰している神を馬鹿にする行為があるものか。
そんな事をするくらいならば、山神が守護する山で暮らしている人間が祈りを捧げた方がずっと良いだろう。
それが何の躊躇いもなく神職の家系であるツバキの口から出た。
ありえない事だとハルは思う。
(では、その意図は何でしょうね)
今の状況を考えても、ハル達にこうさせるのは何かしらの意図があるはずだ。
それを探るためにもハル達はひとまず、大人しく従うフリをしたのである。
(何があると言うんでしょうね)
そんな事を考えながらハル達は湯あみをして、用意された装束を身に着けた。
その時に、念のため怪異絡みの仕事で使っている扇子を忍ばせる。
この扇子はまぁ、武器とかそういう類のものだ。もちろんこれで直接殴ったりとかはしない。
ただ、もしこの先に怪異絡みの何かが待っているとしたら、その対処をするためにこれが必要になる。
林間学校中に良くないものと遭遇した時を想定して持って来たものだ。
もっとも想定したのとは違う方向で『良くない』事が起きてしまっているのだが。
「あ、ハル。似合うじゃん~」
「ナツも似合っていますよ」
「アハ、そう? 何かさ~。こういうの久しぶりに着たよねぇ。よく見るタイプのだ」
「そうですねぇ。昔、頼まれて初詣で臨時バイトした時以来ですよね」
「そうそう」
ハルとナツはお互いの服装を見ながら、そんな話をする。
二人が来ているのは巫女や神主を想像した時に思い浮かべやすい装束――儀式や祭事ではない時に着用している普段着のそれだ。
「本当にとても良くお似合いですよ」
そうしているとツバキがやって来てそう褒めてくれる。
「ありがとうございます。……綺麗だから泥で汚さないか心配ですね」
「歩くだけで泥が跳ねそうだもんねぇ」
「あら、うふふ。大丈夫ですよ、お気になさらないでくださいな」
ツバキは美しい顔でころころと笑う。
(なるほど、大丈夫と。……ふむ)
ハルは心の中でそう呟いた。
大事な儀式と言うならば、装いもそうするべきではないかと思うが。
まぁこの辺りは場所によって違うし、ハルは本職ではないので思うだけにしておく。
ただ彼女に対する不信感はどんどん積み重なっていた。
そうして着替えたハル達は屋敷の玄関へと移動した。
そこではすでに雨合羽を着用した伊吹とアキト、供物を運ぶ村の人間が二人待っていた。
彼らが背負った籠には野菜や果物、お米、お神酒など、なかなかたくさんのお供え物が入っている。
「お~、お前ら似合ってるな~!」
「ありがと! せっかくだから伊吹先生も着れば良いのに~。きっと似合うよ~?」
「えっマジで?」
「和装、似合いそうですよね」
「え~? じゃあ着ちゃおっかな~……ってのせるな、のせるな。その気になっちゃうだろ~? 儀式の時は祈りを捧げる人以外は、お社に入っちゃダメらしいからさ。俺が着てもしょうがないよ」
いったん話にのってくれた後、伊吹は苦笑しながらそう言った。
それから伊吹はツバキの方を向いて、
「灰鐘さん。もう一度確認しますが、俺は途中までは着いて行って良いんですよね?」
と聞いた。ツバキはこくりと頷いて、
「ええ、構いません。境内の前までなら大丈夫です。失礼な言い方になってしまいますが……境内へ足を踏み入れてしまうと、穢れが入ってしまうので、他の人間は入ってはならないのです」
と返事をした。
申し訳なさそうなツバキを見て、伊吹は慌てて「いえいえ!」と首を横に振った。
「気にしないでください。色々と事情があるでしょうし……」
「あっ、先生ってば、美人だからって鼻の下伸ばしてる~」
「ちっがーう! 伸ばしてなーい! 灰鐘さんは確かに美人だけどな!」
ナツがからかうと伊吹は顔を赤くしてそう言った。
伊吹のこういう明るさが助かるなぁとハルも小さく笑う。
