午後11時55分発の電車
午後11時55分発の電車は、出発までにまだ暫く時間があるのに空席はまばらだった。
米吉君は、車輌の中ほどに進み、最初に見つけた、通路側の、進行方向とは逆向きの席を取った。バッグを棚に置いて座ると、向かいの席には、二十代後半の、ジーンズと薄いピンクのセーターの、顔立ちの整った女の人がいた。隣は四十歳前後の男で頭を窓に寄りかからせて眠っており、左斜め前ではトレンチコートを着た年配の男が新聞を読んでいた。新聞の第一面に二週間程前特赦で刑の執行が停止された金大中氏釈放の記事が見えた。
東京から少し離れたところへ帰る通勤者にとって終電になる電車は次第に混んできた。女の人は、米吉君と目が合うと少し微笑んだ。米吉君も頭をちょっと下げた。
「学生さん?」と女の人は訊いた。
「そうです」。
「その本、私も読んだことがあるわ」。米吉君が手にしている本を見て、言った。
このところ、夜、なかなか寝られない米吉君は、深夜の電車の中でもいつものように眠くなるまで本を読もうと思い、文庫本を持って来た。書き出しが現在の気分に合っていた。彼女にもそう話した。
「朝鮮人の、スーパーマーケットの天皇が出てくるのよね」。
彼女は普通の大きさ声で言ったのだけれども、米吉君には大きく聞こえた。疲労が漂い、静かさに浸された、出発を待つ車輌内に「チョウセンジン」、「テンノウ」のことばの響きが際立った気がした。ヘンに周囲の心を騒がせ、注意を引きはしなかったかと動揺した。新聞から男が目を上げ、彼女と米吉君を睨んだ気がした。米吉君の狼狽が女の人に伝わったのかもしれない。
「私は、朝鮮人、在日朝鮮人です」と彼女は自己紹介をした。高校生の時から韓国の民主化運動に関心があった米吉君は、「韓国人」と言わずに「朝鮮人」と言ったことに気を留めた。
「***アキコと言う日本名はあるけれども、私は、朝鮮の名前で生きていくことに決めたの。
「学生さん、こんな深夜の電車に乗って、旅行?」と訊いた。
「ただの旅行、とは、言えないです。
「大学の友人が五週間前からいなくなって、連絡も取れていません。友人のご両親が心配していて、友人のことを話しに行くんです。お会いしても話すことがそれほどあるわけではないのですが、最後にその友人が話したのが、たぶん、僕なのです。
「大学の食堂で最後に会った時、東京は冬でも青空が見えるからいい、なんて言って。
「唐突に、結局僕たちは四角い部屋から四角い部屋へと綱渡りするみたいにして生きていくんだよね、と言いました。彼は、漠然とただそう言っただけだけれども、その時僕には彼が何を言いたいのか、自然に分かる気がしました。彼が四角と言った時、目が覚めたみたいに世界中が四角であることが分かった気がしました。僕自身も四角に象られている気がしました。僕は頷くだけで何にも言えませんでしたが。
「それまでにも、友人がぽつんと何か言って、それにはっとさせられることが度々ありました。そんな時、はっとさせられたと告白すると友人は喜びました。
「……でも、一度、がっかりさせたこともありました。
「……友人は、詩を書いていて、彼のアパートを訪れる度に新しく書いた詩を見せてくれました。詩は大学ノートに書き溜めてあって、表紙には『港行きの電車』と書かれていました。そういう題の詩はなかったのですが。それで、ある時、ふと『港行きの電車』なんて詩集の題にしては感傷的だし散文的に過ぎるなぁと言ってしまい、友人は顔を赤らめて、でも自分は気に入っているんだと言いました。
「港は、海という調和的でもあり超越的でもあり暴力的でもある自由な広がりへの起点ですよね。今は、それが分かるのですが……。
「あんなこと言わなければよかったと思います」。米吉君は初対面の人に個人的なことを長々と話してしまった。
「あなたの友人も……あなたも、まるで穴ぼこに落ち込んでしまっているのかもしれないわね、蜜みたいに」と朝鮮人の彼女は言った。米吉君は、まさに「穴ぼこ」に陥っている気分だった。そのとおりだった。「蜜」のように。
朝鮮人の女の人が言った「蜜」は、米吉君が手にしている、大江健三郎の『万延元年のフットボール』の「根所蜜三郎」のことにちがいなかった。その小説は、蜜三郎が浄化槽を埋めるために掘った「穴ぼこ」の中にしゃがみこむところから始まる。
