【総集編】別れの日に宝石を花束に添えて【25】
何を伝えたらいいだろう。
何もかもは、伝える時間が無い。
不可思議な。私は、この世界の誰よりも時間があった筈なのにな。
百年も二百年も生きた。それなのに足りないとは。
いや、そうか。分かった。……長く感じていたんだ。
私は、この十年が──ただ生きた百年より、長く感じている。
長く、大切な……時間。──時間だった。
だから足りない、等と言うのは……笑われてしまうな。
◆ ◆ ◆【16】◆ ◆ ◆
別れの日に宝石を花束に添えて
◆ ◆ ◆ 8 ◆ ◆ ◆
ナズクル【偽感】は、対象の相手に状態異常を錯覚させる術技。
平常心──という状態異常に侵されて、防御魔法が発動出来ず、狼先生は心臓を撃ち抜かれた。
(最後に私の心臓を貫いたのは、神が作った聖剣ではなく……人が作った銃弾か)
今にも泣きだしそうな、張り裂けそうな顔でヴィオレッタは狼先生の身体を処置していた。
それが、狼先生が意識を取り戻して最初に見た光景。
(いくらこの子でも、無理だろうな。……この深い傷は、私でも治せないだろう)
血が溢れて止まらない。脈々と、流れる血が止まらない。
そして、辛うじて目だけを動かして見れば──戦況は混沌。
(ナズクルが仲間を呼び寄せたか……。パバトに……勇者の加勢まで居る状況……。
せめてあのジンが深手を負ってなければ。いや……それより、どうにかせねば、な)
「私が、治すから! だから」
『だいじょうぶ、だ』
「ダメッ! 今、魔法なんか使ったら! 転移魔法は正常な状態の人以外に使ったら──」
狼先生は笑う。そして、残る力を使って、魔法を組み上げた。
(今使える魔法……は、『過去に運んだことがある者』を『指定の場所に移動させる』魔法だけ。
十分だ。……まずは、ハルルだったな。あの子を……賢者の、元へ。
そして……勇者ジン。キミ以外の……者たちを)
『決めた場所へ転移せよ』
転移魔法。
◆ ◆ ◆
──何とか……転移魔法、が使えたな。
しかし……こんな場所に転移してしまったか……。時間が無かったとはいえ、もっと、色々な場所があった筈だったか。
まさか地下水道か……。思い入れも、特に何もない、色気のない場所に来てしまった。
「師!」
……ああ、酷い有様だ。
壁には血痕が飛び散っている。私の身体の血が、勢いよく噴き出たのだろう。
大怪我をしている人間を転移魔法で運ぶのは良くないのだ。
ちゃんと対策すれば別だが……そうしなければ、蓋をし忘れた羊布水筒を踏んでしまったように、中身が怪我の部位から溢れてしまう。今の私のように、ね。
『すまない、な。……私を、治そうと、していた最中なのに。台無しに』
「喋らないでっ。今っ、やるから」
皆。揃っていた。
あの子の隣に、ガーもハッチも、ノアもシャル丸もヴァネシオスも……皆が揃っていた。
『……皆。……色々と、付き合わせて、悪かったな』
「喋らないで!! そう言った!! 師! お願いだからッ!」
『……ガー、それに、ハッチ、ヴァネシオス……伝えたいことが、山ほどある』
あの子が叫んだ。
すまない。必死に治そうとしてくれているのにな。それでも、どうにか伝えたいんだ。
ガーが、先生、と呟いてから私を見た。
私の手を取った。大きい手だ。
黒く、不器用で、それでいて、温かい。
優しい、良い手だ。
ガー。
キミはきっと、これから散々な目に遭うだろう。
辛く、苦しく、暗く……あの子が進む道は、常にそうなる。
どんなに光を与えても、きっと、あの子自身が進む道は果ての無い荒野のように厳しい。
だから。
その時に、キミなら……その大きな手で、あの子の手を握って隣を歩けるだろう。
キミなら。あの子の笑顔を、絶やさないでいられるだろう。だから。
『……頼んだ』
「……分かりました」
本当に、ガー。察しが良い子だ。ありがとう。
『……最後に……伝え、なくてはな』
「聞かない。聞かない! 聞きたくないッ! 私が治す! 私がやる!
