【総集編】師弟折々【03】
◆ ◆ ◆ 【05】 ◆ ◆ ◆
黒い靄の少女は、ジンたちとの戦いに負けた。
だが、少女は傷を癒しながら力を蓄えることを決意する。
そして、ジンはその少女の訪れに一抹の不安を覚え──ハルルに一つの技を教える。
その技は。
「……教える技は、生きているなら誰でも使える大技──『絶景』だ」
絶景とは、『時を緩やかに見る技術』とジンは説明した。
思考を加速させ、現実で起きていることをスローモーションで見ることが出来る技だ。
言ってしまえば、『疑似的な時間停止』だろう。
「ひぃ、高いッスね! でも、なるほど。この景色はまさに絶景ッスね!」
「そうだな。綺麗だな。教える絶景も、この絶景から生まれたのかもな」
「えへへ、そうなんスか~!」
滝の源泉──下まで何メートルもある滝を上から見た。
『時間の感覚の調節』。
それは人間の脳に備わっている能力といえるだろう。
実際に、耳にしたことはないだろうか。
達人同士の戦いを周囲で見た者たちは『神速の斬り合い』と言うが、達人同士には『動きがゆっくりと見える』。そのような達人感覚。
または。
「絶景。まぁ昔から色んな名前があるんだが。お前も知ってる呼び方があるぞ」
「へぇー! それってなんス──」
とんっ。
優しく背中が押された。
死を直感した時に人間は脳を全力で稼働させ、生き残る術を絞り出そうとする。
「『走馬灯』、なら知ってるんじゃないか?」
一説によると、その脳の超回転が走馬灯の原理だと言われている。
──とはいえ。実際に死なせる訳ではないんだよ。安心してくれよな。
ああ、いや、ハルルが安心しちゃダメなんだけどさ。
人間、一度経験したことなら再現しやすくなる。
『死の体験』、『走馬灯を見る』という経験を行うと、この後の訓練で『絶景』を覚えやすくなるのだ。
ま。本当に命の危険があるから練習する時は時速200キロくらいで動ける師匠がいることが必須だな。
いや、俺はハルルの師匠じゃないんだが──。っと、そろそろかな。
絶景を使って、拾いに行こうか。水面に落ちる寸でで助ける。いや、ちょっと水に触れるくらいがちょうどいいか?
「死ぬかと思ったッス!!!」
「ははは。まぁ生きてて良かったな」
──さて、と。ハルルに詳しく説明をした。
「じゃあ、この先は訓練だな」
ルキから譲り受けた『銀剣』を手に持つ。
「師匠、まさか、そのー、あれッスか。真剣勝負、的な」
「安心しろ。俺は、絶対にこの剣でお前に傷はつけないよ」
「そ、そうッスか! よかったッス!」
「寸止めにするし、当てない。ただ、俺の本気を少し相手してもらう」
「望むところッス!」 本当に、天真爛漫にハルルは微笑む。
「ハルル。最後の確認だが、大丈夫だな?」
「え? な、何がッスか?」
「今まで模擬戦とかしてきたが、今からやるのは、割と本当の戦闘に近いレベルの模擬戦だ。
俺は細心の注意を払って戦うが、相当に怖い目に遭わせることにはなる。大丈夫か?」
ハルルは、少し間をおいてから、俺をまっすぐ見た。
「師匠。この訓練って私の為にやろう、って思ってくれたんスよね?」
「あ、ああ、そうだ」
躊躇いながら答えると、ハルルは、にやにやと笑った。どうした。
「師匠の優しさ、しっかり分かってるッス。ちょっと怖くても嫌いになったりしないッスよ?」
「……ばか。そんなこと、思ってもない」
と、言ったが、思っていた。
今から、俺は散々、ハルルを死地寸前まで追い込むことになる。
だから、それでハルルが壊れてしまったら、と嫌な想像をした。
だが。
「えへへ。そうでしたか! 何にしても、怖い目、大丈夫ッスよ、師匠!」
ハルルは、そう笑う。本当にいい奴だ。
真っ直ぐで、裏表なく、少しうるさく。
だから、失いたくないと思った。
──あの黒い靄の少女は、ハルルより年下か同い年くらいだろう。
ああいう『暗い何か』が世の中にはまだ蠢いている。
力が無ければ命すら危ういかもしれない。
その為に。俺は。俺が出来ることは……俺の手で守ることじゃなくて、教えることだと思った。
