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【総集編】師弟折々【03】


 ◆ ◆ ◆ 【05】 ◆ ◆ ◆


 黒い靄の少女は、ジンたちとの戦いに負けた。

 だが、少女は傷を癒しながら力を蓄えることを決意する。


 そして、ジンはその少女の訪れに一抹の不安を覚え──ハルルに一つの技を教える。

 その技は。


「……教える技は、生きているなら誰でも使える大技──『絶景』だ」


 絶景とは、『時を緩やかに見る技術』とジンは説明した。

 思考を加速させ、現実で起きていることをスローモーションで見ることが出来る技だ。

 言ってしまえば、『疑似的な時間停止』だろう。


「ひぃ、高いッスね! でも、なるほど。この景色はまさに絶景ッスね!」

「そうだな。綺麗だな。教える絶景も、この絶景から生まれたのかもな」

「えへへ、そうなんスか~!」



 滝の源泉──下まで何メートルもある滝を上から見た。



 『時間の感覚の調節』。

 それは人間の脳に備わっている能力といえるだろう。


 実際に、耳にしたことはないだろうか。

 達人同士の戦いを周囲で見た者たちは『神速の斬り合い』と言うが、達人(とうじしゃ)同士には『動きがゆっくりと見える』。そのような達人感覚。


 または。


「絶景。まぁ昔から色んな名前があるんだが。お前も知ってる呼び方があるぞ」

「へぇー! それってなんス──」



 とんっ。



 優しく背中が押された。



 死を直感した時に人間は脳を全力で稼働させ、生き残る術を絞り出そうとする。




「『走馬灯』、なら知ってるんじゃないか?」



  一説によると、その脳の超回転が走馬灯の原理だと言われている。



 ──とはいえ。実際に死なせる訳ではないんだよ。安心してくれよな。

 ああ、いや、ハルルが安心しちゃダメなんだけどさ。


 人間、一度経験したことなら再現しやすくなる。

 『死の体験』、『走馬灯を見る』という経験を行うと、この後の訓練で『絶景』を覚えやすくなるのだ。


 ま。本当に命の危険があるから練習する時は時速200キロくらいで動ける師匠がいることが必須だな。

 いや、俺はハルルの師匠じゃないんだが──。っと、そろそろかな。

 絶景を使って、拾いに行こうか。水面に落ちる寸でで助ける。いや、ちょっと水に触れるくらいがちょうどいいか?



