2-2 げっこ様
それからハルたちは、夕食の時間までそれぞれ手分けして、五十島家近辺の調査を始めた。五十島家は家も敷地もなかなか広い。裏口から続く道の先にある山も、五十島家の土地なのだそうだ。
今日はもう日が暮れるので、明日になったら山の方も念のため調べてみよう、ということになっている。ちなみに体力に自信のあるナツとアキトが向かう予定だ。
(山か……)
ハルは廊下の途中にある窓から、夜の色に染まりつつある山を見る。何となく、アキトの故郷である口無村が頭に浮かんだ。
あの時と違ってこの集落では、こちらを値踏みするようなじっとりとした視線を感じることはない。車で道を歩く人とすれ違った時も、こちらに何の興味もない様子だった。
ごくごく普通の集落——それがハルの感想だ。
(あ、でも……あれは何だったんでしょうね)
ここへ来る前の道で見た狐の石像。ぽつぽつと立っている様子はお地蔵様を彷彿とさせたが、それにしてはやけに不気味だった。この辺りで信仰されている何かだろうか。
そんなことを考えながら、ハルはキクコの部屋へと到着した。フユキから調べるように指示を受けたのだ。
「すみません、キクコさん。村雲怪異探偵事務所の者です。少しお時間よろしいでしょうか?」
障子戸の前に立って声をかける。するとすぐに「はい、どうぞ」とキクコの返事があった。ハルは「失礼します」と言って、障子戸を静かに開ける。
「すみません、こんな時間に。少し部屋の様子を見せていただいても大丈夫でしょうか?」
「はい、構いませんよ。あの、ごめんなさい、散らかっていて……」
キクコは申し訳なさそうに言った。
彼女の部屋は、確かに少々物が多かった。品のある和室の中に、キャンバスや画材などがあちこちに置かれている。美術室か美術館でしか見たことのない胸像も、部屋の隅に置かれていた。
「いえ、そんなことは。美術を教えてらっしゃるんですよね。このにおいは……油絵ですか?」
「ええ、そうなの。えっと、あなたは……高校生さんかしら?」
「はい。高校一年で村雲ハルと言います」
にこりと微笑んで、ハルは部屋の中へ入れてもらった。
その時ふと妙な気配を感じて、思わず足を止める。
気配は、右手側からだった。顔を向けると、そこにあるのは胸像や籠に入った果物など、恐らく絵のモチーフとして使うであろうものが置かれている。
その中に一つだけ、気になるものがあった。
細長い狐の石膏像である。愛嬌のあるかわいらしい顔をしているが、何故か両目の辺りにぽっかりとしたくぼみがある。どことなく五十島家の玄関に飾られていた狐のお面と似た顔をしている。
「キクコさん、あの狐の像は何ですか?」
「ああ、あれはげっこ様ね」
「げっこ様?」
「ええ。上下の下に狐で、下狐というの。この辺りで信仰されている道案内の神様でね、道に迷った時に助けてくださいって手を合わせると、帰り道を教えてくれるのよ。この辺りの道沿いにも立っているのだけど」
「もしかして、怖い顔をしてらっしゃる?」
「ええ、そうよ。もともとはそういう顔なの。子供を守る神様とも言われていて、迷子になった子供に近付こうとする悪いモノを追い払うために、険しい顔をしているらしいわ」
なるほど、と思いながらハルはげっこ様の像を見る。キクコの部屋の像は、道端のげっこ様の像と同じと言われても、首を傾げてしまうくらいには雰囲気が違う。
どうやらそれが顔に出ていたようで「全然違うでしょう?」とキクコから言われてしまった。
ハルは少しだけ罰の悪い気持ちになりながら「はい」と素直に頷く。
するとキクコは石膏像のところへ歩いていって、両手で大事そうに持ち上げた。
「これはね、私が作ったのよ」
「キクコさんが?」
「ええ。実は私ね、小さい頃にげっこ様に会ったことがあるの」
思わずハルは目を丸くした。
キクコはくすりと微笑んで、
「信じられないわよね。うちの家族でもそうだったもの」
