【総集編】別れの日に『ありがとう』の言葉を花束に添えて。【26】
巨大な岩に穴を開けるのは、雷のような強大な力ばかりではない。
涓滴、岩を穿つ。
絶え間ない努力がついには困難なことすらも成し遂げるという格言だ。
同様に、人の心も同じだと思うのだ。
雨の滴か、涙の雫か、小さな──小さな液体が一つずつ心に穴を開けていく。
劇場戯曲のように、一つの想いがあって悪を成す訳じゃない。
それだけは申し訳なく思う。
小さな積み重ねが。
怒りも。悲しみも。絶望も。羨望も。
全てが重なっただけだ。
術技進化した結果、この術技は目に発動するようになった。
ヴィオレッタのように、発動中は瞳の色が変わる。
瞳の色は発動中、焼け焦げた深緑色の輝きを放つ。
緑穢の瞳。自分自身の心を映すような色味だった。
◆ ◆ ◆【16】◆ ◆ ◆
(俺だけ取り残すたぁ、あの魔王……)
「──逃げ遅れたようでありますな。お覚悟、であります」
「ぶひゅひゅ。まぁ彼も消した方が、都合が良いのでしたねぇえ!」
「待──」
ナズクルが声を上げるより早く、二人は一度にジンに飛び掛かった。
実質の三対一。圧倒的に有利だ──
(天裂流は、強者を倒す為の流派。ただ強敵を討つって訳じゃない。
うちの流派じゃ、強者っていう言葉には、集団で襲い掛かる敵ってのも、含まれるんだよ)
──ジンにとって、圧倒的に有利であった。
瞬間一閃。
ナズクルの視界を二人が遮ったその一瞬。
絶景によって静止した世界でジンの『暴力の嵐』が雷のように一閃、奔る。
ティスは空中大回転後に地面に叩きつけられ。
パバトは顔面を捩じ切れるまでにぐるんぐるんにされた。
そして、ジンはティスが落とした鉄槌を拾い上げ──ナズクルに向けて突き出すように真っ直ぐ構えた。
「ナズクル。お前にいつか問いかけたよな。人間の為にやってるのか? って。
それ、頷いたよな」
「……ああ。そうだ。世界の為だ」
「分かり易く説明しろ」
「──覇王と成り、泰平の世を作る。無益な血が流れない、平和な世界を求める。それだけだ」
(魔王を、不意打ちで撃った癖に、無益な血が流れない、平和な世界、だと)
「お前はッ! ──!?」
その瞬間、ナズクルの手に『黒い本』が現れた。
黒い鉄で作られたような装丁で、見ている者を吸い寄せるような不思議な魔力のある黒い本。
「ああ、術技強奪は上手く行ったらしい。
これの説明は、ちゃんとしないとな。──術技名は【魔王書】」
「魔王、書」
「受け継げる術技であり、魔王の死を引き金に近くの魔族の元に受け継がれる性質がある。
それを少しだけ狂わせて俺の手に届くようにした。
術技の条件分岐程度なら意外と簡単に──」
一閃──力任せな鉄槌を、鉄を纏った氷柱が防いだ。
まるで本当に魔王の魔法のような──素早い魔法発動。
「お前。今……なんて顔してんだ。魔王が、死んだんだぞ」
「喜ばしい顔をして何か悪いか?」
「一人の、命が無くなったんだぞ」
「人じゃない。世界の脅威だ。それに──その言葉、お前にそっくり返すべきだろう。
最初に殺したのは、お前だ」
「ッ! ナズクルッ!!」
「ライ公。……俺は、もう戦わないぞ。
今、お前とやり合ったら十中八九、死ぬ。俺がな。だから、これで逃げ切りだ」
逃げられる。瞬時に鉄槌をぶん投げるが──それはただ武器を返しただけで終わる。
「お前がやったこと、俺は……許さないぞ」
「だからどうした。……お前に許しなど、請わない」
──転移魔法の残り火が、まるで青い鬼火のように墓地を舞う。
その暗い火だけ残して、ナズクルたちは消えた。
燻った、悪臭。癒えない傷を残して。
◆ ◆ ◆
しかしながら、世界は恐ろしい程に。不気味な程に変化は無かった。
ジンは交易都市に戻り、別の部屋に間借りし状況を探っていた。
合流したルキとハルルと情報を探るが──何も、変化は無し。
だが、そのあまりにも変化の無い時間が──最も警戒するべきだと、ジンもルキもハルルさえも理解していた。
「……けど、アイツが何をしたいか、まったく分からないな」