「旅行ですか?」と少し間があって、今度は米吉君が尋ねた。
「あなたとの話の続きからすると、私も『穴ぼこ』にかかわる旅ということになるのかな。
「……モーツァルトの『レクイエム』、知っている?」。
「はい」。
「私、あなたくらいの頃、あなた、二十歳位でしょ?」
「ええ」。
「もう二十年も前になる。合唱団に入っていて、モーツァルトの『レクイエム』を歌っていたのよ」。
米吉君には女の人が二十歳代後半にしか見えていなかったので、「二十年も前」ということばにとても驚いた。
「『レクイエム』を初めて聞いたのは、中学を卒業して、ダムの工事現場の傍らに建てられた診療所で見習い看護婦をしていた時。
「本当は見習い看護婦になりたくなかった。
「高校に行きたかった。お父さんに高校に行かせてくださいと何度も頼んだけれども、行かせてやれないって父は言った。
「泣けたな。
「我が家では進学は無理だと心のどこかで承知していたのも事実なのだけども。二人の兄も中卒で働いていたから」。
女の人は、現在大井町の病院で看護婦をしていて、三十八歳の時に勇気を奮って通信制高校に入学し、今も通っていると話した。
「ダムの工事で大勢の人が集まっていた。
「診療所と言っても大きくて、医療従事者を含めその病院で働く人が各地から集まっていた。多い時は三十人位いた。
「私は、見習い看護婦で何にも知らないから、初めは言われるままに夢中で一日一日を過ごしていた。
「山の中の、雪深いところで、娯楽といったら、画面がちらつく白黒のテレビと本とレコードだった。
「私は、本が一番好き。
「それで、休みの日には診療所に設置された図書室で何冊も本を借りて来て、部屋の片付けや掃除や洗濯をしながら、読んでいた。
「高校に行きたくても行けなかったという思いがあったから、本は、その頃の私には希望だった。
「……工事が最盛期を過ぎて、診療所も規模が半分位に縮小された頃、大学病院から、若い医師がやって来た。白衣がまだぎこちない感じで、でも、それがその人らしかった。
「その若い医師は、自分のレコードを何枚か持って来ていて、寮の娯楽室にあったステレオでかけて、私たちにも聞かせてくれた。
「……彼がよく聞いていたモーツァルトの『レクイエム』を私も気に入った。その頃というのは、親しくしていた同い年の、また、姉のようによくしてくれた先輩のナースや私を可愛がってくれた事務局の人たちが次々と山を下りて行ってしまう時期でもあって、それで、若い医師が私の中では次第にその人たちの代わりになっていった。
「初恋だったかも知れない。
「けれども、私はそうは思わないようにした。
「恋愛なんて俗っぽいものだと考えていた。
「日本名を名乗っている一方で、自分は朝鮮人だという意識もちょうど強くなっていた。
「私は、その時好きになった人がたまたま男性だったと思おうとした。
「彼は、一年半も経たないうちに大学病院に転勤になった。持っていた何枚かのレコードを全部私たちのために残していってくれた。
「彼は、『レクイエム』を聴くときは、『ディーエス・イレ(怒りの日)』をボリュームを上げて聞いていた。
「……その後、私も山を下りて、彼と二度と会うことはなかった。
「……私は、大阪に戻って、見習い看護婦の経験を無にしたくなかったので、看護学校に入学した。二十一歳の時だった。
「そして、ずっと憧れていた、地元の合唱団にも入った。美しいいろんな曲を歌ったの。
「ベートーヴェンの『第九』も地元の交響楽団と共演した。それが縁になってモーツアルトの『レクイエム』も共演することになった。言いようもないくらい嬉しかった。とても懐かしい気がした」。
電車は既にいくつかの駅に停車し乗客を降ろした。電車の中には、立っている人はもういなかった。
「合唱団では、いい友だちがたくさんできた。仕事、勉強、本のこと、何についても話ができた。
「でも、私が少しずつ口に出すようになった在日朝鮮人や政治の話には日本人の友だちは、反応が鈍く、口を噤みがちだった。その中で、ただ一人大学院生のNだけは在日同胞への差別や日本の朝鮮統治、創始改名の話に熱心に耳を傾けてくれた。そして、私の意見に対する疑問のことばや厳しい批判も向けた。
