2-1 佐奇森の依頼
フユキが調査開始の号令を出してから数十分後、ハルはまだ村雲怪異探偵事務所の中にいた。実はちょうど出かけようとしていたタイミングで、佐奇森から連絡が来たのだ。
鳴る携帯、画面に表示された佐奇森の名前。あまりにも見事なタイミングに「見てたんじゃねぇだろうな」とフユキが訝しみつつ電話に出ると、佐奇森は「これからお邪魔しても良いでしょうか?」と言った。
詳しい話を聞くと、どうやらハルに依頼したいことがあるらしい。
ハルたちも今回の依頼の件で共有しておきたいことがあったので、それならばとハルが残って佐奇森の対応をすることになったのだ。
ちなみに、佐奇森への報告をハルにバトンタッチ出来たフユキは「よしっ!」とガッツポーズをしていた。あれは実に晴れやかな笑顔だった。
そんなことを思い出しながら、ハルは事務所にやって来た佐奇森を来客スペースへと案内する。
するとすぐにアキトがお茶を出してくれた。事務員がしっかり板についていて頼もしいなぁと思いながら、ハルは佐奇森の方へ顔を向けた。
「すみません、ハルちゃん。お仕事へ行く途中だったんでしょう?」
「いえいえ、大丈夫です。お気になさらないでください。こちらも佐奇森さんにご報告したいことがありましたので」
申し訳なさそうな顔の佐奇森に、ハルは首を横に緩く振って微笑む。
電話がかかってきた時は驚いたが、ちょうど良いタイミングでもあったのだ。もともと卯月駅へと移動している間に佐奇森へ連絡をするつもりだったのである。
「それでは早速ですが、私へのご依頼内容についてお伺いしても?」
「ありがとうございます。これを見ていただきたくて」
そう言って佐奇森は、テーブルの上に青い石のついた指輪を置いた。この石はサファイアだろうか。そう考えながら見ていると、石の中にチカチカと妙な光が揺らいでいることに気が付いた。
光——否、霊力の揺らぎだ。ハルは軽く目を開くと、佐奇森の方へ顔を向ける。彼はにこりと微笑んで「見えました?」と言った。
「霊力がこめられているものですか?」
「その通りです。さすがハルちゃん、目が良いですね」
佐奇森はハルを褒めると、右手の人差し指で指輪の石を軽くつついた。
すると石から黒い靄のようなものがぶわりと噴き出し、佐奇森の指にまとわりつく。
「!」
ハルは目を丸くした。アキトも驚いたように口を開けている。
佐奇森だけは動じずに、その黒い靄を静かに見つめていた。むしろ、目が爛々と光っているようにも見える。
ややあって黒い靄はフッと霧散した。しかしその代わりに、佐奇森の人差し指に指輪のような黒い痕を残っていた。
「あの……大丈夫ですか?」
アキトが心配そうに佐奇森に訊ねる。
佐奇森は相変わらず穏やかな笑みを浮かべながら「いえ」と軽く首を横に振った。
「術を掛けられましたねぇ」
「はいっ!?」
事も無げに答える佐奇森に、アキトはぎょっと目を剥いた。
それはそうだろう。涼しい顔で「呪われました」なんて言われたら、こういう反応にもなる。
(こういうところなんですよねぇ)
ハルはそっとため息を吐いた。佐奇森は真面目で親切な刑事だが、こういう危険な真似を、まるで三時のおやつでも食べるような気楽さで行うのだ。
ただ、それでも彼は無謀ではない。
対処出来る算段がついているからこそ、こうしたのだ。今回の場合はハルがそれに該当しているのだろう。だからこそ佐奇森はハルを指名した。
「ご説明は後でお願いした方が良いですか?」
「フフ、話が早くて助かります」
「分かりました。では、解きますね。焼く方で大丈夫ですか?」
「はい。よろしくお願いします」
ハルは頷くと仕事道具である扇子を取り出し開き、小さく息を吸う。
「始めます」
静かにそう告げ、指輪の石に霊力をそっと流し始める。
この石にどんな術が仕掛けられているのかは分からない。本来は術について調べて、正式な手順で解くのが正しい方法だ。
しかし佐奇森からはそれを望むような言葉はなかった。となると今回は単純に、石に仕掛けられた術を解くだけで良いということである。
(あまり良い気配のする術ではありませんでしたし)
望まれているのならば、さっさと焼いてしまおう。そう思い、ハルは石に仕掛けられた術を焼いていく。