剣を抜き、軽く振ってから──ハルルへ向ける。
「よし。やるか」「はいッス!」
──しかし、訓練3日目。
『絶景』の進捗は芳しくなかった。
いや、この技に進捗なんてないんだ。──出来るか、否かの二択。
滝に落としたことによって時間停止の感覚に触れたハルルはもう、体が知っている筈だから。
3日も掛かることはない。
実は、どうしてハルルが『絶景』を習得出来てないのか、理由は分かっている。
少し、照れ臭いが。
ハルルが、俺を信頼しているから、だ。
どんな攻撃をしても、ハルルの中で、俺がハルルを殺すことはない、と信頼し切ってしまっている。
そして俺もそう。
俺も、心の中で、必ず殺さないようにすると決めて、打ち込んでいる。
それでは『死地における集中の極致』に辿り着けないのは当然だ。
俺が、師匠から『絶景』を教わった時は。
『最後の教義だ。次の一撃。避けられなかったら、死ぬがよい』
直球で言われ、本気で斬りかかられた。
演技が上手かったのか、本気で殺す気だったのか、今となっては分からない。
「……絶景、無理っスかね」
俺の隣で槍を抱えてハルルは座る。いつも能天気な顔が、今は暗い。
「いや。ハルル。やっぱり、今、無理に、技を覚える必要もない」
俺が身を守る術として教えたがっているだけ。
今、ハルルがこの技を欲してるわけじゃ──
「強くなりたいッス」
「……何」
「師匠。……私、知ってるッスよ。師匠が先回りして山賊を減らしてくれてたッスよね?
……師匠の足手まといには、なりたくないッス」
「私は、師匠の弟子ッス。自称ッスけど。でも、だから。
隣に並んでも良いくらいには、強くなりたいんス」
思い返せば。
地竜にやられそうな仲間の身代わりになったり、俺が罵倒された酒場で俺の代わりに怒ったり。
こいつの無茶苦茶な部分を、俺は、好きなんだろうな。
「俺は、お前が居てくれて、救われてる」
「……師匠?」
白銀の剣を握りしめる。
「次の一撃を。避けられなかったら……お前は死ぬ」
師匠の言葉を思い出しながら、俺は、その言葉を絞り出した。
「の、望む所ッス! 大丈夫ッス、必ず、避けるッス!」
「分かった。覚悟はいいな」
「は、はいッス!!」
「よし、構えろ。構えたら、もう後には戻れない。いいな?」
ハルルは、ごくりと固唾を呑み、槍を構えた。
「最後に、もう一つ。念の為に、ルールを考えた」
「え?」
「この一撃を受けて生き残ったとしても、お前は死者だ」
「?」
「もしお前が死者となったら、今後一切、お前とは関わらない」
その時、ハルルが目に見えて動揺した。
「死人に口なし。この一撃を避けられないなら、もう終わりにする。
何があっても、一生涯、お前との接触を避けるように生きる」
突風が吹いた。
「そんなっ──」
「絶景」
滝の飛沫が大小無数の水の玉として止まる。空中を散る桜の花びらも動きを止める。
雲も鳥も静止した世界には、伸び切った風の音が吹くだけだ。
走り寄る。世界の全てがスローの中で、俺だけ動く。
ハルルは、ゆっくりだが動いている。
『絶景』による攻撃は『絶景』でしか止められない。
達人同士の領域──『絶景』の領域に来なければ、戦いにすらならないのだ。
ゆえに──ただ、まっすぐに、真上から斬り下ろす。
音が消し飛んだこの世界。
桜の花びらと水の飛沫が空中で静止した世界。
凛とした空気しかない、集中の極致。
動きの無いこの世界は、この極致に到達したものしか見ることが出来ない景色──『絶景』と呼ぶに相応しい。
この景色を。
ハルルと見ることが出来て、良かった。
ハルルは俺の一撃を避けた。
そして、槍を突き出した。
刀身で槍を防御し──花びらと飛沫が動き出し、滝の轟音が響いた。
「ハルル。よくや──」
ぼふっ、と、突然、ハルルが抱き着いてきた。
ともかく、銀白の髪が顎をくすぐる。ハルルが俺の胸に顔を埋めている。
俺を抱きしめるハルルの腕に力が入っているのが分かる。
小刻みに震えているのも。
「ハルル?」
声が聞こえない。
だが、泣いているんだろうか。
鼻を啜っているような音が聞こえる。
「怖かったよな。悪かった」
