【08】敬称を略すんじゃない【18】
◆ ◆ ◆
石で作られた社。
苔生したその壁は草木が絡まっている。
大きさは普通の一軒屋くらい。
夏だというのに落ち葉が溜まっている。
ここだけ気温も低い。何か、魔法的な物が使われているのか。
俺は足音を殺して社へ近づいていく。
ワダツノミコとかいう竜の気配はない。
社の扉は無い。
中は暗い。灯りも無い。
足場はぐにゃっと何か踏んでいる。朽ちた木の皮か。
嫌だな。手を伸ばした先も見えないくらいの闇は。
まぁ生物の気配は無いし、明るくするか。
「『雷の灯』」
左手の掌に生まれた淡く光る魔力の弾を上へ投げる。
天井にぶつかると同時に、パッと極光が照らし、室内にいた虫たちが慌てて動き出した。
雷系の灯り魔法特有の黄色い光がこの部屋中を照らしている。
壁は石壁。机もある。紙が散らばっている。
それと、俺が踏んでたのは、皮だったみたいだ。蛇の皮。
脱皮した後の皮だ。五、六メートルはありそうだな。
中々デカい蛇竜だ。
ワダツノミコは、蛇竜だということが確定したな。
魔法に長けた竜種で、長命。手や翼がある種類もあり、知能もある。
脱皮の痕跡から見るに、翼はありそうだな。それと手も生えてそうだ。
部屋の主は居ないようだ。
寝床だったであろう場所は血と泥のような体液がこびり付いている。
昨日の村人にやられた傷は深いようだ。
いや、止血薬を使ったのだろう。
部屋中に薬草も散らばっている。
悶えながら、薬を使って傷を治療したのか。
俺はおもむろに机の上にあった紙を手に取った。
「……これは」
人体構造。医療系の魔法の中でも、特別にこの竜が興味を持っていたのは、生命のこと。
ともかく、死にたくなかったのだろう。
次の紙は……。
俺は、思わず見た紙を皺になるほど握っていた。
胸糞悪い。
腕の切除。開腹した後の臓器の摘出。
人間は、どこまでやったら死ぬか。そう記録してあった。
こいつ、やりやがった。
旅の客人や、勇者。このカルテを見る限り、過去十名以上で人体実験をしていた。
最初の方は村で死んだ死体を使っていた。
だが、次第に……海難事故に見せかけて漁師を攫ったりもしたようだ。
人の心臓から命の残機を作る術……。
聞き覚えのある術を、再現しようとしたのか。
そして、辿り着いたのが、竜人の心臓か。
全ては、自分の命を繋ぐ為。
自分の命の為に。
俺は、過去、同じ言い分の奴を見たことがある。
自分の命を後世に繋ぐ。その為には自分らの種族以外を全て滅ぼしてもいいと考えていた奴。
自分の命のストックの為に、人間を殺しに殺した奴。
魔法では命を作れないと知っていたのに、殺し続けた大量殺人鬼。
魔王と、この蛇。こいつら、同じことをしている。
命は……確かに、善や悪で図ることはできない。
だが。自分の欲望の為に、他者の尊厳を踏み躙る行為は。
無辜の生物の命を奪う残酷は、この世に存在してはいけない悪だ。
ワダツノミコ。お前は、もう生かしておけない。
最初は守り神だったのかもしれない。
だが、今は『越えてはいけない線』を越えた。ただの危険な害獣だ。
歯を食いしばり、その社を出る。
しかし、そのワダツノミコはどこへ消えた。
止血薬や薬草を限界まで使った痕跡はあった。だが、傷を癒すにしても、まだ治り切ってないはずだ。
あの紙を残すことから、几帳面で慎重な性質なのが分かる。
傷がある中で、村に行くとは考えにくい。どこへ消えた。
振動。
わずかな空気の振動があった。
すぐに海を見る。
黒煙が上がっている。
まさか。
山肌を一気に駆け下りる。
◆ ◆ ◆
ジンが社を見つけるより、少し前。
ハルルはリリカを探していた。
暗い海に星が映る。
村より南。その先に、小さな離れ小島があった。
ただの直感ではあるが、ハルルはその離れ小島を目指した。
その小島は本当に小さい。平べったく、岩だけしかない島だ。
その端っこに、大きな石碑が見える。
小島までは浅瀬で、実質、この島と繋がっていた。
今が引き潮だからか、歩いて行ける。
石碑の文字は読めなかったが、きっと、何か大切な場所なんだと、ハルルは理解した。
だから、ハルルは少し待った。
そこで手を組んで祈りを捧げているリリカのことを、少しだけ待った。
暫くして、リリカが顔を上げた。星空を見上げたのだろう。
「リリカちゃん。迎えに来たッスよ」
合わせて、ハルルが声を掛ける。
リリカは振り返った。
目には、涙をいっぱい浮かべて。
「リリカちゃん?」
「……ししょぉ」
リリカは、ハルルを見て、震える声で言葉を続けた。
「……リリ。わだつのみこ様に、あげる」
「え?」
「そうしたら、みんな。治る。聞いた。
リリ。食べたら。わだつのみこ様も、元気。だから」
ハルルが、リリカを強く抱き締めた。
「リリカちゃん。大丈夫ッス。そんなこと、しなくていいんスよ」
「でも。じぃじも。皆も、呪いだって……」
「そうッスよ。呪いッス。でも、それを解く方法は別にあるんスよ」
「でも……早く解か、ないと」
「じゃぁ、代わりに私がワダツノミコに食べられようかな?」
「え。だ、駄目!」
「どうして?」
「し、ししょぉは、リリにとって大切な人。それに、弟子と、恋人」
「あ、アベックって! 凄い言葉を知ってるッスね!?
ま、まぁ、それはおいておいて。私も、リリカちゃんが食べられたら、嫌だけど?」
「それは」
「師匠の私にとって、リリカちゃんは大切な人だよ。
それに、お爺さんやお婆さんも、リリカちゃんが大切って思ってるよ」
ハルルは、いつもより優しい口調だった。
リリカを優しく撫でた。気付くと、リリカから嗚咽が聞こえた。
泣いていた。わんわんと、泣いていた。
「よしよしッス。リリカちゃんは強い子ッス」
ハルルがリリカちゃんの背中も撫でる。
『なんだ。せっかく、心臓を寄越す気になっていたのに。困るなぁ』
ハルルは目を丸くする。
目の前の海辺にぶくぶくと黒い気泡が浮かぶ。
「なっ」
海から黒い塊が顔を出す。
蛇だ。目が白く濁っている蛇。顔の右側の鱗が泥のように溶け固まったその蛇竜。
「わ、ワダツノミコ」
『ワダツノミコ様だ。敬称を略すんじゃない』
人語をスラスラと操る蛇竜。
リリカをすぐに背にして、ハルルは首のペンダントを千切る。
一振りし──閉じた傘のような槍を手に構える。
ただし、その槍の大きさは身の丈程ある。
機械槍の名は『爆機槍』。
細長いドリルのような槍頭を持つそれは区分上、騎乗槍に近い。
「リリカちゃん。絶対に離れないでくださいね」
夜の風の中。
ハルルの戦いが始まった。




