【総集編】Chapter 9 : 父と子【37】
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心臓が凍り付くほどに美しい女性だった。
女性の名前は、シャーテリア。
神聖国から更に、北王海と呼ばれる凍てつく海を越えて、北の果てにある国の女性。
無口、無表情。
それでいて、美しい女性。
細い指に、白い肌。赤い瞳が特徴的で、綺麗な耳だった。
まるで童話に出てくる妖精のような女性だった。
彼女は、後にラッセル王子が結婚する女性であり──バセット王子が恋した女性でもあった。
砕いて言えば、シャーテリア姫は、次の王と結婚をする為に来たのである。
◆ ◆ ◆
──王国には、当時、王子が二人居た。
何れ王となる兄のラッセル王子。そして、何れ命を落とす弟のバセット王子
兄のラッセルは、絵に描いたような馬鹿な王子だった。
弟のバセットは、物語に出てくるような完璧な王子だった。
兄は権力を笠に着て、遊び放題。
そんな兄を弟は、そういう兄さんでもいいんじゃないか、と笑って見守っていた。
──後に思えば、この頃からバセットは兄を自分と比較させる対象にしか思っていなかったのだろう。
兄が出来なければ出来ない程、自身が王城内の誰からも期待され認められ、優遇されていく。
その人間的に卑しい部分を見抜けていたのは、ほんの一握りだけだった。
当時の国王であるダックスも、それを気付いていたから外交の場にはあまり出さなかったのだろう。
その側近ロクザも静かに牽制はしていた。
何れ、そういう卑しい部分も改善されていく、そう期待して。
その後に、ラッセルはある勇者と出会う。文字通り稲妻のような出会いの後、彼は更生していく。
王が病に臥せってから、次期国王は誰かという話題が耳を塞いでいても聞こえるようになった。
その頃も、ラッセルは割と悲観なく、次期国王はバセットがいいと思っていた。
バセット自身も、──いや、王国の誰もが何れは王位をバセットが継ぐと思っていた。
しかし、王の今際の言葉で、実際に国王になったのは、ラッセルだった。
バセットは、王になりたかった。
(何もしなくても持て囃される存在が許せなかった)
ずっと、ずっと。
(何も出来ないから、逆に皆に構ってもらわれて)
王になりたかった。
(自分が世界で一番、認められるべき存在なのに)
(誰よりも愛されるべきなのは、自分の筈だ)
だから。
(──国王を。父を病死に見せかけて、殺してまで王になろうとしているのに。
父が選んだのは、兄か。クズめ。どうして上手くいかないのか)
バセットは棺の中の王を、路傍で死んでいる鼠を見るような目で見つめていた。
それから。
数年もせず、バセットは、表面上は兄に従い、その裏では自分の派閥を大きく広げていた。
シャーテリアは王となったラッセルと結婚した。
その腹が大きくなる度に、バセットは爪を噛む癖が増えた。
(実際、僕が王になった方が良いに決まってる。みんな、望んでいたじゃないか)
(王国は敵国と隣接するんだ。いつか狙われる。いつか戦争になる。だから)
王になることと、ラッセルへの嫉妬心。
それらは、いつしか結び付けられていた。
(なのに。ハッピーエンドの後の物語みたいに、幸せそうに、暮らして。)
そして、王への執着はやがて。
(父に寵愛され続けた、頭の緩いクソに、王位を奪われた。ずっと傍にいて密約でもしたんだ)
的外れな復讐心へと変わっていた。
(どうすれば。ラッセルという偽王を……再起不能な程にボロボロに出来るのか。
それだけを、考えていた)
──そして、ある嵐の日、事件は起こる。
『テロ未遂事件──つまり、国王暗殺未遂事件。
王城の近衛の一人が手引きし、逆賊を十数名も場内に進入させてしまった事件。
この事件で、王弟バセットが王を守る為に、命を落とした。』
というのが、公の歴史。
実際は──。
「この国は、僕の物になる予定だったんだッ! お前の物じゃあなく、この僕の物になッ!!」
──バセットの反乱。
そう言って差し支えのないものだった。
公にできなくなった理由は幾つもある。
まず、政治面。
公にすることで国内に大きく混乱が招かれることが予想された。
それ程、この反乱に関与していないバセット派閥の人間というのも存在した。
そしてそれらを処分すれば国は停滞する。
そして。
バセットの肩から胸まで、深々と斬り裂いたのは──現王ラッセルだという事実。
反乱分子を手に掛けた王。それだけなら美談にも出来るだろう。
それは、当事者が『これは正義だ』と胸を張って言えれば、だ。
嘘偽りだったとはいえ、昨日まで笑い合っていた弟を殺した王は──激しく動揺していた。
人を殺したという実感。
命をその手で奪った感触が、彼の体にこびり付いて、眩暈に似た吐き気を模様し続けた。
ただ──それだけじゃなかったのだ。
「ラ、ニアン……が……余の……子供、じゃ、ない?」