「Nは本当に真面目に真剣に私の話に付き合ってくれた。
「……Nには練習後必ず一緒に帰る女性がいた。彼女は私と同い年の大学生で、私には、彼女がそれ程魅力的だとは思えなかった。
「秋の終わり頃のある夜、陸橋の上で街を眺めている二人を遠くから見かけた。声をかけようと思って近づいて行った。
「でも、声が出なかった。Nが彼女の肩に手を回していた。
「目にしたくなかったものを見た気がして、二人から足早に立ち去った。
「その頃私には密かに思いを寄せた人が合唱団にいた。でも、その光景に意外なくらい衝撃を受けている自分がいた。
「……間もなくNはアメリカに留学することになって、みんなで送別会をした。
「私はお守りをあげた。『絵葉書を一回くらいは頂戴ね』と言うと、『もちろんだよ』と素敵に笑って言った。
「それなのに絵葉書は来なかった。
「アメリカで交通事故で亡くなったの。
「……彼と一緒に歌った最後の曲がモーツァルトの『レクイエム』。
「Nは、『ラクリモーサ(涙の日)、いいよね、そう思わない?』と言いながら、そのメロディーをよく口ずさんでいた。
「Nが亡くなった後、いろんなことがあった。
「私が自分自身であろうとすることで起こった諍いや軋轢が。職場でも合唱団の中でも私生活でも。私は人前では強くいたけれども、一人の時は泣いてばかりいた。
「それから、東京に来て、日本人の名前を使うのをやめて、生活を始めた……。
「なんでこんな話をしたのかな。
「……あなたがいい人だからかな。
「あ、私がどうしてこんな遅い電車に乗っているかという話だった、ね。
「……もう昨夜のことになるけれども、当時の合唱団の仲間が久しぶりに集まったの。昨夜の会には仕事で出られなかったけれども、みんなが泊まっている所は分かっている。私が来るなんて誰も思っていないに違いないから、今朝寝起きにびっくりさせようと思って、この電車に乗った。
「この話は、私の古い、でも、今にも続く『穴ぼこ』の話」。
ガラス窓は車外には無関心で、車内の眠り込んだ乗客だけをぼんやり映している。
「小さなものかもしれないけれども、私たちは小さな穴ぼこに時々落ちて、もがくのよ。
「私は、まさに穴ぼこの中で目の前の暗がりにある土くれを手で引っ掻いて生きてきたと思うもの。
「ずうっと、これまで……。
「あなたの友だちがこの世は四角い部屋だって言ったそうだけれども、その友だちにとっては日常を生きること自体が、その頃は、穴ぼこに落ちているように感じていたのかもしれないね」。女の人は、米吉君の持っている本に目をやった。
「私は、『万延元年のフットボール』の蜜三郎とは違って、生きるために、前に進むために、もがいて来たのだけれども。
「……でも、そう、ね、考えてみると彼も自分に覆いかぶさる情況から逃げ出そうとして、でも、決して逃げ出しはしなかった。
「逃げないとすれば、自分を埋めるしかなかった、かもしれない、ね……」。
「蜜三郎は、その一つでも実際に僕の身に降りかかったなら、自分の存在が崩れてしまうような、極めて陰惨な事態をいくつも背負っていました。
「この世の最悪の災厄を一身に引き受けさせられているようでした。
「だから、いくつもの、彼自身には責任の持ちようがない、暴力的に襲いかかった不幸を、頼りなくではあるにしても、自分を完全には失うことなく保ち続け、受けとめ、熱い『期待』の感覚を求めるだけでも、僕には生きのびようとしていた、と思えました。
「夜明け前の、浄化槽を埋めるために掘られた穴ぼこに犬を抱いてしゃがみこみ、土の壁を掘り崩して指先から血を滴らせながら、自分自身の中に閉塞していたとしても、です」。
「……蜜三郎も生きようともがいていたのよね。彼は、身に降りかかった事態から逃げ出そうとする自分自身を許さなかったものね。
「『――僕がきみたちを見棄てた!』と夢の中で悲嘆の声で叫ぶのは、自分が頭を真っ赤に塗って彼らに代わって死ななかった、彼らに代わり放棄された獣の仔の如きものにもならなかったという自責の念からだったもの。「蜜三郎は、何か知らないものに翻弄される、小さな人間としての私たちの、極端に拡大された姿かも知れない。「私たちは、いつでも良いものと悪いものとでできている状況を生きている。生きることは、良いものも悪いものも、ともに引き受けて生きて行くことだもの。
