【27】道具の所在【37】
じりじりと──燃える時を待つ火薬のように。
恋は、ハルルを睨んでいた。
「この恋には……誇りが、ある。
ライヴェルグとは違う存在になる、という誇りが。
だから……この恋がそういう人間だから、イクサを振りほどかなかったんだな……。
舐められた、ものだ……ッ」
言葉を投げ付ける。
そして、ハルルは。
「えっ、い、いえ。違いますけど」
「えっ」
対峙する二人──ハルルと恋は少し気まずい沈黙の後、えっと、とハルルは言葉を出した。
「いや……プライドのことは、正直分からなかったッスよ?」
「……あ。そう」
「ッス。……でも、分かったことがあったので」
「何?」
「言ったじゃないッスか。貴方を見ているって」
「?」
ハルルは、イクサに視線を落とす。
必死にしがみ付きながら、震える彼女を。
「貴方は無意識に……ずっと」
自身の目を見えるようにする為の道具。
恋はその少女にそれ以外の価値を見出していない、つもりだ。
だが、少女が生きている。目を奪い、臓器も奪って、身体はボロボロ。
これ以上に利用価値が無い少女を、生かす意味。
それは。
「ずっと、この子のことを──」
「──それは、違うのさ。……勇者サマ」
恋が言葉を遮った。
「……道具の所在を。確認するのは使用者として当然だろうに」
「ッ! 人を、道具とッ!」
「ああ、道具さ。
──ライヴェルグが女騎士ごと魔王を討つという真似をしていなければ、躊躇わず爆発させた。
同じになりたくないだけだ。……さぁ、最終ラウンドだ」
そう言って、恋は立ち上がる。
だが、足元がおぼつかない。血反吐が更に吹き上がる。
「っ……! それ以上動くと貴方本当に死にますよっ!」
「いいや。これは、演技さ……。血を吐いて、弱ったふりをしているんだ」
「自分で演技って言う奴いますか!??」
「ここに居る。だろう。さあ、攻撃してこないと、確かめられないぞ、勇者サマ」
「っ……分かったッスよ」
「っ! 駄目です、恋様ッ! この背の魔法を使ってくださいっ! 私ごと!」
ハルルが優しくイクサを押し退けた。
掴もうとしても、掴めない。ハルルは一歩で恋の目の前まで飛んだから。
イクサが届かないように、距離を取ったのだ。
「恋様ッ!!」
「もうこれ以上はっ!」
「ははっ! 関係ないッ、まだ戦えるさッ!」
ハルルと恋の目線──火花でも散ったように交差した。
(恋は! 良くも悪くも生き汚いッ!
介錯してもらう為に攻撃を煽ってる訳じゃないッスッ!)
その通りであった。
恋の残り使える攻撃で、最後の勝ち筋は至近距離の戦闘。
隠している自身の背に仕込んだ片手剣。
これの抜刀術。その後に追い打ちで足に仕掛けた糸の魔法で絡めとる。
それが、恋の勝利する為の唯一の路。
(ハルルはもしかするとこの恋の足に仕掛けた『爆風の魔法』まで分かっているかもしれないな。
アレクス時代から得意技だった。剣に風を纏わせて叩き斬る技。
まぁ……知っていても、分かっていたとしても。挑発に乗るしかないよな。勇者サマなんだから)
互いに、大技ではない。
走り寄り、睨み、獰猛に。
炸裂する。
「恋ッ!」
「ハルル!」
──風。
熱風が吹いた。二人の斬撃が、風を生んでいた。
ハルルはただの袈裟斬り。
恋はただの抜刀術。
それだけの勝負。
──よく磨かれた銀の剣身。
剣身は、ハルルの肩鎧にあった。
「ああ、普通の剣術で勝負……最初からしてれば、一本、あったんだなあ」
「ええ、そうッスよ。……実力差は、明確だったじゃないスか」
「それを、この恋が態々、遠回りして……キミに勝ち筋を作り過ぎていた、のか」
「はいッス。……そんなに、疑う必要がなかったんスよ。
……貴方は、疑い過ぎたんス。……自身の力量も、自身を取り巻く周りの態度すらも。
真っ直ぐ……受け入れていれば」
「……」
片手剣は、──柄と剣身。二つに分かたれていた。
美しすぎる切断面だった。
「迷い、無し。か」
「え?」
聖剣が幾ら軽くても、迷いがあれば太刀筋は淀む。
迷わず振り下ろした斬撃。それに勝るものはない。
「……見事な、剣撃だった」
(片手剣を斬り裂き、そのままこの恋の、右腕を──)
「骨だけ、裂きました。痛いッスかね」
「滅茶苦茶に……痛いさ。右腕が……燃える、ようだ、ッ」
柄を落として、恋は膝から落ちた。
剣の勝負でも──ハルルの勝利。
だが。
(──勝利を確信したその顔。つまり、ハルルは)
恋は、気付いた。
(この恋の足の魔法に気付いていないッ! 足に隠したこの糸の魔法、まだ使えるぞ)
そう。一矢報いる。
(正々堂々やって負けたなど、関係ない。心を入れ替え改心などしてたまるか!
