【24】(はわ────!)【16】
◆ ◆ ◆
そして、陽は傾き始めた。
まだ夕方にはなっていないくらいの時間だが、多くの露店が店仕舞いを始めている。
そしてセレネも店仕舞いの手伝いをしていた。
露店の屋根の梁に掛かっている香辛料の入った袋を、セレネはひょいと取った。
「助かるよ! いつもは脚立を持ってきて取ってたんだけど、あんたにゃ要らなかったね!」
カバの獣人の女店主が『かばばっ』と笑って言う。
「スンナフルさんのお役に立てたなら良かったです」
「とっても役に立ったよ! あんたは背も高いし力持ちだし、おまけに美人と来た!
ほんと、良い娘っこだよ、あんたは!」
「そんなに褒められると照れてしまいます。でも、ありがとうございます」
頭を下げると、カバの獣人女性は「律儀な子だねぇ」と言いながらまた笑った。
「スンナフルさん、今日はもうお仕事終わりなんですか?」
「ああ、終わりだよ。今日の商人隊最終便は出ちまったからね。
なんでも、最近は砂の都行きが盗賊に襲われてるみたいで、便が減ってるんだよ」
「そうなんですか? それは大変ですね」
「ああ。そうさ。あっちの砂漠は砂の大国と獣国の国境だろう?
獣士団たちも積極的に警備に当たれないし、砂の警兵たちも手が出せないらしくて困ってるらしいよ」
(外交上、国境付近で武力を持った兵士を配置出来ないということですよね。
大国と獣国で一時的に協力したくても、盗賊団如きに国家協力というのも面目が立たないんでしょう)
「私も、何か協力できれば頑張ります」
「思いつめた顔で何言ってるんだい。大丈夫だよ!
獣国にはティグリア様の親衛隊もいるし、砂の都は屈強な兵士が多いんだと聞くしね!
そのうち盗賊なんかあっという間に掴まっちまうさ!」
「そうなんですね」
「さ、それよりも。今日頑張ってくれた報酬だよ。受け取っとくれ」
スンナフルは笑いながらセレネの胸ポケットに紙幣を押し込んだ。
「え……! スンナフルさん、こんなにたくさんいただけませんよっ」
「いいんだよ、受け取っておくれ。娘ともたくさん遊んでもらったし、仕事だってしっかりやってくれた。ちゃんとした報酬さ」
「それは」
「もし気にするっていうなら、今度来た時には一杯買い物をしてくれればいいさ! ね、セレネちゃん」
「……はいっ! わかりました! 次は必ず沢山お買い物します!」
セレネが言うと、『かばばっ』と笑い声が響いた。
◆ ◆ ◆
そして、スンナフル親子に連れられて、道を歩いていく。
大通りには人がまだ残っていた。昼程の混雑ではないが──まだ活気づいている。
「気になるかい?」
「えっと。そうですね。見たこと無いものが売られているので」
「商人通りだからね、面白いものもあるんだけど、観光客向けの変な物もあるからね」
「そうなんですね」
「おみやげ屋さんのイメージ!」
ケーレと手を引かれ、セレネは真っ直ぐに道を進んでいく。
(あ……ここ、最初に人に流された道だ)
知らない土地の土や香辛料の香り。
(……落ち着いて嗅ぐと、なんだか温かい香りに思えます)
人の雑踏と、談笑が混ざった声。
(活気が、あるんだ。凄いなぁ)
「着いたよ。この宿さ」
3階立てくらいの、木造の宿。趣があると言えば趣がある。
「ちょっとボロだけど、いい宿!」
ボロと言われれば、確かにボロい。
セレネは改めて二人を見た。
「……今日一日、本当に何から何までお世話になりっぱなしで……本当にありがとうございます」
「いいんだって。困った時はお互い様さね」「さまさね!」
「……本当に、最初は。知らない場所過ぎて怖かったです。
知らない土地の土の匂いも、香辛料の香りも、雑踏も談笑も、笑い声だって──恐ろしい魔物に思えました。でも。
なんでしょう。不思議ですね。
町や国の印象って、そこで出会った人によって全部変わるんだなって思いました。だから、その」
セレネは少し頬を赤くした。それから自然と、笑顔が浮かんでいた。
「スンナフルさんとケーレさんに出会えてよかったです。
この国を、とても好きになりました」
「よかったよ! 見つけた時はこの世の終わりみたいな顔してたのに、良い笑顔になってくれてさ!」
「そ、それはちょっと恥ずかしいです」
「こうはいは笑ってる方がかわいい! ケーレより、かわいい!」
「いえ、先輩の方が可愛いですって!」
「……こうはい。」
「はい?」
「……また、あそびにこい」
「……はい。先輩。約束します」
周りから上がる商人たちの笑い声が響いている。
そんな声にももう慣れた。セレネは背を屈ませて、僅かに涙が滲む。
「また、遊びにきますね、ケーレちゃん」
「うん。……こうはい。……ううん。セレネちゃん」
二人は指切りして笑い合った。
◆ ◆ ◆
部屋に入ったセレネは鍵を掛けて、ベッドに横になった。
異国で出来た友人を思い、温かい涙が零れそうになりながらぐっと抑えた。
まだ外の太陽が夕焼けにもなっていない。それなのに気付くとすぐに寝てしまった。
だから、目を覚ましたのは夜だった。
(……月、出てる。変な時間に起きちゃった)
うつらうつらと目を擦り、せめて部屋着に着替えようと壁際に置いたリュックサックを見た。
だが、セレネはぼうっとして動かない。
彼女は起きた後、数十分、あるいは一時間は布団から出ないタイプである。
そんな最中に、くぐもった声が隣からする。
(? 声が聞こえる。あ、そういえば、この宿は壁が薄いからって説明されてましたね)
女性と男性、それからもう一人男性の声がしていた。
何を喋っているかは分からなかったが。
暫くぼうっとしていると、がごんっ! と椰子の実でも顔面に当たったような音がしてから、扉が乱雑に閉じた。
喧嘩かな。などと思いながらもただぼんやりとしていた。
聞くつもりではなく、ただ薄ぼんやりとしていただけだった。
窓がガラガラと開いた音の後の話声は、より鮮明に聞こえた。
『夜の空、綺麗ッスね!』『だな』
(……? ハルルさんの声、かな。いや、ハルルさんの声だ!)