頭を撫でる。ハルルは俺の腕の中で頷いた。
「もうお前に剣なんか向けないから、大丈夫だ」
「……そっちじゃ、ないッスよ」
「え?」
「……一生涯。……会わないって。嘘でも、何でも……怖かったッス。死ぬより、嫌ッス」
「それは……。そう、か。悪かった」
ハルルは、ぎゅっと抱きしめる手を更に強くした。離れない。
離れる気配が無い。
悪かったよ。ともう一回呟く。
「大丈夫。お前が、どっか行くまで。ずっと一緒に居るから」
◆ ◆ ◆
オレが考えているのは、どうすれば楽に生きられるか、という一点だけ。
二つの選択肢があったら、最も楽な方を選ぶ。
難易度を選べるなら、簡単を選ぶ。
宿題の問題集は最後のページの回答を丸写しする。
オレは、いつもそう。人生、どうにかして楽をしたい。
大変なことをして成果を上げてる奴は立派だな、とは思う。
同時に、大変なことをする労力を絞り出せないから、オレには到底、真似できないと思ってる。
だから、オレは、どんな選択肢も、一番楽だ、という物を選んでる。
ただ、それだけなのに。
星が綺麗だ。
ラクして生きていた。楽は、楽しかった。
なのに。
真っ赤に腫れた頬。左目は開かない。
夥しい出血。左足は折れてるな。馬鹿みたいに痛い。
肩も、腹も、腰も、至るところが斬りつけられてる。
辛うじて、死なない、か? くらいの、大怪我だ。
ちょいと御法に触れる、気の利いた楽な商売をしてたら、失敗ってね。
オレが騙した勇者にボコられて、まぁこのありさまよ。
傷、治ったら明日は違う町に……痛っ。右腕、動かねぇな。
もっと加減してくれよ。勇者。死んじまったらどうすんだよ。
オレが死んだら、勇者は殺人犯に……。
いや、そう、ならないか。……ハハ。
炭のように黒い肌。尖った耳。黄色い目。怪刻の特徴だ。
そして、五本の指。牙の無い歯。背丈は170cm。これは、人間の特徴だ。
人間から見たら、魔族って括り。
魔族から見たら、異物って奴。
オレが人間か魔族か? ──そのどっちでもなくて、どっちでもある。
怪刻と人間の混血。
希少なんだぜ。普通はどっちかに偏るんだってさ。
ただ勇者の区分じゃオレは魔物なんだと。
だから目一杯、オレを殴って斬ってくれた訳だ。
ああ、痛ぇ。左腕、ギリ動く。
最後の、一服……したいのにな。タバコの箱は出せて、咥えるまで来たのに。
ああ、ライターが出せないわ。クソだな。
人生、楽にいかねぇ、ばっかりだ。
……。
煙。
目を開けると、タバコに火がついていた。
隣には、黒い毛皮を羽織った人間の少女が座って、オレのオイルライターの蓋で手遊びしていた。
カシャン、コ、カシャン。
蓋を閉じたり開いたりする、独特な音が続いた。
真雪のように白い肌の少女は、蓋を閉じたり開いたりしながら、ずっと空を見てた。
オレは、タバコを吸った。煙を雲に届かせるように吐いた。
吸いきって、ぷっ、と唇で弾いてタバコを捨てる。
血だまりに落ちて、じわっと音を立て火が消えた。
横目で少女を見る。彼女も、怪我をしているみたいだ。
時折、背中が痛いのか痒いのか、体を少し動かしている。
不意に、少女と目が合った。
菫みたいな少女だ。
深く紺に近い紫の瞳の色からそう連想したのかもしれない。
ずっとみていると吸い込まれそうな菫のような色の目。
落ち着く夜の森みたいな黒緑色の髪。
少女は、何も言わずに、オレの手に握られたタバコを一本取り、オレに咥えさせてくれた。
火をつけ、二本目をオレは吸う。
何か、語る訳じゃなかった。
ただ、少女は俺の隣に座って、足を伸ばしてぼーっとしていた。
気付いたら、オレのタバコは十数本目。
空に白みが掛かってきた。
カシャンコ、とオイルライターの蓋を閉じた。
そしてようやく、少女は口を開いた。
「このライター、いいね。手に馴染む」
少女はオイルライターの銀面を指で撫でた。
「……見る目、あるね。それ。鉄の町の、記念モデルだ」
銀面は、艶消しが施されている。わざとザラリとした指ざわりにしてあって、それが中々面白い。
「鉄の町?」
