1-2 五十島家
ハルたちが五十島家へ到着したのは、その日の夕方だった。
教えてもらった住所をカーナビに登録しつつ、ナツが何となく携帯で検索したところ、表示されたのは山梨県の森の中。どうやら小さな集落があるようで、離れた場所にぽつぽつと数軒の家が建っているらしかった。
——森の中の集落。
それを知った時、ハルとナツは何とも言えない顔になり、頭にアキトの顔が浮かんだ。林間学校の時のことを思い出したのだ。
口無村で起きた怪異の事件——ハルたちも様々な依頼を受けて調査をしているが、その中でもあれは強烈だった。
だからこそ、場所を知った時に少々嫌な予感が頭を過ったのだが、当のアキトは「ご当地アイス、どんなのがあるでしょう」と微笑っていた。ハルたちと違って、あまり気にしていないのかもしれない。
さて、そんなアキトだが、今回は珍しく一緒に山梨県へ行くことになった。
彼は村雲怪異探偵事務所の事務員ではあるが、たまには現場を経験しておくのも良いだろうとフユキが連れてきたのだ。ハルたちの事務所は少人数だし、いざという時に動ける人間を増やしておきたいらしい。
(前回が前回でしたからねぇ)
卯月駅の一件を思い出しながら、フユキの運転する車の後部座席から、ハルは外の風景を眺める。木々の間から差し込む光が、少しずつ夕方の色に染まり始めていた。
昼間の焼けるような暑さは和らいでいるだろうから、少しくらい窓を開けて外の風を入れても良いかもしれない。そう思ってハルがフユキに声をかけようとした時、ふと、通り過ぎる景色の中に狐の石像が立っているのを見つけた。
おや、と思って見ていると、それは一つだけではなく、道の脇にぽつぽつと立っている。
ただ、神社に祀られているものとは違う。顔が、まるで般若の面のように恐ろしい表情をしている。怒っているのか、それとも何かを威嚇しているのか。とにかくそういう顔だった。
走る車の中からだったため、はっきり見えたわけではなく、全部がそうだとは言えないが、何となく不気味さをハルは感じ――そう思った自分に少し疑問を抱いた。
恐ろしい表情をした像が何体も並んでいても、仕事でそれなりに見慣れているので、ハルはそこまでは何とも思わない。
けれども今見た狐の像たちに関しては、不気味だ、と感じたのだ。
(あ、そうか。全部こっちを見ているから)
少し考えて、ハルはそのことに気が付いた。
狐の像の、顔の向きだ。真っ直ぐ前を向いているのではなく、斜め上を見上げている。だから車の中から見下ろした時、目が合ったような形になって妙な感覚になったのだ。
なるほどと納得しながらハルは何となく、見えた狐の像の数を心の中で数える。
一体、二体、三体……。
そうして数えているうちに、車は五十島家へと到着したのだった。
大きな日本家屋の前には、田舎らしい雑多なものが置かれた庭が広がっている。車は家の前に停めてくれと言われていたので、フユキは真正面から入った時に玄関が見えなくなる位置を避けて、車を停車させた。
「はー、久しぶりにしっかり運転したわ」
車を降りてフユキは大きく伸びをした。
「叔父さん、お疲れ~」
「おう、敬えよ~」
「ふふ、ありがとうございます。県外に出るのは久しぶりでしたね」
「そうなんですか? あ、でも確かに、過去の依頼記録も県内が多いですよね」
「俺たちの同業者ってのは、わりといるからな。県外まで依頼が来るのは、よっぽどの有名どころだけさ。昔あったオカルトブームの頃なんて、テレビにも引っ張りだこだったみたいだぞ」
「あ、こっくりさん……ですよね。本で読みました。学校で流行ったとか」
「そうそう」
こっくりさんとは降霊術の一種だ。一九七〇年代くらいにあったオカルトブームで妙に流行ったことがあって、遊び感覚で気軽に行われていた。
やり方はシンプルだ。鳥居や五十音のひらがなが書かれた紙に十円玉を置いて、その上に参加者が人差し指をのせる。そしてこっくりさんと呼ばれる霊を招いて、色々と質問して答えてもらうという、霊を使った占いである。