──バセットの最期の言葉は呪いだった。
『その子供は、僕の子供だ』と、言葉を吐いた。
──ラッセル王の精神状態が不安定になってしまったのはその頃からだ。
それ故、王国は王弟の反乱を無かったことにし、嘘の事件を作り上げた。
「……バセットの言葉を、真に受ける必要は無いでありましょう」
ロクザはそう言った。
それから、血の形で検査することも、シャーテリアに真偽を問うことも出来る。
しかし、ラッセル王はそれを行わなかった。
ただの嘘だ、と思い込みつつも。
万が一。
本当に──本当だったら。
愛している相手が──嘘を吐いていたら。
生まれたばかりの愛しい子が──自分の子じゃなかったら。
指を握って、ラッセル王は自室に籠る。暗い暗い、部屋の中へ。
◆ ◆ ◆
ヴィオレッタとルキが、その全力を持って治療を行った。
出来る全て。これ以上ない、最大をもってしても。
「出来ることは、したが。……元から体は蝕まれていた。
体力的に、限界が近い、だろう」
ルキが静かに説明した。
ヴィオレッタはラニアンと目を合わせられなかった。
「ごめん」 それだけ呟いて。膝を抱えて座った。
「ありがとうなのだ。皆」
僅かに息を取り戻したラッセル王の手を握る。
「ラニ、アン」
「父上」
大きく息を吸い、吐き。呼吸を整えるようにラッセルはゆっくりと喋った。
「ずっと……怖かったんだ。ずっと。
──お前は、余の息子、なのか……それとも。違う、のか。
怖くて、聞けなかった。な、あ……ラニアン。お前は、誰の子供、なんだ」
「……父上の子供です」
「……弟の、子供じゃないかって、思ってるんだ。お前は、余と違って、優秀だから」
「いいえ。……貴方の子供です」
「そう、か。でも、な……お前、腹の中に、普通の子供より、多く居たんだ」
「伺ってますよ」
「あり得ない、こと、らしい。だから」
「父上。……あり得るんです」
「な、に」
「……母上から聞かされました。母上は、四分の一、雪抄妖精族の血があると。
だから、それが原因で、生まれるまで時間が掛かった、って」
「そ。……なん、そう、なのか」
「はい。そうです。だから」
「余は……聞けば、いいだけのことを、ずっと……」
「それに。……もし誰の子供なのかという問いの答えを、余方が選んでいいなら。
……余方は他の誰でも無く、貴方の子供がいいです」
「……うれしい、な」
「はい。……余方も、父上の子供で嬉しいです」
「さっき、な。……嫌な……所が、遺伝したと思ったよ」
「え?」
「余も、巨乳好きだからな……」
「……父の性癖は聞きたくなかったなぁ……」
「は、はは……それなら余だって、ガキの性癖なんか、聞きたくなかったぞ」
「父上」
「……ラニアン。余ぁ……お前に。
息子に……して欲しいことがあったんだ。聞いてくれるか……?」
「ええ、いいですよ」
「……余のこと、パパって呼んでくれ」
思わず、ラニアン王子は噴き出した。
「そ、そんなに変か? ……ロクザ、も……笑っていたが」
「いえ。いや、変ですけど……なんでしょう。父上ってやっぱり、面白いですよ」
「……そう、か?」
「それに……少し恥ずかしいですよ。パパ……。パパ上」
「……パパ上、と来たか」
「ちょ、ちょっとでも緩和したくて」
「そう……か。……パパ上か。……いいな。うれしいよ……」
「それなら、よかったです。パパ上」
「……なあ……ラニ、アン……ごめんな」
「え?」
「ずっと……余に、自信が、無かったから。ずっと、冷たく当たって」
「そんなことないですよ。……冷たく、されてはいたけど。
ずっと王城に置いてくれたのは……優しさだって分かってます」
「……それでも、もっと。もっと……話しておけば、よかったな」
「これから、話しましょう。まだ下ネタくらいしか、喋ってないんですから」
「……そうだな。ちゃんと、伝えないとな。……女は、胸の大きさじゃなくて、その奥にある心の大きさが一番大切だ……」
「パパ上。もう、こればっか喋ってますよ。どんだけ巨乳好きなんですか」
「……だな……」
「もっと。もっと、色々喋りましょうよ。真面目なことも、未来のことも」
「……ああ」
「パパ上」
「余の……とこに、産まれてきたのが……お前で、よかった」
「余方も、父の。パパ上の子供に産まれてこれて、よかったです。
だから、パパ上。もっと、色々教えてください。パパ上のことも、いろんなことを」
「パパ上。……パパ……上……っ!」
手は離さなかった。
涙で何も見えなくても、その手だけは離さなかった。
ただ、叫び続けた。ラニアン王子は叫び続けた。
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父と子
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Chapter 9 : 父と子