「ああ……ここから、東にずっと行くと、国境があって。それを超えたら、ドワーフもいる、有名な町だ」
「ふうん。町は興味ないな」
「そうすか」
「でも、このシンプルなのに重たい独特な感じは好き」
くすくすと、少女は微笑む。
「オレが、死んだら……それ、やるよ」
少女は、目を細めた。
「死ぬ予定があるの?」
「あ、ああ。もうすぐ……オレ、死ぬから。……そしたら、それ、持ってっていいぜ」
そう。オレはもう、死んだら楽、だから。
少女はそっと、オレの手の上にライターを戻した。
「じゃあ、貰えないじゃん。はぁ、仕方ないなぁ」
? 何言って。
「傷、治しちゃったから、貴方、まだ死ねないね」
……え? あれ。
傷も……痛みすらも、無くなっていた。
朝の光に照らされて、少女は微笑む。
「じゃあね」
少女は太陽が昇った方へと歩いて行く。
いつの間にか、隣に黒い狼がいた。
背中の大傷。禍々しい佇まいの黒い狼を従えて、大回復術師クラスの魔法を有する少女。
普通の少女じゃない。何かしら、ワケありな少女であることは、間違いない。
長く関わるのは、楽な生き方じゃない。
分かっていたのに、不思議だった。
オレは、楽をしたいだけの、馬鹿だ。
だけど、こんな気持ちは初めてで。
恋とは違う高鳴りで。嘘、恋も含めた高鳴りで。
「な、なあ」
声を上げた。
少女は立ち止まり、振り返った。
「オレも、ついて行っていいか?」
「え?」
「何、突然、言い出してるのか、オレもよく分かってないんだ。
だけど、その。行けるところまででいい、一緒に、歩いて……
あー、いや、決して怪しい奴じゃなくて」
「くすくす。変な人だね。好きだよ、そういうの。でも、けっこー、遠くまで行くけど、いいの?」
「あ、ああ。どこでも。その、行っていい場所まで、一緒に行かせてくれるか?」
「いいよ」
「え」
「好きなだけ、一緒に居ていいよ」
少女の微笑みが、花のように見えた。
小さく菫のような可愛らしい微笑みで、少女はオレに手を差し伸べた。
「よろしくね、ガーちゃん」
「ガー?」
「ガーちゃん、って顔してるから」
「そ、うか。そっか、オレ、ガーちゃんだな」
「そーだよ。ガーちゃん」
そして、オレは、その手を取った。
それが菫のような、人生を変えてしまう劇薬的な出会いだと、分かった上で。
これが、オレが人生で初めて、簡単じゃない選択肢を選んだ瞬間だった。
◆ ◆ ◆
──……なんだ。この子にオマケが付いて来たな。
ガーちゃんと呼ばれている男だ。黒い肌……なるほど。人魔混血種か。希少だな。
まぁ害はない。タバコが臭いくらいでな。
しかし驚いたのは。
「そういえば、キミのこと、なんて呼べばいい?」
そう問いかけたのが、旅連れ3日目のことだったからだ。
『お前、この子の名前も知らずに付いてきてるのか』
「え、まぁ……そうなるけど」『呆れた』
「師、驚くことないよ。だって私も、その人の名前しらないもん」
『は?』「ガーちゃんっぽいからそう呼んでるだけ」
『お互い名前も知らないのに友達になったとはな』
──などと悪態を吐いたら、あの子は随分とご立腹になってしまった。
はぁ。いつもながら仕方のない子だ。やれやれ。勝手にしておくれ。
「じゃ、ガーちゃん。質問の答えだけど、私のことは好きに呼んでいいよ。
私に好きに名前付けて? 私が好きに名前を付けたみたいにさ」
「じゃ……じゃあ」
「うん」
「す……スミレ、って呼んでも、いいか」
「音が綺麗すぎるから嫌だな」
にっこりとした微笑みでの拒絶。まったく、この子は……。
「好きに呼んでいいって言ってなかったっけっ!?」
『そういう子なんだよ、この子は』
「じゃ、じゃあ! ムラサキさん」「私っぽくないね」
『ヴァイオレットとかどうだ?』「直球過ぎてやだなぁ」『ヴァイオレンスと掛けたんだがね』「くすくす。師のセンスひっどいね」『もう知らん』
「ああ、そうか。私、ヴィオレッタって名乗るよ。スミレって意味だよね」
師のひっどいセンスにも肖ってるよ、と小声で言われたが嬉しくない。
『長くて呼び辛くないか?』「狼先生、その長さがいいんじゃないですか」 そうなのか?