「死ぬかと思ったッス!!!」

「ははは。まぁ生きてて良かったな」



 ──さて、と。ハルルに詳しく説明をした。


「じゃあ、この先は訓練だな」

 ルキから譲り受けた『銀剣』を手に持つ。


「師匠、まさか、そのー、あれッスか。真剣勝負、的な」

「安心しろ。俺は、絶対にこの剣でお前に傷はつけないよ」

「そ、そうッスか! よかったッス!」

「寸止めにするし、当てない。ただ、俺の本気を少し相手してもらう」

「望むところッス!」 本当に、天真爛漫にハルルは微笑む。


「ハルル。最後の確認だが、大丈夫だな?」

「え? な、何がッスか?」

「今まで模擬戦とかしてきたが、今からやるのは、割と本当の戦闘に近いレベルの模擬戦だ。

俺は細心の注意を払って戦うが、相当に怖い目に遭わせることにはなる。大丈夫か?」

 ハルルは、少し間をおいてから、俺をまっすぐ見た。

「師匠。この訓練って私の為にやろう、って思ってくれたんスよね?」

「あ、ああ、そうだ」

 躊躇いながら答えると、ハルルは、にやにやと笑った。どうした。

「師匠の優しさ、しっかり分かってるッス。ちょっと怖くても嫌いになったりしないッスよ?」

「……ばか。そんなこと、思ってもない」

 と、言ったが、思っていた。

 今から、俺は散々、ハルルを死地寸前まで追い込むことになる。

 だから、それでハルルが壊れてしまったら、と嫌な想像をした。

 だが。

「えへへ。そうでしたか! 何にしても、怖い目、大丈夫ッスよ、師匠!」


 ハルルは、そう笑う。本当にいい奴だ。

 真っ直ぐで、裏表なく、少しうるさく。

 だから、失いたくないと思った。


 ──あの黒い靄の少女は、ハルルより年下か同い年くらいだろう。

 ああいう『暗い何か』が世の中にはまだ蠢いている。

 力が無ければ命すら危ういかもしれない。


 その為に。俺は。俺が出来ることは……俺の手で守ることじゃなくて、教えることだと思った。


 剣を抜き、軽く振ってから──ハルルへ向ける。


「よし。やるか」「はいッス!」


 ──しかし、訓練3日目。

 『絶景』の進捗は芳しくなかった。


 いや、この技に進捗なんてないんだ。──出来るか、否かの二択。


 滝に落としたことによって時間停止の感覚に触れたハルルはもう、体が知っている筈だから。

 3日も掛かることはない。


 実は、どうしてハルルが『絶景』を習得出来てないのか、理由は分かっている。

 少し、照れ臭いが。 


 ハルルが、俺を信頼しているから、だ。


 どんな攻撃をしても、ハルルの中で、俺がハルルを殺すことはない、と信頼し切ってしまっている。

 そして俺もそう。

 俺も、心の中で、必ず殺さないようにすると決めて、打ち込んでいる。


 それでは『死地における集中の極致』に辿り着けないのは当然だ。


 俺が、師匠から『絶景』を教わった時は。

『最後の教義だ。次の一撃。避けられなかったら、死ぬがよい』

 直球で言われ、本気で斬りかかられた。

 演技が上手かったのか、本気で殺す気だったのか、今となっては分からない。



「……絶景、無理っスかね」


 俺の隣で槍を抱えてハルルは座る。いつも能天気な顔が、今は暗い。

「いや。ハルル。やっぱり、今、無理に、技を覚える必要もない」

 俺が身を守る術として教えたがっているだけ。

 今、ハルルがこの技を欲してるわけじゃ──


「強くなりたいッス」


「……何」

「師匠。……私、知ってるッスよ。師匠が先回りして山賊を減らしてくれてたッスよね?

