3-4 狼の正体
その遠吠えは村の郊外から聞こえて来る。
間隔を開けて、
アオーン、
と、誰かを呼ぶように何度も何度もだ。
しかし不思議な事に、その遠吠えの音が聞こえているのはハルとナツだけのようだった。
口無村の人間だけではなくハルのクラスメイト達も、何度も聞こえて来るそれに興味を示す様子がない。
さすがにこれだけ吼えているなら何が起きているのかと思う方が普通だろう。
けれども、それがない。
「これはどうも、皆には聞こえていないっぽいですね」
「それっぽいねぇ。うーん、僕達だけが聞こえているとなると……呼ばれている?」
「たぶん。でも、井戸の底にいたアレと違って、悪いものには思えないんですよね」
「最初に会った時も、助けてくれたっぽいからねぇ」
そんな事を話しながらハルとナツが走りながらそう走っていると、
「あれ? ハルちゃん達、そんなに急いでどうしたの?」
「何か面白いもの見つけた? 猫? 猫ちゃんがいた?」
――逆にクラスメイトのヒナ達には双子の方が奇妙に映ったらしく、そう声をかけられた。
なるほど、と思いハルとナツは足を止める。
(目立つのは出来れば避けたい)
そう思いながらヒナ達の方へ近づいた。
「猫ちゃんはそう言えば見ないな~。今ね、家に帰った時の夕食当番を賭けて、ダッシュで勝負している最中なんだ」
「へー! ナツ君が当番になったらご飯は何になるの?」
「夏野菜のカレーかな~。具が大きい奴ね」
「あ、美味しそう! 夏野菜って色が綺麗でいいよねぇ。ハルちゃんが当番になったらなーに?」
「マグロの漬け丼ですかねぇ」
「わぁっ、いいなぁ~! 美味しいよねぇ、マグロ」
「えっ、良いの来た。ハルの漬け丼好き。え~、じゃあ僕、もっと頑張っちゃうよ。マグロ好きだし」
適当に話を合わせていたら、ナツがウキウキした様子でそう言った。
本当に勝負をしているわけでもないが、ここまで食べたそうな顔をしていると、じゃあ作ろうかなという気持ちになって来る。
けれど、それも全部、この村の事が終わってからだ。
「そういうわけだから、ヒナちゃん、また後でね~」
「うん! 二人共、がんばってねー!」
『がんばりまーす!』
双子が声を揃えてそう言うと、ヒナはぶんぶんと手を振って見送ってくれる。
ハルとナツは手を振り返してから、遠吠えが聞こえた方向に向かって再び走り出した。
◇ ◇ ◇
遠吠えの声が大きくなるにつれて、村の中心部からは離れ、人気は無くなってくる。
青々とした田園を横目に見ながらハル達が走っていると、しばらくして異変に気が付いた。
(――音が聞こえない)
蝉の鳴き声も、草木が風に揺れる音も、何の音もしなくなっている。
異様に静かな夏の風景の中で、自分達の足音だけが響いていた。
「これはまた」
「ええ」
何がいるんだろうね、という気持ちを込めて、双子は短いやり取りをする。
そうやって走っていると山の手前に辿り着いた。
人が作った道はそこで途切れている。
「どうします? 入ります?」
「うーん。結構、急な斜面だけど……よじ登れば何とかなるけど」
明らかにおかしい状況で山に入るのも危険だろうと、双子が考えていると、
「……あ!」
――山の奥。
木々が生い茂っている先に、二人は探していたものを見つけた。
淡く光る毛並みを持った白い狼だ。
狼は静かに、真っ直ぐに、ハル達を見つめている。
ふさりと揺れる狼の尻尾には、赤と白の二色で彩られた矢絣柄のリボンが巻かれている。
やはり間違いない。あの豪雨の中で、自分達を口無村まで案内してくれたあの狼だ。
(やっぱり、あの矢絣柄のリボン……)
最初にこの狼を見た時は、どうしてリボンをつけているのだろうかと不思議だった。
けれども今は何となくその理由が頭に浮かぶ。
灰鐘アキトの存在だ。同じ柄の着物を着ていたというのもあるが、何よりも彼が持っていた古い写真――あの狼の尻尾に巻かれているリボンと同じものをつけた少女が映った写真を持っていた。
どうにも偶然とは思えない。
そう思いながら見ていると、ナツが口を開いた。
「こんにちは、狼さん。ええと、僕達の勘違いじゃなかったらなんだけど。山の中で彷徨っていた僕達を、この村まで連れて来てくれたのは狼は君で良かったかな?」
