【25】見逃してやると言われた時に【26】
◆ ◆ ◆
薬の作製──製剤は、記録を遡れば石板に文字を刻んでいた時代にも行われていた。
当時から、人間は様々な薬を作っていた。
液体、塗布、軟膏、煎じ薬、罨法、燻蒸──そして、散剤。
つまり粉薬である。
この世界の現在における主流でもあるし、別の世界でも真っ先に思い浮かべる薬と言っても過言ではない。
とはいえ、この世界において薬はまだ未発達分野だ。
飲めば翌日には治るという物ではないし、科学的な研究もまだ発展途上。
そもそも薬を作るには、植物や物質を幾つかの処理を通すことによって薬となる。
この世界の、いや、この時代の薬は原始的とまでは言わないがまだ改良の余地がある。
──喩えで話すなら。
製剤は、お菓子作りとして考えることが近いかもしれない。
勿論、幾つか専門的な話を簡略化したイメージの話だ。
チョコ味のケーキを作るならば、小麦粉にチョコレートを混ぜる。
その時、チョコの味が不均一にならないように徹底的に混ぜ合わせる。
そして泡立ちを確認して形作り、窯に入れて焼き上げる。
焼き加減を間違えないように丁寧に。
そうして、ケーキを作る──ように、薬は作られる。
それが、この世界での普通。通常の薬品の作り方だ。
だから。
◆ ◆ ◆
(なん──なの、この装置、は)
それは、幾つものフラスコが連なっていた。
細いガラスのパイプで繋がれた試験管たちは時計の中身のように、精緻複雑に絡み合う。
三つ口の試験管から伸びる硝子の管は、まるで人体の中身を想起させた。
常に回転し続ける装置。沸騰が止まない試験管。液体と木の根が詰まった抽出器。
何も知らない人間なら、そこまでだ。
ある意味芸術性すら感じる試験管たちの並びに過ぎない。
しかし、知っている人間が見たなら。
喩えるなら。
石窯と泡立て器で、ケーキを作ってる世界の人間が──電熱線燃焼複合窯と電動泡立て器、ミキサー、デジタル計量器を使って作られる、現代の調理技術を見たような衝撃。
そう、その分野に居る人間なら、道具を見ただけで分かるだろう。
泡立ちも、食べた時の触感も、段違いの物が作れる。
そして。
(──これを作り上げたことが。……そして、操れて、目的の薬を作れることが……)
同じ薬を扱う者として、音が出ないように拳を握った。
(パバトって奴は変態だけど……毒薬の知識だけは一流なんだ。……いや、そんなことより)
ハッチは頭を振って思考を元に戻す。
今、するべきことは一つ。この部屋に居るであろうヴィオレッタの救出だ。
カチャカチャ、と音がしている。
陶器と陶器がぶつかる音。近づけば細かいノイズのような摩擦音も混ざる──ハッチにとっては、よく、聞き覚えのある音だ。
(煎じてる音だ)
音の方に明かりがあった。黒い世界を照らす、血のように赤い明かり。
その中心。ベッドの上に──少女が横たわっていた。
(レッタちゃんッ!)