……師匠の足手まといには、なりたくないッス」


「私は、師匠の弟子ッス。自称ッスけど。でも、だから。

隣に並んでも良いくらいには、強くなりたいんス」


 思い返せば。

 地竜にやられそうな仲間の身代わりになったり、俺が罵倒された酒場で俺の代わりに怒ったり。

 こいつの無茶苦茶な部分を、俺は、好きなんだろうな。


「俺は、お前が居てくれて、救われてる」

「……師匠?」

 白銀の剣を握りしめる。


「次の一撃を。避けられなかったら……お前は死ぬ」

 師匠の言葉を思い出しながら、俺は、その言葉を絞り出した。


「の、望む所ッス! 大丈夫ッス、必ず、避けるッス!」

「分かった。覚悟はいいな」

「は、はいッス!!」

「よし、構えろ。構えたら、もう後には戻れない。いいな?」

 ハルルは、ごくりと固唾を呑み、槍を構えた。


「最後に、もう一つ。念の為に、ルールを考えた」

「え?」

「この一撃を受けて生き残ったとしても、お前は死者だ」

「?」


「もしお前が死者となったら、今後一切、お前とは関わらない」

 その時、ハルルが目に見えて動揺した。

「死人に口なし。この一撃を避けられないなら、もう終わりにする。

何があっても、一生涯、お前との接触を避けるように生きる」

 突風が吹いた。

「そんなっ──」


「絶景」



 滝の飛沫が大小無数の水の玉として止まる。空中を散る桜の花びらも動きを止める。

 雲も鳥も静止した世界には、伸び切った風の音が吹くだけだ。

 走り寄る。世界の全てがスローの中で、俺だけ動く。

 ハルルは、ゆっくりだが動いている。

 『絶景』による攻撃は『絶景』でしか止められない。

 達人同士の領域──『絶景』の領域に来なければ、戦いにすらならないのだ。


 ゆえに──ただ、まっすぐに、真上から斬り下ろす。


 音が消し飛んだこの世界。

 桜の花びらと水の飛沫が空中で静止した世界。

 凛とした空気しかない、集中の極致。


 動きの無いこの世界は、この極致に到達したものしか見ることが出来ない景色──『絶景』と呼ぶに相応しい。



 この景色を。



 ハルルと見ることが出来て、良かった。



 ハルルは俺の一撃を避けた。

 そして、槍を突き出した。

 刀身で槍を防御し──花びらと飛沫が動き出し、滝の轟音が響いた。


「ハルル。よくや──」

 ぼふっ、と、突然、ハルルが抱き着いてきた。

 ともかく、銀白の髪が顎をくすぐる。ハルルが俺の胸に顔を埋めている。

 俺を抱きしめるハルルの腕に力が入っているのが分かる。

 小刻みに震えているのも。

「ハルル?」

 声が聞こえない。

 だが、泣いているんだろうか。

 鼻を啜っているような音が聞こえる。

「怖かったよな。悪かった」

 頭を撫でる。ハルルは俺の腕の中で頷いた。

「もうお前に剣なんか向けないから、大丈夫だ」

「……そっちじゃ、ないッスよ」

「え?」


「……一生涯。……会わないって。嘘でも、何でも……怖かったッス。死ぬより、嫌ッス」


「それは……。そう、か。悪かった」

 ハルルは、ぎゅっと抱きしめる手を更に強くした。離れない。

 離れる気配が無い。

 悪かったよ。ともう一回呟く。


「大丈夫。お前が、どっか行くまで。ずっと一緒に居るから」

 


 ◆ ◆ ◆


 オレが考えているのは、どうすれば楽に生きられるか、という一点だけ。


 二つの選択肢があったら、最も楽な方を選ぶ。

 難易度を選べるなら、簡単(イージー)を選ぶ。

 宿題の問題集(ドリル)は最後のページの回答を丸写しする。


 オレは、いつもそう。人生、どうにかして楽をしたい。


 大変なことをして成果を上げてる奴は立派だな、とは思う。

 同時に、大変なことをする労力を絞り出せないから、オレには到底、真似できないと思ってる。


 だから、オレは、どんな選択肢も、一番楽だ、という物を選んでる。

 ただ、それだけなのに。


 星が綺麗だ。

 ラクして生きていた。(ラク)は、楽しかった。

 なのに。


 真っ赤に腫れた頬。左目は開かない。

 夥しい出血。左足は折れてるな。馬鹿みたいに痛い。

 肩も、腹も、腰も、至るところが斬りつけられてる。

 辛うじて、死なない、か? くらいの、大怪我だ。


 ちょいと御法に触れる、気の利いた楽な商売をしてたら、失敗(とち)ってね。


 オレが騙した勇者にボコられて、まぁこのありさまよ。


 傷、治ったら明日は違う町に……痛っ。右腕、動かねぇな。


 もっと加減してくれよ。勇者。死んじまったらどうすんだよ。

 オレが死んだら、勇者(あんた)は殺人犯に……。



 いや、そう、ならないか。……ハハ。


 炭のように黒い肌。尖った耳。黄色い目。怪刻(ガーゴイル)の特徴だ。

 そして、五本の指。牙の無い歯。背丈は170cm。これは、人間の特徴だ。


 人間から見たら、魔族って括り。

 魔族から見たら、異物って奴。


 オレが人間か魔族か? ──そのどっちでもなくて、どっちでもある。


 怪刻(ガーゴイル)と人間の混血(ハーフ)