「じゃあ、略してレッタで?」
「ええっ」
「くすくす。だから好きに呼んでいいってば」
「ヴィオレッタでも、レッタでもいいの。師と、ガーちゃんに呼ばれたら、私はすぐに振り返るから」
──今日も、この子は我儘だ。
我儘が一杯で、自分本位。……だが、それでいい。
あの頃の、冷たい顔より、遥かにいいさ。
それより、先を急がないとな。
手に入れなければならない術技はまだまだある。多ければ多い程、成功率が高まるからな。
『あの子の目的』も、『私の目的』も。そのどちらもが、ね。
「レアな術技を持った人物を探してる? 具体的には誰なんですか?」
『ああ。どうしても回収したいのは『生命回復』を持つ聖女アルテミシア。
『死霊術』を持つ夜の森のプルメイ。『支配人』のルキ。それから。
最後に、スキルを持っていない人間だが──ハルル、という少女だな』
◆ ◆ ◆【06】◆ ◆ ◆
依頼の途中でヤバイ老人を拾ったッス!
奥さんのミッシェルさんと私を間違えてるご様子の、おヤバいおじいさんッス。
実は絵描きでどうにも──無くなった奥さんの絵を描きたいらしいんス。
けど、おじいさんは、見た物を見たままに描く肖像画家という仕事で──想像では描かないことが仕事の信条だそうッス。
だからとはいえ。
「んむ。髪を伸ばし、背を伸ばし、目を憂わせ、瞳の色を変え、静かにさせ、胸に詰め物を入れれば、完璧に似ておるのじゃ」
「おい、それ、完全に別な人間じゃねぇか」 そんなに無くないッスけど!!
──私と師匠は、おじいさんの依頼を受けました。
モデル。師匠と初めて一緒の仕事ッス!
絵のモデルをした数週間で、おじいさんとは色々なことを話したッス。
さざ波のような音が伴奏で流れて……直後。
『ザザザザー!!』
かきむしるみたいなノイズ。何回聞いてもビクッと背筋が伸びちゃうッス。
「まったく。このボロは……」
「なんか、どんな曲か気になってくるッスよね」
「確かに。この曲は何て曲名なんだ?」
「分からん」
「マジかよ」
「ミッシェルが入れてくれた曲じゃ。のうミッシェル、なんて曲なんじゃ?」
「だから、私はミッシェルじゃなくてハルルッス!」
◇ ◇ ◇
「どの絵も、ミッシェルさんの表情は変わらないんですね」
俺が訊くと、老人は、そうじゃな、と頷いた。
「いつも無表情でな。その絵は、傘を買った時じゃが、喜んでくれていたのか。
自分が……本当に、彼女を幸せに出来ていたか、今でも分からない」
「それは」
「自分にとっては、幸せな毎日だったよ。ただ、仕事は減り、爪に火を点す貧乏生活は続いた。
王都では生活できず、自分たちは南の田舎に小さな家を買い、絵の仕事をしに、毎週末は王都へ行く生活。
困窮した生活でも、彼女は、弱音の一つも吐かずに、一緒に生活を営んでくれた」
「結婚式も挙げられず。相当、我慢もさせたし、辛かっただろう」
そう老人が背を丸くした。
「いや、幸せだったと思うッスけど」
ハルルの直球に俺はびくっとする。
「そうかい?」
「ええ。絶対に。だって幸せじゃなかったら、サクッと出てくと思うッス」
あっけらかんとハルルが言い放ち、俺と老人は目を合わせてしまった。
「……そういうものかのう?」
「そういうものッスよ?」
「そういうものなの?」
「そういうものッス」
……そうなんだ。女って、ちょっと怖いな。
けど。だったら出て行かないハルルは──。
「……でも、おじいさんの気持ちが分かってよかったです」
「気持ち?」
「ええ。結婚式、挙げてあげたかったから、描いてるんですね」
「……そうなるかのう」
おじいさんは、少し照れ臭そうに目を伏せていた。
──しかし、この後、おじいさんは描けなくなってしまう。
ハルルとミッシェルさんという戦争で亡くなった奥さんが違うと、少しずつ気付いてしまっているようだった。
在るがものを、あるがままに描く。
だから、亡くなった奥さんを、記憶を頼りに描くことが出来ない。
絵を描く、って……そんなに大変なんだな。
一回、モデルの仕事を中断することになりそうだったが──ハルルはやっぱりおじいさんを気にしていた。
だから。俺たちは何でもいいから手がかりを集めて。
あのノイズが流れる曲を突き止めた。
それを流して──おじいさんは何かを思い出したようにまた筆を執った。
◇ ◇ ◇
在るモノを、在るがままに描く。
それこそが、描く為に大切なこと。
ただ、それだけ。
そう思い、絵に打ち込んできた人生だ。
だから、自分が、描きたいと思ったモノが、そこに無いなら、描くことは出来ない。
それは、今も変わらない。
ただ、やはり、これは。この思いは、存在している。
目に映るのは、ここにいる自分の願いだ。願望だ。
この願望が、空想だと、人は笑うかもしれない。
でも、それでも。
「完成したよ。……ジン、ハルル」
二人が何か、声を上げて、喜んだのかなんなのか、楽しそうに近づいてくる。
妻を失ってから。
家族と一緒に死ぬことが出来なかった自分を呪った。
それでも死ぬ勇気なんて持てなかったから、絵に逃げて。
ずっと描いて。描いて。記憶という事実をただ絵に再現する毎日。
描き続けて、妻を忘れずにいられて良かった。
描き上げることでしか、出会えない。
これは空想か? 目に映っているのは幻想か?
