2-7 霊力の膜
着替えを済ませると、ハルは男子部屋へと向かった。
部屋に近付くにつれてクラスメイト達の話し声も聞こえてくるが、その声にはいつもの弾けるような明るさはない。
この分だとやはりタチバナの容体に変化はなさそうだ。
そう思いながら男子部屋の前までやって来たハルは、障子戸越しに中へと声を掛ける。
「すみません、ハルです。ナツは戻っていますか?」
「あ、ハルさん? いいよ~、開けちゃって~」
すると中にいたクラスメイトの一人が返事をしてくれた。
お言葉に甘えてハルはそっと戸を開ける。
部屋の中ではクラスメイト達が各々くつろいでいた。出歩いている者もいるようで数人の姿が見えない。
(……あれ?)
部屋の中を見ていると、そこにタチバナの姿がない事に気が付いてハルは首を傾げた。
「ハル、どうしたの?」
そうしているとナツが来てくれた。
ナツも着替えが済んでいて、そして腕に包帯が巻かれている。
「あ、いえ。タチバナ君はどうかなと思って、様子を見に来たんですが……いませんね?」
「隣の部屋にいるよ。伊吹先生がさ、僕達とお社へ行く前にツバキさんに頼んで、部屋を移動させてもらったんだって」
そう言いながらナツは大部屋の奥の襖を指さした。
なるほど、とハルは思った。
同じ部屋にいると、どうしても他のクラスメイト達に不安が増してしまうからだろう。
「となると、やっぱり?」
「うん。変わりないね。眠ったままだよ」
軽く頷きながらハルが訊くとナツはそう言った。
「そうですか……。……あの、ハル、少し良いですか? お話したい事がありまして」
ハルが続けてそう言えば、ナツは「いいよ~」と笑って部屋の外に出てくれた。
そして障子戸を静かに閉めて、二人並んで廊下を歩く。
クラスメイト達に声が聞こえないところまで移動したかったのだ。
「ちなみにさっき聞いたんだけど、隣の部屋にはこの廊下をぐるっと回っても入れるらしいよ」
「あら、それは便利。ちょうど良いですね。ですが迷路みたいで、ちょっとだけ混乱しそう」
「古い家特有だよね。遊園地のアトラクションなら面白いんだけど。僕、間取り図を見て見たくなっちゃったよ。こう、見せたくない何か隠されているって感じしない?」
「それっぽく不穏に言わない」
「アハ。だって、それっぽい場所でしょ?」
ハルがツッコミを入れるとナツは楽しそうに笑った。
彼は元々明るい性格だが、今の状況だからこそ気を遣って、よりそう振舞ってくれているのだろう。
人懐こくて飄々として、人をからかったりもするハルの双子の弟は、結構人を見ているのだ。
アキトと話をして、少々複雑な気分になっていたのを見透かされていたらしい。
ハルは苦笑しながら、
「まぁ、それはともかく。とりあえず話をするならそちらの方が良さそうですね」
と続けた。ナツも「だねぇ」なんて笑っている。
「あ、そうだそうだ。聞きたいんだけどさ。ハル、今、携帯持ってる?」
「持っていますよ」
「電波の調子どう? 僕のスマホ、ずっと圏外でさぁ」
とナツが言い出した。ああ、と思ってハルもズボンのポケットから携帯を取り出す。
念のため確認するが、やはり電波状況は圏外だ。朝と同じく変化はない。
「私も同じですね。圏外です。朝起きた時にはすでにそうなっていたので、天気の関係かなとも思ったのですが……」
「そっか。うーん、僕は雨で壊れたかと思ったけど、そうじゃないのかな。通じる内に叔父さんにメールを送れて良かったよ。送信できませんでしたってならなかったからラッキーだった。メーラーデーモンお断り!」
「代わりにもっと恐ろしいデーモンが出てるっぽいですけどね」
「嫌だね~、僕らエクソシストじゃないしさぁ。人間相手なんて特にだよ」
ナツは軽く両手を開いて肩をすくめた。
思わずハルは小さく笑う。
「そうですねぇ。……ですが、どう対処しなければいけないかは考えないと」