「覇王か……。奴の性格からすると、ボクたちに隠したくて仕方ないことを言う時だろうね」
「??」「どういうことだ??」
「ナズクルが何か大仰な台詞を言う時は、何かを隠している時さ。
それも……ボクたちが賛同しないだろうことを隠す時だね」
「……わかんねぇけど。俺たちには言えない隠しごとだよな」
「だね」
「じゃぁ……それがどんな善行だろうが悪行だろうが、全力で叩き潰せばいいな。
俺たちに言えない時点で真っ黒だ」
「違いない」
(俺たちは脳味噌まで筋肉なので、ナズクルの狙いとか云々をすっ飛ばすことにした。
とりあえず、ぶっ飛ばしてから事情は聴けばいい。以上だ!)
「後は時間的猶予がどれくらいあるか、ッスよね。
何をするか分からないッスけど……今日、何か動きが無いってことは」
「そうだね。ハルルが考えた通りだとボクは思うよ。
きっと社会的に注目度が高い日に何か大きなことを行う、と考えるね。
だから直近にある大きなイベントは危ないね」
「直近にある大きなイベント……って、『終戦記念祭』ッスかね?」
「なるほど。終戦記念祭か……だとしたら確かにナズクルらしいな」
「だね。終戦記念式典には『帝国』のフェイン皇帝も参加するそうだ。
今、王国の目の上のたん瘤でもある国だ。何か企てるのかもしれないぞ」
「確かにッスね。ただ、魔族自治領独立記念式典もありうるッスよね?
そっちは魔族側の注目度は一番高い日ッス」
「あー。なるほどな。どっちもあり得るな……諸外国向けなら終戦記念日当日の式典だろうし……魔族側に何らかの影響を与えるなら独立式典の方だな」
「……ナズクルさんが動くの、待つッスか?」
受け身になるのは危険ッスよ、というハルルの言外の意図は伝わっていた。
「……となれば。ボクは王都に乗り込むことを推奨しようかね」
「そうだな。直接会ってボコるとするかね」
──当面の目標が決まった。
『王都に潜入してナズクルをボコる』。
ふと、会話を終えてからハルルは──少し沈んだ顔をしていた。
「ハルル? どうした」
「あ、えっとッスね……。その。ヴィオレッタさん。大丈夫かな、って」
「ああ」
魔王の決死の転移魔法の後……魔王は死んだ、らしい。
らしいって言うのは直接見ていないからだ。だが……死んだのだろう。あの魔王書が証明だった。
「きっと、大丈夫だ。……支えてくれる奴らが居るから」
◆ ◆ ◆
レッタちゃんは──部屋に籠って出てこなかった。
当然、だよな。大切な先生が死んじゃったんだ。
お父さんのように慕っていたから……実際、お父さんだったから。
その上……『生命維持の魔法』も……種切れになるらしい。
曰く、狼先生がレッタちゃんの身体の毒素を受け取って外に排出する臓器の代わりをしていたらしい。
いつぞやかの、狼先生が拉致された事件の時に『黒い塊』を置いて消えたのは『その臓器代わり』だったのだ。
けど、もうそれも、終わり。
……誰にも、レッタちゃんの身体の中の毒素を排出することは、出来ない。
この病は──不治の病。
魔王ですら『奇跡でも起こらないと治らない』と言った──そんな病だ。
そして、あまり見たこと無かったけど、口の周りを覆うマスクを着けてレッタちゃんは寝た。
「……薬を混ぜた呼吸用容器から吸入して呼吸出来てる。
先生が教えてくれた魔法と魔法薬……だけど」
「……その魔法は、先生しか使えないんだよな」
「ええ。……レッタちゃんも、無理そう」
「じゃぁ、そのボンベが……」
「……うん。最後の呼吸用容器」
このボンベが終わったら、次はどうするのか。聞けてない。
ハッチと、オレは……レッタちゃんの部屋から出て、各々の部屋に戻った。
この家は、狼先生が残してくれた最後の家で……隠れ家らしい。
綺麗でこじんまりとした家。
3階建てで、部屋数が多い……。この場所の近くに飛ばしてくれたのは、きっと。
いや。考えるのは止そう。
……。
部屋で。オレも今、一人だ。
シリアスやるキャラじゃねぇんだ。オレ。
オレはガーちゃん。皆を笑かす喫煙者だぜ?