 希少(レア)なんだぜ。普通はどっちかに偏るんだってさ。


 ただ勇者の区分じゃオレは魔物なんだと。


 だから目一杯、オレを殴って斬ってくれた訳だ。

 ああ、痛ぇ。左腕、ギリ動く。

 最後の、一服……したいのにな。タバコの箱は出せて、咥えるまで来たのに。

 ああ、ライターが出せないわ。クソだな。


 人生、楽にいかねぇ、ばっかりだ。


 ……。

 煙。

 目を開けると、タバコに火がついていた。


 隣には、黒い毛皮を羽織った人間の少女が座って、オレのオイルライターの蓋で手遊びしていた。


 カシャン、コ、カシャン。

 蓋を閉じたり開いたりする、独特な音が続いた。

 真雪のように白い肌の少女は、蓋を閉じたり開いたりしながら、ずっと空を見てた。

 オレは、タバコを吸った。煙を雲に届かせるように吐いた。

 吸いきって、ぷっ、と唇で弾いてタバコを捨てる。

 血だまりに落ちて、じわっと音を立て火が消えた。


 横目で少女を見る。彼女も、怪我をしているみたいだ。

 時折、背中が痛いのか痒いのか、体を少し動かしている。


 不意に、少女と目が合った。


 菫みたいな少女だ。


 深く紺に近い紫の瞳の色からそう連想したのかもしれない。

 ずっとみていると吸い込まれそうな菫のような色の目。

 落ち着く夜の森みたいな黒緑色の髪。


 少女は、何も言わずに、オレの手に握られたタバコを一本取り、オレに咥えさせてくれた。

 火をつけ、二本目をオレは吸う。


 何か、語る訳じゃなかった。


 ただ、少女は俺の隣に座って、足を伸ばしてぼーっとしていた。

 気付いたら、オレのタバコは十数本目。

 空に白みが掛かってきた。


 カシャンコ、とオイルライターの蓋を閉じた。

 そしてようやく、少女は口を開いた。


「このライター、いいね。手に馴染む」

 少女はオイルライターの銀面を指で撫でた。

「……見る目、あるね。それ。鉄の町の、記念モデルだ」

 銀面は、艶消しが施されている。わざとザラリとした指ざわりにしてあって、それが中々面白い。

「鉄の町?」

「ああ……ここから、東にずっと行くと、国境があって。それを超えたら、ドワーフもいる、有名な町だ」

「ふうん。町は興味ないな」

「そうすか」

「でも、このシンプルなのに重たい独特な感じは好き」

 くすくすと、少女は微笑む。


「オレが、死んだら……それ、やるよ」


 少女は、目を細めた。

「死ぬ予定があるの?」

「あ、ああ。もうすぐ……オレ、死ぬから。……そしたら、それ、持ってっていいぜ」

 そう。オレはもう、死んだら楽、だから。


 少女はそっと、オレの手の上にライターを戻した。


「じゃあ、貰えないじゃん。はぁ、仕方ないなぁ」


 ? 何言って。


「傷、治しちゃったから、貴方、まだ死ねないね」


 ……え? あれ。

 傷も……痛みすらも、無くなっていた。

 朝の光に照らされて、少女は微笑む。


「じゃあね」


 少女は太陽が昇った方へと歩いて行く。

 いつの間にか、隣に黒い狼がいた。


 背中の大傷。禍々しい佇まいの黒い狼を従えて、大回復術師クラスの魔法を有する少女。

 普通の少女じゃない。何かしら、ワケありな少女であることは、間違いない。

 長く関わるのは、楽な生き方じゃない。

 

