【25】ナズクルの目的【02】
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時は少し遡る。これは、ガーたちが出立するより前。
雨は強く、海は荒れた。そしてその海に浮かぶ、小さな島。そこに天高く聳える城が魔王城。
現在は立ち入り禁止となり、誰の物でもない孤城。
雷鳴が一筋響く。
ぼうっと灯った部屋のシャンデリア。その灯りに照らされて一室に、二人の人物が居た。
彼は、骨ばった顔立ちと、少し鋭い鼻が特徴的だ。輪郭も少し縦長で、細い目も相俟って、竜を彷彿とさせる顔立ちである。
艶が消えたような赤褐色の短い髪をオールバックに揃えた男。
彼の名前は、ナズクル・A・ディガルド。王国民なら誰もが知っている。
元魔王討伐の勇者の一人であり、現在、不在の王の代わりに王国の代表となっている人物である。
「なぁ。ヴィオレッタ。俺と手を組まないか?」
彼の声は低く、抑揚のない声だった。
声を向けられた先に居るのは、少女。
透き通るような白い肌に、暗い森に生える葉のような黒緑色の長い髪。
驚きのあまりに見開かれた大きな瞳は、紫水晶で作ったかのような美しさだった。
見開かれた目が、みるみる怒りに染まっていく。
顔に力が込められて、表情が強張っていくのが彼女自身も分かっていた。
「何を、言っている」
「俺とお前は、存外、同じ方向を向いている」
握った小さな拳が、ギチギチと張り裂けんばかりに鳴っている。
ヴィオレッタは思っていた。この男は何を喋っているんだ。と。
「お前の卓越した魔法と術技の知識が欲しい」
どの口が、そんな戯言を言うんだ。
体の血管という血管が、叫ぶように流れていた。
「ヴィオレッタ。俺と一緒に望むモノを手に入れよう。愛する姉との幸せな時間を」
望むモノを手に入れる。何故、お前にそんなことを言われなければならないのか。
ヴィオレッタは唇を噛みながら、全身の毛が逆立つ。
それ以上、言葉を口にするな。そう願いながら、目を離せないでいた。
だが、ナズクルは言葉を続けた。
政治家が演説を語るようにすらすらとした語り口だった。
「大切な師との時間も──俺と手を組めば、取り戻せるぞ」
腹の底から溶岩が沸くようだった。
身体の感覚全てが消し飛んで、吐く息全てが燃えているような感覚。
「誰のせいだ」
荒くなった息と共に、ヴィオレッタが吐き出したのはそんな呪詛だった。
「何?」
「誰のせいで、師が死んだ。誰が組んだ作戦で、お姉ちゃんが死んだと思っている、ナズクル・A・ディガルドッ!」
既に。激昂は、ヴィオレッタの身体を動かしていた。
円卓の上を走り、カップも皿も踏み壊す。
最短距離でナズクルを殺しに行った。
「【靄ま──ッ」
だが直後。それは突然に起きた。
発音が出来なくなった。いや、それどころか物理的に、口が動かなくなっていた。
まるで見えないロープで首を縛られているように、突然、喉が絞られたような呼吸不可の状態。
その場に蹲る。喉の周りを自らの爪で掻くが、何かがある訳ではなかった。
「『応蝋馬の荒縄』。【魔王書】にある獄界盟主の魔法だ。
防御の魔法でね。もう既に発動しておいた。──攻撃者を、触ることの出来ない空気の縄で絞首する魔法だ」
ナズクルは息を一つ吐く。
机の上で呼吸が出来ずに震えながらも自身を睨む少女を一瞥し、無感情な目を向けた。
「魔王フェンズヴェイを殺したのは、確かに俺だな。俺のせいで死んでいる。
しかし、サシャラが死んでしまったのは、少し違う。落ち度、という点では俺のせい、か」
掌をヴィオレッタに向けると、飛び跳ねるように彼女は起き上がった。
「──かっは……」
「ヴィオレッタ。もう一度言おう。仲間になれ。
俺は、お前の望みも叶えられる。そして、お前が居れば、最後の詰めが完成する」
「……だから……仲間なんかに」
「お前の真の望みは、家族と幸福に過ごすことだろう。愛する者と過ごす時間を取り戻したい。とても、理解出来る。何故か分かるか?」
「……?」
「俺もそうだからだ。ヴィオレッタ」
「え」
「幸福。幸せになりたいだけだ」
「待ってよ。貴方も……まさか、同じ……」
「いいや。死者蘇生は理に適わない。死者蘇生が果たせた所で、何も幸せにはならない。
お前にだけ話そうか。……俺の、目的。願いを」
風が吹く。強い風に揺られて大きな波が弾けた。
黒い空に雷が響く。
それでも、その言葉は、──ナズクルの目的は──ヴィオレッタの耳には届いていた。
同時に、息を呑んだ。
そんな魔法は、聞いたことが無い。
そんな現象は、見たことも無い。
だが、もしそれが可能だとしたら。いや、そんなこと。
死者蘇生よりも。
「──……馬鹿げてる」
死者蘇生よりも、馬鹿げている。
