【26】オレが選べば【26】
◆ ◆ ◆
──小雨がまた強くなった。
雨季に差し掛かる西方地域ではこれが普通ではあるが、ナズクルは嫌そうに顔を空へ向けた。
「ティス。隊の連中はもうすぐ着くのか? 着くなら俺も乗せて行って貰いたいのだが」
彼の身体から白い煙が湯気のように立ち上る。彼が竜套甲法という魔法を完全に解いた後にだけ出る煙である。
「はい! 畏まりであります! 新感覚の乗り物をご用意致します故、楽しんでくださいであります!」
「いや、別に普通の馬車で良いのだが……」
不意に。
ナズクルは目を細めた。
それは、今起きたことに対する感情。いらつきもなく、ただ憐れむような表情だった。
「まだ……オレ、は」
「しつこいな。この男は」
血と泥。ぐちゃぐちゃの泥の上にその男はいる。
男の名前はガー。今しがたナズクルと相打ちに持ち込むべく、文字通りの自爆をした男だ。
特に腹周辺の傷は酷い。流血もすさまじい。
確かにまだ生きている。しかし、処置しなければ数分も持たずに死ぬだろう。
呼吸も浅く荒い。意識も朦朧としている筈だ。
そんなガーは、這いずりながら、ナズクルのズボンの裾を掴んでいた。
隣に立つティスがその手を蹴り飛ばす。
力も無い手はただ離された。
「何故、そうまでするのか。俺には理解できないな」
顔を、泥の中でガーはナズクルに向けた。
「あんたは……好きな、子……いね、だろ」
「何?」
「好きな……女の子の……為なら……なんだって、すん、のが……健全な男子、なんだ、ぜ」
「聞くに堪えんな」
鼻で笑ったナズクルは、ガーを向いた。
「やはり殺すでありますか? なら私が」
「いいや。……殺さなくていい。このゴキブリ並の生命力には驚いているが、手を下す必要は無い。
打ち捨てて置く方がいい」
その言葉にティスは不服そうだが了解でありますと敬礼をした。
「っへ……オレは、こんなとこで、死ぬ、わきゃ、ねえぜ」
「よほど頑丈と見える」
「そう、よ。オレぁ……超、頑丈な、男だ、ぜ」
悪態を、ガーは吐いた。
それは、一瞬でも一秒でも長くナズクルを足止めする為に。
その為に全てを投げ打った覚悟の行動だった。
「そういえば。──ヴィオレッタは、術技を二つ持っているそうだな」
それはある意味の突然だった。
会話の文脈をぶった切り、ナズクルは言葉をマイペースに吐き出した。
「靄舞。魔王も使った血を靄に変える術技。靄なんぞと笑う者も多いが、俺は応用力のある戦闘向きの術技だと思っている。
そしてもう一つ、あるのだよな。屈服。
敗北を認めた相手に命令を下す術技と聞く。……俺は不意に思ったんだよ。お前、もしかして」
ナズクルは静かに言葉を並べた。
「洗脳でもされているんじゃないか?」
雨の音の中、その声だけは妙に透き通って聞こえていた。
「屈服の術技でお前は良いように洗脳されてる、そう仮定してみたんだがどうだろうか?
