3-4 良いもの悪いもの
放課後になるのを待って、ハルは多田マキを探して校舎裏へと向かった。
燦燦と日の当たる昇降口と違い、校舎の影が落ちているそこは人気も少なく静かだ。
(磐田さんが言っていた桜の木は……あれですね)
校舎裏のちょうど真ん中くらいに、立派な桜の木が立っていた。
その木の下に黒色のロングヘアの女子生徒が座って、スケッチブックを開いて絵を描いている。キクコに見せてもらった写真に写っていた子だ。
ハル驚かせないようにゆっくり彼女へ近付いた。
「こんにちは。多田マキさん……で良かったでしょうか?」
「……誰?」
ハルが声をかけると、多田は顔を上げて怪訝そうな表情になる。少々警戒されているのが伝わってきて、ハルはにこりと微笑んでみせた。
「初めまして。私は村雲ハルと言います。五十島キクコさんから頼まれたお手伝いの関係で、今日はこちらの学校へお邪魔しました」
「……先生の?」
多田の表情が僅かに和らいだ。ただ、まだ不審そうな目を向けられている。それはそうだろうなと思いながら、ハルも微笑みを崩さずに話を続ける。
「もちろん学校側にちゃんと許可は得ています。それで多田さんにお伺いしたいことがありまして」
「ふぅん……」
多田はスケッチブックをパタンと閉じて立ち上がる。桜の木を背に、ハルの方を向いた多田は少し首を傾げた。
「別にいいけど、何?」
「ええ。——げっこ様の像について」
ハルがその名前を出すと、多田の肩が分かりやすいくらいに跳ねた。
「……あなたも私がげっこ様の目を盗んだって言うの?」
多田がじろりとハルを見て、険を含ませた声になる。一気に警戒心が高まったようだ。
過剰反応にも思えるが、こうなるほどにその話題は、彼女に心理的な負担をかけ続けているのだろう。
多田の目を真っ直ぐに見ながら、ハルは「いえ」と首を横に振る。
「あなたが盗んだとは考えていません。ですが、お持ちになっているだろうとは思っています」
「同じじゃないっ」
「違いますよ。故意か否かでは大違いです。キクコさんも、げっこ様の目は指で強く触れると取れてしまうからと仰っていましたし」
ハルがそう言えば、多田は目を見開いた。それから彼女は不安げに視線を彷徨わせ、そのまま俯いてしまう。その体は怯えるように微かに震えていた。
「多田さん。……げっこ様の目を、お持ちですね」
「わ、私……」
「大丈夫です。誰にも言いません。ただ、目を返してほしいだけなんです」
「…………」
ハルは出来るだけ優しい口調で多田に話しかける。これは、もう少し事情を伝えた方が良いだろうか。そう考えたハルは、知られても構わないものだけ搔い摘まんで彼女に話すことにした。
「今、風が丘高校でおかしなことが起きていることはご存じですか?」
「……おかしなこと? あ……物が落ちるとか……」
「そうです。それと同じことが、キクコさんの周りでも起きていまして。私たちはその原因の調査を依頼されたんです。そしてそれが起こる理由が、げっこ様の像に関係しているのではないかと考えました。そのことを調べるためにも、多田さんが目をお持ちならお返しいただきたいのです」
「…………」
多田は少しだけ顔を上げた。そして少し迷った様子で、制服のポケットから赤色のお守り袋を取り出した。手のひらの上でひっくり返す。すると、ころん、と翡翠色をした丸い石が二つ転がった。
「……綺麗だなって触ったら、取れちゃって。どうしようって悩んでいたら、皆が来て、それで咄嗟に隠しちゃったの。盗もうなんて思ってなかった。すぐに謝ろうって思ってたの。でも話が大きくなって、売り言葉に買い言葉で……」
それでどうしても言えなくなったのだと多田は話す。
ハルは彼女の手を自分の両手でそっと包みながら「分かります」と頷く。
「怖かったですね……」
ひとことそう言えば、多田は一瞬呆けた顔をして、すぐにくしゃりと顔を歪めた。ごめんなさい、とかすれた声で絞り出すように謝る彼女の目からは涙がぼろぼろ零れ落ちた。
◇ ◇ ◇
その頃、五十島家では相変わらず怪異現象が起きていた。
あちこちの部屋で物が散乱する、小動物の鳴き声や走る音が聞こえるなど、主な内容は聞いた話の通りだが、それに加えて家鳴りも始まった。
家鳴りに関しては、家が古いからというのもあるだろうが、怪異現象のたびに鳴っているため、そのうちのいくつかはポルターガイストに当たるラップ音ではないか、とフユキが言っていた。