それが、辛うじて絞り出した言葉。だが同時に、ヴィオレッタの頭の中では急速に。加速度的にその魔法が可能かを検証していた。
「大真面目だ。そして成功の確率を上げる為には、お前の知識が必要だと考えた。
ともあれ。だ。今、お前は俺の目的を知った。
そして、知ったことによって、お前は考えた。『どうすればその魔法が組み上がるか』を」
「……どうかな。出来るとは思えないけど」
「魔王書に、書いてあると思ったんだがな」
「……」
「魔王が作った【黒塊心臓】。知っているだろう。
人間100人を圧縮し押し固めて、一つの命にする魔法だよ」
「くすくす。そんな魔法、あったかなあ?」
「それを、教えてくれないか」
「貴方、おバカさんだね。くす。知らない魔法を、教えることは出来ないんだよ」
「──知っている筈だ。西方レンヴァータ地区での湖の蒸発。調べた。
あれは間違いなく、【黒塊心臓】の発動形跡だ」
「……知ってたとしても。師を殺したお前に、教えると思うのか」
「そうだな。それもそうだ」
ナズクルは少し腕を組んでから、不毛なことは止めよう。と呟いた。
「──ヴィオレッタ。俺の術技が何か、覚えているか」
ナズクルの瞳が、穢れた緑色に光り出す。
「──!」
ヴィオレッタは慌てて目を閉じた。同時に首が締め上げられる。
空気の縄が、彼女の首を軋ませていた。
「俺の術技は、お前の過去を塗り替える」
「やめっ……ろ」
ナズクルの大きな岩のような手が、ヴィオレッタの頬に食い込むように当たる。
その親指が、彼女の目の下を、強く下へと引っ張った。
「目を見た者に、偽りの想いを植え付ける。お前の記憶を変えてやる」
「やめ」
「俺の【偽想】で、お前の悲しみを取り払ってやろう。
俺がお前の【せんせー】とやらに置き換わることによって、お前もまた救われる」
「や──」
叫び声のような拒絶の声が上がった。
そして、それを切り裂くように。
「【偽想】」
低い声が部屋に響く。
無理矢理に開かれたヴィオレッタの瞳は──。
染まらなかった。
ナズクルの術技は発動している最中、相手の目の色を緑色に変える。
しかしながら、彼女に術技が発動することはなかった。
「な……何をした」
「……これ、は」
ヴィオレッタの全身を、まるで薄い透明な布のようなモノが覆っていることに。
そして、その正体に、ヴィオレッタはすぐに気付く。
これが、布ではなく【盾】だということに。
(……ガーちゃんの、術技だ)
ガー。彼の術技は【愛】。
愛する人に盾を与え、いかなる攻撃からも守る術技。
「……術技魔法無効の布か? 魔法か、術技か。だが」
ナズクルはその右手で、細いヴィオレッタの首を絞め上げた。
「かっ、ぅ!」
「絞め切れないが、ある程度の痛みはあるようだな。ふむ。どういう原理でどういう物かは分からないが。
これならこの布防御の上から拘束は出来そうだな」
【盾の術技】を発動したガーは、一度、この盾を解除して新しい盾を発動することも出来る。
しかし、そうしなかったのは、現状のヴィオレッタがどうなっているかが分からなかったためである。
遠方から術技を発動したガーに分かるのは『ヴィオレッタが攻撃を今受けていた』という事実。
首を絞められているという感覚も掴めている。
だから、ガーは、術技を解除するに出来ない状態となっていた。
もし術技を解除したら、その瞬間にヴィオレッタが死ぬかもしれない、という憶測がその時から生まれたからである。
──ヴィオレッタは、ガーの生み出した薄い布のような盾を纏った上から両腕と両足を縛られ、牢に入れられる。
「……俺の術技を弾く布か。……他の魔法も弾くようだな。
ヴィオレッタ。それがお前の隠し玉、か?」
「くすくす。どうかな」
「まぁいい。……いかなる術技も魔法も、発動限界か耐久限界がある。
それが消えるまで──時間はたっぷりあるさ。それまでお前から情報を聞き出す方法なんて幾らでもある」
「……くす。この布があるから拷問も出来ないと思うけどね」
「どうだろうな。まぁ、分かってくれ。──これからのことは、俺も不本意だ」
ぎぃ、と扉が押し開けられた。
にちゃにちゃと、液体が滴る音がする。
「だからいつでも情報を吐いてくれ。そしたらすぐにお前は仲間になる。仲間は手厚く迎え入れよう。
さもなければ……考えただけでも恐ろしいよ」
抑揚も感情も全くない言葉の羅列をナズクルは述べた。
そして、もう一人の男が入ってくる。
巨漢。汗と脂の男。不衛生と不摂生を絵に描いたようなその男は、ぶひゅひゅ、と笑った。
「パバトにお前を引き渡す。悪趣味極まれりな男だとは分かっている筈だ。
ヴィオレッタ。正気が保てるうちに、全て吐くことを強くお勧めしておこう」