「いえ、そうでもないですよ。時々聞く話です」
ハルは軽く首を横に振る。小さい頃に遊んでくれた相手や、助けた相手が実は神様だったとか、そういう話はわりとあるのだ。もちろん良い方だけではなく、口無村の時のように悪い方でもあることだが。そこは黙っていた方が良いかと思いながらハルが言えば、キクコは目をぱちくりとさせて、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そう……ふふ。ありがとう。信じてもらえないことの方が多かったから、肯定してもらえて嬉しくなっちゃった」
キクコはくすくす微笑って、それからもう一度、手に持った石膏像へ目を向けた。
「私が裏の山で迷子になった時に、家まで送ってくれたのよ。すごく優しい顔をしていたわ」
「すぐにげっこ様だと気づいたんですか?」
「ええ。姿を見た瞬間に、この子はげっこ様だって思ったのよ。石像と違ってすごくかわいい顔をしていたのに不思議よね。でも、げっこ様が助けてくれたって話しても、ほとんど信じてもらえなくて……。あなたみたいに肯定してくれたのは、祖母くらいだったわ」
「キクコ様のおばあ様ですか」
「そうなの。五年前に亡くなってしまったんだけど……げっこ様のことを教えてくれたのも祖母だったのよ」
キクコはそう言うと、石膏像の顔をハルの方へ向けた。近くで見ると、やはり顔のくぼみが気になって、そちらに目が行ってしまった。
ここへ来るまでの道中で見たげっこ様の石像にも目らしきものはちゃんとついていた。この石膏像はキクコが見たげっこ様を元に作られているとして「かわいい顔」と言っていた彼女の言葉を信じるならば、目が落ちくぼんでいるのは不自然だ。
「あの、キクコさん。その像の目のところ……何か埋まっていたんですか?」
「あら、よく分かったわね。ここに、狐石を埋め込んでいたのよ」
「狐石ですか?」
「ええ。翡翠に間違われやすいくらい似ている石なの。正しくはロディン岩やリストベナイトって名前なんだけど……」
キクコは石膏像をそっと元の位置へ戻すと、机の方へ歩いて行って、引き出しからアルバムを一冊と取り出した。
「えっと……あった。これなんだけどね」
キクコが見せてくれたアルバムのページを、失礼します、と覗き込む。
そこにしまわれている写真は、学校で撮られたものばかりのようだ。そのうちの一枚に、げっこ様の石膏像が写っているものがある。
学校の美術室らしき場所で撮られた、キクコと女子生徒たちの写真だ。キクコがげっこ様の像を持ち、その隣に女子生徒たちが笑顔で写っている。生徒たちの胸につけている校章バッジの色が違うのは学年が違うからだろうか、とハルは思った。
「顧問を任せれている美術部の生徒が、コンクールで賞を取った時の写真なのよ。その時、げっこ様の像を描いてくれてね。ほら、まだ目があるでしょう?」
「……あ、本当だ。翡翠の色に似ていますね。眼があると雰囲気がまた違いますね。とても綺麗です」
「ふふ、ありがとう。この石ね、旅行に行った時に拾ったものを使ったのよ。でも……」
そこでキクコは少し言い淀む。
「何かあったんですか?」
「……四ヵ月くらい前にね、美術準備室に置いているうちに、その狐石がなくなってしまったの」
「えっ」
ハルは目を丸くする。
「取れてどこかへ転がって行ってしまった、とか?」
「…………」
キクコは答えない。その沈黙が、なくなった理由を明確に示していた。
盗まれた、のだ。
翡翠とよく間違われるくらい似た石だ。勘違いした誰かが、持って行ってしまったとも考えられる。どこか寂しそうに微笑むキクコを見れば、犯人と思われる人物は彼女に知り合いなのだろう。
「……そうね。指で強く触れると、取れてしまうから……そのままどこかへ転がって行ったのかもしれないわ」
げっこ様の石膏像を見つめながら、キクコは自分に言い聞かせるようにそう言った。