そんなことを思い出しながら、ナツは床に散らばった物を片付けていた。
「はぁー、山から戻ったらこれだもんねぇ。どちらさんか知らないけど、元気いっぱいでうらやましい限りだよ」
「ふふ、そうですね。でも私から見ると、ナツくんも元気いっぱいに見えますよ」
「アハ、まだまだ高校生だからね。体力と回復力だけは自信がありますとも。っていうか、それを言うならアキトさんもでしょ。行きも帰りもずっと涼しい顔してるもん」
「私、山育ちですから」
胸に手を当ててにこりと微笑むアキト。確かにそうだが、線の細い彼の口から山育ちという単語が出ると、何だか不思議な気持ちになる。
「そう言えばここの山ってお社や祠はありませんでしたが、空気がすごく澄んでいますよね」
するとアキトがそんなことを言い出した。
そうだっただろうか、とナツは目を瞬く。思い出してみると、何かが悪さをしているという風な淀んだ感覚はなく、どこか心地良さはあった気がする。
「確かにそんな気も……ごめんね。僕、そっち方面はあまり感覚が鋭くないんだ」
「そうなんですか?」
「うん。僕……っていうか、うちの血筋かな。悪いものは気付けるんだけど、良いものだとちょっと反応が鈍くなるの。相手が濃い霊力を持っていたら分かるけど……。ほら、幽霊とかさ、親切にしてくれる人もいるじゃん? そういう霊が普通に姿を見せてくれると、人間と見分けがつかなくなっちゃうんだよね」
これまでも何度かそういうことがあった。その時は良い霊だから問題はなかったが、これが悪い霊ならばどんな目にあっているか分からない。
もっともフユキから言わせると「親切だから良い霊だって考えるのは甘ちゃん」とのことだ。言葉のままというよりは、そういう状況にいる時は気を抜くな、という意味らしいけれど。
「アキトさんはもしかしたら、良いものに気付きやすいのかもしれないね」
「それは……そうだったらお役に立てそうで嬉しいですが」
そう言ってアキトはクスリと微笑った。
ちょうど、その時だ。遠くからキクコの悲鳴が聞こえてきた。
ナツとアキトは顔色を変え立ち上がると、部屋を飛び出す。そして声がした方へ向かって廊下を走る。辿り着いた先はキクコの部屋だ。ナツは「失礼しまーす!」と一応声をかけて障子戸を勢いよく開く。
中を覗いて、ナツは息を呑んだ。
物が散乱した部屋。その部屋の中央で蹲ったキクコ。
そして彼女の目の前には、狐のような形の黒い靄――一瞬、その靄が揺れたかと思ったら、顔が現れた。口を大きく開き牙を剥いた、恐ろしい表情の狐だ。
ナツは反射的に近くに転がっていた絵筆を手に取った。そしてそれに霊力を纏わせ、靄に向かって投げつける。絵筆は真っ直ぐ飛び、ぶつかったかと思ったら、ぎゃん、と悲鳴が響き靄は霧散し、周囲の風景に溶けるように消えた。
「大丈夫!?」
ナツはキクコに駆け寄ると、膝をついて声をかける。キクコは青ざめた顔でぶるぶると体を震わせながら、何とかナツを見て小さく頷いた。
「何があった!?」
僅かに遅れてフユキと、五十島家の人間が部屋へ到着する。そして室内の惨状を見て目を瞠る。
「狐の形の靄がいた。良くないものだよ。思ったより弱かった」
「狐? げっこ様か?」
「ち、違う……違います。げっこ様じゃない……あんな、あんな怖い顔……」
震えながらキクコは首を横に振る。彼女の近くには、げっこ様の石膏像が転がっていた。確かに先ほどの靄は、こんなにかわいらしい表情はしていない。どちらかと言えば、道端に立っていた石像の顔と似ていた。
(どういうことだろう?)
キクコの見たげっこ様は、きっと本当に彼女の作った像のような表情をしていたのだろう。けれど現れたのは違う顔の狐だ。
「……げっこ様って二種類いるのかな」
ナツはふと頭に浮かんだ言葉を口に出す。
「二種類?」
「うん。だって、こんなに顔が違うのってやっぱり変じゃない? キクコさんが見たげっこ様はこの家のげっこ様だったら、他にもげっこ様がいるってのは想像できるけど、それにしては雰囲気が違い過ぎるもん」
「……ありえるな。こりゃ一度、げっこ様の歴史を調べてみた方がいいかもしれない」
フユキが頷いていると、そこへもう一人、新たな人物が顔を出した。
「……これは一体何の騒ぎですか?」
風が丘高等学校から戻って来たヒバリである。




