2-3 井戸の中の結界
番傘を差してナツは探しに行くと、彼は大きめの井戸の前に立っていた。
たいぶ古い井戸のようだが、お社同様にきちんと手入れはされているのは見た目で分かった。
「ナツ、何か見つかりましたか?」
「うん。これ見て」
ナツはそう言って井戸の中を指さした。
何だろうかとハルが覗き込むと、
「――これは」
そこには普通の井戸にはまず見られない光景が広がっていた。
井戸の奥――ちょうど真ん中くらいの地点に、青色に光る糸のようなものが張り巡らされている。
「霊力で張った……結界?」
「だと思うよ」
ハルの言葉にナツは頷いた。
霊力というのは、この世の生き物が知らず知らずの内に持っている不思議な力の事だ。
これが強いと普段であれば見る事が出来ない霊的な現象を認識出来る。また鍛錬や研鑽を積めば、霊力を上手く扱って霊的な現象に対処する手段を行使する事も可能だ。
ゲームや漫画などに登場するフィクションの世界の陰陽師のような、と言えば分かりやすいだろうか。
ハルとナツは陰陽師ではないが、その霊力というものが強い人間だった。
ついでにそういう関係のアルバイトもしているので、こういう類のものは見慣れている。
見慣れているからこそ、余計に嫌な予感が強くなった。
「だいぶ古いタイプのものですね。糸もところどころ千切れそうなくらい細くなっています」
「見た事ある?」
「ええ。結構古い書物に載っているのとそっくりです。……でも、この分だとあまり長くはもたなそう」
「だよね。見た感じ継ぎ足ししてるって言うか……ちょいちょい直しはしているみたいだけど。これしちゃうと結界壊れやすくなるんだよねぇ」
ナツは井戸の中を覗き込みながら、ハァ、とため息を吐く。
「これでどんなものを封じ込めているのやら。あんまり良くないものってのは確かだろうけれど」
「そうですねぇ。良くないものと言えば、お社にもちょっとおかしなものがありましたよ」
「おかしなもの?」
「ええ。お社の床に、人の手のような沁みがたくさん。薄っすらとではありますけどね」
「うっわぁ……」
ナツが嫌そうに顔を顰めた。
そうなる気持ちはハルにもとても良く分かる。
「ちなみにどんな感じ?」
「何かから逃げているように見えました」
「逃げているか……。となると十中八九、この井戸に封じられている何かからだろうなぁ。結界もコレだし……あー、うーん。ハル、あれ修復できる?」
ナツにそう訊かれ、ハルはもう一度結界の様子を見る。
そして少し考えてから、
「まぁ、応急処置くらいなら」
「じゃあ、それやっちゃおう。で、村を出たら速攻で叔父さんや佐奇森さんに連絡しよ」
「そうですね。……はぁ、やっぱり呪符とか持って来ていたら良かったですね。あれがあったら、もう少し何とか出来たのに」
「いやいやいや、どう考えても林間学校では使わない奴だよね? いらないよね? 扇子だって微妙なのにウチワ代わりですってごり押ししてたし」
「でも、持ってきて良かったでしょう?」
「本当にね! そこはね!」
そう言ってナツが苦笑した時。
ピシ、
と何かが軋むような音が耳に届いた。
「今、音が……」
何の音だろうか、そう一瞬考えて、
(結界!)