偶然。
この隣の部屋に、ハルルとジンの二人が泊っていた。
(ああ、凄い巡り合わせが良いですね。本当に、こんな偶然あるんだ……。
でもよかった。これで『なんとか爆機槍なんとか』を渡せるし、家にも帰れそう。
あれ、なんていう名前でしたっけ……でもメモがあるから大丈夫かな)
セレネは微笑んだ。膝を組んで二人が楽しく砂漠の話をしているのを聞いた。
二人の声色は、とても弾んでいた。お互いが楽しそうで、とても優しい時間に思えた。
(今、お邪魔するのはよくないですね。明日の朝にでも挨拶して事情を説明しましょう)
全部は聞こえていないが、声が小さくなる。それから。
『────そういう雰囲気じゃ────』『────』
『────』『────』
『────』
二人が何かを会話してから窓と、カーテンを閉めた音がした
(もう夜だから二人とも寝るのかな。そういう時間ですもんね)
改めて。
セレネ・ケイロスェルは25歳と謳っているが実際は14歳の少女である。
特段、悪意や興味、好奇心があった訳ではなく──ただ衣服を着替える為にリュックサックが置かれている壁際に。
壁際に近づいてしまった。
『──だめ、……ス』 『──ハルル』 『っぁ』
(? なんの──……。……!!)
そして、その艶っぽい声を聞き最初は理解出来なかったが──眠気も徐々に飛び始め、14歳で族長になる程に賢い頭がフル回転し、ある知識までたどり着いてしまった。
ベッドが軋む音と、響く艶やかな声。
『──じん、さっ……んっ。ちょ、……がっつき過──』『──』
『今、脱ぎます、から──』
甘くなっていく声と。
『ぁっ……あっ』 『──ハル、ルっ』
艶が掛かる男声。
(は、はわっ、はわわっわわわわっ!!! はわ、わ、はわわっ!? はわわわあっ!?)
顔を耳まで真っ赤にしてその場にへたり込むセレネ。
『えへへ。昨日も────』『────』
『い、いいで、す……よ』『……──』『んあっ』『お、おい。声っ』
(ぜ、ぜったいに、聞いちゃダメなっ。絶対に、ダメなやつです! あ、あわ、はわ)
錯乱しながら、セレネは体をぎゅっと絞ってベッドに戻ろうとした。
同時に。──壁を見て、胸がドキドキとする感覚を否定できないでいた。
それはつまり、──興味である。
悪意の一欠けらも無い、純粋な興味。
その壁の向こうで何が行われているのか。どうなっているのか。
誰も、今の自分を咎める者はいない。聞いていてもバレることはない。
聞くことは悪いことだ。だけど──悪いことだからこそ、今しか出来ない。今なら、バレないのだから。
心の中での善悪の葛藤があった。
だから、セレネは壁にはそれ以上近づかないようにしながらも、壁と逆側にあるベッドには戻らなかった。壁に耳を当てたい衝動が無い訳じゃない。いや、むしろ強くあった。
リュックサックを、ぎゅっと抱き締め、顔を埋める。
(……! は、はわわ)
『もう、だめ──いっ』 『──』
(はわ────!)
◇ ◇ ◇
そして、小鳥が鳴く朝。
(……な、ん時間……続けてしまう、もの。なんでしょう。それは)
目をらんらんと見開いて、顔を真っ赤にしたセレネ。
一睡もせず、リュックサックを抱き抱えたまま、その場に座り込んでいた。
(……ど。どんな顔して、ハルルさんに会えばいいんでしょう。でも、それにしても)
赤くなった顔を押さえる。
(そ、そんなに、なっちゃうんですか。そういうことって。
あんなに、こう、ええっと。そう、なっちゃうものなんですか……っ)
どきどきと鳴り続ける心音に、セレネはまだ身動きが取れないでいた。
(ちょっと、落ち着くまで。落ち着くまで時間が)
湯だった顔をリュックに押し付ける。
扉が開いて締まる音がした。出発したのだろう。ただそこに声を掛けに行くことは出来なかった。
(便……何本か、遅らせよう。何も知らない顔で、会いに行きましょう。
ああ、出来るかな、私、そんなうまくっぅうう。はわわっ……)




