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【07】雨の空へ響く叫び【13】


 ◆ ◆ ◆


「レッタちゃん。狼先生、おはよー」

『もう昼過ぎだぞ、ガー』

「ははは。いやー、久々の布団だったから、熟睡してしまった」

『まったく』


 さて、と周りを見回す。

 レッタちゃんは昨日と同じく、大樽の上に座り、ずっと遠くを見ている。


 一雨来そうな曇天で、夏の始まりだというのに少し肌寒く感じた。

 ……マキハは、来てないみたいだった。


「待ち合わせの時刻は」

『もう過ぎたよ』

 ……そうか。


「なぁ、レッタちゃん。マキハは──」

「ううん。まだ待つよ」


 レッタちゃんがそう言う。

 まぁ、そう言うならオレはいいんだけどさ。


『来ないことを選んだんじゃないか?』

「そんなはずない」

『そう言い切れるのか?』

「言い切れる」

『……何故』


 レッタちゃんは答えない。

 ……いや、というか。


「レッタちゃん?」

「……ん」


 とろんとした目。

 うん。凄い、眠そうだ。


「もしかして、寝てない?」

「……うん」


 昨日からずっと徹夜していたのか。よく見れば目の下にもクマがある。


『ともかく、もう時間だ。これ以上待っていても無駄だろう』

 狼先生がどことなく優しく言った。

 だが、レッタちゃんは首を横に振る。


「……寝てないから、まだ、出発予定の明日にはなってない」

『……トンチでどうにかしようとするな』


「必ず来るよ。多分、荷物が多くて、重くて、立ち往生してるだけ」

『はぁ……』

 狼先生は深い溜息を吐いた。

 オレは苦笑いを浮かべる。


 しかし、このまま、何もしなければレッタちゃんずっとここから動かなさそうだ。


「じゃぁ、オレ、一度、マキハの様子見に行ってくるよ」

「え?」

「荷物が重くて立ち往生してるなら、オレが荷物持ちになれば解決だろうからさ」

「……ガーちゃん」

 じゃ、散歩がてらに……と、道の先を見た時。


「レッタちゃん。待ってて正解だったね」

「え?」


『カァーッ!』


 王鴉(オオガラス)の鳴き声が聞こえた。

 黒い影も見える。

 レッタちゃんの頬が緩んだ。


「レッタちゃんの思った通り、ちゃんと来たね」


 レッタちゃんは、微笑んだ。

「ね」


 ……?

 黒い影が、ゆらゆらと進んできている。

 なんだ。様子がおかしい。

「……!」

 レッタちゃんが駆けだした。

 続けて狼先生も。オレも、慌てて二人の後を追う。



「ノア。……ノア!」



 矢が刺さり、羽が千切れて、至る所を擦り剥いた黒い王鴉(オオガラス)のノアが、そこに、いた。


 ぽつり、ぽつりと、雨が降り始めた。



 ◆ ◆ ◆



 何を間違えたんだろう。


 レッタさんの居場所くらい、教えてしまえばよかったんだろうか。

 いや、レッタさんが一緒に行こう、って言ってくれた時に、手を取るべきだったんだろうか。

 それとも。もっと前、そもそも、この土地で住み難くなった時に、出ていくべきだったんだろう。


 両親が死んだ日に、何もかも捨てて、遠くへ行っていたら、何か変わったのかな。

 自分のことを誰も知らない場所に行ったら、何か、変わったのかな。


 いや、違うよね。

 何も、間違ってない。

 わたしは、ずっと、辛かったけど。


 わたし、初めて、嫌いな人に、嫌いって伝えられた。

 嫌なことを、嫌と言えた。

 何にも、……臆さなかった。


 耳の奥底で、紙が燃えるような、ジジジという断続的な音がする。

 痛みも、無くなってきた。


 ──……。


 何か、声がする。

 何か、光がある。

 それは、黒い光で。

 あ。


「レッタ、さん」

            ◇ ◇ ◇

「マッキー……」

 マキハの意識が戻った。


 レッタちゃんは、彼女の手を握っている。

 強く。ぎゅっと、強く。


 マキハの体を、レッタちゃんの黒い靄が覆っている。

 体の傷の見える物は全て塞がっている。

 でも。


「狼先生……マキハは」

『あの子は、元は優秀な回復術師だ。その技を持ってしても、ここが限界だ』

「それは」


 マキハに残った時間は、もう無いのだろう。


『むしろ、意識が戻ったことが、殆ど奇跡だ』

 オレたちが、マキハを発見した時、酷いありさまだった。

 胸に短剣(ダガー)が突き立てられていたマキハは、虫より微かに呼吸していた。

 他にも、全身に複数個所の刺し傷。骨折、打撲、擦過傷……ありとあらゆる傷。


 レッタちゃんが、すぐに処置に入ったが……オレが、見ても分かる。

 もう、助かることは無い、ってことくらいは。


「の、あ」

 王鴉(オオガラス)のノアが、マキハに近づく。

 マキハは、その頭を撫でる。

「けが……大丈夫、だね」

『カァッ』

「よか った」

 王鴉(オオガラス)は、マキハにぎゅっと寄り添った。


「レッタ さん。手 つめたい よ?」

「マッキー……」

「あた、ためる からね」

 レッタちゃんが、手を強く握った。強く。強く。


「言えた よ。言いたい こと 言えた」

 途切れ途切れに、マキハは言葉を紡いだ。

 口を動かす度に、口の端から血が零れている。


 レッタちゃんは、マキハの頭を優しく撫でていた。

「臆 さな、かったから」

「うん。マッキーの勝ちだね」

「やっ た」

「マッキーはすごいよ」

「あり がと。レッ ……おか、げ」

 こぽっ、と血の塊がマキハの口から出た。


「マッキー」

「レッタさん どこに いるの」

「ここにいるよ」

「レッタさん」

「大丈夫、居るよ」

「れ あ」

「うん。大丈夫。大丈夫だよ」



 雨が、降っている。



 粒の大きな雨だ。


 狼先生が近づく。


 その前足で、そっと、マキハの瞼を閉じさせた。


 レッタちゃんは、マキハを寝かせ、立ち上がった。






 そして、この世で最も黒く、悲しい叫び声が、雨の空に響き渡った。



 

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