ハルはハッとして井戸の中を再度覗き込んだ。
その時、
タス、けて
「え?」
軋む音とは別に子供の声が聞こえた気がした。
その次の瞬間、井戸の中から青白く透けた無数の手が、ぶわり、と飛び出して来る。
手が、ハルの顔を掴みかけた時、
「ハルッ!」
ナツの鋭い声と共に、ハルは後方に突き飛ばされた。
一瞬遅れて庇われた事に気が付き、ハルは顔を上げる。
その時にはナツの身体に青白い手が絡みついていた。
「ッ、なかなか、力が強い……!」
「ナツ!」
ハルは懐に忍ばせた扇子を引っ張り出した。
そしてそれに意識を――自身の霊力を集中させる。
すると扇子がふわりと淡い光を持ち始めた。
その光が、霊力の粒子が、扇子から浮かび上がり小さな蝶の形へと変化していく。
数は四匹。扇子の周りを舞う蝶に、ハルはフッと息を吹きかける。
すると蝶達は宙を飛び始め井桁へと舞い降りた。
蝶は井桁の東、西、南、北、それぞれに等間隔にとまる。
それを確認すると、ハルは祈る様に扇子を両手で力強く握りしめた。
そしてぶつぶつと呪文を唱える。
ハルの言葉と共に蝶達は強く光を放った後、砂のようにサラサラとその形が崩れて、井戸へ溶け込んでいく。
とたんに井戸の中に張られていた綻びかけた結界の糸が太くなる。光が強くなる。
これは結界を修復する術だ。
結界の光が強くなると、それに当てられた白い手は、ナツの身体から引き離されるように手を放す。
そしてそのまましゅるしゅると、井戸の底へと吸い込まれて行った。
(これで何とか)
ハルがホッと息を吐きながら、中の結界を確認した時。
その向こう――井戸の底で黒い何かがうごめいているのが見えた。
「――――?」
何だろうかとハルは目を凝らす。
井戸の底にみっちりと詰まった、得体の知れない何か。
一瞬、それと目が合った。
ァアァ……オイシソウ……
鳥肌が立つような嫌な声が聞こえた。
ぎらついた目がこちらに向けられている。
井戸の底にいるそれが、舌なめずりをするように、ニタリと笑ったのが分かった。
ハルの背筋にぞわりとした悪寒が走る。
「ッ」
本当にそれは一瞬で、結界の光が眩くなると、井戸の底の何かは闇に溶けるようにスウと消えて見えなくなった。
「…………」
ドッ、ドッ、と、心臓が鳴る。ハルは思わず自分の胸に手を当てた。
――嫌な汗が出た。
軽く頭を振ってその感情を振り払うと、ハルはナツの方へ駆け寄る。
「ナツ、大丈夫ですかっ!?」
「うん、平気平気! あ~、びっくりした~」
「庇ってくれてありがとうございます」
「アハ。いいよいいよ~。咄嗟に身体が動いちゃったからさ」
ハルがお礼を言うとナツはへらりと笑って軽く左手を振る。
その時、はらり、と袖が捲れた。
するとそこに薄っすらとした手の痕がついているのが見える。
「ナツ、それ」
「え? ……あらま、ずいぶん強く掴まれてたみたいだね」
「痕になっていますね。痛みはありませんか?」
「いや、ないよ。掴まれていた時も、あまり感じなかったし。だけどこれ、あまり見られない方が良いよねぇ」
「そうですね……。ヒナさんあたりは気絶するかも」
「あ~、それはまずいな~」
ナツは腕を見て眉を顰める。
季節が夏でなければ服で隠れて良かったのだが。
さすがに今の暑い時期に、袖の長い服を着るのはだいぶ辛い。
「包帯でも巻いておいたら良いかも」
「あ、それなら持ってきているから、屋敷に戻ったら見つからない内に巻いておこうっと」
「あら、荷物に入れて来たんですね」
「入れて来たよ~? 備えあれば憂いなしって言うし。ハルがよく怪我するから、そういうものはちゃんと鞄に詰まっております。安心してね」
「私、そんなにドジではないですよ」
「ドジじゃないけど、怪我するんだよ。自覚してね?」
ナツが肩をすくめて言うが、ハルは「そうかなぁ」と首を傾げた。
まぁ、それはともかくだ。
それからナツは井戸の方へ目を向けた。
「いやぁ、それにしても今のすごかったねぇ。あんなに出て来るとは思わなかった。よくあの量を中に押し込めたよ」
「ええ。とりあえず一時的に鎮めて、結界の応急処置をしましたが……あの様子だと、そんなにもたないかも」
あの手は霊的な存在だ。
場所から想像するに、恐らくここで命を落とした人間のものだろう。
それが何らかの理由で、井戸の底に結界で封じられているのだ。
ああいう封じられている類のものは、基本的に悪いものである事がほとんどだ。
なので、あの手もそいうものだと考えるのが普通なのだが……。
「……助けてって言っていたんですよね」
「うん。僕にもそう聞こえたよ。何ていうか……すごく怯えた声だった気がする」
あの声を聞いてしまうと、どうしても悪いものには思えない。
まぁ、そういう方法で獲物を釣る怪異もいるにはいるが。
ハルも井戸の中を覗き込む。あの青白い手も、一瞬見えた何か同様に今は見る事が出来ない。
「ナツ。……ナツは井戸の底に、あの手とは別の何かがいたのを見えましたか?」
「ん? いや、僕は何も……。というより見ている余裕がなかったかな。何か変なのがいたの?」
「ええ。はっきりと何がとは言えないんですが、得体の知れない何かが。……すごく嫌な感じがしましたよ」
「うわぁ……。ハルの嫌な予感は当たりやすいんだよなぁ。まっずいなぁ……」
ハルの言葉に、ナツは手で前髪をくしゃりとかき上げる。
「……これだけのものが、井戸に押し込められているなんて。一体何をやったんだ、この村は?」
そして渋い顔をしながら、そう言ったのだった。