 分かっていたのに、不思議だった。

 オレは、楽をしたいだけの、馬鹿だ。

 だけど、こんな気持ちは初めてで。

 恋とは違う高鳴りで。嘘、恋も含めた高鳴りで。


「な、なあ」

 声を上げた。

 少女は立ち止まり、振り返った。


「オレも、ついて行っていいか?」

「え?」

「何、突然、言い出してるのか、オレもよく分かってないんだ。

だけど、その。行けるところまででいい、一緒に、歩いて……

あー、いや、決して怪しい奴じゃなくて」


「くすくす。変な人だね。好きだよ、そういうの。でも、けっこー、遠くまで行くけど、いいの?」


「あ、ああ。どこでも。その、行っていい場所まで、一緒に行かせてくれるか?」


「いいよ」

「え」

「好きなだけ、一緒に居ていいよ」

 少女の微笑みが、花のように見えた。

 小さく(スミレ)のような可愛らしい微笑みで、少女はオレに手を差し伸べた。


「よろしくね、ガーちゃん」

「ガー?」

「ガーちゃん、って顔してるから」

「そ、うか。そっか、オレ、ガーちゃんだな」

「そーだよ。ガーちゃん」


 そして、オレは、その手を取った。

 それが(トリカブト)のような、人生を変えてしまう劇薬的な出会いだと、分かった上で。


 これが、オレが人生で初めて、簡単じゃない選択肢を選んだ瞬間だった。



 ◆ ◆ ◆


 ──……なんだ。この子にオマケが付いて来たな。

 ガーちゃんと呼ばれている男だ。黒い肌……なるほど。人魔混血種か。希少だな。


 まぁ害はない。タバコが臭いくらいでな。

 しかし驚いたのは。


「そういえば、キミのこと、なんて呼べばいい?」


 そう問いかけたのが、旅連れ3日目のことだったからだ。


『お前、この子の名前も知らずに付いてきてるのか』

「え、まぁ……そうなるけど」『呆れた』


(せんせー)、驚くことないよ。だって私も、その人の名前しらないもん」

『は?』「ガーちゃんっぽいからそう呼んでるだけ」

『お互い名前も知らないのに友達になったとはな』

 ──などと悪態を吐いたら、あの子は随分とご立腹になってしまった。

 はぁ。いつもながら仕方のない子だ。やれやれ。勝手にしておくれ。


「じゃ、ガーちゃん。質問の答えだけど、私のことは好きに呼んでいいよ。

私に好きに名前付けて? 私が好きに名前を付けたみたいにさ」

「じゃ……じゃあ」

「うん」

「す……スミレ、って呼んでも、いいか」



「音が綺麗すぎるから嫌だな」 

 にっこりとした微笑みでの拒絶。まったく、この子は……。


「好きに呼んでいいって言ってなかったっけっ!?」

『そういう子なんだよ、この子は』


「じゃ、じゃあ! ムラサキさん」「私っぽくないね」

『ヴァイオレットとかどうだ?』「直球過ぎてやだなぁ」『ヴァイオレンスと掛けたんだがね』「くすくす。(せんせー)のセンスひっどいね」『もう知らん』


「ああ、そうか。私、ヴィオレッタって名乗るよ。スミレって意味だよね」

 (せんせー)のひっどいセンスにも(あやか)ってるよ、と小声で言われたが嬉しくない。


『長くて呼び辛くないか?』「狼先生、その長さがいいんじゃないですか」 そうなのか?


「じゃあ、略してレッタで?」

「ええっ」


「くすくす。だから好きに呼んでいいってば」



「ヴィオレッタでも、レッタでもいいの。(せんせー)と、ガーちゃんに呼ばれたら、私はすぐに振り返るから」



 ──今日も、この子は我儘だ。

 我儘が一杯で、自分本位。……だが、それでいい。

 あの頃の、冷たい顔より、遥かにいいさ。


 それより、先を急がないとな。

 手に入れなければならない術技(スキル)はまだまだある。多ければ多い程、成功率が高まるからな。

 『あの子の目的』も、『私の目的』も。そのどちらもが、ね。


「レアな術技(スキル)を持った人物を探してる? 具体的には誰なんですか?」


『ああ。どうしても回収したいのは『生命回復』を持つ聖女アルテミシア。

『死霊術』を持つ夜の森のプルメイ。『支配人』のルキ。それから。

最後に、スキルを持っていない人間だが──ハルル、という少女だな』



 ◆ ◆ ◆【06】◆ ◆ ◆


 依頼(クエスト)の途中でヤバイ老人を拾ったッス!


