閑話 世間話好きな依頼人
その日、村雲怪異探偵事務所にとある依頼人が訪れた。
「それでねぇ、お隣のわんちゃんがある一点を見てずーっと吠えてるの。これは何かあるんだって、そこの奥さんに調べてもらいなさいって言ってるんだけど、ちっとも話を聞いてくれないのよ~」
「はぁ……そうですか……」
フユキとハルは愛想笑いを浮かべながら、どうにかこうにか相槌を打っている。
特にフユキなんて、相談という名の世間話を、かれこれ一時間ほど聞かされているためか、最初のうちは取り繕っていた声が、今ではすっかりうんざりしたものになっていた。
それはそうだ。ハルの叔父は気が長い方ではあるが、彼の仕事は霊的な現象や怪異の調査であって、世間話に付き合うことではないのだ。いつもなら世間話の『せ』の字が出たら、適当に話を切り上げてお帰りいただいているところである。
けれども、それをしない理由があった。依頼人が幽霊に憑りつかれているからである。
ハルはちらりと依頼人の後ろへ視線をずらす。そこには依頼人と同じくらいの年代の女性の幽霊がぼんやりと立っていて、依頼人の肩にそっと手を乗せていた。
(悪霊というわけではなさそうですけれど)
もしも悪霊だったなら、見た瞬間にフユキかハルが祓っている。しかしこの幽霊は、悪さしている風でも、何か企んでいる風でもない。だからハルたちもひとまず様子を見ているのだ。
「それで、木田さん。依頼の方ですが……」
「ああっ、そうそう、それね! 実はねぇ、ここしばらくずっと肩が重いのよぉ」
そう言って依頼人――木田は自分の左肩に手を当てた。
(でしょうね)
(だろうな)
ハルとフユキは同時にそう思った。
何せ、今まさに幽霊が木田の肩に手を乗せているのだ。あんな風に接触されていれば、体に不調をきたすのは当然である。
「それはいつ頃から?」
「ええとねぇ、ほら、お隣のわんちゃんの話をしたでしょう? そのあとからかしらねぇ」
――どう考えてもそれである。
恐らく、木田のお隣さんの犬に見えていた『何か』が、そのままスーッと彼女に憑りついたのだ。
幽霊の中には、自分に興味を持つ者や、自分のことが見える者を好む者がいる。
木田がお隣さんに、しつこく怪異現象について話しているのを聞いて、もしかしたらと憑りついたのだろう。
「単刀直入に申し上げますが、ちょうどその辺りに憑りついています」
「まぁ!」
できるだけ言葉を選びつつ、短くフユキが告げる。
すると木田は華やいだ声を上げた。
「本当? あらあら、まぁまぁ! すごいじゃない!」
「ええと、木田さん? すごいとは?」
「だって、幽霊がいるんでしょう? 嬉しいわぁ、すごいわぁ」
木田は興奮気味に、自分の左肩の辺りを見ている。何が嬉しいのかよく分からず、ハルは少し首をかしげた。
「私ねぇ、小さい頃は幽霊が見えたのよ~。でも大人になって、ある時ふっと見えなくなっちゃったの! それがねぇ、最初はもう怖いものを見なくていいんだって嬉しかったんだけど……しばらくして寂しくなってねぇ……」
懐かしむように目を細める木田。
彼女の言葉を聞いて、何となく分かる気がするとハルは思った。
突然、自分の日常を形作っていたものの一つが、そこからコロンと零れ落ちたのだ。これで煩わされることもなくなると安堵しても、日常にできたその穴は、どういうわけか気になってしまう。
その時に木田の胸に浮かんだ感情が「寂しい」だったのだ。
「……どうします? こちらとしては、祓った方が良いと考えますが」
木田の様子を見ながらフユキが訊く。
(どう答えても、祓うことは決定ですが)
仕事として受けるか、木田に気付かれないように勝手に祓うか、その選択だ。
見てしまった以上、このまま放置するわけにはいかない。幽霊に憑りつかれ続けると、生命力を吸われてしまうし、悪化して悪霊となってしまう可能性だってある。
だから木田がどう答えようと祓うことは確定だが、裏でこそこそやるよりは正式に依頼をもらった方が気分もいいし、懐も温かくなる。
「……そうねぇ。お願いしようかしら」
しばらく悩んでから、木田はそう言った。
