【26】花に煙【32】
◆ ◆ ◆
『くすくす。変な人だね。好きだよ、そういうの。でも、けっこー、遠くまで行くけど、いいの?』
『あ、ああ。どこでも。その、行っていい場所まで、一緒に行かせてくれるか?』
『情熱的?』
『そ、そういう訳じゃなくて』
……。
あの日、あの時。
死ぬ予定だったあの日に戻るだけ。
だから。
◆ ◆ ◆
何も、見えなくなった。
目は開いていて、瞼も動くのに、何にも、焦点が合わない。
何も、見えない。
白いシーツと、壁と、手が合わさったような、ぐちゃぐちゃに混ざった視界。
目が回る。指が、自然と震えていた。
音が、遠い。
何十キロも先の鐘の音みたいに、ぼやけて遠く聞こえてる。
もう一度、教えて。何て、言ったのか。
でも。
もう二度と言わないで、そんな気持ちも沸き出ていて。
ねえ。
誰が、行方不明、なの。
今、誰って、言ったの。
……その人の名前、な、筈がないよ。
その人は、優しい、人だから。
喧嘩とか、戦いとか、そういうの率先しない人だよ。
その人は、だって……いいんだ。
私の後ろにいて、いい。煙草、吸ってて、笑ってていい。
なんで、誰と、戦って、足止めとか、しなくて、いい、のに。
なんで。
……一つしか、理由……ない、や。
私の、せいだ。
私が。……私が、勝手なこと、したから。
それで、私が……私が。捕まったから。
……弱かったから。
力も、だけど。
心が、一番弱かったんだ。
魔王城で、師の痕跡を辿ろうとか、考えたから。
師の、面影を、追いかけてしまって……だから。私が。
私は……。
◇ ◇ ◇
──ヴィオレッタが目を覚ましたのは、魔族自治領に着いて十数時間後。
夕暮れ時だった。
鼠色の分厚い雲に覆われた、暗い夕暮れだった。
ベッドの上で上半身だけ起こしたヴィオレッタは、発明少女博士から全ての事情を聴き終えた。
発明少女博士──ポムッハは困った顔を浮かべる。
伝えたくないことを、彼女は懸命に伝えた。
赤守族長ヘイズ、王鴉のノア、そして──ガーちゃん。
その三人が。
「……皆、全力で行方不明の三人を探しているのだ」
行方不明。
そして状況も伝え終わっている。
パバトを止める為に、ヘイズとガーとノアは立ち向かった。
そして、この時間まで何の音さたもない。
……それは。状況的に──。だが、断定的なことは口にできない。
口にしたら、実際になってしまいそうだから。
だから、ポムッハが言えることは。
「だ、大丈夫なのだ! 紫斎族の族長さんたちとか、緑飼の族長さんとか、100人近い規模で探してると聞いているのだ!
そんな大人数で探せば必ず見つかると思うのだ。だ、だから、レッタちゃんは今は安静に──ってっ! 駄目なのだ、起きちゃ!!」
「探しに……行く」
「だ、駄目なのだッ! よく分からないけど、毒の解毒ってすごい体力使うって聞いたのだ!
傷とは違うから回復魔法とかも効かないし、体を休ませるしか──」
「行く、から……ポム、ちゃん……退いて」
「ダメなのだ! 絶対にダメなのだッ!!」
「……命令を……させないで」
「き、聞けないのだ! 友人としても、絶対に! 今動いたら命に関わるってお医者様が──」
「それでも、私が行く……!」
「い、行かせないのだっ! レッタちゃん、その身体じゃ!」
「力……づく、になる」
「そ、そ、それでもっ!!」
扉の前、道を塞ぐように両手を広げたポムッハが立った。
そして、ヴィオレッタが肩で息をするだけで、彼女を中心に風が立つ。
風は、黒い靄となって舞い上がる。
「……っ!」
ポムッハは歯を食い縛って目を閉じた。痛くても退かないぞ、と覚悟を決めたその刹那。
パリーンッ! と、ガラスが割れた音がする。
目を見開きすぐにポムッハは割れた窓に駆け寄った。
窓の外、地面にヴィオレッタは着地していた。
「……はっ! し、しまったのだああっ!」
◇ ◇ ◇
(頭が……ぼんやり、する……でも。大丈夫、これくらい、なら)
2階から飛び降りたヴィオレッタは息を深く吐いた。
そして唇を噛んでえずくような呼吸で、身体を引き摺るように進む。
「魔王ちゃん。どこへ行くんだい?」
その声はヴィオレッタの背中に投げられたのだが、彼女は振り返らない。
振り返らずとも誰か分かる。浅黒い肌、染め上げた茶髪は焦げた飴色。
尖った耳には杭を打ったように無数の金色のピアス──予言者の一族の族長、ユニーという男だ。
「……」
「だんまりはやめてくれよ。おれだって」
「囀るな……。ユニー……ホロニィ」
唸った肉食獣のように低い声をヴィオレッタが上げた。
ヴィオレッタは、目が覚めてからその日の事情を全て聞いていた。
だから、知っている。
「死の、予言……分かってた、癖に、止めなかった、んだってね」
「止めたさ。……予言は大きく回避された。それを讃えるべきだと思うね、おれは」
「……たた、える?」
「ああ。全滅ではなく一人が──」
首だけ動かし、横目で見られたその時。
ユニーは言葉を止めた。少し挑発して彼女の歩みを止めるつもりではあったが。
「……言葉を、続けたらいい……ユニー・ホロニィ」
背筋をアイスピックで撫でられるような鳥肌が立った。
その目。病み上がりの怪我人の目ではなかった。
紫色の瞳には、黒い光があった。
