【総集編】Chapter 5 : 靄と絲【33】
その日の王都は様々な場所で戦いが行われていた。
今、同時に起こっている戦いは三つ。
まずは、王城の地下練習場での──ジンとロクザの決闘。
それから、あの宿屋で行われている戦い。
たった今、積み木でも踏んだようなハルルの悲鳴が響き渡った。
……その戦いは、置いておくとして。
もう一つの戦いは──王城。
この王都において、地上から最も遠い地点──城の最上階。
王の居室の前にある大広間で火蓋が切って落とされた。
◆ ◆ ◆【19】◆ ◆ ◆
父と子
◆ ◆ ◆ 5 ◆ ◆ ◆
Chapter 5 : 靄と絲
(くす。本当にイレギュラーが起こるねー。
王の居室を守るのは、ロクザと数名のA級以上の近衛って聞いてたんだけどね)
──悪童のような笑顔を浮かべて、ヴィオレッタは着地した。
ヴィオレッタに顔面を蹴り上げられた赤い鎧の男は打ち上げられた魚のように意識を失って沈黙する。
ヴィオレッタは王子とヴァネシオスを連れて王の居室の目の前まで来ていた。
想定外な事態が発生した為、彼女は一人、その護衛達と戦っていた。
(本当は全員倒して正面から堂々と、と思ったんだけど、オスちゃんたちは裏から行くみたい。
凄いよね。ロッククライミングみたいに外壁を伝って行ったみたい)
ヴァネシオスと王子の音が遠ざかるのを静かに確認しながら、ヴィオレッタは周囲を見た。
これで、この場に転がっているのは、3人の男。
最後の一人は、王の居室の前に腕を組んで仁王立ちしていた。
炭のように黒い髪の二つ結いの女性。
黒い革で出来た露出の高い衣服を着たその女性──彼女の名前は、セーリャ・ド・カデナ。
(くすくす。S級勇者らしく、すっごい堂々とした心音だね)
セーリャは自身のショートパンツのポケットに手を突っ込んで、拷問器具のような鎖が付いたブーツを鳴らしてから一歩前に出る。
「相性が悪かったね。わたしの魔法は」
「禁式。それもカデナ家に伝わる禁式を更に改良した純粋禁式。
呪術と付与魔法、それからちょっと属性魔法も配合してるのかな」
──ヴィオレッタは、自身の右腕にある蜘蛛の巣状の紋様を見てそう分析した。
「へぇ。凄いね。見て分かるんだ」
「うん、昔から気になってた魔法でもあるから。──丁寧に編み込まれたいい魔法だね」
「あんたに褒められても、ちょっとしか嬉しくないし照れたりしないけど。悪い気はしないね」
「くすくす」
「──特別に教えてあげるよ。あんたは後4回だけ魔法が使える。
厳密に言うと49メィギアを越える魔法を4回。正し、270メィギア以上の魔法を使おうとしたらその一回で一発オーバー。前身にその紋様が浮かんで、次の朝陽まで魔法が使えなくなる」
「……めぃぎあ??」
「王国で主流になってる魔力の発動単位だ。知らないのか?」
「ふぅん? うん。知らない。そのうち勉強するね。ま、小さい魔法以外は使っちゃダメってことでしょ」
「そうなるね」
「じゃあ大丈夫。貴方を倒すのに、後4回も魔法は必要ないもん」
「はっ。言ってろ」
──ヴィオレッタは、近接戦を主体とした魔法使いである。
所謂、魔法剣士、ならぬ魔法拳士。
そしてセーリャもまた同系統の術技持った、似た戦闘スタイルだった。
彼女の術技はヴィオレッタと同系統。
生み出した蜘蛛の糸に魔法を練り込むことが出来る。それを用いて罠を仕掛けるのも得意としていた。
似た戦闘スタイルであるからこそ、魔法を封じられたヴィオレッタは圧倒的に不利だった。
一方的な戦闘が続き、ヴィオレッタがバランスを崩した刹那をセーリャは見逃さなかった。
その右手に蜘蛛の糸が集まった。糸巻に糸が巻き取られるように、目にも止まらぬ速さで右腕が漆黒の糸に覆われた。
同系統の術技。奇しくも彼女が辿り着いた大技は、ヴィオレッタの最もよく使う砕爆という技と殆ど同じ物──。
「──蜘蛛噛手!」
故に、間一髪、ヴィオレッタは切り札を切った。
跡形も無く消し飛んでもおかしくない。そんな破壊力の一撃を放ったセーリャは、目を細めてヴィオレッタを睨む。
「……いつの間にそんな武器、作ってたんだよ」
「くすくす。戦闘開始直後かな」
ヴィオレッタがぐるんと振り回すのは──大鎌。
黒い大鎌は、彼女の術技と魔法で練り込まれた武器だ。
「はん。……赤い鎧の奴と戦ってる最中に、わたしに魔法が封じられるところまで読んでた、ってことか」
「そーだよ」
(ほんとは赤い鎧の人の鎧が硬くて弾かれるんじゃないか、って思って作って天井に刺しといた鎌なんだけど、相手に威圧を掛ける意味でも嘘吐いとこー)
セーリャは舌打ちをしてから両拳を構える。
その姿はまだ余力があるように見える。が、実は違う。
(──今の大技は、私を完全に倒す気で撃った。だから魔力も相当に使い切って疲れてる。
顔に出ないのは凄いけど、薄い呼吸の違いで分かっちゃうんだ)
「……どうしても。この扉を、開けるつもりか」
「うん」
「この先には、王がいるんだ」
「だね。その人を拉致るのが目的だもん」
「拉致……か」
「うん」
「……ふざけんな。分かってんのか? 相手はこの国の王だぞ」
「ふざけてないよ。どうしても王様に用事が──」
「黙れ! そうやって、お前たちは! 大切にしていたモノを、人も、なんだって勝手に奪っていく!