「それでは、そろそろ出発します。ハルさんとナツ君は、この傘をお使いください」
そうしているとアキトから番傘が手渡された。村に来た時に借りたものとは違う番傘だ。
赤色をハルに、紫色をナツに。手渡されたそれを見て、着ている衣装に合うなとハルは思った。
玄関を出ると双子はそれぞれ番傘を開く。すると鮮やかな二色が灰色の空の下にパッと広がった。
「では、お二人共。何卒よろしくお願いいたします」
そう言ってツバキは頭を下げた。
ハルとナツは「はーい!」とそれに頷いて返すと、アキトの先導で歩き始めた。
しとしとと雨が降る中、歩き出した六人。
向かう先はもちろんお社だ。
口無村のお社は、灰鐘邸の外側をぐるりと回って裏手から続く道の途中にあるらしい。
空模様のせいで鬱蒼として見える木々の間に作られた道をハル達は進む。
「…………」
周囲に人気はない。
雨天だからと言う事もあるが、もしかしたら「山神様の祟り」とやらに怯えているのかもしれない。
ハル達は道中何かを話す事もなく、静かに進んでいく。
そうしてしばらく歩いて行くと道の右側に石段が見えてきた。
なかなか急な斜面に作られた石段だった。
番傘をずらしてひょいと見上げれば、上の方に鳥居が見えた。あそこがお社のようだ。
(しめ縄は……内側か)
鳥居を見てハルは心の中でそう呟く。
そうして石段前まで到着すると、アキトが足を止めて、ハル達の方を振り返った。
「この石段の先になります。それで……ここから先は、私達は入る事が出来ません」
「えっ? ここでですか?」
その言葉に伊吹がぎょっと目を剥いた。
「いや、待ってください。ここから先はって、このお供え物を背負って石段を上がるって事ですよね? さすがに二人では厳しいですよ。せめて石段を上がるまでは着いて行ってはダメなのですか? 境内に入らなければ良いんでしょう?」
伊吹が石段を見上げて、心配そうな顔でそう言ってくれた。
籠に入ったお供え物は結構な量だ。
ハルとナツは比較的小柄なので、これを背負って石段を上るのは大変だろうと伊吹は思ったのだろう。
「……申し訳ありません。それが出来ないのです」
「ですが……」
「先生、先生。大丈夫だよ。僕達さ、これでも結構、力持ちだし~。ね、ハル」
「そうですね、ナツ。お供え物を落さないようにだけは気を付けますから」
「お供え物が落ちるより、お前達が落ちる方が心配だ。雨で足元が滑りやすくなっているだろう? この傾斜の石段だと、滑り落ちたら大怪我だよ」
真剣な顔で伊吹は言う。
本当に良い先生だとハルは思う。
「ありがとうございます、先生。十分気を付けますから」
「そうそう。それに、もしもの時は先生が下で受け止めてくれるんでしょ~?」
ナツが冗談めかして笑って言うと、伊吹は目を瞬いた後、
「ああ、それはもちろんだ」
と大真面目な顔で頷いた。
その言葉にハルとナツは少しだけ目を見開く。たぶん本当にそうしてくれるのだろう。
ちょっと嬉しくなって、双子は同じタイミングでにこっと笑った。
「なら安心して上れますね、ナツ」
「そうだね、ハル。えーと、それじゃあ籠、預かりますよ」
「お前達……」
「ありがとね、先生」
「ありがとうございます」
伊吹にお礼を言った後、双子は一緒に来た村の人達へ手を伸ばす。
彼らは軽く頷くと籠を下ろし、ハル達に背負わせてくれた。
ずしりとした重さが肩にかかるが、このくらいなら何とか上れるだろう。
よし、と思いながらハルが石段に足を掛けた時、
「あの」
アキトからそう声をかけられた。
振り向くと彼は僅かに視線を彷徨わせた後、少しばかり心配そうな顔で、
「その……。……石段は雨でとても滑りやすくなっていますから。どうかくれぐれもお気をつけて」
と言った。