それは、豹か、狩人か──標的を一撃で仕留める気だと。
「……すまなかった。言葉が、過ぎたよ。
ただ、魔王ちゃん。もう動かない方が良い」
「それも、……占い?」
「いいや、ただの診断書だ。
それに、医者じゃない人間が見立てても同じことを言うだろうね。
そんな体で動くべきじゃない」
「……私も……見立ててあげるよ。私の……邪魔するなら、貴方は……怪我をする。
それも、私よりかは酷い、大怪我。……貴方に対して、イライラしてる、これは事実だから。
手、抜けないよ」
ユニーは肩を竦める。
「おれから言ってもダメみたいだ。パスするよ」
そう言ってから一歩横にずれると──階段を駆け下りて来るけたたましい音がした。
ヴィオレッタの耳は不調だ。だが、誰が来たかはすぐに分かった。
「レッタちゃんッ! 動いちゃあ駄目よぉ! 貴方、思ってるより重症なのよ!!」
「んにゃおっ」
艶やかな女口調の猛々しい筋肉質、筋肉魔女男、ヴァネシオス。
それから、その方に包帯ぐるぐる巻きの子猫、もとい子有翼獅子のシャル丸。
「オスちゃん、シャル丸……」
そして、階段をゆっくりと下ってくる。
もう一人は、そんなに歩けないのだろう。杖を付く音も聞こえた。
だから、ヴィオレッタは目を逸らす。そちらを見ない。
「レッタちゃん……まだ、動かないで欲しい、な」
ハッチ。左目を眼帯で覆い、全身に包帯やガーゼがくっ付いている。
「……みんな、ごめん。私のせいで……怪我、させちゃった」
「何? そんなこと気にしないで。それよりね、レッタちゃん。部屋に戻って寝て欲しいのよ」
「そうよ。……本当に、そう。今、出てってもね。……分かるわよね、レッタちゃんなら」
「……ごめん。……嫌だ。……私は、探しに行きたい」
「……気持ちは分かるわ。でも、ね」
「嫌……これだけは、無理」
「レッタちゃん……。ガーは」
「ハッチ。我が言うわ。……聞いて、レッタちゃん。ガーちゃんは」
「嫌!」
黒い靄がヴィオレッタの周りに渦巻いた。
そして、歯が割れる程に強く噛んだ。
「私は。……ガーちゃんは。ずっと。ずっと、一緒に居るって。
言った。……だから、好きなだけ、一緒に居て良いって言った」
握った拳が震えていた。
「一緒に居ようぜ。って……ガーちゃんは言った。だから。一緒に居れるに、決まってる。
私たちは、遠くに行っても、どこまでも、好きなだけ……好きなだけ、一緒に居るって。
約束……したんだ。だから……だから!」
── …… 。
ヴィオレッタは目を見開いた。
音がした。いや、それは──鳴き声だ。
「? レッタちゃん、どうしたの?」
動物の声。否、鳥の鳴き声だ。
「声」
「え?」
聞き間違えるわけが無い。
「ノアだ」
「ちょ、レッタちゃん! 追ってオスちゃんッ!」
「承知ッ、だけど、我も傷だらけなのょぅぅっ!」
──ヴィオレッタは走り出した。いつもほどの速さは無い。
身体に走る電流のような痛みを抑えながら、身体を庇うようにして、どうにかして。
木々を掻き分けて、数メートル先。
『──か、ぁ』
「ノアッ!」
──羽が焼かれ、矢を胴に受け。
何とか、歩いてこの場に辿り着いた王鴉が、そこにいた。
「怪我、してるっ! けど、大丈夫、すぐに傷は手当するからね」
ヴィオレッタがすぐに王鴉の身体に手を伸ばした。
どうしてこんな大怪我をしているのか、そんなことは見当もつかない。
ともかく靄がノアの体を包む──だが、そんなことより、と彼女は『くぁ』唸るような声を上げた。
まるで、何か、嘴が使えない理由でもあるかのような鳴き方で。
『見る目、あるな。それ』
「ノア?」
『鉄の町の、記念モデルだ』
「レッタちゃん! ノア!? ハッチ! ノアが戻って来たわ!」
『鉄の町?』
『東にずっと行くと、国境があって』
「レッタ、ちゃん?」
『ふうん。町は興味ないな』
『そうすか』
「一緒にいるって、約束の方、だよ。果たして、ほしいのはっ!
……なんで……そんなこと、覚えてるの。ガーちゃんは」
銀面は、艶消しが施されている。
わざとザラリとした指ざわり。シンプルで、特徴的で。
「こんな……貴方、馬鹿じゃないの。馬鹿、だよ。
なんで。こんな、所だけ……ねえ。……ねえ!!」
「レッタちゃん、どうしたのっ!?」
握り締めて、ヴィオレッタは地面を殴った。
殴って。殴って。
土が跳ねた顔をくしゃくしゃにして。
『でも、このシンプルなのに重たい独特な感じは好き』
「なんでっ、約束、守らないで……こっちの、約束を守るの。
守る、必要無い方の……約束を……っ!
なんで……、こんなことを……覚えて……ガーちゃんッ……なん、っ、で」
『オレが、死んだら……ライター、やるよ』
涙を。
大粒の涙を流して。
その手に握った銀のライターに涙の粒が落ちた。
叫びは、切り裂くようにいつまでも曇天の下で鳴り続けた。
魂を吐き出すように、彼女は叫びを止めることは出来なかった。
◆ ◆ ◆
次回投稿は 8月16日 の予定です。
MRIに入る予定の為、最悪の場合は17日に投稿させていただきます。
追記します。
すみません、重病とかじゃなく怪我です。
労災申請書類と格闘しておりますが、体は元気ですのでその後ちゃんと執筆します。不安を残す書き方で驚かせてしまいすみません…。