「蜜三郎は、見棄てよう、傍観した態度でいよう、としたけれども、結局は、何も見棄てはしなかったし、結局、傍観者ではいられなかった」。
米吉君は、小説を読んだ後のもやもやとして形にならなかったものに次第に形が与えられていくような気がしていた。電車を夜明けが追いかけている。
「印象的だったのは、象の話」と女の人は言った。
「覚えている?」
「小説の終わりのほうに出てくる話ですね。
「僕は、話を全体としてつかまえられなくて、またこの本を読もうと思って持ってきたのですが、その象のところは、覚えています。
「それにそこを読んでいる時、上手く言えませんがあつくなるような、上昇するような気分でした。象の話は、鷹四がこんな自問自答をした、と桃子が話す中に出てきました」。
「そうよ。本を貸して、………ここ。
「桃子が蜜三郎に妹のような素直さで訊くの、『いったい世界の人間には、まだ善いところが残っているのか、そうでないのか?』って。
「蜜三郎が質問に当惑していると、桃子が『――四国にやってくる車の中で、走りながら夜が明けて来たら、どこかの海の傍を車が走っていた朝、鷹は、いったい人間には、まだ善いところが残っているか? と私たちに聞いて、そうだ残っているんだ、と自分で答えたのよ、と続けた。その理由は、人間がまだ、はるばるアフリカの草原に出かけて象をつかまえるばかりか、また海を越えてそれを輸送して戻って、動物園に飼っておくといったことをするからなの。』そう言うのよ。
「そして、蜜三郎は、一人になって象について考える。『核攻撃時のヒロシマでは、いちばんはじめに郊外へ逃走した一群が牛の群れであったが、もっと巨大な核戦争が文明国の諸都市を破壊する時、動物園の象に逃走の自由があるだろうか? またこのひどく嵩ばる動物を収容するための核戦争用シェルターが作られることがあるだろうか? おそらくその戦争の後では、すべての動物園の象が死に絶えるにちがいない。そしてもし再び都市が復興する希望があるとすれば、あるひとつの岸壁に核放射能に破壊された畸型の肉体を持つ人間たちが集まって、アフリカの草原へ象を捕獲しに行く代表を見送る光景が見られるか、そうでないか。その時こそ、いったい人間には、まだ善いところが残っているのかどうか、と考えるものにひとつヒントが与えられるだろう』と。
「そう考えたからと言って、その時すぐに蜜三郎が勇気づけられる何かを得たわけではなかったけれども」。
「僕が強く印象付けられたところもそこです。
「希望や情熱というものの予感がありました。蜜三郎が『象』によって気持ちを引き立てられるまでには、スーパーマーケットの天皇ペク・スン・ギが促した倉屋敷の解体による倉屋敷の地下倉の発見とそれに続く展開がまだ必要でした」。
女の人は、ページをめくった。
「妻の菜採子の『私たちがその勇気さえもてば、ともかくやり始めることはできると思えてきたのよ、蜜』のことばで、蜜三郎は、地下倉という穴ぼこから地上に這い上がって来て、それからね、自由生態動物公園を造るためのアフリカ派遣動物採集隊の通訳責任者となって、アフリカでの生活を決心し、『草原で待ち伏せする動物採集隊の通訳責任者たる僕の目の前に、巨大な鼠色の腹へ「期待」とペンキで書いた象がのしのし歩み出て来ると思っているわけではないが、いったんこの仕事を引きうけてみると、ともかくそれは僕にとってひとつの新生活の始まりだと思える瞬間がある。少なくともそこで草の家を建てることは容易だ』と思い、そう思うことで、彼の中に残っていた善いものとともに彼自身が再生したわ」と朝鮮人の女の人は言った。
そうだった。巨大な鼠色の腹に「期待」とペンキで書いてある「象」が目の前をのしのしと歩いて行くことは、もちろん、ばかげた空想だ。
しかし、それを想像しうることがこの五週間友人が失踪してから空虚の中に宙づりにされていた自分に腹の底からの哄笑を誘うとともに人間が持っている情熱への信頼の再確認を促す気がした。
今の自分には少なくともそういう気がする。そのことを是非伝えたくて、米吉君は生まれて初めて朝鮮人の女の人の名前を呼んだ。
「ミョンジャさん」。