【25】ヴィオレッタ VS パバト・グッピ ①【03】
「ぬぉおおおおおおおん!! ナズクルのクソがあああ!! 詐欺だ!
僕朕を騙したなあああッ!!」
豪奢絢爛、天蓋付きのベッドが、床から捲れあがって壁に激突した。
力任せにベッドを砕いたのは、自身の脂肪と筋肉で弾けた襯衣を着た巨漢の男だ。
その男を端的に説明するなら、巨大な脂肪の塊。そう表現するのが相応しいだろう。
その上背のある身体には勿論たっぷりと脂肪がある。そして指の先まで脂肪という脂肪が腸詰のようにぎっちりと詰まっている。
巨漢の男の名前はパバト・グッピ。
その顔は、顔に食い込む眼鏡が曇る程に、怒りで真っ赤に染まっていた。
「僕朕お楽しみのぉおっ!! 絶叫号泣尊厳破壊のレッタちゃん編がぁああ!」
まるで癇癪を起したかのように、頭を抱えて体をうねらせたパバトは部屋の奥を睨む。
壊れたキャビネット。その上に腰を下ろした少女が居る。
人形のように美しいヴィオレッタ。彼女は冷たい目でパバトを見ていた。
パバトはギリッと唇を噛み、ヴィオレッタに近づく。
「これじゃ! これじゃあ! 凌も! 辱も!
出来ないじゃああないかぁああ! クソがああああっ!!」
叫び声と同時に、その大きな手でヴィオレッタを叩き飛ばした。
ヴィオレッタはマネキンのように軽く投げ飛ばされた。
しかし──膝を付いたと思ったが、すぐに立ち上がる。
傷一つ負っていない。
「クソがッ! これじゃ! これじゃ!! 服を脱がせることすら出来ないじゃああないかああ!」
──ヴィオレッタの身体を纏うのは、ガーの術技である。
その術技の名前は愛。ふざけた名前でこそあるが、その術技は、条件付きの対象者に絶対防御を与える。
先ほどまで、ナズクルの攻撃はヴィオレッタに通っていた。
だが、現在はパバトの攻撃の一つも彼女に痛みとして与えられていない。
その理由は術技の特性にあるが、パバトもナズクルもヴィオレッタも、なんならガーもまだ把握できていない。
ともかく、現在の状況は簡単だ。
パバトが行いたいいかなる攻撃も、悪意も。
ヴィオレッタへは、届かない。まるで衝撃吸収のマットのように、全てが無効化される。
しかしながら、ヴィオレッタは反撃を出来ない。
それは両手に付いた特殊な手錠のせいである。
崩魔術式。魔法の発動が出来ないようにされているのだ。
(──くそぅ! ■■■■とか■■とか■■■■とか!
試して泣かして大号泣させたかった!!
■■■■■■■■■■■! ■■■■! ■■■だったのに!)
殆ど伏字にしか出来ない思考回路でパバトは指を噛んだ。
(ぶひゅぅ……駄目だ。熱くなり過ぎた。冷静になろう。
そうだ。まずはあの術技の分析をしよう。それが一番いい、一番いいっ)
パバトはでっぷりとした身体で転がっている椅子に座った。
重さで椅子の足が曲がる。
(ナズクルの術技も無効に出来て、魔法攻撃も無効。物理も勿論ダメ。
……防げない攻撃は最初あったが今はない。硬くなった、ということか?
いいや、違うな。あの術技、危機を察知して強くなる、と考えた方が良いか)
パバトはヴィオレッタから目を離さず思考を加速させていく。
(この術技の無敵具合。まず間違いなく条件付きの術技だ。
条件を満たしたら、何か特別な条件が揃うまで解除が出来ないタイプ。
多くは術者の精神力が尽きるまで、とか、眠るまで、とかそういう制約の筈)
この巨漢の魔族はただの異常性愛の変態ではない。
(レッタちゃんの術技は屈服と靄舞。流石に三種類持ちとは思えない。
なら、まず間違いなく他に術者がいる。近くに潜伏は無い。あくまで自動発動か遠隔発動。となれば制約の種類は……)
元魔王軍の四翼の一人。行ってしまえば、大幹部クラスの魔族だ。
頭の回転も速く、すらすらと現状を把握していく。
(理解完了。ぶひゅひゅ! 発動者を倒すか、時間経過で解除されるタイプと判断!
