【25】死の予言【01】
「運命ってね、確定した未来のことじゃないと思うんだ。
運命は、台風や豪雨、雪崩や津波などと言った災害だとおれは思うんだ。
出来るなら備えなければいけない。そして、関わることは避けた方が良い」
男は、粛々と語った。それこそ、彼の本職である斎の者らしい語り口だった。
見た目で判断してはならない──その場の誰もが当たり前に知っている善徳の大前提ではあるが、彼に関しては見た目で判断してしまいそうになる。
浅黒い肌、染め上げた茶髪は焦げた飴色。尖った耳には杭を打ったように無数の金色のピアス。
道を聞くならまず彼を選ぶ人間はいないだろう。そんな相手である。
男の名前は、ユニー・ホロニィ。
魔族七族が一つにして、予言者の一族である紫斎の族長である。
「おれの術技は、話した通りだ。未来を確率で予知する。
70%で事故に遭う。とか、40%で吉事を得るとか、そういう感じだよ。
そんなおれの術技が──100%を出した」
真剣そのものだった。ユニーは指を組み、少しの苦さを含んだ声のまま、言葉を続けた。
「率直に言うよ。魔王ちゃん──ヴィオレッタちゃんをこのまま奪還しに行くなら、きみたちは全員死ぬ」
ユニーの言葉を、その部屋で全員が聞いた。
言葉の重みを頭の中で噛みしめる。嘘やハッタリではないことは誰もが理解していた。
1000年以上続く魔族の歴史の中で、唯一不変の一族。最も歴史が長い紫斎の一族の、歴代最も予知能力に長けた男の予知だから。──いや、それだけじゃない。
彼の瞳の、真摯さ。言葉の重さ。その全てが──その死の運命が、変えられない真実だと告げていた。
「その。ユニーさん。奥様の術技で解釈を変更できるんじゃなかったでしたっけ」
重苦しい空気を何とか切り裂いたのは、赤に染まった赤金髪の美しい女性。
ハッチと呼ばれる彼女は堂々と言葉を述べてはいるが、その強張った顔からは緊張が伺えた。
「我が妻の術技は、解釈の余地が無ければならないつまり、100%は変えらない。100%というのはもう解釈の施しようが無いんだ」
言葉が消えた。
誰もが口を噤み、一人以外は躊躇いと錯乱の中に居た。
「……幸いね。おれの術技で魔王ちゃんの死の確率も予知できた。
死ぬ確率は、40%。だけどあの子の強運なら、生存60%は引けると確信している。
それに、一週間以内にはライヴェルグたちも戻ってくる。合流すれば救出の確率はぐんと上がる。
だからね──どうか頼みたいんだ」
躊躇いも混乱もなく、彼に対峙する男は、猛禽類の如き眸で見つめていた。
双眸に、不服を。眉間に、拒絶を。
一つの納得も無い、そう言わずとも分かる顔だった。
肌の色が炭のように黒い男。彼は、ガーと呼ばれている。
人間と変わらない背丈と変わらない肉体。しかし魔族特有の黄色い目。
怪刻との混血の彼は身動ぎ一つせず、納得の無い顔をユニーに向け続けている。
「ガーくん。──魔王ちゃんを、助けに行くな。
分かってるよな。助けに行ったら、きみも死ぬんだぞ」
「……断る」
「そう言うと思った。だからこの場に全員集めた。そして最初に説明した。
おれが見ている運命は、いうなれば災害だ。そして、術技は予報だ。
これできみたちは回避が出来るんだ」
「だからなんですか。……オレは断るって言いました」
「正しく伝わらなかったかもしれない。助けに行くなと、言ったのは『今だけ』だ。
いいか、ずっと行くなという訳じゃなくて、本当に『今、この数日だけ』なんだ。
後、たった数日、待ってくれれば、運命は変わる。災害は過ぎ去る。
そうしたら、助けに行けばいい」
「でも、断ります」
「だからっ! たった数日を待つだけでいいんだ! 最強の勇者が来れば」
机の上のカップが、割れた。
ガーの握った拳から、血がどくどくと溢れている。
彼が、殴って叩き割った。小皿の上に、割れた破片と珈琲と、血が混ざっていた。
「レッタちゃんが、捕まってる。なら、助け出す。それがオレの決めたことです。
たった数日? その間、レッタちゃんがどんな思いをするか。
レッタちゃんが、傷を負う。それだけは避けたいんだ」
「……それに関しては伝えただろ。この距離でもきみの術技は発動している。
きみの術技なら彼女にどんな傷もつけさせないだろ。
拷問や自白剤、毒なんかもきみの術技で守れる。だから」
「違う。そうじゃない。──オレが言ってるのは……。
先生を殺した奴と、ずっと一緒に居させたくないんだ。それが一番……傷になる」
「……心の傷か? ガーくん。考えてくれ。本当によく考えてくれ。
その程度のことと、命を失うこと。それは対等か?