朗らかに尋ねるナツ。
『…………そう』
するとたっぷり間を空けた後、狼の口から人の言葉で短くそう返事があった。
静かで澄んだ声だ。音が少しぶれているような独特な響きをしている。
「あの時は助けてくださってありがとうございます。あのまま山を彷徨っていたら大変でした」
「そうそう。僕、熱出しちゃったんだよ。もし狼さんに会わなかったら、ちょっと面倒な事になっていたかも。本当にありがとね!」
『…………』
双子がそうお礼を言うと、狼は若干気まずそうに視線を彷徨わせ始めた。
何とも獣らしからぬ仕草である。
どちらかと言うと人間のそれに見えるな、とハルは思った。
まぁ、それはともかくとして。
今の狼の反応を見る限り、ただの親切でハル達を助けてくれたというわけでもなさそうである。
(これは少し突っ込んだ話をしてみた方が良いかな)
そう思って、今度はハルから話しかける。
「あの、狼さん。別れ際にあなたは、私達に向かって『兄さんを助けて』と仰いましたよね」
『……言ったわ。そのために、あなた達を村へ呼んだの』
「なるほど。ではもう一つ、確認をさせていただいても?」
『いいよ』
「ありがとうございます。では……あなたの仰るお兄さんという方は、もしかして――灰鐘アキトさん、で合っていますか?」
ハルは変にぼかしたりせずに率直にそう訊いた。
これまでの情報を総合すると、どうにもそうではないかと思えたのだ。
矢絣柄のリボンを付けたこの狼はどう見ても普通の動物ではないし、アキトは双子の妹を六年前に亡くしている。
これまでの不可解な状況や、狼の発言を合わせて考えると『兄』と言われて浮かんでくるのは彼なのだ。
『合っているわ。灰鐘アキトが私の兄さん』
白い狼は少しだけ表情を和らげた様子で首を縦に振った。やはり人間の仕草だ。
『兄さんを助けて欲しい。この村の外へ連れ出して欲しい。そのために、あなた達だけを、あの時に呼んだ。他の子達と違う気配がしたから』
「呼んだ……って、あ、もしかして。僕達が途中で皆と逸れたのって、君が何かしたの?」
『ごめんなさい。……村には結界が張られていて、今のままだと私は入る事が出来なかったの』
「なるほどねぇ。だからここまで僕達を呼んだんだ?」
『そう。誰かに頼まないとどうしようもなかった。でも、こんな場所まではほとんど誰も来ない。あなた達を見つけられて運が良かったの。そしてあなた達二人が一番ちょうど良かった』
意外と素直に狼は謝ってくれて、思わずハルとナツは苦笑する。
「まぁ、豪雨の中だったとは言えど、あそこで逸れたのはちょっと変だと思っていました」
「ね~。まぁ、事情が分かってスッキリしたよ。良かった良かった」
『……えっと、あの、怒らないの?』
狼はぽかんとした様子でそう聞いて来た。
怒られたり、怒鳴られたりを想定していたのだろう。
「怒る必要はないかなぁ。狼さんは別に僕達に何か悪さをするために、こんな事したんじゃないでしょう? それに君はちゃんと村まで案内してくれたからね」
『でも……こんな酷い村なのに?』
「おっ、言うね~。ふふ。……ま、そうだね。確かに、他人ごとながら、こんな村って思うよ。申し訳ないけどね。だけどね、一度アレを見ちゃった以上は、放っておくわけにもいかないし」
「ええ。このまま放置しておくと、被害者が増えそうですからね。うちのクラスの子達もいますし。私達、そういう関係を解決するアルバイトもしていますので、あの井戸の件は何とかするするつもりでいますよ」
狼の頼みはそのついでになるけれど、叶える事は出来ると思う。
そうハル達が言うと狼は安心したように目を細めた。
『……ありがとう』
「んふふ。まだ何も解決していないけどねぇ」
「ええ、これからです」
『村に入るようになれれば、私も助けになれる。……でも本当に気を付けて。もうすぐ井戸から、あの化け物が出て来てしまうから』
狼はそう言うと、くるりと山の方へ向きを変えて歩き始める。
その後ろ姿を見てハルは、あ、と思い出したように声を掛けた。
「あの、狼さん。お別れの前に、あなたのお名前をお伺いしても?」
狼は、一度だけ足を止めた。
それから振り返らずに、
『――灰鐘キクノ』
と答えた後、走り去った。




