2-2 ドッペルゲンガーと般若の面
その日は、日中の暑さが尾を引いて、夜もとても暑かったそうだ。
末木家にもクーラーは設置されているものの、シキミ自身がその冷風が苦手で、普段は扇風機を利用していたらしい。
けれども、やはりそれだけで暑さを凌ぐことは難しく、彼女は寝苦しさで目を覚まし、水を飲もうと台所へ向かった。
そして水分を補給し終えたシキミは、再びこの部屋へと戻り、中へ入ろうとしたその瞬間。
突然、背後から頭を殴られたそうだ。
「背後からですか」
「はい。それで驚いて転んでしまって、慌てて振り返ったらそこに、私と同じ顔をした化け物がいて……。そいつは恐ろしい顔で、私を見下ろしていたのです。そして恐ろしい声で『赦さない』と」
「同じ顔……」
ハルの脳裏に、以前に旧校舎で遭遇したドッペルゲンガーが浮かぶ。
ナツが見せてくれたSNSの投稿もそうだが、妙に縁のある話だ。
「ねぇねぇ、シキミさん。その時ってさ、何か灯りを持っていたの? 周りは暗かった?」
「えっと、月明かりくらいでしたわ」
「なるほど。その暗さでも、顔が分かるくらいには見えたんだね?」
ナツはぐいぐいと質問している。こういう時にハルの双子の弟は怖いもの知らずだ。そこへ愛嬌の良さも相まって、絶妙に不快に思われ難いのだ。
シキミも、ナツの勢いに多少動揺した様子だったがそれだけで、こくりと頷いて話を続けてくれる。
「ええ。何故かその顔は、暗闇の中にはっきりと浮かび上がっていたの」
「それは確かに、人ならざるモノのようにも思えますね」
フユキが顎に指を当てて言う。
断定はしていない言い方だが、怪異や霊的な現象である可能性は高いな、とハルも思った。
怪異や霊的な現象は、その存在自体は、霊力によって保たれている場合が多い。そして霊力が、一つの姿となるくらい密集していると、霊力を持たない者の目にも映るような状態になる。
例えば、暗闇でもはっきり姿が見えるようになったり。
例えば、姿が発光したり。
そんな普通ではありえないことが起こるのだ。
シキミが見たのも、そうなったモノなのかもしれない。
「それって一回だけ?」
「いいえ。その後、二回あったわ。殴られる前に気が付いて、部屋へ逃げ込んだから大丈夫だったけれど……」
「えっ、もしかして同じ場所で?」
「ええ。ちょうどその入り口のところよ」
シキミは、ハルたちが入って来た障子を指した。
思わずハルは目を丸くする。
「この部屋の前で襲われたのなら、別の部屋へ移動した方が安全ではありませんか?」
同じ場所で何度も襲われているのならば、その場所に何かある可能性が高い。
危険な目に遭っているのならなおのこと、違う部屋へ移動するか、信頼できる誰かと一緒にいた方が良いだろう。
そう思って、ハルが浮かんだ疑問を口にすると、
「いえ、この屋敷の中では、ここが一番安全なのです。あのお面が守ってくれますから」
シキミはそう言って、壁にかけられた般若の面を指した。
この部屋に入った時に、ハルが気になったあの面だ。
「あれは?」
「末木に代々伝わるお面です。何でも、ご先祖様が討ち取った鬼の角を使って、作ったものだそうで。あのお面には強い力があって、悪いものから守ってくれているのですよ。実際に、この部屋の中にいれば、おかしなことは起きませんし……」
「この部屋の中にいれば? もしや、他にも何か起きているのですか?」
フユキが訊ねると、
「ええ。使用人たちの中にも、おかしな人影を見た者がいるのです。でも、私のように襲われたりはしませんけれど。本当に、どうして私だけ……」
シキミは頬に手をあてて、ため息交じりに答えたのだった。
◇ ◇ ◇
シキミとの話が終わった後、ハルたちは来客用の部屋へ案内された。
事件調査も兼ねて、数日、ここに滞在することになる――のだが。
三人は、何とも怪訝な顔をしていた。
「鬼の角がついた面ねぇ……」
「あれには、特におかしな気配は感じませんでしたけれど」
「うーん……叔父さん、あれって本物だと思う?」
ナツが訊くと、
「いや、あれはただのお面だな。ハルが何も感じなかったなら、ほんの少しの力もないだろう」
とフユキは言った。
この事務所のメンバーで、霊力を感知する能力が最も高く、よく見えるのがハルなのだ。
あの般若の面は、末木家の家宝のようなものなのは確かだろう。
けれど、言ってしまえばそれだけだ。歴史的な価値や、金銭的な価値があるかどうかはともかくとして、あれは曰く付きの品ではない。
「けれども、ドッペルゲンガーは部屋の中へ入っては来なかった」
「それが三度続けば、お面が守ってくれたって思っちゃっても、仕方がないよねぇ」
ナツが、うーん、と唸る。
――そう。そこが問題なのだ。
結果的にそうなっているだけで、実際には何か他の要因があるはずだ。
とすると、気になるのは部屋へ入った時に感じたアレだ。
「シキミさんの部屋に入った時に、薄い膜のようなものを通ったような気がしたのですよね」
「ああ、確かに。何か霊力が揺れた気がしたな」
「そうなの? じゃあ、浮島が何かしたんじゃない?」
「あそこは当主の部屋だから、守りの術くらいはかけているかもしれんな。ただでさえ、呪いの話があるんならさ」
末木家の前当主夫妻のことだ。二人には、呪いがかけられていると佐奇森は言っていた。
それがドッペルゲンガーに対して、運良く働いたのかもしれない。
ハルたちが扱う術は、基本的に霊的な現象に対して効果を発揮するものなのだ。
「ほんと、運が良かったねぇ。……だけど話を聞いた限りだと、そのドッペルゲンガーの行動って、うちの学校で見た奴とよく似ているよね」
「そうですね。ドッペルゲンガーが、鏡から現れたら完全にそっくり……」
そこまで言って、ハルはあることに気が付いた。
「……もしかして、こちらも鏡?」
ハルがそう言うと、フユキとナツは「なるほど」と頷く。
「あり得るな。確か、あの廊下の突き当りに鏡があったはずだ。……よし、それじゃあ早速調査を始めるぞ」
『はーい』
フユキの号令に、ハルとナツは揃って返事をしたのだった。




