5 鏡の術
仕掛けられた術を解除するための方法はいくつか存在する。
その中で、一番手っ取り早い方法は『術を焼く』ことだった。
本来であれば、その術がどのようなものかを調べ、正式な手順で解除をした方が安全だ。
しかしその時間が無い場合や、どういう術か判明しなかった場合に取られるのが、この『焼く』という手段である。
方法について簡単に説明すると、仕掛けられた術の上に自分の霊力を重ねて、力技で燃やすというものだ。
物を燃やせば形が崩れるように、術も燃やせば崩れて消える。また古来より炎は浄化の力を持つとされており、この方法にもそれが適用されるのだ。
ハルたちの同業者にも、わりとこの手段を取る者が多いが、古くからこの仕事を生業としている者からは、あまり良い顔をされない。
(うちの本家もそうでしたね……)
ハルは心の中でそう呟いた。
あまり思い出したくない本家のことを考えたら、思わず意識が逸れそうになり、ハルは軽く首を振る。
(いけない、いけない。今はこちらに集中)
そう自分に言い聞かせ、ハルは鏡の模様の上に自分の霊力を被せて行く。
少しして、小さな光とチリチリという音とともに、術が焼け始めた。
微かに線香のような匂いが漂い始める。
(珍しい……)
術を焼いた時に何かの香りがするのは稀だ。術者の精神状態や、術を使用する際に媒介としたものから香ることはたまにあるが、それでも消さずに残しているのは珍しい。
即時発動するタイプの術ならば別だが、設置するタイプの術は、そういう痕跡を残さない方を残さない方が、術者が自身を護るためにも安全なのだ。
(この術を仕掛けた術者は、あまり慣れていない……?)
ハルが訝しんだその時、鏡にふっと異変が起きた。
双子しか映っていないその鏡の中――そこへ唐突に第三者が現れたのだ。
「……!」
ハルはハッと目を見開く。そして第三者の姿をじっと見つめた。
服装は代永高校の女子用制服だ。しかし顔は鏡に浮かび上がった模様で、ちょうど隠れる形となってしまい見えない。
「ナツ、後ろに誰かいますか?」
「後ろ? ……ううん、いないよ。何か見えるの?」
後ろを振り向いて確認してくれたナツは首を横に振った。
「代永高校の女子生徒らしい姿が見えます」
「ヒナちゃんが見たのって、それなのかな。でもハルの言い方だと、映っているのはハルじゃないんだね?」
「ええ。別人に見えますね。顔は分からないんですが……」
背格好や髪型も違うため、自分とそっくりとは思えない。
(見間違えた? それとも……)
ハルが目を凝らして観察していると、鏡の中の女子生徒の腕がゆっくりと持ち上がり始めた。
そして顔の高さまで上がったかと思うと、ハルを真っ直ぐ指さした。
同時に、口が動く。
アブ ナイ
「っ!」
ハルは咄嗟に術の解除を中断し、防御術へと切り替えた。自分の目の前に半透明な霊力の盾を展開する。
それを見たナツが「ハル?」と名前を呼んだ、その瞬間。
――三枚の鏡の中から、青白い手が六本、一斉に飛び出してきた。
その『手』は真っ直ぐにハルへと伸びる。
しかしそれは盾に阻まれた。バチッ、と電気のような音が響き『手』が仰け反るように跳ねる。
「よっ!」
その直後、ナツが『手』を目掛けて竹刀袋を振り上げた。
ナツの霊力を纏った竹刀袋が『手』を強かに打ち据える。
すると『手』は、竹刀袋が当たった箇所から、砂のようにサラサラと崩れて来てた。
「何だかここ最近、手に縁があるなぁ」
そう言いながら、ナツは他の『手』にも竹刀袋を叩きつけ、消し去った。
しかし、ほっと息を吐いたのも束の間で、再び鏡の中から新たな『手』が飛び出してくる。
「術を解除しない限り、ずっと続きそうですね。もしくは……」
「中に溜め込んだ霊力が尽きるまで、かな。うーん、面倒!」
「まぁ、そこまで付き合ってあげる必要はないですね。解除します」
「了解。フォローはまかせて」
ナツは竹刀袋を両手で構えてウィンクする。そんな彼に、ハルもにこっと笑って返すと、中断していた術の解除を再開した。半分くらいまで焼き終わっていたので、もう少しだ。
鏡から伸びる『手』をナツが対処を任せ、ハルは術の解除に集中する。
程なくして、鏡に浮かんでいた模様はすべて焼け消えた。
同時に、パリンッ、と音を立てて三枚の鏡が割れる。とたんに『手』も、空気に溶けるようにすうと消えた。
「はぁ、びっくりした。今のはあれかな、罠……っていうか、解除に対する反撃の術?」
「だと思います。片方の術が解除されそうになったら発動するよう、二重で仕掛けられていたんですね。……迂闊でした」
「いや~、あれ、仕方ないでしょ。僕も見ただけじゃ気付けなかったよ。綺麗に重ねてあったもの」
ハルがやや気落ちしていると、ナツはそう励ましてくれた。こういう時にハルの双子の弟はいつも優しい。
「それにしても、ずいぶん手の込んだやり方するよね」
それから彼は、すうと目を細めて、冷えた眼差しを鏡に向けながらそう言った。もしも友達がこういう危険な目に合ったらを想像して、術者に対して怒りを覚えているようだ。
「ええ、本当に。……ですが違和感もあるんですよね」
「違和感?」
「術を焼いた時に線香の香りがしました」
「あらま。それはまた微妙に素人っぽい」
ナツもハルと同じことを思ったようだ。軽く首を傾げている。
手が込んでいるわりに、術を使うことは慣れていないような雰囲気。鏡に仕掛けられていた術の効力も含めて、何ともアンバランスだ。
術自体は丁寧に掛けられていたので、雑な性格の術者ではないのは何となく分かるが、それにしてもスッキリしない。
(まぁ、その辺りは警察にお任せしましょう)
気になる点はあるし、術者の目的は分からないが、代永高校の生徒を無差別に狙った事件だ。規模の大きさを考えても、ハルたちの事務所で対応するより警察に任せた方が良いだろう。
「とりあえず叔父さんと佐奇森さんへ連絡ですね。……ああ、でも、鏡が割れちゃいましたし、これは学校から怒られるかな」
「不可抗力だったし、ちゃんと報告すれば大丈夫じゃない? それに、これならおまじないもできなくなるから、ちょうど良いと思うよ。……ま、でもさ、その辺りは後で考えるとして」
ナツは竹刀袋で肩をトントンと叩いてから、くるりと後ろを振り返る。
どうしたのだろうか。ハルが「ナツ?」と呼び掛ける。
――その直後、女子トイレの入り口から、先ほどと同じ『手』がぬっとあらわれた。
「よっと」
その『手』を、ナツが短い掛け声と共に竹刀袋で叩き落とす。
床に落ちてすうと消えていく『手』を見て、ハルは目を見張った。
「もしかして……他の場所と連動しました?」
「それっぽいよね。たぶん『手』が伸びて来る先に、その鏡があるんだと思うよ」
「なるほど。場所が分かりやすいのだけはありがたいですね」
ハルは頷くと、扇子をナツの方へ向け、彼の前に霊力の盾を作り出す。
この状態で進めば、不意打ちを受けても問題ないだろう。
盾を見てナツが「アハ」と楽し気に笑う。
「それじゃ行くよ、ハル!」
「ええ、行きましょうナツ!」
双子はそう言うと廊下へと飛び出した。




