【07】今から五分も【17】
◆ ◆ ◆
「くすくす。下で待ってて良かったのに」
「いや、なんか、付いていたくて」
オレはレッタちゃんと一緒に屋敷の中に入っていた。
レッタちゃんからは、屋敷の外で見張りを頼まれた。
だが、狼先生が、『私が見張るから、お前は付いていけ』と言って、送り出された次第である。
「レッタちゃん、その背。大丈夫?」
「背? ああ」
黒い骨の羽。靄舞の力で作られたその八本の羽は、まるで手足のように自由に動く。
戦闘においては、敵を貫く槍にもなるし、強力な盾にもなる。
そんな便利羽は、今、縮んでいる。その上、二本しか生えていない。
「大丈夫だよ。温存してるだけだから」
「なら、いいんだけどさ」
階段を駆け上がる。二階はがらんとしていて、音もない。
やっぱりもう、逃げたのか……。
「こっち」
レッタちゃんはまっすぐ次の階段を目指す。
「え、部屋を探さなくていいの?」
「うん。大丈夫、外に出たら師が教えてくれる。だから、最優先でもっと上へ行くよ」
「もっと上?」
「うん。あの貴族は、自室に戻ると思うから」
◆ ◆ ◆
「普通、ライヴェルグの名前を聞いたら、もっとビビるだろうがっ!」
「坊ちゃんっ、それより、逃げないと」
「うるさい!! お前は倉庫に行って魔法具を持ってこいっ」
老執事に向かって命令を飛ばす。
「ま、魔法具。えっと、今、坊ちゃんが付けている指輪が風魔法ですから、炎魔法の指輪をお持ちすれば、大丈夫ですか?」
「馬ぁ鹿! 攻撃魔法の指輪なんか持ってきてどうすんだよ! 転移魔法に決まってるだろ!!」
「そ、そうでございますな」
執事は頭を下げ、部屋から出ていく。
転移魔法具。文字通り、指定場所へ瞬間移動できる魔法具だ。
トゥッケの家に保管されている転移魔法具は、ギルド間の移動用であり、何種類かの制約がある。
それでも、瞬間移動という魔法は、とても便利だ。
この部屋で必要な物を集めてから、トゥッケはその転移魔法具を用いて、どこかのギルドハウスへ転移する予定であった。
トゥッケは、イライラとしながら、爪を噛む。
彼は自室にある大きな机の引き出しを開ける。
目的の物が、何段目か忘れたのか、乱雑に開けていく。
(偽ライヴェルグ作戦で、どんな奴でも黙らせて来たのにっ。大抵の奴は、あれで縮み上がってボコボコになるのによっ!)
一番下の引き出し。その奥。あった。と声を上げた時。
「ね。やっぱり、部屋にいたでしょ」
まるで、刃物のような鋭利で、冷たい言葉。
背筋が凍る。トゥッケは人生で初めて、その言葉の意味をしっかりと理解し、目だけを動かし入口を見た。
黒い毛皮。嘘みたいに白い肌。僅かに緑がかった漆黒の長髪。
背から黒い骨の羽を生やした少女、レッタが、そこにいた。
その後ろには、黒い肌のスキンヘッドの男、レッタが、ガーちゃんと呼ぶ男がいた。
「や……やぁ。お早い、到着だね」
トゥッケは精一杯の虚勢を見せたが、出てきた言葉が、その程度だった。
レッタの背の羽が霧散し、代わりに彼女の手に、靄が集まった。
「【靄舞】、奔れ」
黒い靄が、一塊となり、一気にトゥッケへ放出される。
転がってトゥッケは避けた。だが、左足を掠めたらしい。
「痛ぃいっぃっぁ!」
転がり、足を見ると、ズボンの左側が溶けていた。そして、足の皮膚が、まるで炎で炙られたように、火傷になっていた。
自分の足ばかりに気を取られていたトゥッケの目の前に、少女の靴が見えた。
顔面に、蹴りが突き刺さる。
「どうしても、聞いておきたかったことがある」
レッタが、転がったトゥッケの頭を踏み、黒い目で見下ろした。
「自分の命を助けてくれた人を、どうして殺そうと思った?」
レッタの言葉を、トゥッケは、はっ、と鼻で笑った。
「命を助けてくれた? 何を言ってるんだか……!」
「ギルドで決闘した日、マッキーが止めなければ、私はお前を殺してたよ」
静かな言葉に、トゥッケは冷や汗を掻いた。
レッタの蹴りが腹部に入る。強烈な一撃だ。あの細い体にどうしてこんな力があるのか、理解できないまま、トゥッケは壁際に追いやれた。
「かっ、は」
そして──トゥッケはすぐに頭を回転させる。生き残る為に。
「……?」
レッタは首を傾げた。
トゥッケは、土下座をしていた。
「今、ようやく、わかったよ。そうだなっ……そうだとも。ああ、本当に悪かった。この僕が悪かったよ」
涙ながらの謝罪。地面に頭を擦り付けて。
多くの人間の同情を買えそうな程に、悲惨な泣き顔で謝罪していた。
だが。
後ろのガーという男は蔑んだ目で見ていた。
そして、レッタは、少し微笑み。
「【靄舞】、刻め」
トゥッケの背中を、まっすぐに斬り裂く。
「いっ、ぎぁあぁぁああぁあっ」
「嘘の謝罪は、いらない」
「ひっ……はっ……っ」
トゥッケは蹲り、激痛に悶えた。
(なんで、この僕が、こんな酷い目に遭わなければならない……っ! くそ。不条理だ。この僕にっ、こんなっ!)
トゥッケは、直情的な人間だ。
殴られたら殴り返すし、酷い目に晒されれば、相手を酷い目に晒す。
だから、やられたらやり返すことは、彼にとっては自然なことだ。
彼の右手に付いた指輪が薄く光る。──風の魔法が込められた魔法具。
「レッタちゃんっ!」
突風の刃が放たれた。
その刃は、レッタに向かい、それを、ガーは背で受けた。
今日の戦いの中から見れば、そんなに血が出た方ではない。
そもそも、突風の刃の魔法は、低級魔法だ。殺傷力も低い。
とはいえ、鍛えたこともない愛煙家のガーにとっては十分に戦闘不能になる痛みであり、その場に膝をつく。
「ガーちゃんっ」
「だ、大丈夫。背中、痛いだけ」
レッタがガーを支えた時──部屋にけたたましい警鐘が鳴った。
一瞬の隙。それさえあれば良かった。
手に持ったスイッチを押していた。
「ふ、はっはっはっ! お前ら、これでおしまいだっ」
トゥッケが高笑いをする。
「……ベル? 何?」
「緊急招集警鐘! これを鳴らした!!」
この部屋には、そのスイッチとやらを取りに来たのか。
「これで、あと五分! そう、五分もすれば!
この館にA級勇者を含めた総勢五十名以上の勇者が集結する!
そうすれば、お前たちは、おしま──い、だだだ!?」
トゥッケの左手から血が出る。何が起こったか確認した時、左腕が、火傷している。
足の皮膚の火傷と同じ火傷だ。
いや、これは、火傷ではない、と気付き始める。
「くすくす……おバカさん、だね」
「は、はぁ!?」
「今から五分も、生きていられると思ってるの?」
トゥッケの右耳が、弾け飛んだ。




