2-4 温泉までの道
部屋を片付けたハルたちは、カモメのもとに一人見張り役を置いて、交代で食事を済ませた。その間、おかしなことは起きなかったものの、異変のことで皆気がそぞろになっていて、食事中は静かなものだった。
その後は近場の温泉へ向かった。体を清潔にするというのは衛生面でもそうだが、この仕事においても「清める」という意味で大事だ。だからハルたちは、依頼で遠出した時も、風呂には欠かさず入るようにしている。
ちなみにキクコからは「うちのお風呂を使っていただいても……」と言ってもらえたのだが、さすがに人数が多すぎるためフユキはやんわりと断っていた。
「ヒバリはどうする?」
「私はこちらでお借りしているので結構です。それに一人は待機していた方が良いでしょう」
「そうか。なるべく早めに戻るから頼むわ」
そう言って、ハルたちは歩いて温泉へ向かった。
温泉の名前は『狐の湯』と言うらしい。それを聞いてナツが「また狐かぁ」とつぶやいていたが、その気持ちはハルにもよく分かる。ここへ来てから、ずっと狐の話題に触れてばかりだからだ。
げっこ様自体は、きっと悪いものではないのだろう。道端に立っているげっこ様の像を見て何となく不気味に感じたが、古くから守り神として慕われるくらいだ。あの時感じた不気味さは、もしかしたらハルたちがこの集落に悪さを持ち込まないようにと、げっこ様が睨みを利かせていたせいかもしれない。
そんなことを考えながらハルは田舎の道を歩く。街灯がチカチカと点滅している以外は、人工的な光源はほとんどない。星空の下に虫の声だけが響いている。
何気なく周りを眺めていると、ふと、道の脇にげっこ様の像を見かけた。相変わらず怖い顔をしている。じろりとこちらを睨めつけるその顔を見ていたら、ハルの頭にキクコの作ったげっこ様の石膏像が浮かんできた。
「ハル、何見てるの? って、あら、げっこ様だ。本物はこういう感じなんだね」
「ええ。五十島家へ来るまでの道にも、ぽつぽつ並んでいました。やっぱりキクコさんの作った像とは顔が全然違いますね」
「かわいい顔してたんでしょ? 僕も後で見せてもらおっと。……でも、確か狐石の目がなくなっちゃったんだっけ」
「らしいです。学校で……キクコさんは言葉を濁してはいましたが、盗まれたんじゃないかと思ってらっしゃるみたいですね」
学校に置いた像からなくなったのだとしたら、犯人は学校関係者だ。
キクコから聞いた話によると、普段この像は美術準備室に置いてあったらしい。そして美術部の活動等で絵のモチーフとして使う時に、美術室の方へ移動させていたのだとか。
つまり、この石膏像のことをよく知る人間は限られている、ということになる。例えば、彼女が顧問を務めていた美術部員だ。
「急に目がなくなっちゃって、かわいそうだね。戻ってくるといいなぁ」
「……そうですね」
ハルは頷くと、何となく手を合わせた。ナツもだ。双子は揃って目を閉じると、げっこ様の像に祈りを捧げる。
(ちゃんと解決できますように)
ややあって目を開けた二人は、フユキとアキトの背を早足で追いかけた。
◇ ◇ ◇
その時間帯の温泉にはハルたち以外に客がおらず、まるで貸し切りのようになっていた。
遠くから響くナツたちの賑やかな声を聞き流しながら、ハルがゆったりとお湯に浸かって出てくると、ちらほらと人の姿が見え始める。駐車場に県外車が数台あったので、恐らく食事を終えた泊り客だろう。
すれ違う際に軽く会釈して温泉のロビーへ向かう。そこにはまだナツたちの姿はなく、ハルはひとまずソファに座って待つことにした。
窓際にある、丸テーブルを挟んだ白いソファに腰を下ろす。窓から外を見れば、夜の色に染まった森と星の瞬く空が広がっていた。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん」