そんな言葉も心音も、私は聞かない! 大丈夫だって私が言っているんだから! だから」
「レッタちゃん」
「聞いてあげて、先生の言葉を」
「黙って! 今っ! 今私が! 私が!!」
「レッタちゃん!!」
ガーが──怒鳴った。
始めて見たが……そうだな。ガー。キミは、そうだった。
「聞いてくれ、レッタちゃん。先生の言葉を」
きっと他人の為に、力を出せる。自分のことを守れないが、他人のことを命を懸けて守れる。
そういう喫煙者、だったな。
『……ガー、ありがとうな』
「せん、せ」
何を伝えたらいいだろう。
伝えたいことなど。山ほどあるんだ。
何もかもは、伝える時間が無い。
ただそれでも。
まずは……。まず真っ先に。
『謝り……たい。まずは。……謝りたいんだ』
◇ ◇ ◇
──少女を救いたいと、思ったのは私のエゴだった。
討たれた後。辛うじて生き残ってしまった私は、私がいかに矮小な世界に居たかを知った。
無償の救いを施されたことが切っ掛けだ。
……無駄かもしれない。無為かもしれない。偽善だ無配慮だと他者の怒りを買うかもしれない。
それでも、私は。この世界を私自身が見て、命に対して自問をすることを選んでいた。
そんな旅の中で、その少女と出会った。
汚れた緑色の髪、紫色の瞳の少女と。
死に至る病に侵された少女は、生きていたが──生きていなかった。
生きる目的が無く、家族を失った怒りで村人を全員焼死させた後、もうすることが無く野垂れ死のうとしていたらしい。
死のうとしている者を生かすことは出来ない。
怪我の治療中だった。
治した後、少女は勝手に跳び出して死ぬかもしれない。
それでもいい。私はただ、救ってみたい、と思ったから救っただけだ。
「貴方、魔王なんだ」
少女に突然言われた時、流石に驚いた。
魔族と会った時の会話を聞いたらしい。この時初めて、彼女の聴力の高さを知った。
「ね。……人を生き返らせる、って出来るの?」
それは少女が持った、初めての興味だった。
不可能じゃない、と答えると──初めて年相応の目の色を見せた。
教えて欲しいとせがむ顔に、私は素直に思ってしまった。
きっと教えれば、生きる目的を見いだせる。
そうすればきっと。少女は──生きたいと思えるはずだから。
目論見通りだった。
少女は食事もとるようになり、死者蘇生の研究や魔法の学習に明け暮れた。
教えたら教えた分だけ、どんどん覚えていく。乾いた大地に水が染み込むように、素早く。
──そして。死者蘇生の魔法を研究して数年。
同時並行で行っていた『少女の身体を治す魔法』の研究は、難航していた。
やはり──奇跡でも起きない限り治せないだろう。
「……お姉ちゃんたちの術技は、回収できるよ。遺体がある場所、知ってるから」
『骨から採取するんだな。村に戻るか』
「ううん。遺体、別の場所だから」
『?』
「眠ってる場所は王都のね、中央協会の──……」
私は──もっと早くに気付くべきだったと思う。
その髪の色。光を反射する度に鮮やかなエメラルドのように輝くその髪の色は──。
『……姉の、名前は?』
「サシャラ」
それは。突如として雷鳴が響いた後のような言葉を出せない衝撃だった。
この子が、サシャラの妹。
女騎士サシャラ──それは、私が。勇者ライヴェルグとの戦いの最中で、寄生し、盾にしようとした勇者の名前。
奇しくも──サシャラは魔王との戦闘中に『ライヴェルグが殺した』と世間では広がっていた。
私が寄生したという話は、ライヴェルグか、その周辺で見ていたごく少数の人間しか知らない筈だ。
いや、そういう人間が居れば『ライヴェルグが殺した』と広まることはない。
つまり。ライヴェルグ以外は知らない。
なら、私が話さなければ──『私に死の責任があること』は、隠せる。
隠せる。という言葉を選んだことに、私は驚いていた。
そう。私は……隠したかったのだ。
この少女に、私は……。
◇ ◇ ◇
『気付いたら……な。私の、世界は……キミが中心で回っていた』
泣いている。その顔。
私は……。
部屋の柱に、キミの背を刻むことが。
新しい言葉を覚えていくキミが。つまらないことでキミと言い合うことが。
数年一緒に居たキミが、育っていくのが楽しくて仕方なかった。
だから、そんなキミに。
『……嫌われたく、なかった。だから……言えなかった』
「師?」
『キミのお姉さんの死は……私が原因だ。……いや、私が、殺したも同然、だ』
言いたくなかった。
知られたくなかった。
だから、ガーにそれとなくあの戦闘について探った。真実は知られていないかどうか。
ジンにも、そのことを言わせないように、口止めをした。
怖かった。
キミに嫌われることが。何よりも。だから。
だけど。それでも。事実を伝えれば。そうすれば。
きっと、キミは人間の社会の中でも──。
「知ってたよ。──そんなの……知ってたよ。ずっと、ずっと前から」
手が握られていた。痛いくらいに強く。
『な……』
「私は言った。原因はどうでも良いって。師が、悔やんでるって、知ってた、から」
ああ……温かい。
小さな手が、強く、握ってくれている。
「世界を無茶苦茶にしたって、悲しんでるのも知ってた。だから。
……もう止めろって言わないで、ずっと背中を押し続けてくれたことに……
感謝しか、してないよ」
そうか。
そんな言葉をキミは言える程に。
ああ……キミはとっくに、私が思ってるより……大きくなっていたのか。
私が侵した罪まで……そんなに受け止めれる程に。
ああ……すまない。本当に……立派に、なったな。
『ありがとう……ヴィオレッタ』
握られた手の痛みが、無い。
弱く握っているんだろうか。
「初めて、名前、呼んでくれたね」
『何度でも、呼べば……良かった』
ああ、そうか。もう手の感覚がない。
ただ、不思議と……温かさがある気がする。
「これから何度でも呼んで。何回も、何回も」
『ヴィオレッタ……いいか』
「うん」
ヴィオレッタ。
『笑って……生きろ。笑ってくれれば。それでいいから。』
私は。ね。
キミが。笑ってくれていたから。
最後の人生は幸せだったんだ。
今まで。ありがとう。
ヴィオレッタ。
『笑顔で。自由に──生きろ』
声は、
遠く
。