「あのメールで叔父さんが来てくれれば良いんだけどね。ま、叔父さんが到着するまで、僕達が大丈夫かどうか分からないけど」
「ナーツ?」
「あはは、ごめ~ん」
ナツは頭の後ろに手を組んで笑った。
その時、ナツの左腕が目に入る。先ほど言っていた通り、手の痕が見えないようにしっかりと包帯が巻かれている。
それを見ていたら、そこからぴりっと嫌な雰囲気を感じた。
「……ナツ、後でその腕、もう一度しっかり見せていただいても?」
「ん? あ、いいよ~、もちろん」
そんな話をしながらハルとナツは廊下を進むと、少しして目的の部屋に到着した。
襖を、音を立てないようにそっと開けて、二人は部屋の中へと入る。
中央に布団が敷かれていて、そこにタチバナが寝かされていた。
とりあえず魘されたり、苦しんでいるような表情ではない。ごくごく普通の寝顔だ。
少し安心しつつ、ハルはタチバナに近付く。そしてその枕元に座って、彼の身体をじっと見つめた。
するとナツの言っていた通り、青く透けた膜が彼の身体を覆っているのが見えた。
それに指先で軽く触れてみると、氷とまではいかないがひんやりとした冷気を感じる。
「霊力の膜……ですかね、これは。これで冷やす事で身体の機能を低下させているんじゃないかと」
「そういう系かぁ。伊吹先生が島民と似ているかもって言っていたよ。何かの術だと思うけれど、僕は見た事がないタイプだね」
「私もです。ですが、これなら何とか」
ハルはそう言うと、ズボンのポケットに潜ませている扇子を手に取った。
そしてそれにほんの少し霊力を纏わせると、その膜をコツ、と軽く叩く。
すると膜に波紋のようなものが生まれた。
「外側からの干渉は可能、と」
「なるほどね」
外からの刺激を全て弾くか、引っ掛かりなく通してしまうタイプであれば、対処の方法が変わって来るが、これなら解くのは何とかなる。
自分の霊力をぶつけて、じわじわと術を焼けば良いのだ。
「大丈夫です、これなら解けますよ」
「良かった! 僕も出来そう?」
「何か適当なものに霊力を纏わせて、タチバナ君へ当たらないようにぶん殴れば」
「物騒!」
ナツも安堵したようで、ふは、と笑った。
「それじゃ、後はどのタイミングで解くかだね。あまり長い事このままだとタチバナの身体も心配だし」
「冬眠と違って、事前に十分な食事をとっていませんからね。……今なら儀式を成功させたから解けた、は理由にするにはちょうど良いかもしれませんが」
口無村側の思惑はともかく、双子が山神に祈りを捧げたという事実は出来ている。
あちらが山神の祟りがどうのと言っているならば、そういう方向で話をまとめた方がすんなりと行くだろう。
「外の雨の具合なら明日には村を出られそうだね。タチバナが目覚めたら直ぐに病院へ直行しますって流れにした方が自然かな。伊吹先生にそれとなく話してみるよ」
「よろしくお願いします。本当は今からでも下りたいところですが、泥濘的にも、時間的にも、ちょっと難しそうですね」
「そうだね。今の時間からだと夕方になっちゃうかも。」
携帯を見てナツは言う。時間的にはそろそろ遅いお昼の時間帯だ。
昼食を済ませて出発する準備を整えると、早くても一時間ほど後になるだろうし、この人数で山を下りるとなれば、到着するのは遅い時間になる。
それにハルとナツはこの山で、なぜか皆と逸れてしまっているのだ。
次も何が起きるか分からない。この人数で遭難となったら今度こそ大変な事になる。
だから山を下りるのならば出来る限り余裕を持っておきたい。
「となると……タチバナ君を起こすなら、明日の早朝がベストですか」
「だねぇ。何事もなく夜を越せると良いんだけど……ん?」
話をしていると、ふとナツは頭の後ろで組んだ手を解いた。
そして左腕を見て首をかしげている。
「どうしました?」
「いや、何か変な感じがして……」
そう言いながらナツは巻いていた包帯を取る。
すると、そこについていた手の痕が、先ほど見た時よりも色が濃くなっていた。