ならば身動きできないようにしておけば問題なく──ぶひゅ?)
尚。
頭の回転、状況の理解、術技の解析。
それは、目の前の少女──ヴィオレッタも得意とすることである。
ドロップキック。
壊れたベッドを踏み台にパバトへの容赦の無いドロップキックが炸裂した。
「ぶひゅっ!!?」
ヴィオレッタは先ほど、攻撃を受けて確認をしていた。
一体、どれくらいの攻撃をガーの術技が耐えてくれるのかを。
結果、あの一撃で『物理攻撃はほぼ全て防御出来る』ということが分かった。
ならば、恐れることは何もない。
(くすくす。魔法は発動出来ないけど、私へのダメージが一切ないなら……幾らでも戦えるよ)
壁際に倒れ込んだパバトを横目にヴィオレッタは着地した。
蹴られた顔面を押さえたパバトは──肩を震わせていた。
怒ってるか。とヴィオレッタは一歩だけ下がった。しかし、思い違いだとすぐに気付く。
その掌の間から覗く目が──汚らしく笑っていた。
「ぶひゅひゅ。女の子からの蹴りなんてものはねぇ……ご褒美だよおお!!」
「キモ」
「罵倒もぉおおッ! いいよぉおお! 本来ならお金払ってしてもらうサービスさぁああ!
嬉しいなぁああ!」
泥のような唾液を撒き散らしながらパバトが両手を広げた時。
パバトの顔が一瞬だけ真顔に固まった。
(あれ。ヴィオレッタちゃんが、消え──)
それは、ヴィオレッタだけが出来る、特殊な移動術だ。
「暗天絶景、縮地。とでも言っとこうかなぁ」
パバトの真下。
しゃがんだままのヴィオレッタが、ゴムのように飛び上がった。
「ぶっひゅ!?」
顎に向けての頭突き。からのパバトの後ろに回り込んだ。
狙うのはその首──自分の手錠の鎖をその首に巻き付け、全体重を掛けて真下に落ちる。
ヴィオレッタの体重が40㎏だとしても──。
ごきっ……。
その衝撃は首の骨を折ることが出来る。
折れた音がした。だが。
(もう既に知ってる。──この人は、心音が止まっていない限り、身体はぐにゃぐにゃ動くって)
だから、ヴィオレッタはそのまま横に回転した。
鎖がパバトの首に更に食い込む。逆に、ガーの術技によって守られているヴィオレッタの手首には食い込まない。
(だから──……引き千切る)
ぼとん。
地面に転がった。
胴から溢れる赤黒い血。シャワーのように血を頭から浴びながら、ヴィオレッタは転がった生首を睨む。
(……魔法が使える状態でも、厄介だったかもしれない)
転がった生首の目が──ぐるんと回ってヴィオレッタを見た。
「ぶ、ひゅひゅ。──首、捥がれたくらいじゃあ、死なないよお」
「……ほんとに、気持ち悪い」
(心臓を止めないと死なないか。……今は無理だ。
ガーちゃんの術技での防御があるから攻撃を防がなくていいのは楽だけど……。
魔法が使えないから攻撃が出来ない)
生首は胴体に向かって転がっていく。
(……何か、逆転が出来る方法を……考えない、と……ん)
小さな頭痛がした。
(? なんだろ。さっきの頭突きが悪かったかな。まぁ、いっか……頭痛くらい)
ほんの小さなその違和感を、ヴィオレッタは検証せずにここから脱出することを考えていた。
それはパバトもまだ気付かない、小さな綻びだった。