いや、そう仮定すると辻褄が合うぞ。
命を投げ打ってのこの仕掛け。執念。考え方に愛情。それ全てが植え付けられただけなんじゃないのか」
「違、う」
「じゃなきゃ、俺への執着が説明できないだろう。命を捨ててまで戦うなど」
「そう、じゃ」
「証明は出来ない。洗脳されていないことなど」
「オレ、は」
「良いように使われただけじゃないのか」
「れ、」
「自分の心が自分の物だと、証明は出来るのか? 不可能だろう。いや、証明できたとしても、だ」
遠くから、足音が聞こえる。それと聞きなれない腹の底に響く振動音。
隊長ー! と呼ぶ声。ティスの隊の隊員が合流したようだ。
ナズクルはそれを横目に見てから、ガーを見下ろす。
「証明できたとしても、もう喋ることも出来ないようだな」
動かなくなったガーにその言葉を放り投げた。
◇ ◇ ◇
ふざけんな、あのクソ筋肉参謀、言いたい放題言いやがって。
オレが……洗脳、されてるわきゃ、ねえんだよ……的外れ、だ。
いいか……。
オレ……が。レッタちゃんを……好きなのは、だ。
決して、顔と、足と……性格と、体格が……好みだから。だけじゃあ、ない。
オレが……マジにレッタちゃんを好きなのは、な。
オレが……。オレがよ……。くそ。
見えてる。のに、手も、動かせねえ。
ナズクルが、行っちまう。なんだあの乗り物は……陸上用の船、か? くそ。
くそ。ふざけんな。
オレが、お前に……なんで執着してるか、って聞いた。
マジに、キレそうだ。
お前を……オレが、許してないからに、きまってんだろ……!
先生を……。狼先生を、殺した、お前を……ッ。
レッタちゃんは、未来を、見たいから、頑張って考えないようにして。
辛くて、きつくても、復讐は、しないよう考えて考えて、考えてんだ。
明るく振舞ってるのだって、あれは見栄なんだよ。知ってんだよ、オレは。
夜、一人になると泣いてるんだ。今もそうなんだよ。何で知ってるかって、寝室の壁に穴開けてみたからに決まってんだろホットケよ。
レッタちゃんは未来を向く準備をしてる。
だけど、な。オレは……違うぞ。オレは……お前をぶっ飛ばしたいんだ。
お前だけは、許せないんだよ。先生を殺して……レッタちゃんを、泣かせて。
オレはレッタちゃんみたいに優しくなれないんだ。
お前のことを思うと、いつも、煮えたぎって殺したくなる。
だから。
お前は……必ず……くそ。
なんで、オレ……こんなに弱いんだよ。
ティスってやつも、行った。馬に乗った男が……ティスを乗せて、行った。
その後に、続々と来た知らない勇者たちも……オレを一瞥してから進んでいきやがる。
何喋ってるか、聞こえなかった。
誰も……いなく、なった。
雨が、目に入る。
なのに、まばたきも…………出来ない、のは。
ああ、くそ。なんで。
…………オレが……死ぬわきゃ、…………無ぇだろうに……。
オレが、居なくなったら……誰が、レッタちゃんの可愛さを、伝えるんだよ。
何が………………。
何がなんでも………………。
…………。死んで…………。……たまる、かよ。
オレ……は。
……。
ああ……。
死にたく、無いな…………
『ラクになりたいなら、目を閉じればいい』
狼先生……。
なんで、目の前に、先生がいるんだろう。
『お前を誰も責めない』
夢か、それともオレの幻覚か。
だとしたら。
だとしたらよ……お粗末な、幻覚だ。
ふざけんな。って、言い返さなきゃな。
オレは……先生。オレは、あんたに、頼まれてんだ。
頼んだ、って。
狼先生に、言われたんだ。
『そうだな、言ったな』
オレは……。
『だったら』
だから。
『寝てる暇など無いだろう』
分かってる、よ。先生。
オレは。
何があっても。
絶対に。
『ルクスソリス、という魔族がいる。お前と同じ混血だ。
二種族の魔族の血が混ざっていてる。希少な魔族の掛け合わせでな、それは』
なんか、オレの脳内先生が勝手に知らないことを語り出した。
『真面目に聞け。いや、また話が長いと言われたくないな。まとめるとだな
……もう元には戻れなかったとしても、お前はまだ立ち上がりたいと願うか?
いや、愚問だったな。そう願う奴だった』
先生。
『人間側か魔族側か。選ぶ時にお前はもう選んでいたもんな。お前は言っていたな。
魔族側の人間だ、と』
きっと、この先生は夢なんだろう。
だけど。分かる。
オレが選べば。
『怪刻になる勇気があるならば、もう一度、立ち上がれ』
オレが変わる、って。
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次回更新日は 8月5日 を予定しております。
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