 奥さんのミッシェルさんと私を間違えてるご様子の、おヤバいおじいさんッス。

 実は絵描きでどうにも──無くなった奥さんの絵を描きたいらしいんス。


 けど、おじいさんは、見た物を見たままに描く肖像画家という仕事で──想像では描かないことが仕事の信条だそうッス。

 だからとはいえ。


「んむ。髪を伸ばし、背を伸ばし、目を憂わせ、瞳の色を変え、静かにさせ、胸に詰め物を入れれば、完璧に似ておるのじゃ」

「おい、それ、完全に別な人間じゃねぇか」 そんなに無くないッスけど!!


 ──私と師匠は、おじいさんの依頼を受けました。

 モデル。師匠と初めて一緒の仕事ッス!


 絵のモデルをした数週間で、おじいさんとは色々なことを話したッス。


 さざ波のような音が伴奏(イントロ)で流れて……直後。

『ザザザザー!!』

 かきむしるみたいなノイズ。何回聞いてもビクッと背筋が伸びちゃうッス。

「まったく。このボロは……」


「なんか、どんな曲か気になってくるッスよね」

「確かに。この曲は何て曲名なんだ?」

「分からん」

「マジかよ」

「ミッシェルが入れてくれた曲じゃ。のうミッシェル、なんて曲なんじゃ?」

「だから、私はミッシェルじゃなくてハルルッス!」


 ◇ ◇ ◇


「どの絵も、ミッシェルさんの表情は変わらないんですね」

 俺が訊くと、老人は、そうじゃな、と頷いた。

「いつも無表情でな。その絵は、傘を買った時じゃが、喜んでくれていたのか。

自分が……本当に、彼女を幸せに出来ていたか、今でも分からない」

「それは」

「自分にとっては、幸せな毎日だったよ。ただ、仕事は減り、爪に火を点す貧乏生活は続いた。

王都では生活できず、自分たちは南の田舎に小さな家を買い、絵の仕事をしに、毎週末は王都へ行く生活。

困窮した生活でも、彼女は、弱音の一つも吐かずに、一緒に生活を営んでくれた」

「結婚式も挙げられず。相当、我慢もさせたし、辛かっただろう」

 そう老人が背を丸くした。


「いや、幸せだったと思うッスけど」

 ハルルの直球に俺はびくっとする。


「そうかい?」


「ええ。絶対に。だって幸せじゃなかったら、サクッと出てくと思うッス」


 あっけらかんとハルルが言い放ち、俺と老人は目を合わせてしまった。

「……そういうものかのう?」

「そういうものッスよ?」

「そういうものなの?」

「そういうものッス」

 ……そうなんだ。女って、ちょっと怖いな。

 けど。だったら出て行かないハルルは──。


「……でも、おじいさんの気持ちが分かってよかったです」

「気持ち?」

「ええ。結婚式、挙げてあげたかったから、描いてるんですね」

「……そうなるかのう」

 おじいさんは、少し照れ臭そうに目を伏せていた。


 ──しかし、この後、おじいさんは描けなくなってしまう。

 ハルルとミッシェルさんという戦争で亡くなった奥さんが違うと、少しずつ気付いてしまっているようだった。


 在るがものを、あるがままに描く。


 だから、亡くなった奥さんを、記憶を頼りに描くことが出来ない。

 絵を描く、って……そんなに大変なんだな。


 一回、モデルの仕事を中断することになりそうだったが──ハルルはやっぱりおじいさんを気にしていた。

 だから。俺たちは何でもいいから手がかりを集めて。


 あのノイズが流れる曲を突き止めた。

 それを流して──おじいさんは何かを思い出したようにまた筆を執った。


 ◇ ◇ ◇


 在るモノを、在るがままに描く。

 それこそが、描く為に大切なこと。


 ただ、それだけ。

 そう思い、絵に打ち込んできた人生だ。


 だから、自分が、描きたいと思ったモノが、そこに無いなら、描くことは出来ない。

 それは、今も変わらない。


 ただ、やはり、これは。この思いは、存在している。

 目に映るのは、ここにいる自分の願いだ。願望だ。