踏みつけて、積み上げた物を壊す! この扉の重さは、わたしたち、王国の魔術師たちの命に等価だ!
この扉を開けさせない為に、人生を、命を注いできているんだ!」
「……そう。だとしても、私は行くよ」
「……行かせねぇって。この先へは。いかなる理由があろうと、誰であろうと、何があってもだ!」
怒鳴りながらセーリャの両腕に蜘蛛の糸が巻き付く。
先ほどの魔法を、両腕で。されど先ほどよりも乱雑だ。
キリキリと軋むような音がしている。風と炎の魔法が完全には混ざり合っていない。
だがそれでも十分脅威。振り下ろされただけで大火傷じゃ済まないだろう。
「『蜘蛛噛手──」
だからこそ。
ヴィオレッタも正面から真剣に向かった。
「──両腕こ」
「『断爪』」
斜め一文字。斬り上げられた黒い三日月のような大鎌が、白い天井へ、血飛沫を星のように鏤めた。
「ごめんね。セーちゃん」
「……ざ、けんな……。畜生……。誰が、セーちゃん、だ、ばっきゃ、ろ」
──膝を付いた。
セーリャは血の塊を吐きながら、なんとかヴィオレッタを睨み付けた。
「……止めを刺すつもりはないから。安心して倒れていいよ」
ヴィオレッタの言葉に否定を返そうとしたセーリャだが、血の細かい飛沫を吐くしか出来なかった。
かは、と乾いた声の後に噎せ返る。
「動けるような傷じゃ無いよ。手加減はしたけど、手を抜いた攻撃じゃない」
セーリャは呼吸を整える。
それから、ヴィオレッタが進んでくるより先に、立ち上がる。
震えながら、それでも。
「──純粋、禁式……見たがってた、な」
「うん。……あれ、私に掛けたこの魔法じゃないの?」
「ああ、それは……地雷印。違う、魔法だ……純粋禁式は、発動したら、一定期間はどんな攻撃も無効に出来る。雷の獅子ですら、壊せない筈だ」
「……」
瞬間。扉に金の茨付きの蔦が張り巡らされた。
「いいか、ヴィオレッタ。純粋禁式の解除方法は二つ。
中にいる人間が扉を開ける。また、わたしが直接触れる。それだけだ。他は賢者でも開けられない。
そして、『わたし』は生きていなきゃ『わたし』じゃない。死体は『わたし』ではなく『死体』だ」
「! 待って、セーちゃん。貴方、何を」
「戦いには負けた、けど──絶対、あんたをこの先に入れさせない!」
セーリャは窓を突き破って飛び降りた。
目もくらむような高さの王城の最上階から──飛び降りた。
純粋禁式は、発動者が死んでも解除はされない。
もう開ける方法はこれでなくなる。
ヴィオレッタは魔法をもう後1・2回しか使えない。
空を飛ぶような魔法も発動は出来ない。
彼女を助ける方法は、通常は存在しない。
だから。
「──そういう覚悟、とっても好きだよ! セーちゃん!」
ヴィオレッタも窓の外に飛び出した。
「【靄舞】、奔れ!」
◆ ◆ ◆
ヴィオレッタの術技である靄は彼女の血から作られる。
そして自在にその姿を変えられる。しかし、靄は靄。そのままでは触れない。
そこに魔力を流して硬さや形を整えていく。
大量に血を使い、巨大な靄を生み出した。
そして、そこに、魔力を流して柔らかいクッションとする。
一仕事終えたヴィオレッタはふーっと息を吐いた。
(あーあ。左腕、滅茶苦茶痛いんだけど。折れたかな。それとも筋肉の方かな。
くすくす。ま、城の天辺付近から落ちて、左腕一本で済んだんだし、御の字だね)
「ヴィオレッタ……」
「あ、セーちゃん。起きたね。くすくす。
大丈夫だよ。もう王様の所、行かないから。というか行けない。ほら、全部禁式されたよ」
両腕、両足、喉元まで蜘蛛の巣の紋様が浮かんでいた。
「……朝日を浴びれば、解ける」
「あ、そうなんだ。くすくす。教えてくれるなんて、優しいね。ありがとね。
さてと」
「──ヴィオレッタ、どこへ……!」
セーリャが手を伸ばした時、その異変に彼女は気付いた。
「傷が……無くなってる」
一文字の大鎌の一撃も。他の掠り傷も、全てが無くなっていた。
「くす。──大丈夫そうだね。じゃ、私は行くから」
「な──なんで」
「?」
「なんで。自分の傷を治さなかったんだ。その左腕、やばいだろ」
「んー……なんでだろ。気分かな」
「気分、て」
「くすくす。気にしないで。気まぐれなだけだから。っと──あーあー。やだねー」
ヴィオレッタは引きずった大鎌を足で蹴り上げる。
ぐるんと上に起き上がった鎌が、飛んできた矢を弾き飛ばした。
「賊だ! こっちにいるぞ!」「明かりを灯せ!」「捕らえろ!」
「まぁ、ちょっと派手に戦い過ぎたもんね。増援、来ちゃうよねー」
十数人の勇者を目にしてヴィオレッタはくすくすと笑った。




