9 それはまるで
ハルとナツが、ユリを探しながら旧校舎内の確認を終えた頃には、外はすっかりと夕焼けの色に染まっていた。
建物の外へ出たら、何となく空気も澄んでいるような気がして、双子は揃って両手を挙げて大きく伸びをする。
そしていると、新校舎の方から伊吹がこちらへ歩いてくるのが見えた。彼はハルたちを見つけて「おーい、二人共」と手を振っている。
「あ、先生」
「どうしたんですか?」
「六時を過ぎたけど戻ってくる様子がなかったから、さすがに心配になって見にきたんだ」
伊吹はそう言った。もうそんな時間になっていたのかと、ハルたちは目を瞬く。夏場で日が長くなっているので、夕方ということは分かっても、遅くなっている感覚がなかった。
「六時でしたか……あっ、しまった」
ハルはそう呟くと、慌てて携帯電話を取り出した。画面を点けると、そこには叔父のフユキからの不在着信が二件ほど残っている。これは心配させている……とハルは申し訳ない気持ちになった。
落ち着いてから連絡をしようと思っていたが、もう少し早めに電話かメールをしておけば良かったかもしれない。
あちゃー、という顔をしていると、伊吹が「あれ?」と首を傾げた。
「お前たち、だいぶ疲れた顔をしていないか? 大丈夫か?」
「うん、ちょっと色々あったんだよねぇ。あ、おまじないの件はもう大丈夫だと思うよ。でも、しばらくは立ち入り禁止にした方が良いかも。警察の人もくるから」
「あ~、ってことは、何かあったってことかぁ。二人共、怪我はしていないか?」
「はい、平気です。ただ、対処中に鏡を幾つか割ってしまいまして……。申し訳ありません」
ハルが謝ると、伊吹は笑って「大丈夫だ」と言った。
「大変だったんだろ、ありがとな。校長にはちゃんと説明しておくよ」
「ありがとうございます」
「ありがと、先生!」
伊吹の言葉に、ハルはホッとしながらナツと揃ってお礼を言う。本当に話の分かる先生でありがたいことである。
そんな話をしていると、ナツが「あ、そうだ」と言って、ハルが持っているおまじないの本へ目を向けた。
「ねぇ先生。三年生の日向ユリ先輩って、何組にいるか分かる? 落とし物を届けたいんだけど」
「……日向ユリだって?」
ナツが尋ねると、伊吹が怪訝そうに目を細める。
「その子の落とし物が、旧校舎にあったのか?」
「いえ、ユリ先輩が持っていたんです。さっきまで一緒だったのですが、気が付いたらいなくなっていて」
「…………」
そう説明すると伊吹は難しい顔になった。
そして少しだけ考えた後、
「ちょっと職員室までいいか?」
と言って歩き出した。
ハルとナツは顔を見合わせて、これは何かあったのだろうと思いつつ、伊吹の後を追いかけた。
◇ ◇ ◇
職員室へ到着すると、伊吹は奥の棚のガラス戸を開けて、中から一冊のアルバムを取り出した。
(……もしかして)
ハルは心の中で呟く。
急に姿を消したユリと、最後に聞いたあの言葉。そこから何となく予感があったからだ。
しかしハルはその思い付きを口にせず、静かに伊吹の言葉を待つ。
「お前たちが会ったって子だけど、この子じゃないか?」
伊吹はアルバムのあるページを開き、写真を見せてくれた。
そこには確かに先度まで一緒にいたユリが写っている。
「あ、そうそう。この人……えっ?」
「五年前の卒業生ですか」
目を丸くするナツの隣で、ハルはアルバムに印刷された日付を呟く。
「ああ、そうだ。それでな……その子、二年前に亡くなっているんだよ」
――ああ、やっぱり。
伊吹の言葉にハルはそう思った。姿が見えなくなった時から、何となくそんな気はしていた。
(……幽霊だったんだ)
ハルは目を細くする。
そうしていると、伊吹はハルが持っているおまじないの本へ視線を向けて、懐かしそうに目を細めた。
「ハルが持っているその本な、作ったのが日向なんだ。おまじないやオカルトの話が大好きな子でなぁ。もしかしたら旧校舎で起きていることを心配して出て、きてくれたのかもしれないな」
伊吹の言葉にハルはふと、三階の女子トイレのことを思い出した。
ハルが術を焼いている時、鏡に代永高校の女子生徒の姿が映っていた。鏡に浮かび上がった模様のせいで、その顔はよく見えなかったけれど、もしかしたらあれはユリだったのかもしれない。
『アブ ナイ』
彼女はそう言ってハルに危険を知らせてくれた。最後の姿見がどこにあるのかも教えてくれたのもユリだ。
たぶん伊吹の推測は合っているとハルは思う。
ありがたかったなとハルは感謝する。
――しかし、同時に疑問も浮かんだ。
(実体があったのはどういうことでしょう)
基本的に、ただの幽霊に生身で触れることはできない。
例えば今回のことなら、角を曲がった時にぶつかることはないのだ。
ナツの白雉丸のように霊力をこめることで初めて、霊的な現象に触れることができる。
けれどもユリはそうじゃなかった。あれは一体どうしてなのか、そう考えた時におまじないの本が目に入った。
(もしかして、あのおまじないを利用した?)
鏡や姿見から現れたドッペルゲンガーにも実体があった。あれを利用してハルたちの前に姿を現したのだとしたら、もしかしたら生前のユリは、霊的な関係の素質がある子だったのかもしれない。
(おまじないが悪用されることを憂いて、止めてくれる誰かを探していた……という感じでしょうか)
あくまでただの想像に過ぎないけれど。
「…………」
ハルは何となく『月夜のヨナガにおまじない』の本を開いた。きっとこの本には、ユリの大事な思い出が詰まっているのだろう。
そう思いながら読んでいると『将来の結婚相手を鏡に映すおまじない』のページに差しかかった。今回使われたおまじないだ。
(あれ……?)
読んでいて、ハルはふと違和感を覚えた。ヒナが見せてくれたおまじないの本と内容が少し違っているように思えたのだ。
『月夜の晩、鏡に向かって、将来の結婚相手を教えてくださいと念じること』
この本にはそう記載されている。
ヒナが見せてくれた本に載っていた、合わせ鏡とも思える手段は、そこには書かれていない。
(内容が違う……?)
表紙もタイトルもまったく同じだ。
にもかかわらず、書かれている内容の一部が違っている。
これは一体どういうことなのか――ハルがそう考えていると「この本な、ずっと行方不明になっていたんだよ」と伊吹は言った。
「え? そうなんだ?」
「ああ。日向が亡くなって少し経ったくらいにな。本が行方不明になる前、あの子のお兄さんが見に来ていたから、もしかしたら妹の形見として持ち帰ったのかもしれないって、先生たちの間では話していたんだが……」
伊吹の話を聞きながらハルとナツは顔を見合わせる。
行方不明になっていた日向ユリのおまじないの本と、図書館にあったおまじないの本。見た目は同じなのに内容の違う二冊が、何を意味しているのかはまだ分からない。
しかし、まるで本当にドッペルゲンガーのようだとハルは思った。
そしてそれは決して、良い意味で存在しているものではないことも、同時に理解する。
(お呪いと呪い……)
ハルにはこの二冊の本が、そんな関係性を示しているように思えてならなかった。
CASE2 鏡の中のドッペルゲンガー 了