 この願望が、空想だと、人は笑うかもしれない。

 でも、それでも。


「完成したよ。……ジン、ハルル」

 二人が何か、声を上げて、喜んだのかなんなのか、楽しそうに近づいてくる。


 妻を失ってから。

 家族と一緒に死ぬことが出来なかった自分を呪った。


 それでも死ぬ勇気なんて持てなかったから、絵に逃げて。

 ずっと描いて。描いて。記憶という事実をただ絵に再現する毎日。


 描き続けて、妻を忘れずにいられて良かった。

 描き上げることでしか、出会えない。


 これは空想か? 目に映っているのは幻想か?

 老い死ぬが故に、最後に見えてる幻なのかもしれないが、私にははっきりと見えるのだ。


 優しい微笑みを浮かべる女性が。雪のように白い髪を結った、ミッシェルと似た凛とした目鼻立ち。

 されど少し丸い輪郭は自分と似ている。柔らかい目を少し伏せた女性。


 ようやく、会えた。


「娘に、……ようやく、会えた」


 そこで、笑ってくれている。自分がボケさらばえたのかもしれない。それでもいい。

 画版(そこ)に、娘は生きている。


 ──カンテラの灯りが、もうじき消える。


 モデルの、ジンと、ミッ……ハルルにはお礼の絵を描かねばならない。


 二人の──礼服とドレス。近い未来の『いつかの日』を願って、婚礼の絵として置いておこう。


 最後に。

 自分が行きたいのは、もう決まっていて。


 火が消えない内に、この20年、訪れていない場所へ向かった。

 それは、もう廃墟となった村。誰も住んでいない、未だ爆撃の後の残る村。

 その丘の上へ。


 自分の家があったであろう──妻が死んだあの丘の上の家へ。


 ああ──家は。見えた。家が見えた。

 あの日のままの家が。


 あの日と変わらない妻がいて、それから大きくなった娘がいて。


 自分の灯りが消える前に。戻って来れてよかった。

 言わないと。ずっと、言いたかったんだ。たった一言。


「ただいま。二人とも」


 ありがとう。しあわせな。




◆ ◆ ◆【05】【06】◆ ◆ ◆

 ■新規主要キャラクター


■ 少女 / ヴィオレッタ

 黒緑色の髪に紫水晶のような瞳の少女。

 ガーと出会って、趣味が一つ増えた。

 ガーを弄ったり悪戯して反応を楽しむという、ちょっとした趣味。


■ ガーちゃん

 黒い肌の黄色い目の男性。

 ジンさんと同い年か一個下らしい。厳密な年齢は出生の都合もあり曖昧とのこと。

 だから一個下で若作り! と若さアピールをたまにしている。

 趣味は無いが、愛煙家。

 煙さえあれば生きていけると豪語していたが、ヴィオレッタと出会ってから変わった。

 レッタちゃんと煙がなければ生きていけない。とのこと。



 □主要用語


□ 絶景

 時間をスローモーションで見る技術。

 そして、自分だけはそのスローモーション中に動ける技術を指す。

 疑似的な時間停止であり、これを使えるだけで生存率は相当に上昇する。

 練度によってスローも差がある。

 あくまでイメージの参考としてジンは時間を0.05倍速くらいまでスロー再生。

 ハルルは0.5倍速くらい。


□ 混血(ハーフ)

 この世界では、魔物と人が交配したら、どっちかの性質で産まれるのが普通である。

 しかし、稀に、どちらの特性も獲得して生まれることがある。

 それを混血(ハーフ)と言う。残念ながらこの時代の混血(ハーフ)は特別に当たりが強い。

 魔族の中では、人間への鬱憤、敗戦の怒りをぶつけれる身近なサンドバッグとして標的にされる。

 人間の中では、魔族への嫌悪、汚らわしい異物として誰も好んで近づかない存在だ。


 また、とても類似した言葉に半人(デミ)という言葉があり、半人(デミ)登場時に詳細は解説します。

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