「このままずっと、こっちの世界で漂っているのだって、きっと寂しいものね」
それはどうかはハルには分からない。彼女の肩に手を置く幽霊の顔を見ても、先ほどと同じで、ずっとぼんやりとしているからだ。
この幽霊に、自分たちの会話が聞こえているかどうかは謎だが、今のところ反発される様子はない。
それならばすぐに済ませてしまった方が良い。
ハルがそう思って叔父を見上げる。
「分かりました。では、さっそく」
叔父もまたハルと同じことを考えていたのだろう。
木田の左肩へ体ごと向けると、両手を合わせ、幽霊を祓い始めた。
◇ ◇ ◇
「あー、つっかれた、ひっさしぶりに普通の祓いをやったわ……」
ソファにごろんと寝転んだフユキが、盛大にため息を吐く。
彼の前に、ハルは熱い緑茶の入った湯飲み茶わんを置いて「お疲れ様です」と労う。
ただ、フユキがここまで疲れているのは幽霊を祓ったからじゃない。祓ったあとで、さらにまた一時間ほど世間話に付き合わされたからだ。
「あれ、絶対に目的がそっちだよな……」
「そうかもしれませんねぇ」
そんな話をしていると、
「村雲怪異探偵事務所! あたしが来てやったわよ!」
バーン、と入り口のドアが勢いよく開かれて、浮島カモメが顔を覗かせた。
村雲怪異探偵事務所を一方的にライバル視している、浮島リサーチの若き所長だ。
「何で今日は喧しいのが続くんだ……」
フユキがげんなりした顔になる。
「ちょっと、聞こえてるわよ!」
カモメは文句を言いつつ、ずかずかと事務所の中へ入ってくる。見れば、右手に何やら手提げ箱を持っていた。
「勝手に入ってくるなー」
「挨拶したじゃないの」
「あははは……いらっしゃいませ。珍しいですね、うちを訪ねてくるなんて」
浮島リサーチからは、理不尽なクレームや文句の電話が掛かってくることは多い。けれども、こうして直接訪ねて来ることはほとんどないのだ。
だから疑問に思ってハルが訊くと、カモメは急に視線をさ迷わせ始めた。
「まー、あれよ。あれ!」
「あれ?」
「抽象的過ぎるわ。詐欺電話か」
「うっさいわね! あたしが訪ねてあれと言ったら、あれしかないでしょ! ほら、この間の五十島さんちのこと! 何だかんだで世話になったからお礼を言いに来たのよ」
カモメは少し照れつつそう言うと、手提げ箱をずいと差し出してきた。
ぱちぱちと目を瞬くハルとフユキ。
動かない二人に「ん」とさらに差し出すカモメ。ハッとして、ハルが両手でそれを受け取った。
「これはご丁寧に……ありがとうございます」
「つーか、ああいう時はお互い様だろ。気にすんなよ」
「はん、そうはいかないわ。こういうところをちゃんとするのが、顧客を得るコツよ!」
「うちは顧客になんねーぞ」
「うるさいわね、分かってるわよ! ほんっと口が悪いわね!」
ニヤニヤ笑うフユキに、カモメは赤くなって口を尖らせる。
「……ま、助かったわ、ありがとね。それだけよ、じゃーね!」
カモメはそう言うと、右手を軽く振って、事務所をサッと出て行ってしまった。
少し速足だったのは、照れ臭かったからだろう。
ハルはその背中が見えなくなる前に「お気をつけて」と声を掛けた。
「ハハ、素直なんだかそうじゃないんだか」
「本当にそうですねぇ、ふふ。……あ、これ、雪島屋のケーキじゃないですか」
「へぇ、マジか。奮発してくれたじゃん」
フユキが嬉しそうに言う。叔父は甘いものも結構好きなのだ。
「ナツとアキトが戻ってきたら皆で食おーぜ」
「はーい。それじゃ、冷蔵庫に入れておきますね」
楽しみだなぁと思いつつ、ハルはキッチンの方へと向かう。
その時に、先ほどまで依頼人がいた応接スペースが目の端に映り、ふと足を止めた。
『私ねぇ、小さい頃は幽霊が見えたのよ~。でも大人になって、ある時ふっと見えなくなっちゃったの!』
依頼人の、どこか寂しげな声がよみがえる。
(……見えるままでいたいですねぇ)
そしてできれば、こういう穏やかで、時々賑やかな日常が、ずっと続いていてほしい。
そんな風に思いながら、ハルは再び歩き出した。