足の糸に炸裂魔法で、勝てなくとも引き分けに──)
ずどん、と下から突き上げるような振動。
世界が、唐突に揺れた。地震。それとも違う。
まるで何かが登ってくるような振動だった。予兆も無く、それは突然に起きた。
突然、揺れたと認識した直後に──思考する暇すらなく。
足元に亀裂。罅から湧き上がる黒い炎。
何が起こったのか、恋もハルルも、イクサも──その場の誰も理解出来なかった。
狂ったような、混沌がその場を支配した。
この床を、あるいは階下の天井を、何者かが──故意か事故かは不明だが──爆発させたのだ。
爆発には理由があった。
もしこの場でゆっくりと呼吸を整えて考えたら『別の場所での戦闘による爆発がこの場所に飛び火し、被害が出た』という真実に辿り着けたかもしれない。
だが、そんな余裕はなかった。そして、そんな真実などもどうでもよかった。
目の前の現実に──対応するだけなのだから。
ここからの行動は、一秒にも満たない世界で起きた。
故に、誰にも──ハルルにも、過失は無いだろう。
壁を登り砕く黒炎。
まるで憎悪の象徴のような炎が──叫ぶように壁を割る中。
地面が崩落し、奈落の色した炎が上に立ち上った最中、ハルルは目の前にいた恋に手を伸ばした。
彼の真下から炎が吹き上がるのが直感的に分かったからだ。
助けようとした。
だが、恋は全く別の物を見ていた。
振動があった瞬間から。
イクサを見た。
その振動が魔法による振動だと理解した恋はイクサを見たのだ。
誤爆した可能性や自爆した可能性を考えた。だがそうではなかった。
それ故に、見てしまった。彼の鋭敏すぎる絶景──その神の視点から見下ろす視点によって。
イクサの立つ床の周囲と、その背後の壁に亀裂が走った。
だから、恋は駆けた。
足に仕掛けた爆風の魔法を発動して。
イクサの下に、恋は居た。
ハルルと、イクサを抱きしめる恋の間に、沸き立った黒い炎。
間欠泉のように吹き上がり、壁を焼き、爆発を起こす。
「──恋ッ!」
ハルルは助けるということしか考えていない。
燃え盛る黒い炎に向かって腕を伸ばした。
軋む白い腕鎧で、腕が拉げることも厭わずに。
壁が、床が崩れた。
穴が開く。外の青空と裂くような風。
一瞬だけ見えたのは、斜めになった床に辛うじてしがみ付こうとする恋の姿。
(落ちる。恋と、イクサさんが──ッ!)
黒い炎の中にハルルは跳び込んだ。
顔を這うような火の中で──水分すべて奪われたような目を凝らして。
「手をッ!!」
手を伸ばす。
左腕でイクサを抱き抱えた恋と目が合った。
(──まったく、おバカさんな勇者サマだ。右腕はあんたが斬った。動かないんだよ)
握り返さず、ただ目と目が合った。
ハルルと恋は、何も言葉を交わせない。
ただそのまま。
恋は、落ちる。
この浮遊城塞──この高度から。
ただ、その時の最後の顔は。
イクサに向けた、その最後の顔だけは。
その顔を、生涯忘れることは無いだろう。
爆音が混沌を薙ぎ払い、音が取り戻されていく。
黒い炎の中、崩れていく部屋。
ハルルは振り返り、歯を剥き出しにした。
四足の獣のように──目を血走らせて聖剣を握る。
視線の先にいる男へ、怒号を上げて直進する。
赤褐色の髪、猛禽類のような赤い瞳。
今も着るのは黒い軍服。
覇王という世迷言だけではなく、過去に戻る為に全てを尽くすと宣うその男。
「──大事故だな。不運な事故に巻き込まれて、とても可哀想だ、という感想だ」
「ナズクル・A・ディガルドォオオオオッ!!」
◆ ◆ ◆
墜落死において、確実に死ぬ高さ、という物は非常に難しい。
2メートルの高さからの墜落死の例もあれば、一万メートルという途方もない高度での事故からの生還も実例としてある。
一般論として、高度が高ければ高い程、比例して死のリスクが上がる。
15メートルを超えた高さから、死亡率が生存率を上回る。という認識である。
それ以上の高度からの墜落ならば、生還は──天文学的な確率となるだろう。
◆ ◆ ◆
高度8000メートルを行く浮遊城塞から。
落ちていく。
「恋様……ごめん、なさい。私は、私。何も役に」
恋の腕の中で、イクサが泣く。
涙が空に昇っていくようだ。
「イクサ」
「なんで、私を……助けたんですか。……見捨ててくれれば」
「それは出来ないよ」
「どうして」
「道具だから。絶対に、肌身離さない。
落としても拾いに行くんだよ。だって……ね。
……道具の所在を。確認するのは使用者として当然だろう」
少しだけ力を込めた指と指が、絡まるように手を握り合う。
「イクサを、一人には、させられない」
「……私も、です。恋様と……どこまでも、お供します。それが」
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次回投稿は 11月21日 を予定しております。
よろしくお願いいたします。