やってみて分かったが、小さな石に掛けられている分、術の密度が高く複雑だ。気を付けてやらないと爆発しまうかもしれない。ハルは慎重に術を焼き続け――二十分後にその作業を完了した。
ふう、と息を吐いて、佐奇森の右手を見る。その人差し指には、先ほどついた黒い指輪のような痕はなくなっていた。
「佐奇森さん、終わりました。どうですか?」
「……うん、大丈夫です。ありがとうございます。相変わらず丁寧な仕事ですねぇ」
素晴らしい、と佐奇森は手を叩く。
優秀な刑事である佐奇森に褒められて嬉しいは嬉しいが、それはともかく事情は聞かなければならない。
「一体何の術が掛けられていたんですか?」
「呪いですね。体をゆっくり腐らせる呪いです」
「それを分かっていて触ったんですかっ?」
佐奇森がさらっと答えたのを聞いて、アキトが顔を引きつらせる。
その反応を見て佐奇森は「おや、久しぶりの反応ですねぇ」と楽しそうに笑う。アキトは「笑い事ではありませんよ」と混乱した様子だった。本当にその通りである。
しかし、佐奇森がこうした理由については、術を嗜むハルには分かってしまう。
「術の種類にもよりますが、発動した後の方が解きやすい場合もあるんですよね。でも、やらない方がおすすめですけれど」
「やっぱりそうですよね……?」
「僕はハルちゃんを信用していますから」
アキトの引き気味の視線を受けながら、佐奇森は相変わらずの様子でそんなことを言っている。信用してもらえるのはありがたいが、この流れでは、ハルは少々複雑な気持ちになった。
「さて、話を戻しますが。この指輪ね、ジュエリー・スエギのものなんですよ」
「ジュエリー・スエギ? ですがあそこのジュエリーにしては……」
「ええ、シンプルですよね。これはデザインを盗作したものではなく、末木シキミさん本人が考えたものだそうです」
佐奇森は話しながら、指輪をつまんで掌の上に乗せた。窓から差し込む日差しを受けて、青い石がキラリと輝いている。
シンプルではあるが、その分、石の持つ本来の美しさを引き出すデザインになっている。これが作れるのなら、盗作をする必要なんてなかっただろうにとハルは思う。そして盗作などなかったら、悲しい事件など起きなかったはずだ。
指輪を眺めながら、ハルがそんなことを考えていると、
「この術、日向ミルがやったらしいんですよ」
「ミルさんがですか?」
これにはハルも驚いて、思わず訊き返した。
日向ミル――代永高校や末木で起きたドッペルゲンガー事件の犯人だ。彼は旧校舎や末木家の鏡に術を仕掛けて、妹の仇だと末木家に復讐しようとしていた。
「確かにミルさんは術を使っていましたが……これに、本当に彼が?」
「疑問を抱きますよね。僕もですよ」
「何か問題があるのですか?」
ハルが怪訝な目で指輪を見ていると、アキトが首を傾げる。
はい、とハルは頷く。
「代永高校の旧校舎、あそこの鏡に仕掛けられていた術には、術の発動を補助するための術も使われていました。あれは、術の扱いに慣れていない人が使うものなんですよ」
「……もしかして、その指輪の術は難しいものなのですか?」
「素人や初心者がやるにしては複雑なものですね」
アキトの質問に今度は佐奇森が答える。
そう、佐奇森が言った通り、術に慣れていない者がやるにしては複雑な術の使い方なのだ。
だからこそ、これをミルがやったと聞くと「本当に?」と思ってしまう。
ミルのことを低く見ているわけではないが、彼が使った術を見てきたハルからすると、どうにも違和感を覚えるのだ。
「日向ミルは『術を教わりながら、たぶん自分がやった』と言っていました」
「曖昧ですね」
「ええ。よく覚えていないそうです。誰に術を教わったのかも含めてね。……これに似た話に、覚えはありませんか?」
佐奇森の目が僅かに細まる。
ハルはまさか、と口を動かした。
「口無村……?」
「……!」
「ええ」佐奇森は頷く。「あの事件が起きるきっかけとなった、灰鐘ツバキを唆した何者か。これは僕の勘ですが、それが関係しているのではと考えています」
驚愕するアキトへ、やや気遣うような目を向けながら、佐奇森はハルの言葉に頷いたのだった。