ただ、成功例はそう多くはないのではないかとフユキは言っていた。そもそも行っているのは、降霊術に明るくない素人なのだ。紙の上を十円玉が動くのも、指を乗せた人間が無意識に力を入れたため、という話もある。
(こっくりさん……)
ふと、ハルの頭に先ほどの狐の石像が浮かんだ。
こっくりさんは漢字で『狐狗狸』と書くが、呼び出される霊も狐などの動物霊の場合が多い。フィクションでも狐をモチーフに描かれているものもあり「こっくりさん」と聞けばまず狐をイメージする者もいるだろう。
「というわけで……ハル。ハール、聞いてるか?」
「え? あ、ごめんなさい。ぼうっとしていました」
フユキに声をかけられて、ハルはハッと我に返る。狐の石像のことが気になって、どうやら気がそぞろになっていたようだ。
「大丈夫か? 車に乗ってて疲れたか?」
「いえ、私は乗ってるだけでしたので。疲れているなら叔父さんの方が……」
「確かに俺は疲れたが、こう見えて大人だからな。それなりに体力はあるんだよ。中に入ったらちょっと休ませてもらうか? 何なら温泉にでも連れて行ってやる」
「いえ、大丈夫ですよ……って、温泉?」
「あるんだよ、この辺りに良い湯がな。で、地酒もある。そこで売ってるみたいだから、土産に買って帰ろうと思ってな」
フユキは顎を撫でて、サングラス越しの目を光らせた。地酒と聞いて、アキトもどこかそわそわした様子だ。ナツが小さく「飲兵衛共め……」なんてつぶやいていた。
庭でそんな話をしていると、五十島家の玄関の戸がガラリと開いた。
顔を覗かせたのはスーツ姿の男性だ。彼はハルたちを視界に入れると軽く会釈をした。ハルたちも同じように返す。
「ああ、やっぱり。聞いた声がすると思いました」
「おう、ヒバリ。目の下のクマがすげーぞ。ちゃんと寝てるか?」
ヒバリこと、氷見ヒバリ。浮島リサーチの調査員で年齢は二十六歳。どんな時もスーツをきちっと着た眼鏡の男性で、物静かでミステリアスという印象をハルは抱いている。仕事現場でもカモメだけが話していることが多く、ヒバリの声を聞く機会なんて、それこそ電話くらいしかなかった。
(そう言えば、電話の相手ってヒバリさん……ではないですよね)
口数の少ないヒバリなら、あそこまでフユキを怒らせたりはしないだろう。逆に、もしもヒバリだったなら、どんなやり取りをしたのか聞いてみたい気持ちも、ハルには少しだけあった。
「お久しぶりです、村雲怪異探偵事務所の皆さん。遠いところまでご足労いただき、ありがとうございます」
「いや、お互い様だ。カモメの奴はどうだ?」
「まだ霊が憑いたままです。少々厄介な状態で、祓うことが難しくて……」
ヒバリはそう言ってハルへ顔を向けた。
「やってはみますが、浮島リサーチでも無理なら私では祓えませんよ」
ハルはやんわり首を振ってそう返す。
除霊はハルたちもできるがやり方の違いもあって、生身の人間に取り憑いた霊を祓おうとするならば、浮島リサーチの方が向いている。浮島リサーチに頭を悩ませているフユキも「腕が良い」と褒めるくらいだ。
だから、そちらで無理ならハルたちでは太刀打ちできない。
「ええ、構いません。それに、すぐにお願いしたいわけではないのです」
「と言いますと?」
「はい。皆さんに頼みたいのは別のことです」
「ああ……何か佐奇森もそんなことを言っていたな。詳しい内容は現地で聞いてくれって言われたんだが」
どういうことだ、とフユキはヒバリに訊ねる。すると彼は小さく頷くと、五十島家の方へ振り返り、僅かに顔を上げた。
視線につられてハルもそちらを見る。玄関の戸の、ちょうど上のところだ。
そこに古い狐の面が飾られていた。また狐だ。どうにも、先ほどから縁がある。
ただあの面の狐は穏やかな顔をしているし、石像の時に感じた不気味さはない。
「……実際に所長の状態を見ていただいた方が早いですね。こちらへどうぞ」
ヒバリは顔を戻すと、そう言って五十島家の中へと入って行った。