どうにも。
唇噛んで、ベッドを殴った。こんなオレ、誰にも見せたかねぇよ。
オレたちの……先生、殺してさ。
レッタちゃんも泣かせて。
なんだよ、あのオッサン。ふざけんな。
ふざけんなよ。……ああ。
どうしてオレは……見てるだけなんだろう。
オレ。ずっと、大切な物なんか持ってなかった。
けど今は、凄い大切な物が沢山ある。
もう、失いたくない。傷ついて欲しくないんだ。
どうすれば、守れるんだろう。
煙草。
ライターを……カシャン、と開けた。コ、と閉じた。
レッタちゃんも、カシャンコ、とやるの好きだった。
先生も、その音だけは。好きで。
ああ。
薄闇が晴れて、雲一つない空に青みが掛かる。
秋口の風は、少し冷たい。
頬を伝った涙の痕が、凍ったんじゃないかと思ったくらいに冷えた時に、ふと。実感した。
いないんだ。
先生はもう、いないんだ。
朝陽が──頬を撫でた。
その時に、声が反響したように聞こえた。『頼んだ』と言った、先生の声が。
「……先生」
呟いてからオレは何でか知らないけど部屋を出た。
ただの衝動で、オレは……レッタちゃんの部屋の前に来ていた。
そして。扉を開けた。
「……ガーちゃん」
「レッタ、ちゃん」
レッタちゃんは、マスクと、ボンベを──つけてない。
「くす」
笑った。レッタちゃんは、笑った。
「薬……無いと、呼吸が」
「出来るみたい」
「体も」
「動くんだ」
「どう、え?」
──医学で解明出来ないことは幾つかある。
『ある世界では』身体を転移し続ける特異な病で余命宣告された後、治った現象が数例存在する。
──それは数万人に一人と言われる確率の現象。
『自然退行』と呼ばれることもある。ほとんど起こりえないことだ。
だが、起こる可能性がゼロではないこと。
起こる可能性がゼロではないこと。それを、敢えて違う言葉で言うなら。
「『奇跡』──」
「くすくす。そうだね。夢でね──師が……私の病気をね。持ってってくれたの」
レッタちゃんは、笑いながら──涙を流していた。
張り詰めた声だった。オレも、気付いたら泣いていた。
ズルいよ。先生。そんなん。
奇跡でも起こらないと治せない……って、ちゃんと奇跡起こすなんて。
なんスか先生。ほんと。先生。
「すぐに、そっちに行こうと思ったのにさ。そんなこと、絶対出来ないよ。
大切な……宝石……貰っちゃったんだから」
オレは、レッタちゃんを抱き締めた。
レッタちゃんは泣いた。泣きながら、先生が言ったから。言った通りに笑ってたと思う。
「精一杯、生きるよ」
「うん」
「師から、貰った、から。大切にするよ」
「うん」
ガーの腕の中で、泣きながら。嗚咽しながら。
ヴィオレッタは小さく呟いた。
「ありがとう──師。私は……貴方に会えて、ずっと。幸せでした」
感謝の気持ちを。涙でいっぱいの笑顔に添えて。