老い死ぬが故に、最後に見えてる幻なのかもしれないが、私にははっきりと見えるのだ。
優しい微笑みを浮かべる女性が。雪のように白い髪を結った、ミッシェルと似た凛とした目鼻立ち。
されど少し丸い輪郭は自分と似ている。柔らかい目を少し伏せた女性。
ようやく、会えた。
「娘に、……ようやく、会えた」
そこで、笑ってくれている。自分がボケさらばえたのかもしれない。それでもいい。
画版に、娘は生きている。
──カンテラの灯りが、もうじき消える。
モデルの、ジンと、ミッ……ハルルにはお礼の絵を描かねばならない。
二人の──礼服とドレス。近い未来の『いつかの日』を願って、婚礼の絵として置いておこう。
最後に。
自分が行きたいのは、もう決まっていて。
火が消えない内に、この20年、訪れていない場所へ向かった。
それは、もう廃墟となった村。誰も住んでいない、未だ爆撃の後の残る村。
その丘の上へ。
自分の家があったであろう──妻が死んだあの丘の上の家へ。
ああ──家は。見えた。家が見えた。
あの日のままの家が。
あの日と変わらない妻がいて、それから大きくなった娘がいて。
自分の灯りが消える前に。戻って来れてよかった。
言わないと。ずっと、言いたかったんだ。たった一言。
「ただいま。二人とも」
ありがとう。しあわせな。
◆ ◆ ◆【05】【06】◆ ◆ ◆
■新規主要キャラクター
■ 少女 / ヴィオレッタ
黒緑色の髪に紫水晶のような瞳の少女。
ガーと出会って、趣味が一つ増えた。
ガーを弄ったり悪戯して反応を楽しむという、ちょっとした趣味。
■ ガーちゃん
黒い肌の黄色い目の男性。
ジンさんと同い年か一個下らしい。厳密な年齢は出生の都合もあり曖昧とのこと。
だから一個下で若作り! と若さアピールをたまにしている。
趣味は無いが、愛煙家。
煙さえあれば生きていけると豪語していたが、ヴィオレッタと出会ってから変わった。
レッタちゃんと煙がなければ生きていけない。とのこと。
□主要用語
□ 絶景
時間をスローモーションで見る技術。
そして、自分だけはそのスローモーション中に動ける技術を指す。
疑似的な時間停止であり、これを使えるだけで生存率は相当に上昇する。
練度によってスローも差がある。
あくまでイメージの参考としてジンは時間を0.05倍速くらいまでスロー再生。
ハルルは0.5倍速くらい。
□ 混血
この世界では、魔物と人が交配したら、どっちかの性質で産まれるのが普通である。
しかし、稀に、どちらの特性も獲得して生まれることがある。
それを混血と言う。残念ながらこの時代の混血は特別に当たりが強い。
魔族の中では、人間への鬱憤、敗戦の怒りをぶつけれる身近なサンドバッグとして標的にされる。
人間の中では、魔族への嫌悪、汚らわしい異物として誰も好んで近づかない存在だ。
また、とても類似した言葉に半人という言葉があり、半人登場時に詳細は解説します。