ハルが風景をぼんやりと眺めていたら、ふと、右手側から声をかけられた。
顔を向けると、七歳前後くらいのおかっぱの女の子が立っていた。彼岸花柄の白い浴衣を着ている。かわいらしい雰囲気の子だ。
「はい、何でしょう?」
「お姉ちゃん、五十島のお家へお仕事に来た人でしょう?」
ハルは思わず目を瞬いた。五十島家のことを知っているなら、この子は地元の住人だろう。それにしても耳が早い。ハルたちがこちらへ到着したのは夕方で、五十島家以外の人間とほとんど接触もしていないのに。
驚きつつも、ハルは「そうですね」と頷いておいた。
「あなたはここの生まれの方ですか?」
「そうだよ! ずっとここにいるの。ここね、とっても居心地の良い場所なんだよ」
「ずっと?」
いくつかの言葉に引っかかりを感じたハルは、少し首を傾げて訊き返した。しかし、女の子から返ってきたのは「うん!」という元気な肯定だけだ。
「五十島の子が頑張ってくれていたからなの。でもね、五十島のお姉さんが引っ越す時に、ちょっとだけ一緒に行ってくるねって言ってお出かけしたまま、戻って来れなくなっちゃったの。だから皆で頑張っているんだけど大変なの」
「……?」
引っ越した五十島のお姉さんというのはキクコのことだろう。五十島家にいる女性はキクコと彼女の母親だけだ。
では戻って来ない五十島の子というのは誰を指しているのか。キクコは結婚していないし、子供がいるならば、年齢にもよるが「お出かけ」ではなく一緒に行ったままではないだろうか。
ハルが怪訝に思いながら女の子の話を聞いていると、不意に彼女の表情が少し曇った。
「帰りたくても帰れないって、泣いているの。かわいそうなの」
「……その子は、今どこにいるかご存じですか?」
「あのね、風が丘――」
ハルの質問に、女の子が答えかけた、その時。
「やー、良い湯だったわぁ」
「あ、ハルもう上がってる。」
「お待たせしました、ハルさん」
背中側からフユキたちの声が聞こえて、ハルは反射的にそちらを向いた。彼らはそんなハルの表情を見て、軽く首を傾げる。
「ハルさん、どうしました? あ、のぼせたりしました?」
「いえ、そんなことは。今、この子の話を……」
ハルはアキトに返事をしながら、顔を女の子の方へ戻した。
しかし、そこには誰もいない。ハルは目を瞠った。
「あれ……?」
「誰かいたのか?」
「あ、はい。ここに女の子が……。彼岸花の浴衣を着た、七歳くらいのおかっぱの子なんですが」
「女の子? 僕たちがロビーに来た来た時は、その辺りに誰もいなかったよ」
「…………」
ハルはぽかんと口を開けた。もしかして、あの子は幽霊だったのだろうか。
実のところハルは、人間と幽霊の見分けがつかない時がある。カモメに取り憑いている霊のように嫌な気配がするとか、そちら側ならばすぐに分かるのだが、そうでない場合は普通の人間のように感じてしまう。
今回もそうだったのかもしれない。状況が状況だけに、何だか狐につままれたような気分にもなるけれど。
「浮遊霊かなぁ」
「どうだろうな。近くには……いねぇみたいだが。その様子だと、何か気になる話を聞いたんだろう? ここじゃ何だし、ひとまず五十島家へ戻るか」
「あ、はい。そうですね」
ハルは頷いて立ち上がった。
その時に何となく、もう一度女の子が立っていた場所へ顔を向ける。
(風が丘……どこかで聞いたような)
彼女は確かにそう言った。どこにあるかは知らないが、最近聞いた覚えがある。
どこで聞いたのだっけとハルは考えて、ややあってたどり着いた。
(——キクコさんが赴任していた学校だ)