トラウマだったか。そういう傷が出来ても、命の方が圧倒的に大切だ。そう思わないか?」
「分かるよ。ユニーさん。あんたが良い人だってことも含めて。
オレの命を、真剣に心配してくれてるから。だけどさ。
やっぱり、悪い。理屈じゃないかもしれない。──とにかく、レッタちゃんを助けたくて仕方ないんだよ」
ユニーは机の上にあるテキスト──自身の術技で作ったその紙を前に唇を噛んだ。
「……凄惨な死が、待っているんだぞ」
◇ 予知──100% ◇
【ハッチ・アベリア】
○ 自ら毒を飲み、全身に溶解毒を浴び、激痛に喘ぎながら死亡。
【ヴァネシオス・ド・ドール】
○ 四肢断裂。失った腕の他に、自ら両足を捨てる。絶望と怒りの淵で出血多量により死亡。
【シャル丸】
○ 首骨骨折による呼吸困難。誰にも見つけられずに死亡。
【ノア】
○ 血管に火を通されて焼死。目的地に到着できず死亡。
【ガー】
○ 胸を貫く大穴が開く。最後に──
◇ ◇ ◇
「最後に、愛する者に会うことも無く……死亡」
自身の術技に記載された文字を読み上げながら、ユニーは拳を握っていた。
「なんかオレ、その運命さんに超嫌われてるな。わざわざ愛する者に会うことも無く、って酷いよな」
「……笑いごとか。おれの術技は」
「運命を記してあるんだろ。分かってるって。だけど……絶対じゃないんじゃないかって思うよ」
「……確かに、絶対ではない。絶対ではないが、100%が出たんだ。ここから変わったことはない」
「じゃあ初めての事例かもしれないぜ」
「そんな、簡単に」
「簡単じゃないさ。……オレだって、死ぬって言われたら怖いぜ。
怖いけど……まぁ、やるか、って感じだ」
「……っ。きみは、想像力が無いんじゃないか!
命だぞ。自分が死ぬんだぞ! 考えてみてくれ」
「ああ、考えてるよ、ユニーさん。
……貴方の奥様が窮地に立ったらさ、同じ選択するでしょ」
「っ。それは……」
ガーは一度、目を閉じた。
その瞼の裏には、ヴィオレッタのことしかない。
好きな人、大切な人、最高の友人、そして──愛する人。
身を投げ出しても、守りたい。何があっても笑っていて欲しい。
だから。
「悪い。ありがとう。けど、オレ、助けに行くわ」
「……馬鹿だ。その選択は、愚かで馬鹿な回答だ」
その言葉を聞いて、ガーは目を開いて笑った顔を見せた。
「そーなんだぜ。オレは馬鹿なんだ。
テストも大体、愚かで馬鹿な回答しか出来ない。だから──ま。悪いね。ちと、行ってくるわ」
カシャン、コ。と愛用の銀のライターを開けてから閉じる。
手癖の音を残して、ガーは笑んだまま扉から出た。
そして、その後を、ハッチも、ヴァネシオスも。シャル丸もノアも、続いて出ていった。
◆ ◆ ◆
「……あー、でもオレについてくる必要はないんじゃね、皆は」
「何、馬鹿言ってんのよ。あんた一人で行かせたら魔王城に辿り着く前に死んじゃうでしょ」
「そうよん! 覚悟は決まっててもただの喫煙者なんだからン!」
「いや、まぁ、そうかもだけど」
「死ぬならせめてレッタちゃんを助ける囮になって死になさいよね!」
「酷えッ!」
「──ね。ガー。あんたさ、怖くなかったの」
「え?」
「……死ぬ、って言われたのに。あんたは」
「あー、いや、怖いけどさ」
「なら!」
「多分、死なないぜ」
ガーの言葉にハッチもヴァネシオスも目を丸くした。
「……え? でも、あの人の予言は本当に当たるのよね?」
「当たるだろうな。きっと世界一当たるだろうよ」
「じゃあ」
「抜け穴。あるんじゃねえかな、ってさ」
「……それって」
「ガーちゃん、貴方がそれほど言うってことは結構具体的に分かってるの?
何か、我たちが分かってないことが」
「んー。分からん。たださ、あの未来予知って術技だけどさ。
凄いけど『完璧』って、無いって思うんだよな」
「どういうこと?」
「術技って、人一人の力じゃん?
『たった一人の術技で運命全部が分かる』、ないし固定される、なんてことさ。
なんつーか、条理に合わない気がしてさ」
「……それは。まぁ」
「確かに薄い賭けだけど。死ぬ確率は高いのは変わらないし、言われた通りの運命になるかもしれない。
けど。……レッタちゃんが、助けを待ってるなら。
オレは、行く。ただそれだけなんだわ」
「ほんと。レッタちゃんレッタちゃんって、……ずーっと言ってるわね。呆れ通り越して感心しちゃうわ」
「そうねェ。ほんとよねぇ!」
「ははは。まぁ、降りるなら降りてくれよ。分の悪い賭けには変わらないしな」
「ねぇ、誰に降りろって言ってんのよ? 行くとこまで行くに決まってんでしょうが」
──偶然の折り重なり合い。
結果として捕まってしまったヴィオレッタ。
「運命が災害だっていうなら……超絶準備して乗り込もうじゃねぇの。
それで絶対に」
彼女を、助ける為に。ガーたちは進む。
「絶対に、レッタちゃんを助ける」
運命が凄惨な死を決めた闇の中へ。