音を立てないようにハッチは進む。
だが、一歩進んだ地点で、すぐに息を殺した。
男が居る。巨漢の男だ。
背中を向けて机に向かい、作業をしていた。
ぶくぶくと太った大きな手で持つ試験管はとても小さく見える。
今まさに手に取った試験管に煎じた粉を入れた。
その男の横顔を見て、ハッチは息を呑んだ。
(分かっていたけど、やっぱり──パバトだ。パバト・グッピ)
今は亡き魔王の、元腹心。その戦闘面の実力だけなら次期魔王とも言われた程。
まともにやって、勝てる相手ではないし──戦いたいとも思えない相手だ。
だけど。
今は──薬を作るのに集中している。
背中は隙だらけだ。
銃を抜けば。
構えれば。引き金を引けば。
この距離なら、外さない。
(化物染みた回復力だけど、頭を撃ち抜けば、流石に死ぬはずだ)
そして、引き金を引くまでの一連の動作を──一切の音を立てずに行えば、暗殺が出来る。
暗殺の基本。相手の動きに合わせること。
音を立てるなら、相手の音に紛れ込ませる。
ハッチは腰の銃に手を掛ける。
「虫一匹、部屋に入っても僕朕は気にしない。良い研究材料になるかもしれないからだ」
ビクッと背筋を伸ばした。ハッチは自分の顔から一瞬で血という血が抜けた気がした。
声は低い。いつものお道化た雰囲気が一切無かった。
張り詰めた──風船のように張り詰めた空気が、そこにある。
「だけど、虫が僕朕の試験管に。ましてや薬品に触れるなら別だ。
その自分の銃に触れて見ろ? 構えるより早くその目、溶接して二度と開かないようにしてやる」
「お……脅しなんかで」
「ぶひゅ。面白いなあ……ええ? 脅しだって。この僕朕が?? キミごときを、脅すと。
ぶひゅひゅ。……脅しじゃあない。ただの実行する未来だ。
──それに、本当にレッタちゃんのことを思うなら、回れ右しろ」
「……な」
「説明は一度だ。いいか。よく聞け。理解しろ。
まず、虫一匹潰すのに3秒も掛からない。だけどね、その3秒が今は惜しい。
何故なら、今、僕朕が直々に解毒毒を作ってるんだ。
レッタちゃんの為にね。これを作る手を止めたくない。
更に言えば、その虫が暴れて僕朕の薬品を台無しにしたらと思うと恐ろしい」
──そう。パバトの声には、いつもよりも力が無かった。
「ぶひゅひゅ。……だから、見逃してやる」
「え」
「今、出て行けば本当に追わない。ロリっ子の神に誓ってもいい」
それはきっと本心だ。
パバトがずっと薬を作る為に奔走しているが故だろう。
元は自分の毒だが──それ故に解毒毒を作るのがとても困難であった。
「あ、……あたしは。レッタちゃんを助けに来た」
「奇遇だね。僕朕も助けてる最中だ」
「あたしが、レッタちゃんを」
「助けれないよ」
「助け──」
「見逃してやると言われた時に、安堵を覚えたキミに、大切な人を助ける資格なんかないだろ? ぶひゅひゅ」
心臓が抜かれたようだった。
息が出来ない。喉に石が詰められたような錯覚と、痙攣するような手の震え。
汗が掌から噴き出しているような幻想。焦点は、既にパバトに合わない。
安堵を覚えた。訳じゃない。そう否定していても。
あの瞬間、少しだけ期待してしまった自分に。
唇を噛んで、涙が、目に溜まっているのに気付く。
「ぶひゅひゅ。──仮に、その全ての勇気を振り絞って僕朕を撃ち殺せたとしよう。
だが解毒はどうする? ぶひゅひゅ。僕朕ですらまだ解毒の方法を探ってる状態だ」
(あ、あたしが。あたしが治す。そう、言いたい、のに)
「大人しく出てけば、命は助けてやるよ。僕朕はそれくらい今、余裕が無いからね、ぶひゅ」
(命は惜しくない、そう叫びたい、のに)
「止めといた方が良いよ。ぶひゅひゅ。僕朕はね──ロリっ子以外に、手加減は出来ない」
(怖い)
泥に沈み込むような。
虫に体を這われるのような。
根源的な恐怖。
だけど。
「そういう脅しをすれば……あたしが逃げると思ったか」
(戦うことから。選択することから。ずっと逃げて来た。
あたしは。そんな、あたしは──自分が大嫌いで)
「ん~、ぶひゅひゅ」
「あたしはッ……! あたしは!!」
銃に指が触れた。
「馬鹿な女だ」
鮮明桃色の毒液が、ハッチの右目と右腕を焼いていた。
焼けつくような叫び声が部屋中に木霊した。




